ぼくの名前はズッキーニ
映画『ぼくの名前はズッキーニ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Ma vie de Courgette(英題:My Life as a Zucchini) 
製作国:スイス・フランス(2016年)
日本公開日:2018年2月10日
監督:クロード・バラス

あらすじ

アルコール依存症の母親と2人きりで暮らす9歳の少年ズッキーニ。ある日、ズッキーニの行動によってトラブルが起きてしまい、親切な警察官に保護されて孤児院で暮らすことになるが…。

ネタバレなし感想

ズッキーニを頭に思い浮かべてください

「きみって…“ズッキーニ”に似ているね」

そんな言葉を好きな人にもし言われたら、大半の人間は心に傷を負うでしょう。自分の姿を鏡で見るのもちょっと辛いです。じゃあ、どんな野菜に似ていたらいいのか。…うん、野菜は嫌だな…。いや、そういう問題じゃないです。

とにかく言いたいのは、“ズッキーニ”呼ばわりされても嬉しいと思えるときはどういう状況なのか。それを考えてみてほしいということです。

そんな謎めいた提案で鑑賞をオススメするのが本作『ぼくの名前はズッキーニ』。東京アニメアワードフェスティバルでは『ズッキーニと呼ばれて』という邦題で上映されました。ちなみに「zucchini」はアメリカ英語、「courgette」はイギリスとフランスでの呼び名だそうです。

本作はストップモーション・アニメ。この手法で撮られたアニメ映画は業界ではエース・プレイヤーと称してもいいくらい、高評価を連発する傾向が最近は目立ちます。ライカやアードマン・アニメーションズなど有名なスタジオの作品は必ずといっていいほど、賞レースにも食い込みます。

ライカ製作の日本を舞台にした映画『KUBO クボ 二本の弦の秘密』のヒットもあって、このストップモーション・アニメもマニアから一般的な映画ファン層に知られてきた感じがあります。
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とはいっても、まだまだマイナージャンル扱いからは抜け出せていないと思うので、精力的に宣伝していかんとダメだなと、勝手に自負している私。

そんな中で、この『ぼくの名前はズッキーニ』はストップモーション・アニメの名作として御多分に漏れず世界の映画賞で大注目を受けた映画でした。特に変わっているのが、アニメ系の賞に輝くだけでなく、実写映画と並んで脚色賞などストーリー面でも高い評価を得ているということです。

これはたまにアニメ映画である現象(最近だと『インサイド・ヘッド』とかですかね)。アニメだからといって実写に劣るなんてことはなく、物語も幼稚なんてわけもなく、心揺さぶる映画が生まれているという証明ですね。

なので、私も本作は「どんな作品なんだろう」をワクワクドキドキしていたのですが、正直、日本で劇場公開されないのではとも思っていました。

その理由は大人向けだという情報を目にしていたから。実際、鑑賞してみるとハッキリわかるのですが、可愛らしい絵柄に反して小さな子どもが見るような作品じゃないです。アダルトな話題や用語も飛び出しますし、何より冒頭から「えっ!」となる衝撃展開もあったりして、キツイお話ではあります。『アノマリサ』みたいな立ち位置ですね(これよりはアート性はなく、一般層にウケやすい話になっていますが)。
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でも、とても心にぐっときて最後は優しい気持ちになれる作品ですので、ぜひとも多くの人に観てほしい。一応、レーティングも全年齢になっているので、子どもでも観れないわけではないですし。

そしてありがたいことに、本作は日本語吹き替え版まで作られるという好待遇に恵まれ、支えてくれた日本の配給さんに感謝感謝です。

予告動画







↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

個性いっぱいの野菜が育つ園

本作の物語を飾るのはもちろんフォンテーヌ園という孤児院に集う子どもたち。そんな個性豊かな子どもを簡単に紹介するとこんな感じ。
  • ズッキーニ
  • 本作の主人公で、9歳。本名は「イカール」ですが、母から呼ばれる「ズッキーニ」という名前を気に入り、こだわりをもっています。そんな母ですが、実際はアルコール依存症で子どもにも暴力をふるっていると思われる虐待親。ズッキーニは偶発的にその母を死亡させてしまい、孤児院におくられます。
  • カミーユ
  • ズッキーニの後に孤児院にやってきた10歳の少女。男女関係のもつれから父親が母親を殺し、その後に自殺。育児する気のないダメ叔母に預けられ、孤児院に流れ着きます。ズッキーニが恋をする相手であり、カミーユは大人びたコミュニケーション能力で、周りの子どもたちとも仲を深めていきます。
  • シモン
  • 赤い髪の偉そうな態度をとる少年。孤児院ではリーダー格のような雰囲気を醸し出していますが、わりとそんなでもない、その程度の悪ガキ感。両親はヤク中。年齢も上なのか、子どもたちの中では達観しているほうです(カミーユには負ける)。おそらく本作でもっとも“深み”を見せるキャラクターでしょう。
  • アメッド
  • ぼんやりしており、顔面ボールをくらったり、おねしょをしたりと、マイペース。「H」の形をした謎の人形をいつも持っていましたが、あれはなんなのか。雪山に行ったときはウサギの雪だるまを作っていたのでああいうキャラものが好きなんでしょうね。父親が強盗で捕まったため、警官嫌いで、適度に仕返しを実行するのがクセ。
  • ジュジュブ
  • 見た目どおりの大食いキャラ。母は精神病で頭がイカレたらしく、その母に教わった歯磨き粉を食べる行為がまだ抜けていません。この子について、もっとも印象に残ることと言えば、セックストーク。シモンに教わった知識で「あれは前戯だよ」「おちんちんが爆発だよ」と名言を放ちますが、本人は全然理解している気配ゼロ。
  • アリス
  • 顔の半分が髪の毛で隠れている女の子。内気で、あまりしゃべらず、食器をカンカンと叩いて鳴らす行動をすることも。実は親から性暴力を受けていたらしいことがわかってきますが、そんなアリスの心を解きほぐすのは、カミーユでした。雪山合宿では夜のダンスでエアギターを披露するなど、内ではワイルドな心を持っているようです。
  • ベアトリス
  • メガネの女の子。優しい性格で、初日からイジメられるズッキーニを庇ってました。母がアフリカに強制退去されてしまい、独りになったという事情があり、子どもの中ではもっとも不可抗力で孤児になってしまった立ち位置です。園に車がくるたびに「ママ!」と玄関から飛び出すのが恒例。本当に母が来たときの反応がまた切ないです。
この子どもたちの描写について素晴らしいなと思うのは、どの子も決して画一的な「子ども」というステレオタイプなキャラクター性ではなく、「個人」としての存在感を持っているということ。

