シン・ゴジラ
原題:シン・ゴジラ
製作国:日本
製作年:2016年
日本公開日:2016年7月29日
総監督:庵野秀明、監督:樋口真嗣

【個人的評価】
 星 10/10 ★★★★★★★★★★
 
あらすじ

無人のボートを発見した海上保安庁が船内を探索していると突然、海面から大量の水蒸気が噴出され、東京湾アクアトンネルが崩落してしまう事故が発生する。対応に動き出す政府だが、それは日本が未曾有の危機と対峙する果てしない戦いの始まりに過ぎなかった…。

予想外の進化を遂げたゴジラ映画

何を隠そう、私が映画好きになったきっかけは子どもの頃見た「ゴジラ」シリーズ。「ゴジラ」シリーズ作品は全て見ており、思い入れがあるのは言うまでもありません。

日本で「ゴジラ」シリーズが終了して幾年、きっといつの日かまた復活するだろうと思いつつ、もうなんとなく「良き思い出」として過去のモノにもなりつつ…。しかし、2014年にハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』が公開されると、内容はともかく胸騒ぎする自分はやっぱりゴジラが好きなのだと実感したのでした。

そして、2016年夏、ついに「ゴジラ」が復活する日が到来。総監督・脚本は『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明、監督は『進撃の巨人』の樋口真嗣(ちなみに私は『新世紀エヴァンゲリオン』も『進撃の巨人』もあまり好きじゃない)。企画が発表されて以降、おそらく多くのゴジラファン、怪獣・特撮ファン、映画ファンが「どうなる?大丈夫か?面白いのか?」と期待と心配がごちゃごちゃになった状態でこの日を待っていたと思います。もちろん私も。

そんな私が『シン・ゴジラ』を見ての心境は…衝撃です。

とにかく長い歴史を持つ「ゴジラ」シリーズ。「ゴジラ映画とは?」の質問の答えは十人十色です。人間の罪を描いた宗教映画、核への恐怖を描いたホラー映画、巨大怪獣を描いたモンスター映画、怪獣どうしのバトルを描いたエンターテイメント映画、怪獣を巡る人間ドラマを描いた社会映画…。とにかく映画の作り手としてはどんなゴジラ映画を創造するのかまず決めなければなりません。

庵野秀明・総監督はこの問いに明確な答えを打ち出しています。

それはゴジラと日本の戦いを徹底的にリアルに描く「シミュレーション映画」をつくるということ。

ではなぜ「シミュレーション映画」なのか。第1作『ゴジラ』(1954年)は当時の観客にそれはそれは生々しい恐怖を刻み込むことができたわけですが、その成功はあくまであの時代だからこそ。当時の人はゴジラが見慣れた街々を破壊するだけで衝撃でした。しかし、現代の私たちは、『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』のようなアメコミ映画や『インデペンデンス・デイ リサージェンス』のようなCG過多映画に見られるとおり、街の破壊描写自体を素直に空想として受けとってしまうくらい、変にリテラシーが上がってしまいました。第1作『ゴジラ』をそのまま現代の映像技術で描いても、派手にはなるでしょうが、恐怖は感じません。そこで現代に通じるように第1作『ゴジラ』をリブートさせるための戦術として、シミュレーションというアプローチを選んだということでしょう。シミュレーションするのはよく私含め怪獣オタクたちが妄想でやってたりしますが、映画で実現させてしまうとは…。言うは易く行うは難し。脱帽です。

結果、本作は他の過去作にはない全く新しいゴジラ映画になったと思います。ハリウッド版と比較することになるのかなと映画を見る前は思いましたが、映像技術がどうとか、予算がどうとかそういうのはもうどうでもよかった。まごうことなき絶対に日本にしかつくれないゴジラ映画でしょう。だからといって過去の栄光に頼りきった作品でもないし、庵野秀明だからエヴァンゲリオンそのものというわけでもない…ここにきてこんなオリジナリティのある作品を作れることに驚きます。この感じ、デジャヴだなと思ったら『スターウォーズ フォースの覚醒』のときに似ていますね。

はっきり言って本作は一般向けではないと思います。とにかく庵野秀明・総監督の作家性が爆発しています。(ゴジラファンでさえ驚愕しているぐらいですから)ゴジラを一度も見たことがない人が見たら「なんだこれ…」とドン引きしかねないし、子どもは退屈しないとは思いますけど戸惑うでしょう。

過去に一部のゴジラ映画にあったファミリームービーとしての要素は皆無です。家族愛もなければ、恋愛もない。マシンガンのように連射される政府&官僚の会議シーンは、完全に観客を捨てています。ゴジラの描写はドン引きするくらいの気持ち悪さで、怪獣への憧れみたいな可愛げはゼロ。

