見えない存在
Netflix映画『見えない存在』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Invisible
製作国:アルゼンチン・フランス(2018年) 
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信 
監督:パブロ・ジョルジェッリ 

あらすじ

自らの体に命を宿したことを自覚した10代の少女。妊娠という経験したことのない事態に戸惑いながらも、何事もなかったかのようにいつもの日常を続けようとするが、その努力も虚しく、状況は悪くなっていく…。

ネタバレなし感想

喜ぶ人、泣く人

2018年、日本とは地球の反対側に位置する南米…その南米に所属する国でも国土の大きい国家のひとつとして知られる「アルゼンチン」が、国民を2分するような事態に見舞われています。

その火種となっているのが「中絶」です。

アルゼンチンでは人工妊娠中絶は原則認められていません。レイプによって強制的に妊娠してしまったとき、もしくは母体の命にかかわる場合を除き、中絶は禁止されています。これはアルゼンチンを含む中南米ではカトリックの力が大きいことも多分に影響しています(ちなみに現ローマ教皇:第266代はアルゼンチン出身)。しかし、中絶を禁止している国では必ず問題になるのが「違法中絶」です。アルゼンチンでは年単位で数万人の女性が違法な中絶処置を受けているとされ、2016年には43人が違法中絶が原因で死亡したと報じられています。

一方で中絶を「権利」として認め、合法化している国も世界にはあります。日本でも母体保護法によって、レイプ以外にも身体的又は経済的理由でも中絶を実行することができると定められています。当然ながらアルゼンチンでも中絶を認めるように活動している人たちはいます。そして、ついに2018年8月、アルゼンチン議会上院は中絶を合法化する法案を審議することになりました。その結果は…否決。反対38、賛成31、棄権2だったそうです。この結末を受け、審議を見守っていた中絶反対派は大歓声をあげ、賛成派は涙を流しながら顔を歪めるという、対極的な反応が見られました。

きっと遠く離れた日本の皆さんも、それぞれ中絶に対しては自分の考えがあると思います。どうしても感情的な議論にもなりがちです。しかし、本当の中絶問題の難しさは当事者にならないとわからないものです。

そこで本作『見えない存在』という映画が、当事者の苦境を知る手段になると思います。本作は別にドキュメンタリーではありません。中絶を許さないアルゼンチンという社会に抑圧されたひとりの少女のあるがままの物語です。

監督の“パブロ・ジョルジェッリ”は、2011年に『アカシアの通る道(Las Acacias)』という作品を監督し、カンヌ国際映画祭でカメラドールを受賞した実力者。その監督の次作となる『見えない存在』は注目度も高く、アルゼンチン・ブエノスアイレス近郊の港町マル・デル・プラタで開催されるマール・デル・プラタ国際映画祭に出品され、ヴェネツィア国際映画祭でホライズン部門にも出品されました。

単純に「妊娠&出産=ハッピー!」というイメージで映画を作るのは簡単です。観客を感動させる定番ですから。それでも現実には映画的な都合よさが一切通用しない、直視したくないけど無視できない問題が立ちはだかるものです。本作はその問題に正直に向き合っています。なので、わかりやすい答えもないですし、地味で苦しいドラマです。でも、これがリアルなのでしょう。“パブロ・ジョルジェッリ”監督作品は静かな雰囲気が特徴ですが、本作はそれに加えて生々しい苦しさが映像がから滲んできます。

中絶問題に対して是非を押し付けることはありません。ただ、本作を鑑賞して少しだけ頭を悩ましてみてはいかがでしょうか。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

産まないという選択肢はない

「アルゼンチンは国際条約を守ってきた」「国家間で結ばれた正式な合意だから順守するのは当然だ」そんな語り口で標準時について解説する授業をつまらなさそうに聴く生徒たち。この何気ない冒頭から本作の題材とするテーマへの皮肉が見え隠れします。

私たちはグローバルな規則に従っています! 常識のある国家ですから! そんなドヤ顔するのはどこの国でも同じですが、実際はその国ごとに異質な文化…言い換えれば他者と同調することを頑なにしようとしない社会の昔からの“鎖”のようなものがあるものです。もちろん、そんなのは普段は対外的には存在しないように振る舞っていますが。アルゼンチンの場合、それは中絶でした。

本作の主人公のエリー、17歳は、静かです。学校が終わり、バスに乗車しているときも沈黙、買い物しているときも沈黙、エレベーターに乗っているときも沈黙、帰宅しても沈黙、ひとりで料理を始めるも沈黙、テレビ鑑賞しながらの食事中も沈黙、そのままテレビはついたままソファで就寝。さすがにここまでくると寡黙な性格で片づけるわけにもいきません。何かあったのだろうか…観客を不安にさせます。その理由は明確には提示されません。しかし、決して裕福そうには見えない生活、職場で何らかのトラブルがあったと推察される母親が家に籠っている状態などから、エリーの人生はどん底に近いことが伝わってきます。口数も少なくなるわけです。

