ボヘミアン・ラプソディ
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Bohemian Rhapsody
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2018年11月9日
監督:ブライアン・シンガー

あらすじ

1970年代初頭のロンドン、インド系移民出身の青年ファルーク・バルサラは音楽に傾倒し、厳格な父とは折り合いが悪く、自分のルーツを嫌って「フレディ」と名乗っていた。そんな彼に運命の転機が訪れる。

ネタバレなし感想

予測できないのが映画の面白さ

空前絶後の大ヒット。それを予想するのは難しいです。

年末になると毎回恒例の「来年、ヒットするものは何か」を予測する特集が、雑誌や番組などで頻繁に取り上げられますが、こんなのどうせ「売り手側がヒットさせたい商品はこれです」という思惑ありきでしょ?と冷めた目線で見ている私です。

例えば、私が好きな「映画」という商品の話をしましょう。それなりにたくさんの映画を浴びるように観てきている私でも、来年にヒットする映画なんて予測できません。そもそも2018年の映画だって予想外のことだらけでした。アメリカで『ブラックパンサー』や『クレイジー・リッチ!』があそこまでの盛り上がりを見せるとは想像していなかったし、日本で『カメラを止めるな!』という超インディーズ作品が一般メディアに取り上げられるほどになるとも思いませんでした。きっと2019年も思いもよらない映画がミラクルを起こすのでしょうね。

そして2018年最後(おそらく)のビック・ブームを巻き起こした映画である本作『ボヘミアン・ラプソディ』もまた驚かされることばかりでした。

まずこの映画、製作時点で暗礁に乗り上げてばかりだったのです。監督や俳優が製作初期から中期に交代するのは、まあ、よくある話です。ところが本作は製作体制が固まって動きだしてから、監督の“ブライアン・シンガー”が降板するという事態に。しかも、その理由がイマイチ釈然としないというか、いわゆるよく使われる「創造性の相違」とかでなく、“なんかわからないが製作側と揉めた”という、モヤっとした状況。

この情報をメディアで目にしたとき、私は「ああ、この映画はダメかもな」なんて安易に思ったものです。たいてい経験則的に、こういう場合は映画は「スカスカになる」か「ぐちゃぐちゃになる」のがオチですから。

予告動画を観た時も、「クイーン」の名曲が次々流れて映像にハマった構成に気持ちよさを感じつつも、映画ファンには一定のしこりを残したと私は勝手に思っている、例のクイーンの「Bohemian Rhapsody」を採用した『スーサイド・スクワッド』のPV事件をなんだか彷彿とさせてしまい、イマイチ警戒してしまうクセが…。予告と本編が全然違うのは日常茶飯事ですし。

そんな超疑心暗鬼モードでいざ本作を鑑賞したら、あれ…悪くない、いや、結構、凄いことしている、なんなら周りがめっちゃ盛り上がっている、映画マニアじゃない一般層まで熱狂しているだと!?と、社会現象化にオロオロする私。

とりあえず映画がヒットするのは良いことだし、業界も盛り上がるのは万々歳です。20世紀フォックスはなんでこうもヒット映画を生み出すのが遅いのか…。ま、でもディズニーに吸収される前の良い最後の打ち上げ花火になったんじゃないでしょうか。

ここまで観客の評価も高いと「オススメです!」と書くのも恥ずかしいだけなので、どうしよう…。そう思ったので、後半の感想では、経済誌のように「なぜ本作はヒットしたのか」を論評風に偉そうにつらつらと書いていきたいと思います。年末っぽいじゃないですか。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

