カルテル・ランド
ドキュメンタリー映画『カルテル・ランド』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Cartel Land
製作国:メキシコ・アメリカ
製作年:2015年
日本公開日:2016年5月7日
監督:マシュー・ハイネマン

【個人的評価】
 星 8/10 ★★★★★★★
 

Plot Summary

メキシコ麻薬戦争の最前線をとらえたドキュメンタリー。メキシコ・ミチョアカン州の内科医ミレレスは、地域を苦しめる麻薬カルテル「テンプル騎士団」に対抗するべく、自警団を結成し蜂起する。一方、アメリカ・アリゾナ砂漠のオルター・バレーでは、退役軍人ティム・フォーリーがメキシコからの麻薬密輸を阻止する自警団「アリゾナ国境偵察隊」を結成。2つの勢力は麻薬カルテルに戦いを挑むが…。

ネタバレなし感想

黙殺しなかった人たちの結末

皆さんは「社会」をどれくらい信用しているでしょうか。

なんでコイツ、こんなことを聞くんだと思っているかもしれませんが、今はスルーしてください。いきなり社会と言われてもという感じでしょうが、考えてみてください。社会とは何か? それは政治であり、民衆であり、経済であり、法律であり…この世界の基盤になっているものです。「私は人間なんて信じない。信じるのは金だけだ」そんなことを言っている人も経済という基盤の上に成り立つ「紙幣や通貨」を信じているわけで、つまり社会を信用しています。やっぱり何かしら社会を誰でも信じていますよね。そうじゃないと生きられないです。少なくとも無人島でひとりで暮らしているのではないかぎり(そんな人はこのブログを閲覧する状況にはないはず)。社会は私たちの基礎であり、それを根本から疑うなんてことはそうそうありません。

しかし、本作『カルテル・ランド』ではその事態が起こってしまうのです。

この作品は「メキシコ麻薬戦争」を描いています。『ボーダーライン』に続いてまたもや「メキシコ麻薬戦争」モノ。今度はドキュメンタリーです。


メキシコ麻薬戦争がなんなのかわからない人は大丈夫。この作品はそういう人でも問題ありません。それは優しく解説されているから…とも限らないのですが、とにかく無知な状態でも問題ないです。

この作品を撮ったのは“マシュー・ハイネマン”という人物。誰しもが行きたくないであろう現場に突撃取材を敢行した若きマシュー・ハイネマン監督は凄いですが、カメラに映ったものはもっと凄かった。

『ボーダーライン』が「黙殺した人」の物語なら、本作『カルテル・ランド』は「黙殺しなかった人」の物語。麻薬カルテルと戦うことを決意した人々の行きつく先は…平和か、それとも…。ぜひ、あなたの目で見てください。

観終わった後は、まずドキュメンタリーであることが信じられないでしょう。そして、自分の中にある「こうすれば平和は実現できる!」という思想が粉々に砕ける感じになります。本作を観ずに現代で「平和」を語るのは世間知らずだと思ってしまうくらいのカルチャーショックです。

現在、アメリカ大統領選共和党候補のドナルド・トランプ氏が「メキシコ国境に壁をつくる」と豪語しています。この言葉だけ引用すれば、バカバカしい荒唐無稽な政策に見えます。日本のメディアも私含む一般の日本人も冷笑している感じです。しかし、その言葉を言い放っている演説地アリゾナ州の現状を本作で知れば、方法の実行性は別として、バカにはできないことがわかると思います。むしろ冷笑した自分が恥ずかしい…。少なくともアリゾナ州の地元住民には生死に関わる問題なのです。

解決方法はおいておいて、私たち日本人にできることはまず知ることです。本作はその最前線を知るためのこれ以上ない情報源になることは間違いありません。

本作公式サイトには「メキシコ麻薬戦争」の簡単な年表や相関図もありますし、あまり実態を知らない人は映画を観た後に見れば全体の理解が深まると思います(本作のネタバレがあるので注意)。 

予告動画


 





↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

善にはつねに悪が混じっている

案の定、絶句です。

フランスの作家・詩人のアルフレッド・ド・ヴィニーが『詩人の日記』で以下のような言葉を残しています。
善にはつねに悪が混じっている。極端な善は悪となる。極端な悪はなんらの善にもならない。
この言葉そのものの世界が『カルテル・ランド』で繰り広げられていました。

本作はアメリカ側とメキシコ側の双方の自警団的組織が描かれており、劇中では巧みに関連づけられて配置されています。アメリカ側の映像や展開は乏しいのですが、メキシコ側の顛末を知ることで、アメリカ側の未来の絶望感も映し出す…上手い構成です。この2者を題材に選ぶという最初の素材選択の時点で、映画の出来が決まったといっていいんじゃないかと思うくらいです。監督のセンスですね。

政府や警察が信用できず自警団をつくったアメリカとメキシコの地元住民たち。これだけみれば民主的運動ともいえなくないです。とくに映画序盤のメキシコ側で描かれる自警団と市民が一体となって警察を追い払うシーンは感動的にさえみえます。

まさに私たちが理想とする民主主義の姿。弱き者たちが結集して、権力者たちに声を上げる。社会を作るのは私たちだ。この社会は私のためにある…そんな熱い想いが歪んだ世界を正し始める。おそらくこういう同様の活動をしている人にとっては「こうありたい」と思う、ひとつのベストアンサー。

たとえどんなに歪んでしまった社会でも、正義が立ち上がれば変えていける。その発想によって、このメキシコだけではない、多くの国々や地域で改革の動きが沸き起こっている。それは私たちもニュースで知っていますし、日本国内でもそんな活動をしている人はいます。

社会を信じているからこそ、その社会をより良いものにできるとも信じている。その活動にケチをつける人なんているでしょうか。

カルテル・ランド

しかし、真実は残酷だった。メキシコの自警団は過激化、不法侵入・誘拐・拷問を繰り返し、麻薬カルテルとやっていることは変わらなくなり…。そして、トドメの追い打ち。自警団に武器と資金とメンバーを提供していたのは他ならぬ麻薬カルテルだったという…。

自警団を始めたホセ・マヌエル・ミレレスは逮捕、自警団(というか新しい形態の麻薬カルテル)が政府所属の「地方防衛軍」となって映画は終わりです。

麻薬カルテル撲滅の運動は麻薬カルテルの手のひらの上だった。

いや、考えうるかぎり最悪の結末なんだけど…。

皮肉なのは、このメキシコ自警団をアメリカ自警団のリーダーも住民が立ち上がって行動することはいいことだと評価している点です。まさか麻薬カルテル関連組織を褒めているとは夢にも思わなかったのでしょうが…。

自警団という存在は日本には少なくとも目立つかたちではいませんが、世界を見渡せば結構います。その設立の動機は当然既存の社会への不信感です。国は頼れない。だから自分たちでなんとかしよう。しかし、その発想に欠けているのは、自分たちは信用できるのかということ。当然、自分は自分なんだから、信用するに決まっているという答えが返ってきます。でもその自分さえも信用できない事態もありうる。これは盲点であり、とくに私たちは陥りやすいこと。

自分たちの信念に基づいて民主的運動をしている…本作の登場人物に限らず、多くの国や地域の民主運動家はそうだと考えているはずですが、それは気付いていないだけかもしれない。 大事なのは自分の善を疑うこと…なんでしょうか。

「偽善」という言葉がありますが、今作で描かれていることはそんな言葉すら生易しい気がしてきます。正義なんてあるのだろうか。政治は、経済は、法律は、正しく機能することなんてあるのだろうか。自分が正しいなんてことはあるだろうか。

非常に嫌らしいのは、この作品は散々観客の常識を揺るがしておきながら、新しい安心できる答えを何も用意しないことです。えっ、じゃあ、何を信じればいいの? その答えは自分で探してね、もちろんそんな行為さえも信用できないけどね…という捨て台詞を残して。

もう一度、この記事の冒頭の質問を繰り返します。

皆さんは「社会」をどれくらい信用しているでしょうか。

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