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『悪魔はいつもそこに』感想(ネタバレ)…Netflix;白人たちの生きづらさを描く

悪魔はいつもそこに

白人たちの生きづらさを描く…Netflix映画『悪魔はいつもそこに』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Devil All the Time
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:アントニオ・カンポス

悪魔はいつもそこに

あくまはいつもそこに
悪魔はいつもそこに

『悪魔はいつもそこに』あらすじ

腐敗と暴力にまみれたアメリカの田舎町。愛する者を守ろうともがく青年の周りで、邪悪な人間たちの思惑が渦を巻く。ある人間は神を信じすぎるあまりに絶望する。ある人間は己の利益のために邪魔者を消そうとする。ある人間は歪んだ欲望に憑りつかれて我を失う。ある人間は他者を食い物にすることに何のためらいもなくなる。それでもここで生きるしかなかった…。

『悪魔はいつもそこに』感想(ネタバレなし)

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豪華俳優陣で提供するヒルビリー・ノワール

アメリカのオハイオ州には「ノッケンスティフ(Knockemstiff)」という地名の場所があるそうです。なんだかアメリカっぽくない地名ですが、どうやらこの名前の由来には諸説あるとか。

このノッケンスティフ出身のある作家がいます。それが「ドナルド・レイ・ポロック」という人で、この地で1954年に生まれた彼は、自分の地元を題材にした犯罪ノワールなスリラー小説を書き、有名になっていきます。

ノッケンスティフで主に暮らしているのはいわゆる「ヒルビリー」と呼ばれるタイプの人たちです。これは簡単に説明すると「山で暮らす白人」のことで、ノッケンスティフもそうみたいですが、本来はアパラチア山脈あたりに住み着いている白人層を指しています。この白人層は非常に閉鎖的なコミュニティの中で生活し、排他的ですし、宗教に根差した価値観だけで生きています

このヒルビリーはまさに今のアメリカのドナルド・トランプ大統領を支持する基盤になっているわけです。こうした田舎の山奥で暮らすなんだか非現代的に見える白人層を揶揄するような表現として「ホワイト・トラッシュ」という言葉もあるわけで…。

そんなヒルビリーを創作物が描く対象にしていることは頻繁にあり(映画だったら『ウィンターズ・ボーン』とか)、ドナルド・レイ・ポロックも地元をフィールドにそんな白人コミュニティを描いてきました。アメリカを映す鏡として昔からこれは欠かせない…という感じなんですかね。

そのドナルド・レイ・ポロックが2011年に書いた小説が今回映画化されました。それが本作『悪魔はいつもそこに』です。

すでに説明したとおり、ヒルビリーの白人コミュニティ独特の居心地の悪い窮屈さが全体に渡って漂う作品であり、そういう地域性を意識しながら鑑賞すると興味深いと思います。ジャンルとしてはノワールということになるのかな?

また、本作は俳優の豪華さが以前より話題になっていました。

まず主演は、MCU『スパイダーマン』としても大活躍中でみんなが親戚気分で見守っている“トム・ホランド”。最近は『スパイ in デンジャー』や『2分の1の魔法』などファミリーアニメ映画の声も担当し、すっかり純朴で家族受けの良さそうな俳優イメージを獲得していましたが、『悪魔はいつもそこに』は血で手を汚すダークな役に挑んでいます。ちなみに“トム・ホランド”本人はロンドン出身なので、全然ヒルビリー感ないですけどね。

そして『IT/イット』2部作で凶悪ピエロを文字どおり怪演した“ビル・スカルスガルド”が今作でもヤバい匂いがプンプンする役でノりまくっていますし、『ナチス第三の男』で不気味な演技を見せた“ジェイソン・クラーク”も今作でも不気味さ全開です。加えて、MCUでバッキー・バーンズ(ウィンター・ソルジャー)を熱演した“セバスチャン・スタン”や、2021年公開予定の新「バットマン」に抜擢されている“ロバート・パティンソン”が、クソ野郎っぷりを限界超えで披露しているので、そのギャップも見どころ。

個人的には“ハリー・メリング”に注目してほしいですね。彼は知っているでしょうか、あの『ハリーポッター』シリーズで主人公が預けられる親戚の家の嫌な子(ダドリー)を演じていた俳優です。そっちでは太っちょな子という感じでしたが、大人になってこんな姿になっていたのか!と新鮮に驚けるはずです。『悪魔はいつもそこに』では登場人物の中でも突出してイカれた狂乱を見せてくれます。

女性陣も濃い顔ぶれが揃っており、『アンダー・ザ・シルバーレイク』や『ロッジ 白い惨劇』の“ライリー・キーオ”、『マグニフィセント・セブン』や『ガール・オン・ザ・トレイン』の“ヘイリー・ベネット”、『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』の“エリザ・スカンレン”、『アリス・イン・ワンダーランド』や『クリムゾン・ピーク』の“ミア・ワシコウスカ”など。女性たちもあれやこれやと印象的に物語に絡んできます。

監督は“アントニオ・カンポス”という人で、私はよく知らなかったのですが、ドラマシリーズ『The Sinner -隠された理由-』などを手がけている方だったんですね。

