ビューティフル・デイ
映画『ビューティフル・デイ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:You Were Never Really Here 
製作国:イギリス・フランス・アメリカ(2017年)
日本公開日:2018年6月1日
監督:リン・ラムジー

あらすじ

独特の雰囲気を放つ髭の男、ジョー。年老いた母と暮らす彼は、とある仕事の報酬で生計を立てていた。そんな彼のもとに、政治家の娘ニーナを捜してほしいとの依頼が舞い込む。

ネタバレなし感想

予想外に心を撃ち抜かれた映画

映画を趣味にしている人間にとって嬉しいことのひとつに「たいして興味がなかったのに、ましてやナメてすらいたのに、予想を超えて面白かった映画」に出会える瞬間が挙げられると思います。

自分が絶対に面白いと確信している映画が鑑賞してみて面白いのは普通です(最高ですけどね)。ハードルを凄い下げた結果、案外面白かった映画もありますけど、それは事前の忖度が効いているのであって、ちょっと違います。「これ、面白いの?」という疑念がひっくり返ることに爽快感があるんです。ある意味、映画の物語の場外でカタルシスが起きているようなものですね。

映画という商品はこういうことが起きやすい気がします。考えるに、映画は事前の宣伝などで植え付けられる印象が他のコンテンツ(本など)よりも強めなせいなのかもと思ったり。この作品はこういうジャンルなんだろうな…とか、この俳優が出ているならこんな雰囲気だろうな…とか、とにかく先入観を抱くのは簡単です。そのおかげで観る観ないの判断を先にできて恩恵もあるのですが、同時にきっと自分では気づかないくらい誤解もしているのでしょうね。

そんな私にとっての予想外に心にヒットした2018年の映画のひとつが本作『ビューティフル・デイ』でした。

本作は、2017年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で脚本賞と男優賞を受賞しています。それだけ聞くと、“なんだ、期待高まるじゃないか”と思ってもおかしくないのですが、私はなんか違ったんですね。

その理由は、まず監督の“リン・ラムジー”の作品を私が一度も観たことがなかったというのもあります。この“リン・ラムジー”監督はデビュー当時から非常に高い注目を集め、受賞歴もいっぱいある人物です。監督作は少なく、『ボクと空と麦畑』(1999年)、『モーヴァン』(2002年)、『少年は残酷な弓を射る』(2011年)と、長編は3作のみ。マイナーであることもあって私はどれも未視聴。なので、どんな作家性を持つ監督なのか不明なので、そもそも予想すらつきづらい状況でした。

ただ、一番の理由は、その無知に加えて、本作『ビューティフル・デイ』が定番のジャンル映画風に見えたからというのが大きかったと思います。

バイオレンスな雰囲気をたずさえる大の男が、あどけなさも残る少女を闇から救う…これはそういう映画好きならピンとくる、ありきたりなパターンです。リュック・ベッソン監督の『レオン』みたいなものをどうしたってイメージしてしまいますよね。何百とそんな映画を見ました。うん、私は悪くない(謎の正当化)。

劇場に向かう道中でも、上映を待つシアターの椅子に座っている時でも、「まあ、カンヌ獲っているし、悪くはないだろう」くらいの事務的な気取った思考でいましたよ(恥ずかしい)。

ところがいざ鑑賞したら、「えええぇぇ…」と。そういうことかと、映画の巧みさに驚き、自分の浅はかさを猛省したものです。

でも、本作は勧めずらいのが困りもの。とりあえず言えることは、ネタバレは見ない方がいいですし、映画紹介の“あらすじ”すら読まない方がいいです(まあ、この記事の冒頭に書いてますが…)。意外なトリッキーなストーリーがあるわけじゃないのです。話は普通。だから、“あらすじ”を見るだけだと、つまらなく思えてしまいます。しかし、違うのですよ、あれとかこれとか。

興味湧いた方は、予告動画もすっ飛ばして鑑賞してください。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ハードボイルド映画の新境地

