サウルの息子
映画『サウルの息子』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Saul fia
製作国:ハンガリー
製作年:2015年
日本公開日:2016年1月23日
監督:ネメシュ・ラースロー

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★★
 

Plot Summary

アウシュビッツ強制収容所で特殊部隊「ゾンダーコマンド」で働くユダヤ人のサウルは、同じユダヤ人を殺戮し死体処理を行う毎日を過ごしていた。ある日、一人の少年の死体が目に留まる。サウルはこの子は私の息子だと周囲に発言し、なんとか埋葬しようと画策する。

ネタバレなし感想

アウシュビッツ強制収容所を体験する

「アウシュビッツ強制収容所」という存在は歴史を学べば出てくるものであり、全く聞いたことはないという人はいないと思いますし、そうだとしたらそれは授業を寝てたか、記憶が吹っ飛んだだけだと信じたいところですが、とにかく有名です。

ただ、それでも眠くなるのもわかる話です。というのも、教科書など文字だけで見ていてもかなり実感もわかず、内容が素通りしてしまうもの。「たくさんの人が処刑されました…へぇ。そうなのか」で終わってしまいがちです。

そんな薄い反応になってしまわないためにも、役に立つのが映画です。個人的には歴史の授業はとくに近代史は全部映画だけ見せて、それをベースに学習した方がいいと思っているくらいです。それくらい映像だからこそのインパクトが大きいものです。文章よりもはるかに説得力という名の脳みそへの攻撃力がありますから。

そして、本作『サウルの息子』もまた、その絶対に観てほしいと断言したくなる歴史映画です。

この映画はアウシュビッツ強制収容所でユダヤ人の死体処理を行う特殊部隊「ゾンダーコマンド」に配属されたハンガリー系ユダヤ人のサウルという男の物語です。つまり「ホロコースト」の映画です。「ホロコースト? アウシュビッツ強制収容所って何?」という人はいないかもしれませんが、あらためて知らない人はぜひWikipediaとかで事前にある程度調べてください。この『サウルの息子』は決して事前知識が必要な映画ではありませんが、予めアウシュビッツ強制収容所の概要くらいは知っておいて困るものではないです(というか常識として知っておいた方がいいです)。

私がアウシュビッツ強制収容所を初めて知ったのは中学生のときでした。授業で先生がNHKのドキュメンタリー番組『映像の世紀』を私たちに見せてくれたのですが、そこには大量の裸の死体がブルドーザーやトラックでまるでゴミのように片づけられているシーンが…。子どもながらに衝撃を受けたのを今でも憶えています。

本作も衝撃を与えてくれます。それもとても映画らしいアプローチで。

本作を何の事前情報もなく見たとき、最初に衝撃を受けるのなんといっても画面です。主人公サウルにずっとカメラがついてまわり、周囲はぼやけてよく見えません。しかも、画面が狭い(スタンダードサイズ、横:縦が4:3の比率になっています)。被写界深度の浅いレンズを使ったこの映像は、いわゆるTPS(三人称視点)のTVゲームのような感じであり、この映像演出による没入感が本作の最大の魅力と言ってよいでしょう。こういう手法を用いた映画は珍しくないですが、本作はこれ以上ない活かし方をしています。

本作の映倫区分はG(全年齢対象)なのも、サウル以外のまわりの映像がぼやけているからです。実際は大量の死体や殺戮が映っていますが、よく見えない…。観客も見たいけど見たくない…というようなまるでホラーゲームのような感覚に陥ります。

サウルもどこか無機質な感じで、感情が読めません。昔のゲームのポリゴンキャラクターのようで、それもなにか怖い雰囲気を醸し出しています。ちなみにサウルを演じたルーリグ・ゲーザという俳優はどうやら本作が映画初主演のようです(過去にTV番組には出ていたようですが)。

話は逸れますが、最近、VR(バーチャルリアリティ)のヘッドセットが各メーカーから発表されています。未来の映画がこうしたVRで描かれるとしたら、この『サウルの息子』をVRで見るのはちょっとつらすぎますね…。私だったら固まって顔を動かせないでしょう。