なお、映画の制作を担当しているのはジェイク・ジレンホールが設立した「Nine Stories Productions」です。

約138分と長めの映画で、淡々と進んでいく語りの多い物語ですので、サクッと鑑賞はできないと思いますが、腰を据えて味わってみてください。

『悪魔はいつもそこに』は2020年9月16日よりNetflixオリジナル映画として配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(役者でお気に入りがいるなら)
友人 ◯(俳優ファン同士で楽しく)
恋人 ◯(俳優ファン同士で共感)
キッズ △(残酷展開が多め)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『悪魔はいつもそこに』感想(ネタバレあり)

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こんな町は嫌だけど…

ウィラード・ラッセルは南太平洋戦争から帰還してきました。そこでの兵士としての体験は二度と思い出したくないものでしたが、それは脳裏に焼き付いて離れません。ソロモン諸島にて過酷な戦地の森を進んでいると、十字架に磔にされたミラー・ジョーンズという軍曹を発見します。虫にたかられ、すでに半死半生の状態。かろうじて生きていましたが、ウィラードは頭を撃ってラクにしてやりました。

その惨状を思い出しつつ、地元に帰る途中によったオハイオの店でウィラードは運命の出会いをします。それはウェイトレスの女性で、このときは名前を知りませんでしたが、名はシャーロットでした。また、そのすぐそばで注文をとるウェイトレスの女性のサンディカールという男と意気投合しており、この2人も後にウィラードの家系に大きく関与するのですが、それはまた後での話。

ウィラードはアスケルに手土産だと言って銃を渡します。それはヒトラーが自殺に使ったというドイツ製のラガーでした。

故郷のコールクリークに帰宅。母・エマは元気そうで、さっそくウィラードに紹介したい女性が教会にいると話してきます。ウィラードはすでにあのシャーロットに夢中でしたが、しょうがないので教会に付き合います。

教会でヘレンという女性を紹介されます。彼女は家族を火事で亡くしたそうで、孤独だとか。でもウィラードは全く興味をそそられず話しもしません。教会ではロイ・ラファティという男が熱心に信仰について演説していました。シオドアがギターの弾きで場を取り繕いつつ、「あなたが一番怖いものは?」「私はクモが嫌いでした」「でも私には神の加護がある」と言って、ロイは大量のクモを浴びます。

母は自分をヘレンとくっつけたいようでしたが、ヘレンはこのときに出会ったロイが将来の伴侶になります。そしてウィラードはシャーロットと結ばれ、アーヴィンという息子も生まれます。母のもとを離れ、ノッケンスティフで暮らし始めました。母はと言えば、アスケルとともにロイとヘレンの赤ん坊であるレノーラを見てあげています。出かけるヘレン。これが生きているヘレンの最後の姿になるとは…。

1957年のノッケンスティフ。ラッセル一家はよそもの扱いです。アーヴィンは9歳になり、父ウィラードは息子を家の裏の森に作った十字架のところへと連れていきます。アーヴィンは学校では殴られているようで、目に青あざがり、父は「やり返せ」と助言しました。

アーヴィンは車で父と店に向かいます。途中でからかってきた男を見かけ、容赦なく殴りつける父。茫然と見つめるアーヴィン。父は仕返しをするということの息子に身をもって提示しました。

帰ってくると母が倒れています。医者の診察の結果、ガンだと判明し、治療できないとのこと。しかし、父は「神は救える、必死にお祈りすれば叶えてくださる」と信じ、ひたすらにあの森の十字架の前で祈り、アーヴィンにも祈りを強要してきます。

けれども状況は改善しません。すると、犠牲が必要なのではないかと父は考え、飼っていた犬のジャックを殺して、十字架に磔にしました。アーヴィンは大事な愛犬を失い、ショックを受けます。それでも父は頑なでした。

そんな努力も虚しく、母は他界します。ジャックの墓を作ってあげようとアーヴィンは夜中に十字架へ向かいますが、そこには自殺した父の遺体が転がっていました。

リー・ボーデッカー保安官が現場にやってきます。彼の妹サンディはカール・ヘンダーソンという男とつるみ、狂気に手を染めていました。また、ロイは妻ヘレンを殺害し、神に祈れば蘇ると信じましたが、何も起こらず、逃走。カール&サンディに拾われ、2人に無残に殺されました

そして年月が流れ、アーヴィンは祖母エマのもとで生活。義理の妹レノーラとも仲が良く、貧相な暮らしでも毎日を生きていましたが、ある日、町にやってきた新米牧師プレストン・ティーガーディンによって運命を狂わされていくことに…。

この地にはゆっくり眠れるような安寧はないのか…。

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宗教しか救いがない(実際には救わない)

『悪魔はいつもそこに』はナレーションをベースに物語が進行していきますが、そのナレーターを担当しているのは原作者のドナルド・レイ・ポロック本人なので、まさしく地元を当事者が語るという昔話スタイルです。まあ、当然本作のストーリーは完全な実話ではないにせよ、歴史的事実と絡めながら、とても実在感のある生々しさがあったと思います。

