バトル・オブ・ザ・セクシーズ
映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Battle of the Sexes 
製作国:アメリカ(2017年)
日本公開日:2018年7月6日
監督:バレリー・ファリス、ジョナサン・デイトン

あらすじ

1973年、女子テニスの世界チャンピオンであるビリー・ジーン・キングは、男女格差の激しいテニス界の現状に異議を唱え、仲間とともにテニス協会を脱退して「女子テニス協会」を立ち上げる。そんな彼女に、元男子世界チャンピオンのボビー・リッグスが挑戦状を叩きつける。

ネタバレなし感想

負けられない戦いがある

2018年にスポーツ界で活躍した日本選手はたくさんいますが、そのひとりは間違いなく「大坂なおみ選手」でしょう。

9月に行われた全米オープン女子シングルスの決勝でセリーナ・ウィリアムズ選手を見事打ち破り、日本人初のグランドスラムでの優勝を飾った大坂なおみ選手は、パワフルな魅力で試合も観客も圧倒させました。

しかし、この試合で起きたとあるトラブルが大きく報じられたのも記憶している方はいると思います。対戦相手のセリーナ・ウィリアムズ選手が男性主審と口論になり、その態度をめぐって少しスキャンダルになりました。

この時、私は凄いなと思ったのは、この一件についてすぐさま適格なコメントをできる有識者がいるということ。この出来事は単純にテニスだけではない、人種や性別など差別問題に関わるものなのはご承知のとおりですが、なかなかそこにも明確に踏み込む専門家はいません。

ところが、この時は、素晴らしい有識者がいました。それがこの全米オープンの会場「USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター」に名前が冠してある、テニス界の重鎮「ビリー・ジーン・キング」です。

ビリー・ジーン・キングは「セリーナは一線を越えた。そこに疑問の余地はない。彼女が勝負にフェアだったという人はいない」と指摘しつつ、「問題は、主審が状況を悪化させたことだ」と、双方に言及。自信に満ちた堂々たるコメントです。

実はビリー・ジーン・キングほどこの出来事に意見を言うのにふさわしい人間はいません。それはなぜか? そんなテニス界を代表する重鎮が何を成し遂げたのかを描く映画が、本作『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』です。

本作はビリー・ジーン・キングが1973年に男性テニス選手ボビー・リッグスと対戦した「男女対抗試合」を描いた一作。この試合は表向きはただのエンターテインメント・ショーですが、実際は女性の権利の将来を占う、普通の大会以上に歴史的な一戦となっていく…というのがこの映画の面白さ。

そう聞くと「女vs男で、差別的な男を女が負かすみたいな、ベタなフェミニズム映画でしょう?」と思われそうですが、そんな単純な内容ではありません。詳しくはネタバレありの後半の感想で書きますが、ちゃんと「SEX(性)」の多様性を丁寧に描き、安易な勧善懲悪にはしていません。

監督は“ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス”という夫婦で活躍している人で、代表作は『リトル・ミス・サンシャイン』など。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』のような一枚岩ではいかないテーマを夫婦で共同で手掛けるというのも意味深くて良いですね。

ビリー・ジーン・キングを演じる主演は今、最も輝きを放っていると言ってもいい女優“エマ・ストーン”。『ラ・ラ・ランド』で主演女優賞をあちこちで授かった彼女ですが、『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』でもゴールデングローブ賞で主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされ、高評価っぷりは健在。歌って踊ったかと思ったら、今度はガチでテニスしてますからね…役者って本当に大変ですね…。ちなみに“エマ・ストーン”のミドルネームもジーンです。

本作は“ダニー・ボイル”監督作品を手がけるスタジオが制作しており、製作のクレジットに“ダニー・ボイル”の名前も入っています。確かに、苦難に立たされた主人公が一握りのチャンスで逆転を狙おうとするストーリー展開など、似ている部分があります。

ストレートな王道スポコンのようなロジックもありつつ、現代社会にも通じるジェンダーの問題も考えさせる。スポーツ界に関わる人は男女全員観てほしいですし、そうじゃない人も必見だと思います。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

男性も応援してくれる映画

本作が「女vs男」という単純な勧善懲悪モノになっていない…その一番の理由は、「男女対抗試合」の仕掛け人であり、まさしく対決することになる“男”ボビー・リッグスの描写です。

私はてっきりこのボビー・リッグスが根っからの差別主義者でクソ野郎なんだと勝手に思いながら映画を見始めたのですが、すぐさま私の認識が間違っていたことを理解しました。

序盤、最初のボビーの登場シーンの、あの妻プリシラと幼い息子との冷えきった食事風景。小さく縮こまってすっかり居場所なしな状況。もうこれだけでこの男が「男性至上主義」を掲げる偉そうな態度をとるやつではないことはわかります。

ボビーはテニス界では頂点に到達し、すでにじょうぶんな功績をあげているわけですが、常に勝負し続けなければ気が済まないギャンブル体質の彼は自分を追い込まざずにはいられません。よりによって、シニアで年齢的な限界が迫っているゆえに余計に大胆になるほかありませんし、さらにはボビーはすでに離婚を経験しており、今の家族の関係も崖っぷちにあるので、プライベートすらヤバい。

そんなボビーが唯一、頼ったのが“男らしさ”。“男らしさ”をアピールできれば、自分は妻にも息子にもテニス業界にも見直され、新しい輝きを取り戻せるのではないか。

そこでアイディアとして出したのが「ブタvsフェミニスト」の男女対抗試合。

その試合に全てを賭けようとするボビーの姿は痛々しいです。自分をブタ呼ばわりする自虐精神、ひたすらウケを狙うためにあらゆる格好をし、スポンサーに媚びへつらい、体力面は“クスリ”で誤魔化す。

