ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生
映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(ファンタビ2)の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwald 
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2018年11月23日
監督:デビッド・イェーツ

あらすじ

アメリカからイギリスに戻ってきたニュートは、捕まえたはずの強大な魔法使いグリンデルバルドが逃げ出したことを知る。恩師のダンブルドアから特命を受け、パリに向かったニュートは、仲間の魔法生物たちとともにグリンデンバルドの行方を追う。

ネタバレなし感想

ハリポタの真髄はダークさにある?

映画シリーズは星の数ほどありますが、最も興行的に成功を収めているものはなんでしょうか? 1位は『マーベル・シネマティック・ユニバース』、2位は『スター・ウォーズ』シリーズ…そして3位となるのが『ハリー・ポッター』シリーズです。厳密には「Wizarding World」という名称がついているそうです。いつの間にそんな規模になったんだと思いますが、最初の映画が2001年の公開で、原作小説は1997年です。時が経つのは早い…。全く無名の新人の書いた小説が5億部以上も世界に広がったというだけで凄いのに、映画史にまで名を残すなんて魔法みたいですね…。

しかし、そんな『ハリー・ポッター』シリーズ…結構、“観たことがありません”という人もいます。また、映画は観たけど、原作の本は読んだことがないという人はもっといます。

「ハリー・ポッターって子ども向けのやつでしょ?」と若干の鼻で笑った意見もチラホラ聞かれるあたり、当時は「児童書のイメージを覆した」と言われたものですが、やはりまだ先入観を持たれていることも多いのかもしれません。その理由として世間で“ライトに扱われすぎ”なのもマズいのかもしれません。テレビとかでいかにもライトな客層が呪文を唱えてハシャいでいるだけの映像を見せられると、そう思うのも無理ないな…なんて気持ちにも。

ただ、原作小説も珍しく昔からきっちり読んでいた私の意見としては、「ハリー・ポッター」は想像以上に奥が深いと断言できます。子ども向けに見えつつ、実は社会風刺とシニカルな展開を内包していることが、ある程度社会問題などに敏感になってから読むとよくわかります。

ここからやや原作小説の(核心的ではないレベルの)ネタバレを書きますが、嫌なら読み飛ばしてください。

例えば、「ハリー・ポッター」は王道の魔法ファンタジーものと思われがちで、事実、表面上はそうです。貧乏な生活を送る少年がある日、自分は魔法使いだとわかり、世界が一変し、しかも「生き残った男の子」として悪の魔法使いを倒すという予言までされている…まるで「スター・ウォーズ」の魔法版です。

ところが、原作では中盤以降から構造が逆転し始めます。読者が当然のように信じてきたものがあやふやになり、善悪もわからなくなり、お約束的なお話上の前提だと思ったものさえ実は意図的に仕組まれたものに見えてくる。詳細はネタバレになるし、長くもなるので割愛しますが、例えば、主人公のハリー・ポッターは本当に「生き残った男の子」なのか?…それさえも疑念が生じる。魔法の世界の汚さがどんどん露わになる。なので原作小説を読んでいた人はシリーズが進むにつれて雰囲気がシリアスになるので驚いたはずです。

でも、これが原作者“J・K・ローリング”の作家性なんですね。なかなか容赦のない作家だと思います。

ですが、厄介なことにその“原作小説”が“映画”になったとき、だいぶマイルドにエンタメ寄りに中和されてしまったんですね。まあ、だからヒットしたのかもしれませんけど、原作の持っていたダークさはかなり失われました。

そして、始まった新シリーズ『ファンタスティック・ビースト』。こちらは「ハリー・ポッター」シリーズよりも前の時代を描くもので、何よりも“J・K・ローリング”自らが脚本を担当していることもあって、もしかして原作のダークさが結構でてくるのでは?と思っていました。

すると案の定、1作目の『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』からちょっとどころではないダークな展開もあって「お、きたな」と手を叩いたものです。

そんなこんなで2作目となる本作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』ついに“J・K・ローリング”の闇っぷりが本領発揮してきました。たぶん「ハリー・ポッター」をよく知らない人ほど内容に面食らったと思います。でもこれが本来の持ち味ともいえるのではないでしょうか。