ヘビーな一作ですが、見て損はありません。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

歴史を知るのではなく、体験する

とにかく息苦しくなるような映画でした。

ホロコーストを題材にした映画はたくさんあります。それらはどうしても俯瞰した視点が多いものです。その方が断然理解しやすいですし、行われていることの悲惨さも客観性をともなって説明されていきます。教材的にも歴史解説的にもこちらのほうがいいに決まっています。

しかし、本作はその客観性とかわかりやすさをあえて全て投げ捨てて、観客を完全に収容所の中で働いている人と同じ目線に強制的にしてしまいます。だから、観客にしてみれば、何が起こっているか一瞬わからないです。でも、だんだんと「あ、これは処刑の準備なんだ」とか、「視界の端でかなり凄惨なことが行われているんだ」といった“察知”ができるようになっていきます。その徐々に理解してしまう感覚が本当に恐ろしいです。

そのため終始この環境にいることを強いられる観客はげっそりです。もちろん、当事者の苦しみはそんなものではないのですが、映画体験としてはある意味、最悪といえます。

一方で、こういう主観で体験させる映画作りを土台にした本作のような映画が生まれているのも、昨今の映画界のアプローチの深みが増したことの証明な気もします。やはり、ただ歴史的題材を映画にしましたというだけでは、面白みはありませんから、作り手もあの手この手を考えるわけで、そこから捻りだされた本作のトリックは、確かに見事と言わざるを得ません。

また、最近の時代では、過去の戦争やその悲劇に対する当事者意識が薄れていることも背景にあるのかもしれません。だからこそ、当事者感を強烈に強めるこのようなアプローチが、社会的にも求められるのでしょうね。

本作の成功を見ると、今後、こういった主観で歴史を体験させる映画は増えてくるような予感がします。怖くもあり、必要だと思うし、複雑な気持ちにはなりますが…。

サウルの息子_a

「息子」とは誰か、そしてサウルの真の目的は

もう少しドラマの話をすると、映画を見ていくと、劇中でサウルに「息子」はいないことがわかります。ではサウルが埋葬しようとするあの少年は誰なのでしょうか。いや、それは誰でもいいとして、なぜサウルはあそこまで埋葬にこだわったのでしょうか。これはこの映画における物語中の最大の謎です。
 
ここからは完全に私個人の解釈ですが、その答えは最後に示されていると思います。終盤、強制収容所から脱出したサウルたちは小屋に身を潜めて休むことに。次にどうするか議論する仲間たちをよそに、実は地元の少年に目撃されていることにサウルだけが気付きます。のぞき込む地元の少年とサウルがじっーと見つめ合うシーン。地元の少年に目撃されたことは逃げているサウルたちにしてみれば良くない事態のはずなのに、ここでサウルは微笑むのです。

これは解釈が2つあるように思います。1つは少年の出現がサウルの息子の蘇りのように見え、サウルの行動が報われたことになるという意味。直前に川で溺れかけたサウルは息子と思っていた少年の死体を離してしまっており、後悔があったはずです。しかし、特筆すべきは2つ目の意味です。地元の少年とサウルが見つめ合うシーンではカメラ真正面からサウルの顔をとらえており、つまりサウルは私たち映画視聴者を見ているともいえます。「ああ、自分たちの苦渋に満ちた残酷な一生を見てくれた人(映画視聴者)がいる」「次世代に何かを残せた」…だからこそ安心して微笑んだのではないでしょうか。ここでいわゆる第4の壁を超えたメタ的演出が入ることで、ドキッとさせられるシーンとなっています。

そもそも実際にゾンダーコマンドたちは史実では文書をあちこちに残し、なんとかしてここでの出来事を他者に伝え残そうとしていました。それが成功したからこそこの映画がつくられたわけです。サウルの「息子」への執着もそうした次世代への継承(警鐘のほうが正しいかも)のためなのでしょう。そう考えれば、埋葬に執着するサウルは同じゾンダーコマンドの仲間からも非難されていましたが、決して自分勝手な行動ではなかったことになります。

ネメシュ・ラースロー監督はその継承を正しく受け取っただけでなく、さらに他者へ継承させることに成功しました。それが『サウルの息子』という映画です。この映画こそゾンダーコマンドの残した意思を確かに引き継いだ「息子」なのかもしれません。次に継承の役割を担うのはこの映画を見た私たちです。私たちはサウルの「息子」になれるのでしょうか。

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