ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン
ドキュメンタリー『ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Accidental Courtesy: Daryl Davis, Race & America
製作国:アメリカ(2016年)
日本では劇場未公開:2017年にNetflixで配信
監督:マット・オーンスタイン

あらすじ

アフリカ系アメリカ人のミュージシャンとして長年活動するダリル・デイヴィス。彼には別の活動もあった。それは人種対立を解決すること。そのための彼の武器は「対話」。黒人である彼が白人至上主義者と根気強く会話し続けることで、相手の人種差別的な考え方さえも徐々に変わっていく。

ネタバレなし感想

嘘みたいな本当の話

国家、宗教、人種、ジェンダー、貧富、リアルとインターネット…人を隔てる壁は世の中に無数にあり、その数だけ対立が起きています。むしろ時代が進むにつれて、対立の原因となる壁は増える一方ではないか…そんな気さえするほどです。

そうした乱発する対立を横目でみながら「やれやれ」と斜に構えた態度で傍観している人もいるかもしれません。もしかしたら「関わらないでおこう」と見なかったことにして無視する人もいるでしょう。

そのような感情が湧くのも理解できます。「党同伐異」という4字熟語がありますが、これは「事の道理に関係なく、仲間に味方し、対立する他者を攻撃すること」を意味します。結局、対立というのは「自分こそが正義だと思う者同士がぶつかっているだけ」…そんな達観している風な意見を述べることで説明した気分にもなれます。

いや、そうじゃないと反論もあるでしょう。これは「間違いを認めない者」と「間違いを正そうとする者」の対峙なんだと。確かに、権力の暴走や、弱者への搾取など深刻な問題が起こっているのは否定しようがない事実です。だから相手が負けを認めるまで屈してはならない…そうやって自分たちを鼓舞しています。これも一面です。

そして本作『ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン』は、対立に関してどういう立場であろうとぜひとも見てほしいドキュメンタリーです。

なかなかそんな作品はありません。たいていの作品は必ずどちらかに視点が偏ることが多いですから。作り手もひとりの人間である以上、立場を定めないと作品は作れません。でも、本作は、対立し合うどの側の者でも、もしくは対立に関わろうとしない者でも、心にグサリと突き刺さる内容になっています。

題材となっているのは「ダリル・デイヴィス」という現在も存命のアフリカ系アメリカ人のミュージシャン。彼は誰もがあり得ないと思ったことを成し遂げたことで話題になりました。なんと「KKK(クー・クラックス・クラン)」のメンバーと友情を育んだのです。「KKK」についての説明はしなくてもわかりますよね。白人至上主義を掲げ、他人種の排除を目指す、一般的には“過激な差別者組織”と呼ばれているコミュニティです。当然、黒人なんて「KKK」は最も嫌う存在。近づこうものなら、徹底的に拒絶、場合によっては危害を加えられかねません。ではなぜそんなことができたのか?

スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』という映画がありましたが、あちらはKKKに白人の替え玉を使うことで身分を偽って潜入した黒人警官の実話モノでした(脚色はかなりされていますが)。
一方の『ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン』は『ブラック・クランズマン』以上に突飛なことをやってみせて、しかも脚色もないドキュメンタリーですからね。もちろん身分を偽ってもいません。普通に面と向き合っています。耳を疑うけれども、真実。決して黒人と白人とを音楽の力でつなぐみたいな、綺麗事な物語ではない…とは言っておきます。

しかも、本作はそれで終わりではなく…。ここから先は見てのお楽しみ。

題材はアメリカで起こっている人種問題ですが、本作のテーマ性は日本を含む世界中全てに当てはまるものです。

繰り返しになりますが、社会に蔓延るヘイトと戦っている人、逆にヘイトと呼ばれてうんざりしている人、その両者を第3者気分で静観している人…誰でも本作を鑑賞する意義は大いにあると思います。とくに前知識として知っておくべきことはないので、難しく身構える必要はありません。