本作は先述したとおり、あらすじを書くだけなら単純。

トラウマを抱えて、今は年老いた母と二人で暮らすジョーという男は、闇に消えた行方不明者を探すというアンダーグラウンドな仕事で金を稼いでいる。そこへある依頼が来る。それは売春宿に連れ去られた大物政治家の娘を秘密裏に助け出すことだった。淡々と目的に向かって作業を進めるジョーは、無事にあっさりターゲットの娘を救出。しかし、依頼人が自殺したとニュースで耳にし、娘も目の前で再び連れ去られる。ジョーは再度、娘の奪還を敢行。ところが、娘は自らの手で復讐を遂げていた。生き残った二人は今日を生きる。

これだけ。上映時間90分の超シンプルでストレートに突き進むお話です。

私は本作を観て、映画はストーリーのプロットではなく、そのプロットをどう見せるかで決まることを思い知らされる作品だったなと痛感しました。どう見せるか考えるにはまずどうあなたはこのありきたりなプロットを見るかという視点が問われるのですが、そこがこの“リン・ラムジー”監督、斬新だった。いや、監督自身はこっちが普通ですくらいに思っているかもしれないですけど。

私の言い方で短く批評すると、本作は既存のハードボイルド映画の新境地であり、男性的なジャンルに一泡吹かせた、非常に尖った一作でした。

雰囲気はもろにハードボイルド映画です。極度の説明的な要素の乏しさ、謎めいたフラッシュバック…まあ、ぞんざいに言えば“スタイリッシュ”。音楽(音)と映像のミックスのさせ方に特徴があって、全体的にスタイリッシュさが際立っています。『サイコ』や『裸のキッス』など映画的方面でのレファレンスもチラつかせながら…。

映画前半、アルバート・ヴォット州上院議員の依頼で娘のニーナを救い出す5万ドルの仕事を引き受け、救出するくだりはかなりテキパキ進みます。アクションシーンで見せるのかなと思いましたが、そこは切り替わる監視カメラの映像で見せるだけという淡白さ。

映画後半、ニーナの誘拐から、ジョーの周囲の人間が皆殺しにされる展開。私も、ここから全てを失って追い込まれた主人公が最後、怒涛の如く、活躍するんだろうな…そう思っていました。

しかし、その定石をコロッとひっくり返したのは、誰であろうニーナという少女だったのです。

ビューティフル・デイ

男は“か弱く”、少女は“たくましく”

決着をつけるために向かった屋敷でジョーが目にしたのは、すでに息絶えた今回の黒幕であるウィリアムズ知事と、その殺害を実行したニーナの姿。

このオチ、「ふ~ん」と物足りなさを感じる人もいれば、私みたいに「えええぇぇ…」となる人もいる、分かれ目だと思うのですが、別に殺したことは意外ではありません。やっぱり見せ方なんですね。

本作は要するに、ノワール的な暗い主人公を主軸にしつつも、実は少女はもっとノワールだった…という立場の逆転性が面白さだと思います。

これは無意識のうちのバイアスですが、本作は男が“救う側”で、少女が“救われる側”だと思い込んでしまいがち。それは「少女というのは守られるべき存在である」という男性的なヒーロー主義に他なりません。しかし、本作はその“少女”性というものが押し付けられがちな純粋・無垢という先入観を壊し、ペドフィリアを題材にしつつも「可哀想な子=被害者」ではない姿を見せつけ、「女は男が守ってやるもんだ」的なセオリーへの痛烈なカウンターさえもうちだすのでした。

ジョーとニーナを対比させるとよくわかります。

例えば、殺し方の違い。ジョーはワイルドといえばそれまでですが、ハンマーでボコボコ殴るという猿でもできる方法で、なかば八つ当たり的に敵をなぎ倒すスタイルです。作中でも何度かただの腹いせみたいな暴力も見られました。つまり、全然かっこよくないわけです。キャラクターのプロフィールに「元軍人」とつけておけば、簡単に戦闘のエキスパートとして描写する大作が最近もそれなりに見かけますが、普通、そんなエキスパートにはなれないもの。本作は、そこはリアルに描いています。