前半で述べたように本作はヒルビリーと呼ばれる白人コミュニティが描かれています。アーヴィンの暮らすノッケンスティフは冒頭からその排他的空間を見せつけてきます。ラッセル家は一応は白人ですが、よそもの扱いであり、アーヴィンは学校で虐められます。大人ですらも本人がいる前でウィラードを小馬鹿にする発言をしてきます。とにかく周りは敵。敵しかいません。

だからこそウィラードは、PTSDが拍車をかけるようなかたちで信仰にのめり込んでいき、やがて家族を破滅させることになります。

一方、そんな父親の堕落を間近で見つめていたアーヴィンは青年へと成長し、自分自身もまたそのコミュニティの迫害に直面することになります。

ここで登場するのがまたも宗教であり(この地域には宗教くらいしかないのですが)、その狂気を体現するのがロイ・ラファティとプレストン・ティーガーディンの2人の男です。

ロイ・ラファティはひと言で語ってしまうなら完全にヤバい奴で、クモ浴びの件もそうですし、それのせいで健康を壊して今度はクローゼットに引きこもるくだりといい、もうどうしようもない人間です。今だったら「キモイね」の一瞥とともにネットに晒されて炎上するだけなのですが(いや、YouTuberとして大活躍するかもだけど)、この閉鎖的な社会だとこんな奴すらも信仰に打ち込んで頑張っている人扱いされる。結局は、環境ゆえに個人の歪みみたいなものが暴走してしまう。その怖さですよね。

また、プレストン・ティーガーディンは別のタイプのヤバさです。彼は牧師ですが、ロイのような狂信的な信者ではありません。それどころかたぶん宗教なんてろくに信じておらず、それを悪用することしか考えていません。自分が神になったようなつもりで、地域の信者を言いように丸め込み、支持基盤を獲得して悦に浸っている。今でいえば、こういう層を支持の土台にしているポピュリストの政治家そのものといった感じでしょうか。あの初登場時の料理に対するゴネ方が本当にウザいですね。

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白人だけの世界は理想郷じゃない

そのロイ・ラファティとプレストン・ティーガーディンですが、この2人の男を慕ってしまう女性が登場します。ヘレンとレノーラです。母娘でダメ男に誘引されるのは血筋なのでしょうか…。

ただ、本作に登場する女性たちは徹底して無力です。このコミュニティは漫然と男社会なわけですが、女性たちはそれを下支えすることを当然に立場としており、一方でその窮屈さを感じています。そんな女性にとって宗教に燃える男というのは事態を打破してくれそうな“輝かしい有望な男”に見えてしまう。この恐ろしさもまた本作では印象的に映ります。

その中で、あのサンディだけはもしかしたら女性の置かれた支配構造を打開するかもという片鱗を一瞬だけ見せます。しかし、自分をろくに信用もしていないカールというクズ男のせいで、そしてまたも男のもとでないとやってはいけないと思ってしまう自分への自信のなさのせいで、そのチャンスをどぶに捨てることに…。

ロイとプレストンにそれぞれ銃弾を撃ち込み、狂気を終わらせるのはカールとアーヴィンです。ある意味でこの2人はコミュニティの禍々しいほどの閉鎖性から抜け出そうとしている男であり、その点は共通しています。しかし、この2人の偶発的な一騎打ちはアーヴィンに運が回ります。

続いてアーヴィンのもとにやってきたのは、己の利権のために腐敗しきっているリー・ボーデッカー保安官。こちらもアーヴィンに軍配が上がることに…。

こうして最初はバラバラに見えた登場人物たちの物語が集約していき、またひとりまたひとりと脱落者が出て、最終的に残ったのはアーヴィンです。

ただ、これでハッピーエンドというわけにはいきません。エンディングではヒッチハイクした車の中でうとうとと眠りこけるアーヴィン。でも彼はベトナム戦争にでも行こうかとか考えており、車のラジオからもそんなニュースが流れます。もちろん、観客はベトナム戦争がろくなものではないことは知っているので、そこに行けばアーヴィンは父の二の舞になることが見え見えです。また憔悴して地元に帰ってくることになるでしょう。その時、故郷は彼を受け止めてくれるでしょうか。

今、アメリカ社会では白人至上主義者たちが声を荒げ、移民やらなんやらを追い出そうと必死です。まるでそうでもすれば自分たちの理想郷が築けると思っているかのように。しかし、本作で描かれているように、昔ながらに存在するヒルビリーのような白人だけのコミュニティは決して白人にとって都合のいいものではなく、やはりそこでは白人たちは絶望の中で暮らしていました。宗教が暴走し、格差だけが足を引っ張る…そんな世界こそが本来の白人の敵だったはず。

『悪魔はいつもそこに』という白人映画はあらためて白人の生きづらさとは何なのかを明示してくれる映画でした。

『悪魔はいつもそこに』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 71% Audience 93%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Nine Stories Productions, Netflix

以上、『悪魔はいつもそこに』の感想でした。

The Devil All the Time (2020) [Japanese Review] 『悪魔はいつもそこに』考察・評価レビュー