セルフレス 覚醒した記憶
映画『セルフレス 覚醒した記憶』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Self/Less
製作国:アメリカ
製作年:2015年
日本公開日:2016年9月1日
監督:ターセム・シン

【個人的評価】
 星 3/10 ★★★
 

Plot Summary

余命半年と宣告された大富豪のダミアン・ヘイルは、一人娘のクレアとの仲が険悪なまま死を迎えることに絶望していた。失意の中にあったダミアンに天才科学者のオルブライトがもちかけたのは、遺伝子操作で作った肉体へダミアンの頭脳を転送することだった…。

ネタバレなし感想

また入れ替わり映画です

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt. 
この文章はかの有名なフランツ・カフカの小説『変身』の最初の一文。「人間が虫に変身する」作品として知られている、文学史に残る名作です。「青年グレゴール・ザムザは、ある朝自室のベッドで目覚めると、自分が巨大な毒虫になってしまったことに気づく」…そんな衝撃的な導入で始まる本作は、当時の人はどんな反応をしたのか定かではないですが、今読んでもかなりのインパクトです。

しかし、この主人公が具体的に何に変身したのかは実はぼやかされています。なので翻訳も曖昧で、「毒虫」とするものもあれば、「虫」や「甲虫」、最近だと「ウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)」という若干翻訳を放棄しているような和訳さえ見られます。なんでこんなややこしいことになるのかといえば、原作者のカフカはただ異形の姿になった人間を描いているのではなく、そこに別の“意味”を持たせたいからだというのは察しがつきます。

このように主人公の姿が「虫」に変わるのはさすがに奇抜ですが、「他人と入れ替わる」というのはかなりよく作品にみられるシチュエーションです。

この肉体が入れ替わって別人の姿になるネタはSF映画の定番です。絶賛大ヒット中のアニメ映画『君の名は。』はまさにそれですし、古い映画だと『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』(1966年)なんかがあります。映画以外にも小説、漫画、ゲームでも多々見られ、見飽きるくらいの量産っぷり…。

でも、それだけ入れ替わりネタは、ベタだけどワクワクハラハラする普遍的な楽しさがあるということでしょうし、当然、カフカの『変身』のように「違う姿になる」という現象を通して何か示唆を与える狙いも当然あると考えるのが妥当です。

そこで本作『セルフレス 覚醒した記憶』の話です。

本作では、年老いた大富豪のダミアンが入れ替わってしまったのは、デッドプール…ではなく“ライアン・レイノルズ”演じる若い屈強な男。

公式サイトやポスターには以下のようなキャッチコピーがついてますが…
「NYを支配した頭脳×特殊な戦闘能力を持つ肉体=彼らは脅威の“最終兵器”に変貌する」
こういう映画をそのまま期待するとガッカリするかも…。というのも、そんなアクションを全開に売るような作品でもないからです。

副題にもあるとおり「記憶」が物語に影響するので、マット・デイモン主演の『ボーン』シリーズが連想されるでしょう。後半はまさに『ボーン』シリーズで、そこに家族愛要素を追加した感じといえばいいでしょうか。


全体的につくりはざっくりしていますし、思わず「えっ」となるオチもあるので、この手のSF設定+アクションが好きな人向けです。派手な活躍はあまりないですが、主演のライアン・レイノルズ目当てでもいいでしょう。それでもこの「変身」にどんな意味があるのか、何をもたらすのか、そこも考えながら見てみるのも一興だと思います。

予告動画







↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

入れ替わりはプロの役者の証

もし自分が“ライアン・レイノルズ”の体になったら、何をするだろうか…。身長188cmのイケメンですからね。誰もが憧れる引き締まったマッスルボディも手に入る。スカーレット・ヨハンソンと結婚し、今はブレイク・ライヴリーを妻にしている男。う~ん、とりあえず、嫌いな奴でもぶん殴って全部“ライアン・レイノルズ”に罪をかぶってもらおうか(下衆な発想)。

