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『マウトハウゼンの写真家』感想(ネタバレ)…Netflix;ナチスを撮った男

マウトハウゼンの写真家

ナチスを撮った男…Netflix映画『マウトハウゼンの写真家』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:The Photographer of Mauthausen
製作国:スペイン(2018年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:マル・タルガローナ

マウトハウゼンの写真家

まうとはうぜんのしゃしんか
マウトハウゼンの写真家

『マウトハウゼンの写真家』あらすじ

フランセスク・ボシュはオーストリアのマウトハウゼン強制収容所で囚人となりながらも、施設内で写真を撮って管理する仕事に関わっていた。その写真には強制収容所の表と裏の姿が映っており、やがてナチスの蛮行を告発するために危険を冒してこの写真のネガを盗んで隠そうとする。

『マウトハウゼンの写真家』感想(ネタバレなし)

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写真が歴史の証拠となった

「写真を撮る」という行為は現在はすっかり身近な何気ないものになりました。それに寄与したのは間違いなくケータイ・スマホの普及です。スマホ世代の若者にしてみれば、「写真を撮る」ということに対して、珍しくて専門的なスキルを要求される時代があったことが実感しづらいくらいでしょうね。

今はとくに考えなしに好きなように写真をパシャパシャ撮っていますが、「写真を撮る」というのは本来、「記録を残す」という大きな意味があり、それは歴史の出来事の証明になったりします。そしてそれは歴史の闇に埋もれて消えそうになっていた人を救うこともあります

本作『マウトハウゼンの写真家』はまさに写真を撮ることで歴史を後世に伝えた“ある人物”を描いた映画です。

物語は、第二次世界大戦、オーストリアにあった「マウトハウゼン強制収容所」というナチスの施設が舞台。強制収容所と聞くと真っ先に「ホロコースト」、ユダヤ人の虐殺が頭に思い浮かびますが、本作はそれを描く作品ではありません。実はナチスが収容所送りにしていたのはユダヤ人だけではなかったのでした。

1941年、アドルフ・ヒトラーは「夜と霧(Nacht und Nebel)」というなんとも意味深なネーミングの総統命令を出します。これはナチスの占領する全地域にいる政治犯、簡単に言ってしまえば「ナチスにとって気に入らない奴」をこの世から抹消するというものです。ひとたびターゲットにされれば、その人物はまさしく“霧”のように消え、誰もその所在がわからず、また存在していたことさえ口にできない、恐怖の所業でした。

その「夜と霧」で消された人間が収監されていた場所のひとつが「マウトハウゼン強制収容所」。いろいろな人種の人が押し込められていた中に、「フランセスク・ボシュ」という男がいました。彼はスペイン人でしたがスペイン内戦によってフランスに亡命。その後、フランス軍に参加していましたが、ナチスに捕まり、この収容所へ収監されたという経緯があります。

ところが彼が密かに隠し持っていた強制収容所の実態を映した写真が、後のニュルンベルク裁判(第二次世界大戦においてドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)の重要な証拠になるのでした。

本作はそのマウトハウゼン強制収容所でのフランセスク・ボシュを描いたスペイン映画です。これでなぜナチスを題材にしている映画なのにスペインなのか、わかったと思います。ではこの収容所でどんなことが行われていたのか、それは映画を観ればハッキリわかります。もちろん気持ちの良い話ではないです。フィクションとしての脚色もあるのですが、ただ実際に撮影された写真を元に忠実に映像化している部分も多く見られる映画であり(その写真も最後にエンドクレジットで示されます)、これは本当に起こったことなんだという揺るがない事実を突きつけられるパワーに満ちた作品です。本作を鑑賞した後はマウトハウゼン強制収容所の公式サイトを確認してみるのも良いと思います。

そして、写真など記録を正確にとることがどれだけ重要か、その意義深さを痛感できる物語です。また権力者たちは常に記録を自分の都合のいいように変えようとすることも身に染みてわかるでしょう。これは現代でも起こっていることですが…。

本作を観て、あらためて「写真」というものの価値を再確認してみませんか。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(歴史を学べる)
友人 ◯(歴史を学べる)
恋人 △(楽しい映画ではない)
キッズ △(社会勉強のためなら)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『マウトハウゼンの写真家』感想(ネタバレあり)

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演出された嘘をおさめた写真たち

マウトハウゼンに収容されたスペイン人は7000人以上。フランス軍と戦った兵士や内戦で敗れた者たちだ。フランコ政権のスニェル外相は、ドイツ軍に捕らわれたスペイン人たちの国籍を剥奪。母国に見放された彼らはナチスの格好の餌食となった。

そんなオープニングテロップから始まる本作。

トボトボ歩く集団の目の前に現れたのは、これから自分たちの牢獄となる世界…マウトハウゼン収容所。この収容所が最初に映るシーンは、まるで写真から浮かび上がってきたような異質さを感じさせる演出になっているのが印象的。

着いて早々衣服も持ち物も全部奪われ、パスポートまで没収されて、体ひとつになる”囚人たち”。そんな新しくきた囚人をこん棒で叩いて従わせているのは、初期の頃にこの収容所に囚人としてやってきた男…通称「カポ」と呼ばれる囚人頭。ナチスの収容所の多くでは、こういう囚人の中の一部に他の囚人を監視させる仕事と権限を与えて全体をコントロールしていたようです。人手不足の解消も兼ねた、まあ、現代でいうところの“バイト・リーダー”みたいなものですね。

