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『心と体と』感想(ネタバレ)…鹿の夢から始まる愛もある

心と体と

鹿の夢から始まる愛もある…映画『心と体と』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Testről és lélekről(On Body and Soul)
製作国:ハンガリー(2017年)
日本公開日:2018年4月14日
監督:イルディコー・エニェディ
動物虐待描写(家畜屠殺) 恋愛描写

心と体と

こころとからだと
心と体と

『心と体と』あらすじ

ブダペスト郊外の食肉処理場で代理職員として働く若い女性マーリアは、コミュニケーションが苦手で職場になじめずにいた。片手が不自由な上司の中年男性エンドレはマーリアのことを何かと気にかけていたが、うまく噛み合わない。そんな不器用な2人が、偶然にも同じ夢を見たことから急接近していく。

『心と体と』感想(ネタバレなし)

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私はシカでした

眠っているときに見る「夢」。どんな夢を見たかという内容で、今のあなたの悩みや抱えている欲望などを判断する夢診断は、占いではすっかり定番。私は占いに全然興味のない“冷めた”人間ですが、夢で人の内側を評価するというのはちょっと根拠らしきものがありそうかもと思ったりしないでもないです。少なくとも水晶玉やタロットカード、血液型で占うよりもはるかに。

なぜなら夢は無意識とはいえ自分の脳が起こしているものですから、テキトーな内容だと切り捨てるわけにもいきません。自分でも気づかない何かを示しているのではないか…そう考えてしまいます。

でもあまり考えすぎは良くないです。それでリアルに支障をきたしたら元も子もないですし。実際、夢診断をめぐって火花を散らし、ガチ喧嘩をしたフロイトとユングという学者もいたわけで…(詳細は『危険なメソッド』という映画でも見てね)。

そんな謎多き「夢」は映画でも印象的に使われることがしばしば。心理状態を示したり、未来を暗示させたり、夢オチという物語の着地に使われたり、いろいろです。その中でも本作『心と体と』の夢の使い方は斬新でした。

本作は、鹿の夢を見る男女の話。シカ…日本では奈良公園で我が物顔で闊歩していて、全国で数を増やして農作物に被害を出していたりもする、あの鹿です。正直、夢に鹿が出てきて喜ぶ人はほぼいないと思いますが、本作の場合は、自分が鹿になっている夢なのです。しかも、男性と女性、異なる人間がそれぞれ雄鹿と雌鹿になって同じ夢の中で出会うという、不思議すぎる現象。そこから巻き起こるラブストーリーがこの映画の主軸です。

今の説明を聞いて頭の中を「?」が渦巻いたと思いますが、すっご~く乱暴な言い方で本作をざっくり表現するとこうです。愛に疎い男女がものすごく遠回りな方法で迂回しながらも出会い、やがて愛を結んでいく…そんな映画。

ロマンチックといえばロマンチック。でもそのアプローチがエキセントリックすぎますね。新海誠監督でもこの設定は思いつかないだろうな…。私はあまり前情報を頭に入れずに本作を鑑賞したので(鹿の夢を見ることだけ知ってました)、ラブストーリーだったことに衝撃を受けました。

本作は、2017年のベルリン国際映画祭で最高賞となる金熊賞を受賞するほど、高い評価を得ています。金熊賞は2015年は『人生タクシー』、2016年は『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』と、ここ最近は露骨に社会派な映画が受賞する傾向が強いのかなと思っていましたが、ここにきて思わぬトリッキーな変化球が飛び込んできましたね。まあ、でもこの年の審査委員長はあのポール・ヴァーホーベン(『エル ELLE』)だったのです。そう聞くと「あ、ヴァーホーベンが好きなタイプの映画なのか~」とちょっとわかる映画通には察しがついてくると思います。そのとおり、ヴァーホーベン好み“どストライクな”映画でした。

ハンガリー映画である本作の監督は、1989年に監督デビュー作『私の20世紀』がカンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを受賞し、いきなり才能が認められた“イルディコー・エニェディ”。『心と体と』は18年ぶりに発表した長編映画とのことで、それでもこの独創性ですから凄いです。