ハードルはとことん下げる

「なぜヒットしたのか」について語る前に、「なぜ本作が“スカスカ”もしくは“ぐちゃぐちゃ”にならなかったのか」、そこを分析しないといけません。

だって、映画製作の中心的立場である監督が非常に遺恨を残すようなかたちで抜けてしまったのです。致命的な問題が起きてもおかしくありません。

ところが映画は観ればわかるとおり、やけにストレートで誰でもわかりやすいように作られていてシンプルそのもの。混乱の形跡がないです。

この理由は、おそらく映画製作の中心的立場にいたのが監督ではなく、製作にクレジットされているクイーンのメンバーである“ブライアン・メイ”と“ロジャー・テイラー”だったからなのかなと推察できます。実際、この映画の企画立案者はこの二人らしく、こういう作品にしたいという明確なビジョンも持っていたようです。だから何人も監督や俳優がとっかえになったし、“ブライアン・シンガー”監督降板騒動もそれが原因で…と邪推できますが。

“ブライアン・メイ”と“ロジャー・テイラー”は、本作を一般向けにしたいと強く願っていたそうです。普通、伝記映画というのは実在の人物を扱う上、シリアスになりがちです。そういうのは批評家受けは良くても、一般観客は手を伸ばしづらいもの。でも、二人はそうしたくなかったんでしょうね。

そして、その「わかりやすさ」こそが、本作がヒットする要因のひとつになったわけです。

フレディ・マーキュリーになれる

本作がなぜヒットしたのか。その理由(1)は前述したとおり「わかりやすさ」です。

「クイーン」や「フレディ・マーキュリー」を全然知らない人でも入りやすくて、排他的でない、ウェルカム精神。前知識を必要としない気軽さは、今の大シリーズが続々展開されるアメリカ映画界では貴重ですし。軽めの伝記映画はありそうでなかったです。

次に理由(2)ですが、それはやはり「音楽」

音楽映画がウケがいいのは周知の事実です。ミュージカル映画だけでなく、劇中で有名曲をポップに挿入した演出をする作品はキャッチーです。さすが、世界共通語である「音楽」。

ただ、『ボヘミアン・ラプソディ』の音楽はちょっと違ったと思います。それこそ日本では2018年前半に大ヒットを記録した『グレイテスト・ショーマン』という音楽映画がありましたが、あれと本作は同じくヒットしたとはいえ、意味合いが別モノのように感じました。『グレイテスト・ショーマン』はそれこそショーを見ている感覚で楽しめるので、要するに遊園地のフィナーレを飾るショーを見物するようなものです。

対する『ボヘミアン・ラプソディ』は、後述するようにフレディ・マーキュリーの物語であり、彼という人間の人生と観客を一体化させるように映画が展開されるため、これはもうショーを見ているというよりは「私がフレディ・マーキュリーだ!」くらいのシンクロを発揮します。

そのシンクロがピークに達するのがまさに作中の「LIVE AID」シーン。ここが映画的に素晴らしいな思うのは、元も子もないことを言えばあのシーンは全部作り物です。役者の演技だし、全てが生のパフォーマンスじゃない。観客だってステージ付近以外のほぼ全てはVFXです。でも、これまでの物語をフレディ・マーキュリーと100%シンクロした観客にとって、そんなの関係ない。むしろ、クイーンの熱心なファンでもあんなにアーティスト側に立ったのは初めてでしょうから、異次元の体験。まさにフレディ・マーキュリーなりきりVRみたいなものです。

この驚異的な「フレディ・マーキュリーになれる音楽映画」というデザインが、かつていない訴求力につながったのだと思います。

ボヘミアン・ラプソディ

実はヒーロー映画だった!?

さらにヒットの理由(3)は、フレディ・マーキュリーというキャラクターです。

本作は、厳密にはクイーンの伝記映画ではなく、フレディ・マーキュリーの伝記映画です。

日本の宣伝ポスターは、フレディ・マーキュリーが体を反らして熱唱している姿が映っているのですが、海外のポスターでは、面積の半分をフレディ・マーキュリーの顔のアップが占めるという、なかなかにインパクトのあるデザインが採用されていて、私はこっちのほうが好きです。

とにかくこんなポスターになるくらいですから、この映画はフレディ・マーキュリーが全ての中心にある作品なんですね。

フレディ・マーキュリー、本名「ファルーク・バルサラ」という人間は、作中でも描かれていたようにマイノリティの要素を凝縮したような存在です。タンザニアにあるザンジバル島で生まれたのですが、両親がインド人で幼少期をインドで過ごしたこともあって、「インド」をアイデンティティに持っています。そして、ゲイ&バイセクシャルであり、加えてHIVに感染して体を蝕まれていました。