オタク特有の「ついて来れるならついてこい」感が満載。オタクのオタクによるオタクのための映画です。

でも、興行的にも大成功しています。これは本当に凄い。つまり、作り手の自己満足に陥らず、真っ当に映画づくりしているという証明だと思います。私が見た劇場でも子どもが楽しそうに感想を語っていました。内容がマニアックでもちゃんと作れば伝わるんだとなんか製作者じゃないくせに私も嬉しくなりました。

これもどれも、普通だったら商業的に絶対しないはずの本作の企画にGOサインをだした東宝、そしてそれを恐ろしいまでの執念でスクラップ&ビルドして実体化させた庵野秀明・総監督を始めとする製作陣に拍手を送りたいです。

好き勝手やってくれて本当にありがとう。


以下、私個人の感想をだらだらと書いてます。とくに本作のテーマと人間部分についてが中心です(ゴジラ自身の描写への感想は割愛。とりあえず一言でいうなら本作のゴジラ、最高でした)。




↓ここからネタバレが含まれます↓ 




現実と虚構のバランス

ゴジラは空想特撮映画と称されますが、空想特撮映画は現実的な描写(リアル)と空想的な描写(ファンタジー)のバランスが大事だと思います。

本作はそれが絶妙でした。

まず「シミュレーション映画」といわれるだけあって、ゴジラが出現した際の政府の対応は非常にリアルです。制度や法令、慣行、舞台のセットや小道具、登場人物の衣装から口にする用語まで、全てが入念にリサーチされており、よくここまでやったと感服します。

一方で本作の非リアルな部分として誰もが真っ先に言及するであろう、石原さとみ演じる米国大統領特使のカヨコ・アン・パタースン。『シン・ゴジラ』全体を褒める人でも彼女のキャラつくり・設定だけは否定的な反応を示す人も少なくないと思います。

でも、私は彼女のキャラにも意味があると感じました。彼女はいわばアメリカを代表させるキャラです。しかし、公式でもキャッチコピーに使われているとおり、本作のテーマはニッポン(現実)対 ゴジラ(虚構)。もし彼女をリアルにしてしまえば、日本VSアメリカ、もしくは日本&アメリカVSゴジラになりかねません。最終作戦でアメリカも協力していましたが、あくまで本作の人間側の主人公は日本。だから、日本だけリアルにしたのだと私は解釈しました。本作が安易な反米みたいなプロパガンダ映画にならないように、カヨコは上手くカリカチュアされていました。難しい役を果敢に演じきった石原さとみも上手かったです。

カヨコに目を向けがちですが、実際のところ本作で一番非リアルなキャラは、巨大不明生物特設災害対策本部の面々、とくに長谷川博己演じる内閣官房副長官・政務担当の矢口蘭堂ではないでしょうか。この集団が非リアルなのは、本作が提示する「国」の理想の姿を描いているからこそ。

この対策本部の場面では、エヴァンゲリオンでおなじみのBGMが流れますが、これも単なるパロディ以上の意味合いがあると感じます。この曲は何回か流れますが、全部曲調が違います(サントラによれば5曲)。前半は重々しく、後半になるとかなり尖った感じにテンポアップします。まるでゴジラと同じように対策本部も第1形態、第2形態、第3形態と進化していくようです。


このへんのバランス感覚は、庵野秀明・総監督がアニメ出身ならではなのかもしれません。


個人の感情を排して「国」を描く

本作の人間側の主人公は「国(ニッポン)」です。劇中で一番中心的に目立つキャラとして矢口蘭堂がいますが、彼もまた「国」を構成する一部にすぎません。「国」は「個」の集合体なのですから。そう考えると、本作の「総勢328名のキャスト」という登場人物の多さもちゃんと意味があるように感じます。登場人物が多すぎるという指摘もあるみたいですが、「国」を構成する「個」としては少なすぎるくらいの厳選です。

だから、登場人物ひとりひとりを深く描くことは全く考えていません。また、特定の「個」に感情移入させないようなつくりが随所で見当たります。例えば、観客と立場の近い一般市民を主要キャラとしてださないし、主観的に死を描いていません。どうしても一般市民目線を描くときは、撮影された動画とかSNSの反応など情報源という形として客観的に見せているのが上手いです。

もちろん政治家にも感情移入させないようになっています。首相や主要大臣の乗せたヘリがゴジラの光線で爆発四散する場面も、主観映像は入れず、俯瞰するだけ。それに彼らは戯画化されており、オーバーなキャラ付けがされているのも感情移入を防ぐ良いアレンジです。このへんは『マネー・ショート 華麗なる大逆転』を連想しました。