とにかく初見時はその奇抜な設定にあっけにとられますが、噛みしめるほど味わいが深い作品だと思うのでじっくり眺めてください。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(変わった映画好きなら)
友人 ◯(趣味が合う人と)
恋人 ◯(恋愛映画だがクセ強め)
キッズ ✖(性・残酷描写あり)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『心と体と』感想(ネタバレあり)

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鹿の夢である意味

『心と体と』の最重要キーワードである「鹿の夢」。なぜ鹿なのでしょうか。

まず鹿は野生動物であり、人間の家畜になることはありません(トナカイは例外だけど)。本作の主人公である男女が働いている食肉処理場で“と殺”される牛たちとは、真逆の存在といえます。その対比になっているというのがひとつ。

また、鹿は性の象徴としても語られることがあります。本来の生態では、雄の鹿は複数の雌鹿を従えるハーレムを作るのが基本。それこそ作中で登場するシャーンドルという女たらしに見える男がまさにハーレムを作る雄鹿みたいです。しかし、夢に出てくる鹿は必ずペアで、あまり鹿の通常の生態にはそぐいません。これは主人公である男女、エンドレとマーリアがピュアな愛を求めていることを示すかのようです。

そう、このエンドレとマーリアの人物像こそ鹿の夢の意味を知る鍵な気がしてきます。

エンドレはそれなりの歳をいっている男性の財務部長で、周囲から一定の信頼はされているものの、決して愛想は良くなく、どこか近寄りがたい佇まいがあります。事実、映画序盤で「たまには階下に顔を出してください」と言われていることから、あの自分の職場の部屋からは外に出ないことが多いことが窺い知れます。このエンドレは片腕が機能していないという“障がい”を抱えています。

一方、若い女性のマーリアは産休でいなくなった職員の代理でやってきた代理の品質検査官。愛称で呼ばれることも許さないほど徹底的に人間関係を避けており、非常に几帳面で、やりすぎなくらい的確に検査するため、職場では完全に浮いて、いじめのような状況も起きています。このマーリアはその対人関係や、杓子定規なこだわり、驚異的な記憶力から、どうやら自閉症であることがわかります。

このエンドレとマーリアは年齢はかなり違えど、共通点がとても多いです。ともに健常者ではなく、欠落を抱えて生きているということ。そして、二人とも愛に疎く、縁のない環境で過ごしている孤独な存在だということ

つまり、二人は夢で鹿になっているのは、そうした束縛的な現実から解放されて、野生の世界で自分の意志でもって五体満足な四肢で大地を駆け回り、愛する存在と隣り合う…それを夢想しているから…そう捉えることができます。

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食肉処理場の影、そして光

「鹿の夢」の他にも本作の物語を語るうえで欠かせないのが「食肉処理場」という舞台。

序盤から思わずギョッとしてしまうくらい、“と殺”の生々しい姿をストレートに映像に映し出すので驚きます。固定された牛が殺され、吊るされ、首や手足を切断される光景は、決して気持ちの良いものではありません。

加えて本作では食肉処理場で働く人たちの姿も、最初はかなり観客には不快に映るように見せます。暴れる牛に違法の可能性があっても鎮静剤を撃ったり、マーリアの検査に文句を言ったり、あげくに職場いじめのようなことをしたり…。

先ほどの残酷なショッキングシーンと合わさって、観客にはここは「嫌な場所」として印象に刻まれるのは仕方がないことです。動物という命をこんなにモノのように事務的に扱っているのだから、そこで働く人間だって、きっと“この程度”なんだろう…そういう思いを抱いた人も多いのではないでしょうか。

しかし、本作は決して食肉処理場のネガティブキャンペーンをしたいわけではありません。

むしろ逆ですらあります。本作は実際の食肉処理場で撮影しているそうですが、“イルディコー・エニェディ”監督はインタビューで、生の現場を観察したとき、意外にもそこで働く人たちが動物に愛情を持って接していることに驚いたと語っています。