しかし、彼はこれらの側面を世間に全然公表しません。それは無論、差別や偏見のせいなのですが、ゆえに「フレディ・マーキュリー」という仮面をかぶり、内にこもったフラストレーションを音楽に変えて発散します。

私はこの彼の姿を知り、そして本作を観た時、ヒーローみたいだなと思いました。本作の監督つながりで言うなら、まさに「X-MEN」です。マイノリティとして差別や偏見に苦しみながらヒーローとして世界を救うアメコミですが、ぴたりと一致します。

だからこそ、観客はヒーローとして彼を愛せる。伝記映画であると同時に、今流行りのヒーロー映画でもあるんですね。個人的には『ロッキー』にも通じる等身大のヒーロー映画のようでした。

感動ポルノとは思わない理由

ヒットするだけの理由を兼ね備え、一般観客から絶大な支持を受けた本作ですが、実は批評家からは賛否両論の声があがっています。

その主な原因は、史実と異なるからというものです。そういうと「伝記映画なんて史実どおりじゃないのは当然でしょ?」と思うかもしれませんが、本作の場合、かなり大胆な改変をしています(その詳細はネットとかで調べてください。いっぱい記事があるでしょうから)。

ここまでの大胆な改変が実現したのは、本作を“ブライアン・メイ”と“ロジャー・テイラー”という最も近しい立場にいた人間が手がけたことが影響しているのは大きいでしょう。親しいからこそ遠慮なく手を加えられる。そういうこともあります。そして、伝記映画というよりはヒーロー映画に等しいほどのアプローチにしてしまったのも非常に挑戦的です。

問題は「では本作は感動ポルノなのか?」という点。これについて少なくとも私はそうではないと感じました。

こんなことを言うと別方面で怒られそうですが、正直、私は『グレイテスト・ショーマン』はあまりポジティブに評価していません。あれも実在の人物をモデルにした作品ですが、どうしてもあれは感動ポルノ的だなと思ってしまいます。その私の判断のポイントとして、観客を感動の“先”に進ませることができるかをいつも気にしています。『グレイテスト・ショーマン』は「感動した~」なんて言う客も、サントラを買うことはあっても、実在の人物やフリークショーの歴史を知ろうとはしないでしょう(逆に知ると幻滅しますし)。これだと感動の題材に使っただけになるので、ポルノ感が出てきてしまいます(それをのぞけば『グレイテスト・ショーマン』自体は良い映画だと思いますよ)。

一方の『ボヘミアン・ラプソディ』は、周りの観客の反応を見ればわかるように、映画を観て感動した後に、フレディ・マーキュリーやクイーンのことをもっと知ろうという観客がわんさかでてきていますし、その知の探究に答えるだけの力が題材にはあります。これこそ作り手の狙いどおりなのでしょうし、感動はあくまで通過点であって、ゴールではありません。

もちろん、とはいっても本作の大胆な改変はかなりリスキーです。たぶん一歩間違えればもっと炎上するような大変なことになっていたと思います。なので、本作がヒットしたからといって、安易にこの企画スタイルをマネはできないでしょう。否定的な批評家も、その部分に警鐘を鳴らしたい気持ちがあるのでしょうから。

最後に、昔からの熱心な「クイーン」ファンの皆さん。本作をきっかけに新しいファンがどっと増えたことでしょう。でもそんな人たちに「たいして知識もないくせに、知ったように語るな」とか言わないであげてください。喧嘩腰になるくらいなら、優しくクイーンの世界の深い部分に導いてあげればいいじゃないですか。

「クイーン、そしてフレディ・マーキュリーを皆のものにしたい」…そういうメッセージをこの映画から感じたからこそ、そんな風に強く思います。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 62% Audience 91%
IMDb
8.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

(C)2018 Twentieth Century Fox