オススメ度のチェック
ひとり◎(考えさせる一作)
友人◎(考えさせる一作)
恋人◎(考えさせる一作)
キッズ◎(年齢によるけど勉強になる)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

相手が心を開くチャンス

まずはなによりも本作の主題であるダリル・デイヴィスという人間の人柄というか、どういう考えを持っているのかという人間性を明示しないといけません。作中でもそれは序盤にダリル本人の言葉でハッキリ示されます。

その基本スタイルは「対話」すること。
「意見が同じ者同士で話しても何の解決にもならない」
「本当に問題を解決したければ意見の違う人間と話すべきだ」
メールやSNSじゃわからないからと、直接自分の足で赴いて会うことにこだわります。

そして「まず相手の話を聴く」こと。
「君らに敵対する意見を持つ相手がいるとしよう。その意見がいかに極端で傷つくものであってもその人が自分の意見を言う機会を与えるべきだ。そうすることで相手が心を開くチャンスが生まれる」
決して相手に説教をしたり、論破しようとしたりすることはしません。あくまで質問をして、話を聞いてあげるんですね。

こういう対話重視などという場合、よくありがちなのは、双方に媚びを売って“八方美人”な対応に終始するパターンです。しかし、ダリルはそうではありません。ちゃんと自分の立場を持ち、自身が黒人であるというアイデンティティを忘れてはいません。だから“事実”を述べることは躊躇いもなく実行します。そのうえで本人曰く「相手の主張ではなく“主張する権利”を尊重した」という態度も崩しません。

これはなかなかマネできることではないと思います。どうしても自分と真逆の意見をぶつけられたら、カッと感情的になることもありますし、耳を塞ぎたくなります。それにダリルのような立場をとると、下手をすれば双方から嫌われて孤立することもあるのですから。

それでもこの立場を長年貫くダリルの意志は並大抵のものではないことがわかります。

対話するから知れたこと

そのダリルの実行力は確かな成果をあげていることが前半で示されます。

KKKのトップだったケリーという男とは、名付け親にまでなるほどの親しさですし、元KKKのリーダーのゲイリーという男とは、すっかり古き友人というリラックスしたひと時を過ごしています。明らかにどっぷりと差別思考に染まっていたように見える人でさえ、いつのまにやら「キング牧師も素晴らしい」とか言っている状態に。

ダリスの手元にはKKKを辞めた人からもらった衣装と頭巾(ヘルメット)が20着以上あり、白人が持つよりも黒人である自分が持つ方がいいと言い、これも歴史の一部だからと博物館に飾りたいと夢を語ります。笑っちゃうのが、ダリルはKKKにすっかり精通しているので、そこらへんの並レベルのKKKメンバーが組織の仕組みがわからないからダリルに尋ねるという現象が発生していること。いや、そこは自分で調べてよ…。

そしてダリルとKKKを含む者たちとの会話を観ていくと、私も全然KKKのことを知らなかったんだなと思い知らされます(KKKメンバー自身も把握しきれていないくらいですから、まあ、あれですが)。あとやっぱりKKKの人たちは語り合える“仲間”が欲しかったのだろうなとも。だから肌が黒のダリルでも語り合えさえすれば「白人のニガーより彼を尊敬する」なんて言えてしまうのでしょうね。

またKKKだけでなくネオナチとも対話していきます。

最大のネオナチ組織「国家社会主義運動(NSM)」の指導者ジェフ・スクープとの会話も絶妙にシュールでした。「どんな音楽を聴く」という質問をジェフにぶつけ、ロックだと答えを聞くと「ロックは黒人起源だよ」と返答。するとジェフも「いや、エルヴィス・プレスリーだろ」と返し、ダリルも「チャック・ベリーやF・ドミノから学んだって本人も言っているよ」と反論。最終的にジェフは「誰が発明しようが音楽は素晴らしいだろう」とネオナチとは思えない発言。ここでもダリルは相手の揚げ足を取ることでバカにするのではなく、共有できる気持ちを見つけたことを喜び、笑い合う。

