勝手にふるえてろ
映画『勝手にふるえてろ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:勝手にふるえてろ 
製作国:日本  
製作年:2017年 
日本公開日:2017年12月23日 
監督:大九明子 

【個人的評価】
 星 7/10 ★★★★★★★

Plot Summary

OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。

ネタバレなし感想

恋愛映画(底級編)

古いものでは「勝ち組 ⇔ 負け組」という言葉がありますが、近年でも「リア充 ⇔ 非リア充」「陽キャ ⇔ 陰キャ」など、ある基準をもとに社会における人の立ち位置を2分する言葉というのは常に生まれて使われていきます。おそらく今後もこのような言葉は作られていくでしょう。

本作『勝手にふるえてろ』は、そんな2分する言葉でいうところの“下”にいる人を描いたラブ・ストーリーです。

“下”にいる人たちは、この2分する概念について一家言を持っているはず。その内容はいろいろあるでしょうが、「私はダメなんだ」という劣等感、「アイツらばかりお気楽に楽しみやがって」という嫉妬、「私はあんなアイツらとは違う」という拒絶・嫌悪感、「ちょっとはその楽しみを味わいたい」と羨望といった、ごちゃごちゃした感情の掃きだめです。私なんかは、どちらに属していようとも本質的には同じじゃないかと思っているぐらいなのですが(スクールカースト青春映画の古典『ブレックファスト・クラブ』のように)、当人してみれば小うるさい説教にしか聞こえないのかも。

とにかく、本作『勝手にふるえてろ』は、その一言でとてもじゃないけど表現できない人間のめんどくさい感情を完璧に映像化した一作です。たまに邦画・ドラマのなかには、いかにも作りものっぽいオタクなど“下”にいる人が描かれる作品があって、そういう「こういうものだろ」的な上から目線感が漂う描写は個人的に嫌いなのですが、本作は“本物”です。まごうことなきリアルです。同じ立場にいる人は、あまりの鏡っぷりに直視できないレベル。コメディでもありますが、人によっては全然笑えないでしょうね。

原作は、「蹴りたい背中」で当時19歳で芥川龍之介賞受賞したことで大きな話題となった綿矢りさ。監督は、女性の心理を巧みに映像で表現してきた“大九明子”。この組み合わせはベストマッチだったと思います。

そして何より本作でようやく映画初主演となる“松岡茉優”。2012年の『桐島、部活やめるってよ』にてその才能に注目してきましたが、ここ最近の急激な活躍が目覚ましい若手女優です。今作『勝手にふるえてろ』ではそれはもう彼女の魅力が大爆発。『ちはやふる』シリーズでもそうでしたが、こういうクセのある役をモノにするのが上手いですね。なかには『万引き家族』で“松岡茉優”を知ったという人もいるかもしれませんが、それとは180度違う本作の“松岡茉優”も一見する価値ありです。

失恋した人、恋愛なんてクソだと距離を置く人…そんな人にこそ見てほしい恋愛映画ではないでしょうか。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

リアルなダメ感

「わかります? 私、今あなたが瞬きしてるのを見てます。マッサージしながら目パシパシするの癖ですか。視野見です。視野の端で見ると書いて、視野見。私の造語なんですけどね。中学の時こうやってイチのことずっと見てました。みんなイチのこといじりたくて構っちゃうんですよ。いるんですね。ああいう猫じゃらしみたいな人。でもイチは猫じゃらしじゃなくて王子なんです。だから私はあえてイチと距離を置いていました。はい。私だけが彼の特別な理解者で。疲れますわ。そりゃ。天然王子って漫画もイチをモデルにしてるって誰かに気づかれたら、私ごときが図々しいって思われちゃうって、ひやひやしたんですけど、それは杞憂でした。画力不足のおかげ? いやぁそんな褒められたもんじゃなくて、一周回ってここまで考えてる自分に酔えるっていうか、本能に任せてきゃあきゃあイチに群がる輩と私は別格なんだぞっていうプライド。四六時中視線まみれで辟易してるイチを私だけが解放してあげるんです。そう、進化。好きだから見たい。見たいけど気づかれちゃダメという必要性が私を進化させました。眼球のまわりの筋肉を総動員させるんです。やってみてください。生き物としての存在の気配を消すんですよ。釣果あがりますよ、きっと。ほら、こんな感じ、ほら、これ、今これ、これ今、おじさんの浮き見てるからね、私、これ。これね、これこれ。こういう個人的な話。普通はSNSでするんですってね。私、無理。だって世の中の役に1ミリもたたないこんな私事を世間に発表する勇気なんかないわ。勇気というか、まあむしろ恥ぐらいに思ってるかも」