そんな冗談はさておき、“ライアン・レイノルズ”は以前にも体が入れ替わる映画に出演しているんですね。その名も『チェンジ・アップ/オレはどっちで、アイツもどっち!?』。この作品では“ライアン・レイノルズ”演じるキャラは俳優をしているプレイボーイというほぼ本人と変わらない設定で、そんな彼が育児に奮闘している真面目な弁護士の男と入れ替わる…というストーリー。案の定、ドタバタ劇を繰り広げます。なんでしょうね、入れ替わると面白そうな俳優として見られているのかな…。

ただ、それもなんとなくわかるのですが、“ライアン・レイノルズ”はクールでセクシーで、さらにユーモアもあるじゃないですか。つまり、器用な俳優なわけです。そういう“なんでもこい”な広い包容力のあるスキルがあるからこそ、何に入れ替わらせても上手くいくという、俳優としての才能を高く評価されているゆえなのでしょうね。

だから『セルフレス 覚醒した記憶』でも彼の起用は妥当な人選。あの“ベン・キングズレー”演じる年齢も立場も全く違う男が体に入ったという、役者的には非常の下手なことはできない演技を要求されるフィールドでも彼ならば安心できます。

デッドプールも驚愕のオチ

無論、今作は欠点も目立つ作品です。とくに脚本が粗雑な縫い方をしています。

君の名は、ダミアン? マーク?…な本作ですが、両者のキャラ設定が特に活かされているわけではありませんでした。せっかく頭脳はダミアン、肉体はマークなのに二人のキャラ設定がイマイチなせいか、生まれ変わった後もあまり魅力がなし。もっと一長一短ある人物で、二人でそれらを補い合えると良かったのですが。

お話しの根本的な点としては、ダミアンが記憶転移までするほどの理由が乏しい。娘との険悪な関係に未練があるのかと思いきや、新しい肉体を手に入れてからは女遊びに夢中で、単に欲深いだけにみえます。

一方で、マークの人柄もよく見えてきません。これについては劇中の序盤をスリムにして、中盤でもっと丁寧に描くべきでした。結局、特殊部隊だったとはいえ、場面によってマークが都合よく強くなったり、弱くなったりしてしまっています。

肝心の記憶転移の描写も面白くなかったかな。黒人のアントンが記憶転移してまでしつこく襲ってくるのはアイディアとしていいので、もっと強そうなキャラにしてほしかったですね。記憶転移技術はいくらでも応用できそうなのですから、このキャラも?あのキャラまで?とどんどん記憶転移して良かったかもしれない。個人的には逆でライアン・レイノルズ演じるマークがベン・キングズレー演じるダミアンに転移してほしかったような気もする。

それくらいバカ方向に突っ切ってもいいのに、家族愛が変に邪魔をする。なんともバランスの悪い映画です。“ライアン・レイノルズ”が本来得意とするコミカル演技が、シリアスな作品の世界観で封印されてしまったのも痛いですね。

SFとしてはありきたりだし、アクションとしては普通すぎるし、スリラーとしてはそこまで怖くもない、中途半端な映画と言わざるを得ないです。

セルフレス

一番のツッコミどころは、誰しも指摘するでしょうが、最後のオチです。薬を服用しなければ肉体の記憶が戻るなら、死者蘇生ということになります。記憶転移よりも凄い発明です。まさか死を克服したデッドプールと同じになっちゃうとは…。

ただこの要素だけは本作のオリジナリティとして確かに特筆できる部分でもあります。カフカの「変身」ではないですけど、人は姿を変えてしまったとき、どう行動するか。まず真っ先にそこを考えてしまいます。この体だったら、あんなことができる、こんなこともできる…と。でも、体はそこまで都合のいい道具ではない。このへんは宗教的な要素も入りますね。魂が肉体に宿るのか、それとも肉体が魂を作るのか。

本作をSF的なリアリティで考えるのは完全になしとしても、このように宗教的な問いかけにこそ意味があるかもしれません。私が“ライアン・レイノルズ”の体になったら、体に影響されて品行方正でユーモアあふれるナイスガイになるのか…それとも私の元の意志がそのままスライドしてくるだけなのか。やっぱり“ライアン・レイノルズ”になったら、むやみに人なんて殴れない人間になるのかも。それが“彼”ですもんね。

物語は『デッドプール』へ続く…(もちろん嘘です)。