「トラデショナリスト・アメリカン・ナイツ(TAK)」のリーダーであるフランク・アンコナとの対話では、ネオナチと自分たちは違うという主張も聞け、一口に“差別主義”といってもいろいろあることがわかります。

そもそも彼らの多くは口を揃えて、これは“差別”ではない、白人の誇りを主張しているだけなんだ、“分離”がしたいんだと語っているのも印象的。もちろんその発言にもダリルは耳を傾けます。

ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン

どうして私を嫌いになれる?

しかし、対話という魔法でダリルはすべての人と友人になれたかといえば、そうでもなく…。

「ナイツ・オブ・KKK」の統括トーマス・ロブは、黒人の血が白人に入れば「白人種の虐殺」だと主張し、ダリルを反白人と断定して、敵対心を崩しそうにはありません。

また、ダリルの対話相手は差別主義団体だけでなく、それらと戦う側の人たちにも向けられます。

「南部貧困法律センター」のマーク・ポトックは、自分たちの目的はヘイト団体を潰すか無力化することであると説明。更生を待つ時間はありませんとの立場を示し、ダリルのやり方に完全には同調しません。

そして、一番強烈に印象に残るのは、やはり警察と黒人の対立が激化するボルチモアの貧困区で「Black Lives Matter」運動活動をしている黒人たちの会話。

「あなたはKKKのメンバーなのか」とネットの情報らしきもので知ったような感じで最初からダリルを疑っていたクワメという若者。ダリルに対して誰よりも、それこそKKK以上に敵意を向けます。「白人至上主義は変われない」「あんたのやっていることはただの自己満足だ」…。最後は「Black Lives Matter」運動活動家のJC・フォークが「二度と来るな」と凄まじい剣幕でブチ切れることで会話は強制終了。

もちろんダリルとボルチモアの黒人は同じ人種といえども生活状況が全然違うし、差別もより劣悪です。でもそれでも同じ人種のはず。なのに…。

特筆すべきは、あのボルチモアの黒人たちの論理思考がKKKの過激派と皮肉にもそっくりだということ。黒人の独立体制を作りたいという彼らは明らかに分離主義を理想としています。そして「トランプが大統領ならいい」とまで発言。正直だし心情や野心がわかりやすいから対処しやすいと、敵対を自ら求めるようにも見受けられるセリフ。投票は特権だからしないと言い、博物館なんて辛い過去を思い出すだけだから価値もないと一蹴。歴史否定主義的ですらあります。

その後のダリルの分析的なコメントが身に染みます。
「KKKも脱退した白人を嫌う。黒人もだ。仲間を売ったと思われるんだ」
本作は対話を美談で済ますのではなく、その難しさをこれ以上ない残酷さで突きつけるのがまたエグイですね。

それでもダリルは諦めません。なぜなら「でもそれでどうやってこの国の多様な課題を解決する?」と言うとおり、分離や分断では問題解消にはならないと信じているから。
「私が変えるのではない。質問をする。そうすれば自分から変わる」

「私を知らないのにどうして私を嫌いになれる?」
最後まで世の中に失望せず、希望を語るのはダリルらしいです。だからダリルを信じて友人になってくれる人もいるのでしょう。

『グリーンブック』のように美談な融和ストーリーを理想として信じるのは簡単じゃないですか。でも本作のように現実的な軋轢を目にしても信じ抜くのはとてつもなく大変です。けれども今の世界で必要なのはまさにそういうことなのかもいしれません。
憎しみではなく愛を、対立ではなく融和を、排除ではなく創造を。それは理想論かもしれません。でも人間が“理想”を信じられなくなったらおしまいじゃないですか。

壁が増えるほど対立が増えるのではなく、融和の機会が増えるんだ…そんなポジティブ・シンキングでも良いのかな。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience 86%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Sound and Vision