あとはネタバレもできないのでこのぐらいで。事前に前作は観ておくと良いでしょう。少なくともこの2作目から初見ですというのはかなりのチャレンジャーですから。ちなみに『ハリー・ポッター』シリーズの映画版は観なくていいと思います。というのも、映画版の設定は原作小説を改変している部分もあって、原作小説寄りになっている『ファンタスティック・ビースト』シリーズとは辻褄が合わないところもあるので。どうせなら原作小説を読むほうがはるかにマシです。

おすすめ PiCKUP!
↑『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』…「ファンタビ」シリーズ1作目。

ますます続きが観たくなるシリーズ第2弾なのは間違いありません。

予告動画






↓ここからネタバレ(映画+原作小説)が含まれます↓





ネタバレあり感想

シリーズ史上最大の闇を知っていますか?

本作の本格的な感想に入る前にひとつだけ。

『ハリー・ポッター』シリーズの“ダークさ”を象徴するような人物である「アルバス・ダンブルドア」についてです。彼はホグワーツ魔法魔術学校の校長で、見た目や性格からして、いかにも賢者らしい、それこそ『指輪物語』に登場する魔法使いの賢者「ガンダルフ」に通じるキャラクターに見えます…“一見すると”…。原作小説の前半ではそのテンプレなイメージそのままに活躍していましたが、物語が進むにつれて“裏の顔”が見え始め、賢者どころか弱々しい老いた無力な人間にしか見えなくなってきます。そして、作品全体が呼応するようにシリアスになっていくのでした。

詳しく書いているとキリがないので割愛しますが、ダンブルドアはかなり壮絶な過去を持っており、そのキーパーソンとなるのが「グリンデルバルド」でした。ダンブルドアとグリンデルバルドの間にはある確執と絆があり、それゆえにダンブルドアの人間性に大きな“暗さ”を刻むことにもなっています。

ここまでは原作小説で詳細に語られることなのですが(映画版ではかなりカットされています)、ダンブルドアとグリンデルバルドの間にある絆の部分について、後に原作者の“J・K・ローリング”は「ダンブルドアは同性愛者(ゲイ)でグリンデルバルドに密かに恋をしていた」と語っているんですね。だからこそ悪に染まっていくグリンデルバルドを止められず、それどころか自分も感化されてしまったと…。これは『ハリー・ポッター』シリーズ史上最大の切ない闇です。そのわりにはしっかり原作を読み込んで原作者の言葉を聞き集めたコアなファンくらいしか知らない情報なんですよね。

で、『ファンタスティック・ビースト』シリーズですよ。1作目でグリンデルバルドがサプライズ的に登場し、2作目でダンブルドアが登場するとわかった時点で、「あ、これはあの“確執と絆”を描くことがメインになるんだな」と察しのついた人もいたはず。つまり、すご~く暗い話になるということです。

そしてまさにそのとおりの内容でした。ただ、この二人が直接的には対峙しません。対決は最後までお預けでしょうし、そもそもそのオチは原作小説で明らかになっていますから。あんまりそこを引っ張ってもしょうがない。

そこでその代理戦争ではないですけど、シリーズのメインとして描かれるのが「ニュート・スキャマンダー」と「クリーデンス」の対立になるのでしょう。とくに本作ではクリーデンスについて、本名が「アウレリウス・ダンブルドア」であることがラストに判明し、これはファンにとっても新情報だったため、サプライズとなりました。

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

この映画シリーズのテーマは?

本作はこの対決構造を明らかにするための一作という感じで、まだ起承転結の「承」の部分が始まったばかり。正直、単体で観た時の純粋な面白さは少ないでしょう。

世間では「いつになったら主人公と魔法動物との大冒険が始まるんだ」とヤキモキしながら観ていた人も少なくないかもしれませんが、ハッキリ言ってきっと“それはメインではありません”。たぶん今後も。

人によっては、あまりに設定の山積みになった本作に対して「ファンムービー」のような印象を受ける人もいるでしょうし、事実、楽しんでいるファンもいるでしょうが、私としてそこさえもオマケにすぎないと思っています。