おそらくその発見が本作のエピソードにも強く影響しているのでしょう。

エンドレはシャーンドルの採用面接をする場面で「家畜動物を哀れむ気持ちがないと務まらない」と言います。シャーンドルは「哀れむ方が不向きでは?」と疑問を口にしますし、観客もあの無感情そうに見えるエンドレが“哀れむ気持ちの大事さ”を説いていることに意外な驚きがあったはずです。

でも後半になるにつれ、この食肉処理場とそこで働く人たちの“プラス”の側面…それを「思いやり」と表現していいのかはわかりませんが、そういう内に隠れて見えなかった部分が表に出てくると、「ああ、嫌な場所だと思っていたけど、そんな単純ではないのかも」と思えてくる。素直に自分の罪を告白する人、それを許す人、愛に心を躍らせる者を応援する人、誰かに居場所を与える人…。それらを頭ごなしに否定はできませんよね。

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今夜も夢で会いましょう

まとめると「鹿の夢」も「食肉処理場」も二面性を示す要素です。それこそ本作のタイトルになっている「心と体」のように。

「食肉処理場」が体で、「鹿の夢」が心と捉えることもできますし、「鹿の夢」と「食肉処理場」、それぞれに心と体があるとも考えられます。表向きはただの森にいる鹿、でも内なる心では愛を求めている。表向きは冷酷で残忍な動物を殺す施設、でも内なる心では他者への愛が詰まっている。

そしてなによりもエンドレとマーリア、この二人の心と体。

二人の掛け合いは非常にぎこちなく愛おしいです。夢の内容を紙に書いて交換して、微笑む二人が「それでは今夜も夢で会いましょう」。こんなメルヘンな恋ができている時点で幸せですよ。その後の「携帯を買います」とか、「眠れません」とか、もうピュアすぎるやりとりの数々。

一方で愛に疎いせいで人間不信をこじらせているところも良く…。あのやたらセクシーな女医のカウンセリングでの「精通はいつでしたか?」「勃起不全のお悩みは?」「童貞喪失はいつ?」の質問。所定事項として必要なのかもしれませんが、そこに劣等感を抱える男にしてみれば、喧嘩をふっかけてきているようにしか思えないのは、まあ、ね…。「胸を見ちゃってすいません、でも見ちゃうんです」と男の本音を代弁したエンドレによくぞ頑張った賞をあげたい(なにそれ)。

マーリアも、恋をしたときに聴く曲探しで、山のようにCDを視聴して、最初に聴くのはヘビメタというマヌケさもキュートです。ちなみにここで店員の女性に紹介される「私の恋ソング」が、イギリスのシンガーソングライターであるローラ・マーリング(Laura Marling)の「What He Wrote」という曲で、歌詞に「女神ヘラ」が出てきます。実はこのギリシア神話の女神、聖獣が「牝牛」なんですよね。そう考えるとマーリアもあの職場では女神なのかもしれません。

マーリアを演じるのは“アレクサンドラ・ボルベーイ”という女優で、演劇舞台出身。対するエンドレを演じた“ゲーザ・モルチャーニ”という俳優未経験の編集発行人の仕事をしていた人だそうです。この二人のキャスティングも見事にハマっていました。

エンドレに別れを告げられて絶望し、湯船で手首を切り、自殺を試みるマーリア。死を待つだけになったとき、エンドレから電話がかかってきて互いの愛を確かめ合うシーン。マーリアの抑えきれない嬉しさが伝わりますし、同時に手首から血だまりができるほど出血している姿が、序盤の血抜きしている“と殺”された牛の姿と重なるのも実に上手い演出。この直後、応急処置した際の血をわざわざ綺麗に拭き取って、一方で入院しろと言われたのにそそくさと帰るマーリアの“体と心”の相反する衝動もまた愛おしく。

こんなにも主人公カップルがセックスできたことに心から「良かったね」と拍手できる映画もなかなか出会えませんね。

私も鹿の夢を見れるように祈ってベッドに入ろうっと(車に轢かれる鹿とかじゃありませんように…)。

『心と体と』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 81%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2017 INFORG – M&M FILM

以上、『心と体と』の感想でした。

On Body and Soul (2017) [Japanese Review] 『心と体と』考察・評価レビュー