対する、ニーナは的確に急所を切るという計算された鋭利な殺意を見せます。殺人シーンは一切映らないのでわからないのが、それもまたとてつもない雰囲気を醸し出していました。

そして、見た目の違いも印象的です。ニーナは、売春宿から助け出されたときは、白い薄着のいかにもフェミニンな格好をしています。これはまあ、普通に考えると、その性風俗の男たちが用意するものでしょうから、“男の考える少女”の姿ともいえます。ところが、映画ラストの店では黒のジャケットを羽織って明らかにこっちのほうが本性ですと言わんばかりの堂々たる振る舞い。

一方のジョーは、最初は凄い強靭で敵なしのマッスル・ボディかと思いきや、その体は絶妙にだらしなく、ベタな引き締まった屈強な肉体ではありません。

男らしさに苦しむ男を救う

その違いはビジュアル的な所作にとどまらず、決め手となるのは精神性

ジョーの過去に何があったのか、それは鮮明に提示されませんが、退役軍人だった時期にも、FBI捜査官として働いていた時期にも、さらには少年時代にも、トラウマを抱えるレベルの体験があったことはうっすらと示されます。結果、PTSDを患い、薬の依存が恒常となり、顔に袋をかぶせるような自殺願望を発端とする奇行も絶えません。

それでも慈善的な仕事(人を救う)をすることで、そのトラウマを無視しようとしますが、やはりこんな仕事している以上、またどこで失敗するかもわからず、不安は増すばかり。そんな状態で、あんな全滅級のヘマをするのですから、ジョーの精神は終盤は崩壊寸前。母を殺した男に攻撃するも、寄り添い、鎮痛剤を与えて歌を歌うシーンは、ジョーが相手に同類感を感じているのかもしれません。

じゃあ、ニーナはと言うと、性的な暴力を受け、あげくに人を殺したのですから、ジョーと変わらないレベルのトラウマを負ってもおかしくありません。実際、殺した直後と思われるシーンでは、震えているようにも見えます。けれども、手づかみで食事を食べていたと思ったら、ふと思い直すようにフォークとナイフを使って食べ始めるんですね。知性と冷静さをみるみる取り戻す少女。

ラストの場面。店で向き合う二人。ジョーはいまだに自殺願望にとりつかれているのは、派手な銃自殺ショットの幻覚でわかります。そんなジョーにすっかり自分を取り戻したニーナは言うわけです。「今日は良い天気よ(It's a beautiful day.)」。不意を突かれたジョーですが「確かにいい天気だ」とぽつりとつぶやき、気分一心するようにストローで飲み物の残りをすする。そして、エンド。このキレの良さ…うん、良いですね。

別に某大学みたいに「女はコミュ力が高い(男はコミュ力が低い)」とか言いたいわけでは当然なく、つまるところ、本作はたまたま“たくましい”少女が“か弱い”男を救う話だった、それだけです。

よく見ると、ジョーは男らしさを強要されたことで苦しんでいる節があります。独り言でつぶやく「猫背は女々しいぞ(Only little girls and fuckin' pussies slouch)」といったセリフからも窺い知れます。まさにフェミニズムが男を救う物語です。

そんなジョーにそんなの気にするなと言わんばかりに一言放つニーナ。「あんたらいつまでこんな映画(ステレオタイプな男を象徴するハードボイルド)見て、感傷に浸ってるの? さっさと外に出ろよ」そう言われた気分ですよ。そんなこと少女に言われたら「あ、はい」と従うしかないし、「あ、それでいいんだ」って思いますよね。

原作もこんなテイストなのか、それとも監督のアレンジなのか、定かではないですが、本当に気持ちのいいエンディング。

そうです、良い天気なら、それでいいんです。他に悩むことはありません。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 64%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

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