むしろ前述したように“J・K・ローリング”の作家性から考えれば、シリーズに登場したあんなキャラやこんなアイテムのお披露目といったファン要素、ド派手だったり可愛かったりする魅力的な魔法動物たちといったエンタメ要素…なんていうのは「マジックにおけるミスディレクション(観客の注意をそらすテクニック)」なのではないでしょうか。

このシリーズのメインテーマはタイトルにもあるように「ビースト」です。しかし、それは魔法動物のことだけでなく、私たち「人」とは何か?という根源的問いかけが中心にあるのではと思います。

その考えを補強するように、実は本作シリーズの原案になっている「幻の動物とその生息地」という本にはしっかり「人とは何か」を議論する内容が書かれているんですね。この本はニュート・スキャマンダーが書いた本という設定になっているので、その論点が主軸になるのはじゅうぶん考えられます。

見た目が違ったり、能力が劣れば、「人」ではないのか。そもそも「人」と「動物」に違いはあるのか。結局それは「本質」ではなく「選択」の問題ではないのか。今後の展開でもそれを問うはずです。

今後はもっと暗くなる?

もうひとつ忘れてはならないことがあります。『ハリー・ポッター』シリーズがジュブナイルというジャンルだとしたら、『ファンタスティック・ビースト』シリーズは別のジャンルで勝負してきています。

それは「歴史フィクションもの」だということ。

この全5作を予定しているシリーズは“J・K・ローリング”によれば「1926年から1945年の間」を描くと言われています。つまり、第2次世界大戦の始まる前から終結するまでの時期です。

1作目は舞台が1926年のニューヨークで、世界恐慌と第2次世界大戦を直前に控えるアメリカの不穏な感じが作品によく表されていました。

そして、2作目は1927年のパリが主な舞台。史実を照らし合わせるなら、パリといえば「パリ講和会議」が開かれ、第1次世界大戦の反省から国際連盟という形で世界が“一応は”平和のために一致団結した重要な場所です。本作ではそのパリでグリンデルバルドが本拠地を築き、仲間を集めて対立を煽る集会を開きます。これは明らかにパリ講和会議を意識した展開に思えます。

さらにそのグリンデルバルドの集会では非魔法族が引き起こす戦乱を予言してみせます。つまり、ほぼ間違いないですが、“J・K・ローリング”はこのシリーズで第2次世界大戦の史実をなぞるつもりなのでしょう。

“J・K・ローリング”のことですし、もしかしたら広島・長崎の原爆投下も5作目あたりで直接的に描写してくる可能性すらありえるのではないかと思うのですが…。

ということは、本作の話のダークさに滅入ってしまった人たちには申し訳ないですが、今後はさらに暗くなるのは確実です。史実がそうですから。

似たような作品でいうなら、『ファンタスティック・ビースト』シリーズは『ウォッチメン』(2009年)に極めて近いですよね。『ウォッチメン』は史実の歴史に実は関わった特殊な能力を持ったヒーローの裏側を描くアメコミ映画で、いわばヒーローの負を直視させる一作でした。『ファンタスティック・ビースト』シリーズも、史実の(非魔法族の)歴史に対して魔法族がどう関わり何を選択するのかというのが鍵になるようですし。

ただ、「歴史フィクションもの」は難しいです。史実をフィクションで上塗りする行為自体が賛否を分けやすいですし、非常にセンシティブな問題です。とくに第2次世界大戦の場合は。

あの絶好調のマーベルですら避けている時代的なテーマですから、それに挑戦しようとしているこの『ファンタスティック・ビースト』シリーズはもしかすると映画史に残る凄い偉業になるのかも…。

それでも問題はやはりエンタメとの両立です。どうしたって暗くなりますから、観客の求めているワクワクドキドキの魔法ワールドとは全然違います。配給のワーナー・ブラザースは「もっと明るくして」と要求してくるかもです。でも、個人的にはこのまま“J・K・ローリング”の作家性を貫くべきだとも期待しています。

『ファンタスティック・ビースト』シリーズをさらに追いかけ続けるなら、覚悟がいるかもしれません。少なくとも魔法の呪文をお気楽に唱えてハシャいでいる場合ではないかもですよ。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 40% Audience 66%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

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