明言はされていませんが、おそらくどの子も人種が違うと思われ、アイデンティティだってバラバラ。そして、悲しいことにこの子たちの共通点は、親元を離れているということです。その経験に起因するであろう行動やクセもたくさん見られます。でも、本作では、それらをもって「可哀想な子」みたいなレッテルで描くことはしない。このフラットな姿勢がいいですね。

目と顔を大きくしたデザインのおかげもあって、キャラの個性が濃い目に表現されており、その中でもズッキーニとシモンだけが、他の子たちはくすんだ色合いなのに、青と赤という原色で目立つのも、製作陣は狙っているのでしょう。

ちなみに、ズッキーニはペポカボチャの品種のひとつであり、ペポカボチャは実に多種多様な色や形をしたものがあります。この孤児院も、そんなよりどりみどりの命が集う菜園のようでした。

ぼくの名前はズッキーニ

見守られる側から見守る側へ

子どもたちの中でとくに私がグッときたのはシモンでしょうか。

シモンは嫌なガキ的なポジションにいますが、実際のところ、かなり孤児という社会問題を客観的に理解しているぐらいの精神的成熟を見せています。じゃあ、それは良いことなのかと言うと、そうでもなくて、逆に無邪気でいられなくなったことで辛さも増してくる、そんな年頃に差し掛かっています。

叔母にまた育てられることになったカミーユを救出する作戦を思いつくのもシモンですし、レイモンの子として再出発するチャンスをつかんだズッキーニとカミーユの背中を押すのもシモン。「俺たちの年で養子なんて珍しいんだぞ」と言いながら後押しするも、別れのときは他の子を追い払い、ひとり悲しい顔をみせて園の門を閉じるシモンからは、複雑な心境が読み取れます。シモンはもう“孤児を見守る大人”側の領域に足を踏み入れつつあるんでしょうね。

きっとシモンのような人間が、この孤児院の経営を引き継いでいくのかもしれない。そんなことを思わせます。

本作は「見守られる側」と「見守る側」という安直な二分割で子どもと大人を分けていないことを表すものであり、それが結果的に本作を大人目線の押しつけがましい道徳論で終わらせていない効果を与えているようにも思います。

あらためて本作のシナリオはよく練られているなと痛感します。

2018年の映画だと『ワンダー 君は太陽』もそうでしたが、やはりこれくらいオールマイティにバランスが完成されたクオリティじゃないと、この手のテーマは扱えませんね。
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“性”トークの意味

本作では、苦しい境遇にある子どもたちを「悲しい存在」ではなく、「未来の希望」として見せてくれます。

それを象徴するのが「性」の話題でした。

何気ないシーンとして挿入されているような、子どもたちの無邪気な性に関する会話。シモンの夜の営み解説といい、微笑ましいかぎりですが、このトークこそ、本作の重要な部分に感じます。

つまり、普通であればあんな体験をすれば、性や親といった概念を忌避する行動をとってもおかしくないわけです。でも、そうではない。子どもたちは自分の「生」に対して絶望なんてしていないんだということを力強く主張する仕掛けだと思います。

それが最も観客にぶつけられるのはラスト。ポール先生とロージーとの間にできた赤ん坊を囲むように群がる園の子どもたち。ロージーに子どもたちは尋ねます。

「見捨てない?」「すごく醜くなっても?」「臭かったら?」「泣き虫なら?」「おねしょは?」「おバカなら?」「マヌケは?」「大食いは?」「足が臭くて名前も忘れたら?」「叫んでばかりだったら?」「オナラしたら?」「落書きは?」「デカが好きでも?」「首がキリン並みでも?」「パンクになっても?」

子どもたちを絶望させないようにするのは大人の役目。

一方で、警官のレイモンがぼそりと言う「親を捨てる子もいるんだよ」の言葉で、その役目は容易にひっくり返ることをさりげなく示すのも良いセンス。

私たちは見捨てる側にも見捨てられる側にもなるんですね。

個人的には、子育てが題材になっているという関連で、本作と『ラブレス』を合わせて観るという闇鍋コースもテーマのつながり的に良い気もしますが、味は保証しません。
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ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 88%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

(C)RITA PRODUCTIONS / BLUE SPIRIT PRODUCTIONS / GEBEKA FILMS / KNM / RTS SSR / FRANCE 3 CINEMA / RHONES-ALPES CINEMA / HELIUM FILMS / 2016