そのエリーが逃避を求めたかったのでしょうか。どうやらある男と定期的に会い、車中で体を交える関係が続いていたようでした。しかし、ある日、妊娠が発覚します。無論、産んで育てるような余裕はありません。中絶したいと考えますが、ここはアルゼンチン。それは違法。

中絶も選択肢になっている日本であれば、産む産まないどちらにせよ、病院に行けば専門家によるアドバイスが得られます。子育てを支援する窓口もあります。しかし、そもそも中絶は論外としているアルゼンチンでは、そんなものはなし。エリーも「産めない」と意志を表明するも「産まないという選択はできない」と門前払い。かといって出産のための支援策はないんですね。“規制はするが助けない”という貧困層や子育て層への社会の冷たさがそこにはありました。

そのため、必然的にエリーは違法な中絶に頼らざるを得なくなります。そして、イマドキといいますが、公的な機関から正確な情報が入手できない以上、エリーが知識を得る術はインターネットしかありません。中絶薬の入手方法を調べたり、その効果や堕胎の確認方法まで、何をするにもネットの情報が全て。一方で、その情報はあやふやなものも多く、非常に危険性がともなう行為。闇ルートで高い金を払って入手した薬も効果はイマイチ。状況は悪くなるばかりです。

中絶を禁止することで逆に違法な中絶に手を染める人は増え、結果、中絶の数も全体が増えるという皮肉な現象が起こっていると聞きますが、まさにこういうことなのでしょうか。中絶を禁止するだけでは、全く中絶を減らす効果がないことが静かに伝わる映画です。

見えない存在

中絶に対する偏見と静かに向き合う

本作は「中絶をしたいと思う人」に対する誤解に向き合った作品でもあったと思います。

例えば、中絶というのは「自由奔放な性行為」の結果が招くものだという意見。根本的な話、性行為しないと妊娠しないのでこの意見は当たり前の常識を言っているだけなのですが、“自由奔放”かどうかは大した問題ではないです。エリーもそこまで常識から外れた付き合いをしていたわけでもありません。そもそも“自由奔放”と“自由奔放じゃない”との境界は何なんだという話ですが。

また、中絶をする人は「命を軽視している」という意見もあります。だから「命の尊さを教えれば中絶は減る」「学校教育で教えるべきだ」なんて主張も聞かれます。では本作のエリーは、命を軽く見ている人間に見えるでしょうか。ここで本作が上手いのは、エリーがペットショップ(動物病院)で働いている設定にしているという点。動物の命を扱う店で働き、怪我をして運び込まれた犬の手術を前に顔を背け、後ろ足を歩行補助器にした犬を散歩させる彼女の姿を見て、命を軽視しているとは思えないはずです。

当人は誰よりも命の重みを痛感しているんですね。よく考えれば当たり前です。妊娠しているのは自分なのですから。他人にとやかく言われるまでもありません。

本作ではハッキリ示されていますが、少なくともエリーが中絶を選択せざるを得なかった理由は、自分の置かれている環境です。貧困、支援の乏しさ…。もしそれがなければ、エリーは子どもを産む道を選ぶのに迷わなかったのではと思わせる所作がありました。公園で赤ん坊と過ごす他の母を見守る目、自分の変化していくであろう体を触る仕草、それは普通の母になりうる少女そのものでした。

最終的に、エリーは手術の現場から土壇場で逃げます。「産まない」という選択肢もない。「産む」という選択肢もない。その辛さを身に刻みながら、彷徨うしかない現実。帰宅して、あのソファに座り、息を整える彼女は、ただ成長していくお腹の子とともに、どこへ向かえばいいのでしょうか。

中絶の合法化を目指す人はこんなことを言っています。「中絶を義務付けろと言っているわけではない。ましてや中絶を強制することを望んでもいない。ただ、中絶という選択肢を当たり前に検討できる、選ぶ権利が欲しいだけ」…本作が描いているのはその選択のない社会の息苦しさです。

作中でエリーが学校で国旗を讃える歌を歌わされているシーンが出てきます(アルゼンチンには「国旗の日」という祝日もあるとか)。アルゼンチンはさまざまな隣国や海を越えてやってきた外国との戦争を経て独立を手にした歴史があり、国旗はその象徴である五月革命に由来します。しかし、現在のアルゼンチンには独立的な自由も権利を得ていない少女がいるわけで…。

中絶はタブーな題材ですし、議論があるのはわかります。でも、作中の少女のように最初から最後まで沈黙して耐えるしかない状況を良しとする人はいないでしょう。残念なことにこういう状態に置かれている人はたくさんいます。そんな彼女たちを「見えない存在」であるかのごとく無視していいのか。

よく考えてみると、エリーには妊娠したら「おめでとう」と言ってくれる人がいないんですね。せめてそれくらいは望んだっていいはずです。

ROTTEN TOMATOES 
Tomatometer 71% Audience 80%
IMDb 
6.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

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↑『JUNO/ジュノ』…こちらの映画も少女の妊娠をテーマにしながら、中絶に対して否定的な目線も目立つ一作。
(C)Netflix