結果的に最後は敗北をするわけですが、人によっては自爆だと映るかもしれません。

でも本作ではボビーを責めません。ラストのあの試合でも、実際は5セット・マッチで3セットのストレート勝ちだったのでビリーの圧勝なのですが、ちゃんと白熱しているように見せています。ビリーも凄いし、ボビーだって凄い…スポーツ・アスリートの本気に男女の違いなんてないことを素直に示したかったのだろうと私は捉えました。同じスポーツ映画でも『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』とは正反対の、極めて俯瞰的で引いた固定カメラ撮影(通常の中継と同じ)で勝負をとらえるのもその平等さを強調するようです。

つまり、試合には負けたけどボビーは“勝っている”…男らしさで誇張した自分ではない素の自分の輝きを見せたことで、真の大切な妻と再婚を果たせたのですから。ビリーとだってその後は最良の友人関係を築き、死の直前まで会話するくらいの仲になれたのですから。

最後の控室で消沈するボビーに救いがあって、笑顔が見れたシーンに、私もグッときてしまいました。

本作は女性応援映画というだけでない、男性応援映画でもあるのではないでしょうか。

2人の悪役との勝敗

ボビー・リッグスにも被害者的な側面を背負わせる一方で、本作の悪役的ポジションに立つキャラクターもいます。

それがジャック・クレイマーです。彼もまた名を馳せた有名テニス・プレイヤーであったのですが、ボビー・リッグスとは対照的な男。それも序盤の初登場時で明らかです。「男子の賞金は1万2000ドル、女子は1500ドル」と男女の報酬格差に対して、「男は力強い、試合が楽しい」と言い訳するも、本心は女性を下等に見下していることは誰でもわかります。

ビリーも「ボビーはパフォーマンスだけど、あなたは別よ。女性を敬えない」と言い放ちますが、ジャックの言動は完全に一線を超えているわけです。しかもジャックは結果的にボビーのような男さえも道化師として弄んでいるに等しいのです。女性差別と男性差別は限りなく連動しているのがよくわかります。

ただ、悪役的ポジションと言っても、この当時はジャックは悪役ではないことは忘れてはいけません。むしろ、彼こそがこの時代の常識であり、ある種の理想の体現者。今の認識からすれば彼は悪役に見えるというだけです。

一方で、男女の報酬格差のような問題は(それこそ映画業界でも)今なお存在するのであり、決してこの本作が提示している問題構造が過去のものだと一蹴できることはないのも考えるべきことですね。

そのジャック・クレイマー以外にも、もうひとり本作には悪役がいて、実はこの人物との対立軸こそメインと言えなくもないかもしれません。

その人物とはマーガレット・コート。これまた名テニス・プレイヤーでありながら、ビリーと試合でも対決し、別の部分でも対決します。つまり、マーガレットは保守的な女性像の体現者です。彼女は幼い子を抱えながら、スポーツ活動をする女性であり、いわば既存の女性の枠組みにハマったまま。

それだけだと少し哀れな感じもしますが、マーガレットはビリーに確かに差別の目を向けます。それがビリーとマリリンの関係性に気づくシーン。そして「私は勝負を避ける理由はない」と言い放ち、ボビーと戦わないビリーを非難するという流れ。

マーガレットは同性愛嫌悪者なのでした。もちろんマーガレットだって女性の権利は大事だと思っているでしょう。でもビリーとは決定的に違う。この対立軸によって、本作は単純な「女vs男」ではない図式がハッキリします。

バトル・オブ・ザ・セクシーズ

バトルは続いている

ビリーの抱える性のマイノリティ。これが本作を一層複雑にし、多様性の難しさを示す要素になっているのは歴然です。

ビリーは3つの“バトル”をします。

ひとつはボビーとの対決。これは試合によってビリーが勝ち、互いにWinWinで終わります。

2つ目はジャックと対決。これは試合のような直接的な決着はなく、ジャックが渋々手を引っ込めるという消極的なビリーの勝ちです。遺恨は残っています。

そして3つ目。それがマーガレットとの対決。これは試合でビリーが負けます。こてんぱんに。これは同性愛がこの時代は認められないというメタファーとしての敗北でもあり、現代に戦いは続くということでもあるでしょう。

ラスト、歓喜に沸く観衆を遠く見つめるビリーに対して、ゲイであるテッドが「時代は変わる。今、きみが変えたように。いつか僕らはありのままでいられる。自由に人を愛せる。だけど今は皆と勝利を祝おう」と優しく語りかけますが、もうこれ以上の言葉はありませんね。

映画の後のビリーの性のマイノリティとしての戦いはかなり壮絶で大変な事態が起きるのですが、映画はそこを描きません。また、実はマーガレットとビリーの対立は現代でも続いています。マーガレットはカトリック教徒で最近もLGBTQに対する批判的な発言で炎上するなどしており、ビリーもそのことに非難していたりも。これは現在進行形なのです(だから本作では描かなかったのかもしれません)。

そしてこの性の多様性は「女vs男」のような二項対立では証明できません。あれですら茶番なのです。現実はスポーツみたいに単純に勝ち負けがついたりしない。だから難しい。でも立ち向かっていこう。結果、その険しい道を辿ってきたビリー・ジーン・キングの現在の姿がこの記事最初に話題にしたとおり。説得力がハンパじゃないですね。

ということで、なんだかんだありましたが、結論は「アスリートって凄いな」ってことです(スポーツ映画では毎回書いているなぁ…)。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience 72%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

(C)2017 Twentieth Century Fox