その一方で、政府・官僚・自衛隊が主に描かれる理由は、テーマ的な解釈でいえば、「国」が外からの異物に直面したとき最初に対応するのが彼らだからでしょう。政府・官僚・自衛隊は「国」という群体生物の皮膚であり、神経であり、脳であるのです。

今まではゴジラ映画のお約束に過ぎなかった政府・官僚・自衛隊の登場に、ちゃんとしたテーマ的なロジックを用意しているあたり、本作が実に精密につくられていることがよくわかります。

結果的に、特定の組織や思想・主義を支持もしくは批判するような感傷的要素が排除され、シミュレーションに徹することが実現しています。見事です。

チーム映画でもあった

誰も乗っていない船の発見と突如吹き上がる水蒸気から幕を開ける本作。

映画序盤、人間側の主人公である「国(ニッポン)」はとにかくまとまりがありません。縦割りとマニュアルでしか動けない政府、役に立たない御用学者、騒ぎを野次馬気分で楽しむ一般人…そして案の定の想定外の事態の連続。

これだけ見ると、無能な政治家や平和ボケした国民性を嘲笑って諫める、いかにもありきたりなメッセージ全開の映画なのかと思ってしまいます。

実際、過去のゴジラ映画でもそうした「人間はなんて愚かなんだ」という主張がセリフとしてそのまま出てくるような作品も多いくらいです。

ところが『シン・ゴジラ』はそんな上っ面な結論で終わりません

超法規的措置により害獣駆除として防衛出動するという方向性が決まると「国」がまとまり始めます。後手後手にまわっていた政府の人たちは、なんだかんだでいざとなったら即時決断が光ります。そしてとくに活躍するのが、新設された矢口を中心とした巨大不明生物特設災害対策本部。この対策本部を構成するメンバーは、内閣官房副長官秘書官、環境省自然環境局野生生物課長補佐、資源エネルギー庁電力・ガス事業部原子力政策課長、文科省研究振興局基礎研究振興課長、国立城北大学大学院生物圏科学研究所准教授と、普通だったら同じ部屋で協働することなんてありえない人たちです。でも、打倒ゴジラのために肩書も役職も捨てて集合知を発揮していきます。

シン・ゴジラ

個人的な話になりますが、私は省庁の人と仕事したことがあり、彼らが縦割りがゆえに上手く動けない現場を目の当たりにしてきました。その経験からいえば、本作で描かれる光景は非常にリアル。すごーく身に染みてわかります。

こうした縦割りに対して官僚たちは世論から批判の目を向けられがちですが、これって私たち一般人にもある問題です。あなたの家族はまとまっていますか? 親族一同が一致団結できますか? 勤め先の会社は全員が一丸となっていますか? 素直にYESと答えられる人は限りなく少ないでしょう。昔ながらのルール、上下関係など何かしらの壁に阻まれているはず。

なので、本作で描かれる「国」は「会社」とか「家族」に置き換えられます。本作はファミリームービーではないけれど「家族」に置換できる映画。本作はシミュレーション映画でありながら、それくらい普遍的なチーム映画でもあるのです

似たタイプの最近の映画には『オデッセイ』が挙げられます。私はこういうチーム映画が大好物なので、これだけで私には感動モノでした。

日本はまだまだやれる

チームがまとまるには、軸となる信念が必要です。

本作では中盤にアメリカの爆撃もあえなく、ゴジラの絶望的な攻撃によって、首相を失って首都が壊滅するという最悪の状況に陥ります。でも、信念は失っていませんでした。劇中で最初にゴジラに攻撃をしかけようとしたとき近くに住民がいたため攻撃を中止した首相の判断。首相亡きあとも、国民に武器は向けないという信念は、国土に再び核を落とすことは認めないというかたちで、国をまとめます。

ゴジラとの最後の決戦「ヤシオリ作戦」は、まさにチームとしてまとまったからこそできる戦いです。アメリカの無人戦闘機攻撃、高層ビル爆破、無人電車爆弾…いづれもさまざまな立場の人の団結が表されています。

あえて苦言を言うなら、この「ヤシオリ作戦」、想定内どおりに上手くいきすぎな気もしましたが…。ただ、まとまった「国」を最後に示すという狙いは大成功だと思いました。

ここまでポジティブなメッセージをうち出すゴジラ映画は他になかったのではないでしょうか。ただ恐怖を描くのではなく、それに対抗する未来もロジカルに描いているゴジラ映画、新しいです。

映画最後のカットに映るゴジラの尾のアップは不吉かもしれませんが、私は不安は感じません。ゴジラがさらに進化するなら、国もさらに進化すればいい。

次、ゴジラ映画がどんな進化を遂げるのか、楽しみでしかたないです。