Hush
映画『サイレンス』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Hush 
製作国:アメリカ
製作年:2016年
日本では劇場未公開:2016年にNetflixで配信
監督:マイク・フラナガン

【個人的評価】
 星 6/10 ★★★★★
 

Plot Summary

マディーという名の女性は人里離れた森に建つコテージに1人でひっそりと暮らし、時々近くに住む友人のサラが訪れるくらいだった。彼女は13歳の時から病気のために耳が聞こえない障がいを抱えていたが、読唇術や手話を駆使して作家の仕事をしていた。ある日の夜、彼女のもとに凶悪な殺人鬼が現れる…。

ネタバレなし感想

静寂は殺人鬼に何をもたらすのか

もし殺人鬼が自分に迫って来たらどうしよう…。そんなことを考えるのは、映画マニアの基本思考。まずここに逃げて…いや、これを武器に対抗…まてよ、助けを呼ぶために連絡手段の確保を…考え出すとキリがありません。そして、たいていこの脳内シミュレーションはリアルでは意味ないのでしょうけど。

閉鎖的な空間で頭の狂った殺人鬼が次々と人を残酷に殺していく映画は「スラッシャー映画」というジャンルに分類されます。スラッシャー映画では、殺人鬼や殺し方にバリエーションを持たせて観客を怖がらせる(楽しませる)ものが多いですが、本作『サイレンス』は一味違います。

『サイレンス』の舞台は森の中にひっそりと建つコテージ。周辺に家はないようで人通りなんてあるわけなく、たまに隣人がやってくる程度です。そんな家に暮らし、本作の殺人鬼の標的となる主人公は、独り暮らしの女性。作家として働く彼女は、仕事も家のパソコンでできるため、家にこもりっきりです。まさにスラッシャー映画の題材としてぴったりですが、変わっているのが彼女は耳が聞こえないハンディを背負っているということ。読唇術や手話でコミュニケーションをとっており、音は全く聞き取れません。

この決定的要素が本作ではスラッシャー映画に面白い効果をもたらします。通常は不審な音に驚き恐怖する描写が定番ですが、本作ではそれができません。さらに主人公は映画全編にわたって全くといっていいほど言葉を発しません。しかし、本作は上手く音を用いていて、音の使い方が普通のスラッシャー映画とは異なるのです。

こういうハンディキャップを持った主人公もしくは環境でのホラーは、本作以降、かなり定番化していったため、本作はその先駆者的な作品かもしれません。

原題の「Hush」は“しっ! 静かに”と相手を黙らせるときの単語です。でも、主人公のマディーは耳が聞こえないのでそもそも静かなはず…。このタイトルの意味は映画を見れば理解できると思います。

他とは違うスラッシャー映画、これまでにない緊迫感を体感できます。マイナーな一作ですが、ほどよい適度な緊張感を味わえるので、ぜひとも時間があれば見てほしいです。もちろん、静かな環境で視聴するのがベストですよ。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

無音の恐怖

最近はイヤホンを耳につけて音楽を聴きながら移動する人とかが当たり前になり、それが交通事故や犯罪の被害者になるリスクになっていることは、よく指摘されます。でも、なかなか注意されてもその危なさは理解しにくいものなんですよね。

本作はまさにその極端な事例を観客に見せつけてきます。

本作は音を強調します。初めの料理をするシーンから日常にたくさんの音が溢れかえっていることが示されますが、それが一瞬で無音になる演出。「あぁ、音がないってこういうことか」と一発でわかる導入で、これだけでも上手い映画だなと思わせます。

この映画を見て誰でも嫌でも認識されてしまうことは、音がないと怖いどころか怖いとさえ実感できないということ。料理で火災報知器がなる場面でも日常の恐怖が描かれますが、これが最も表れる映画序盤の殺人鬼登場シークエンスは一番の恐怖でした。外で殺人鬼にメッタ刺しにされ苦痛の叫びをあげてドアを叩く友人の声が主人公の耳には届きません。そのままガチャッと音を立ててドアを堂々と開けて殺人鬼が侵入しても、やはり気づきません。

この一連の、観客はわかっているのに主人公はわかっていないというもどかしさが本当に嫌な感じで、映画としては最高に楽しい。「うしろ…うしろだよ!」と画面に念じても効果はありません。

結局、彼女が異変に気付くのは自分のスマホからパソコンに盗撮写真が送られてきた瞬間です。すぐ近くで何者かが見ていると気づいた時にはもう手遅れ。このときの恐怖は想像したくないですよね。

恐怖を認知できない恐怖で観客を巧みに振り回す、素晴らしい斬新さでした。

Hush_a

殺人鬼のほうが油断大敵

一方で、本作の殺人鬼はスラッシャー映画としては賛否両論あるでしょう。

友人のサラを襲っているときは快楽殺人者らしく情け容赦なく殺しているのですが、マディーが耳が聞こえないとわかるやいなや、この殺人鬼は主人公に油断し始めます。だからかむやみに音を立てます。音を立てることに気にしなくなり、あまつさえ存在感を消そうという配慮もなくなります。マスクもとってしまうため、殺人鬼の異常性や見た目に強烈なインパクトもありません。この殺人鬼はそんなことをしなくても「耳が聞こえない=か弱い」と勝手に解釈して主人公をなめてかかっているのです。殺人鬼側からすればこんな耳も聞こえない弱い奴はどうせ簡単に殺せるのだから、すぐに殺さずじっくり虐めてやろうということです。

この殺人鬼側が主人公を馬鹿にしているというアイディアは、結構個人的には良いなと思っています。いわゆる障がい者差別的な思考の象徴ですし、確かに一気に小物臭がしますが、犯人像がリアルでいいなと思ったり。

しかし、殺人鬼は勘違いをしていました。マディーは耳は聞こえなくとも他の感覚を全て研ぎ澄まして恐怖を感じているのです。そして、反撃に出ます。殺人鬼登場から早い段階で意外と奮闘します。1点取られたら1点取り返すくらいの展開でした。殺人鬼も不用意に怪我をしてしまいます。そのせいかスラッシャー映画らしからぬ殺人鬼が間抜けに見えなくもないです。まさに静かにすべきは殺人鬼のほうでした。

ただ、そのぶん、主人公が強すぎる気もしないでもない、活躍っぷりだったのは引っかかるところでもあります。前半は良かったのですが、後半の展開はやや無理があったように思いました。あんなにクロスボウを装填できずにいたのに急に使えたのはなぜなのか、謎です。バスルームで殺人鬼のナイフをかわして逆にナイフを突き刺すシーンもどうやって殺人鬼がマディーの後ろに回ったのか、そしてその後の殺人鬼との乱闘も強引なところが目立ちます。そもそも、ここまでやられておいて殺人鬼は依然としてマディーに油断するのは変でしょう。まあ、人を無意味に殺す奴なんてとことん他人を小馬鹿にしているだけだから学習しないのかもしれませんが…。

そんな後半、良かった演出もありました。助けにきた男がマディーの発した音のせいで逆に殺されてしまうシーン(序盤の友人女性の音に気付けず死なせてしまった場面と対照的)、殺人鬼に追い詰められていろいろなシナリオがマディーの頭に浮かぶシーン(作家らしい演出)と印象に残る場面も多かったです。

エンディングは想像以上にさわやかな感じになってました。BGMのせいもあると思いますが…。でも、友人もあの男性も殺されたのにそれでいいのか?とも思わなくもないです。ま、反撃して殺してやったからいいか!(単純な思考)。

殺人鬼が油断する理由がしっかり描かれている、なかなか新鮮で面白いスラッシャー映画でした。

©Netflix