…というマシンガントークをいきなり見せつける本作のヒロインであるヨシカ。しかし、これは終盤で明らかになるように(そして観客はとっくのとうに察していたように)、ただのヨシカの脳内妄想に過ぎません。

ヨシカはヒロインと呼ぶにはあまりにもアレな、とにかく痛いキャラであり、その描写があまりにもストレートで笑ってしまいました。例えば、彼女は「絶滅動物」好きというかなりマニアックなオタク…に見えますが、よく見ると、Wikipediaで「絶滅した動物一覧」と各記事を読んで満足しているくらいで(あと勢いでアンモナイト化石を買う)、とくに専門書を読むでも論文を調査するでもない。言ってしまえば「にわか」と呼ばれるようなタイプです。

一方で、こういうジャンルの映画では、ヨシカのようなキャラクターを描く際、往々にして突飛な言動をさせたり、いかにも奇人変人みたいなキャラ付けをさせたりしますが、そういうステレオタイプに安易に走らず、あくまでリアルに見せるあたりは、本当にこの映画の作り手に好感が持てます。

勝手にふるえてろ

ダメvsダメ

もちろんその絶妙なバランス感覚を支えているのは、ヨシカを演じた“松岡茉優”の演技力の賜物。

この手のキャラクターは演じさせるとどうしても“あざとい”・“わざとらしい”感じになりがちですが、全くそうは思わせない本物っぽさが素晴らしいの一言。「ファックファックファックファック」「いやぁ、告られたわ。現実って急」「あざーす」「大丈夫、意外に死なない」などなど数多くの迷言も、“松岡茉優”の口から発せられることで面白さが倍増。

ただ、個人的には「二」を演じた“渡辺大知”の、ヨシカとはまた違ったベクトルの男性らしい痛々しさが最高でした。ちゃんとあのヨシカがドン引きするのも無理ないなと思うキャラに仕上がっているのがお見事。初デート時の反復横跳びしながらの「すげえ俺のことを見てくる」や、初ハグでの「おれ、感情を殺すね」など、“愛おしいけどなんかでもやっぱダメだ”的なバランスがたまらないです。

本作は一応この二人のハッピーエンド感がありますが、でも、この二人なら3日後くらいに別れている可能性もじゅうぶんアリですからね。本当に見ていて飽きないです。願わくばドラマシリーズ化して、永遠に日々の日常を眺めていたいくらいです。

おれはかなりちゃんとヨシカを好き

本作は全てヨシカの主観、つまりヨシカ脳内フィルターによって登場人物が描写されています。なので、本当にその人物がどんな人なのかはわかりません。ここがミソです。会社の同僚も上司も、同窓会に集まった同期も、道行くすれ違った人や背景のモブも、全部ヨシカの認識した姿。なので、一見すると嫌な奴とか軽い奴に描かれていても、それは真実ではないかもしれません。

そもそも本作はそういう視点に帰結します。それこそ私が前半で書いたように「どちらに属していようとも本質的には同じ」なんだという、ある基準をもとに社会における人の立ち位置を2分することの無意味さ。王子キャラだと思っていた憧れの「イチ」は当人にしてみればイジメられていたというし、隣に住むオカリナさんにも恋をしたりといった人生があるし、同僚の女友達が味方か敵かわからないというけれどそもそも人に味方も敵もない。でも、私たちはつい他者や自分に「キャラクター」を押しつけがちで、それが余計にこじらせる原因になったり…。

結局はそのことを自覚するかどうかの話であり、今作では「ニ」がヨシカよりも先に自覚するからこそのあのラスト。思わぬ大人な発言というか、意外な客観性を見せる「ニ」の姿にヨシカも侵食される場面。本作が良いのは、こういうここぞというときはベタなセリフや行動に逃げず、ちゃんと映画的な演出で見せるところ。このシーンでは、濡れていく赤い付箋がヨシカの変化を象徴させます。“大九明子”監督は過去作の『でーれーガールズ』でもそうでしたが、現実と虚構が壊れていき、また動き出す展開をスマートに描くのが上手いです。

ヨシカはヨシカが思っている以上に普通の人であり、周りの人と大差ありません。自分もみんなも、勝手にふるえてるだけ。人類全員、絶滅危惧種です。仲良くしましょう。

(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会