全員を全裸の状態で雪積もる野外に立たせると、その写真をカメラで撮るのは「パウル・リッケン」という記録管理担当の男。そしてそこにやってきたのは、「フランツ・ツィライス」…この収容所の所長です。

この記録管理部門で働いていたのがフランセスク・ボシュ。この登場が意外で、最初は「俺たちは捕虜だから脱走さえしなければ大丈夫だよ」と、新しく入ってきたアンセルモ・ガルバンと名乗る子どもに語りかけるくらいです。君の父はグーセンという少し離れた収容所に連れていかれて、そこは良いところだ。そう気軽に発言します。しかし、それは子どもを不安にさせないための言葉なのでした。

それで作中では序盤、この記録管理部門の仕事の様子が映し出されます。やっていたのは演出だらけのプロパガンダ写真の撮影。囚人がリラックスしてくつろいでいる“ように見える”施設内の写真。逃げ出した囚人をやむなく撃ち殺した“ように見える”写真。

写真はアートだと言うパウル・リッケンに対して、真実を撮りたいと言うボシュ。同じ写真に想いを馳せる二人でも、決定的な違いがあり、そのことがそれぞれの結末に響いてきます。

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嘘で隠れた真実をとらえた写真たち

『マウトハウゼンの写真家』ではマウトハウゼン収容所で起きた非道の数々が次々と映し出されます。もちろんそれらはほぼ実際に起こったことです。マウトハウゼン収容所の当時の写真はたくさん残っており、今もインターネットで調べればいくらでも見られます。前述したように本作はこれら実在の写真に限りなく忠実な映像化。製作陣のこだわりを感じるポイントです。

インパクトがあるのは「死の階段」。オーストリア最大の花崗岩採石場が当時はあったこの収容所では、囚人たちに重い石を背負わせて石の急な階段を登らせるという労働が行われていました。労働といっても実質は最も残酷な処刑とされ、作中で語られるとおり、死者が後を絶たなかったそうです。どんな殺しも極悪だと思いますが、こういう労働の体裁で何食わぬ顔で人を死に追いやっていくのは本当に虫唾が走るものですね。今の日本とも重なるというのもありますが…。

また、カポによるサディスティックな暴力行為も続出し、本作ではかなり映画的な味付けのある”突き落とし”シーンがあったりしましたが、あれがそのまま起きたかどうかは別にして、カポが囚人たちを必要以上に暴行し、重傷や致命傷を負わせることは日常だったみたいです。

そんな状況ですから、囚人たちの待遇や健康状態は劣悪を極めています。作中の描かれ方だと、比較的囚人たちの見た目は普通に見えますが、実際の写真を見てもらえばわかるように、本当は骨と皮ばかりにやせ細っていました

そして映画の最後、収容所の解放に沸く場面でスッと明らかになる「人体実験」の痕跡。この見せ方もなんとも嫌な感じですけど、演出的にはゾッとするので上手いシーン。ちなみにここで人体実験を主導していたアリベルト・ハイムという医者はナチ逃亡戦犯になるも捕まらなかった人物です。

マウトハウゼン収容所にはユダヤ人に対する“絶滅”処置は当然ないのですが、それでも結局は殺されていることには変わりなかった囚人たち。あらためてナチスの犯した行為は、ユダヤ人という一部民族だけを狙ったものではなく、手あたり次第に拡大する“他者”への恐怖そのものだったことがわかります。

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写真のあるべき姿

そうした世界で、ボシュは最初は、コミュニストの囚人たちが密かに行っていた識別番号の入れ替えなどによる囚人交換に関与するのですが、バレてしまい、自分が本格的に関わる前に頓挫。

しかし、だったらと自ら思いついたのが収容所の残酷な実態をおさめた写真のネガを隠すこと。戦況が悪くなり、危機感を抱いた上層部の指令で、プロパガンダ写真以外はあらゆる情報資料を破棄して燃やすことが命じられるも、あの手この手でネガを分散して隠します。このあたりは完全に監獄脱出モノのジャンルみたいなノリでした。

そんな中で所長の息子の誕生日に、カメラマンの評判を買われて呼ばれたボシュ。そこで目にした快楽的な残虐行為。人を動くマトのようにしか思っていない狂人。その親に育てられる子ども。この現場を写真におさめられない苦悩が彼を追い詰めたのか、ついに上司に八つ当たりして独房に入れられてしまいます。ここから先ほどの割と軽めに見えた作品タッチはガラリと変化し、ボシュの精神錯乱を表現するかのような抽象映画風な雰囲気もでてくるのが独特。

ボシュに対して拷問が行われ、もはや終わりかと諦めるそのギリギリで鳴り響く空襲警報。収容所は解放されて、カポは囚人に袋叩きに遭い、全裸で落書されて金網にひっかけられたナチスのひとり(この写真も実際に撮影されて残っていて、エンドクレジットに映っていましたね)。

ここではパウル・リッケンの退場シーンが印象的で、「私の作品」の心配をし、闇に消えていく姿と、彼のカメラを奪って出ていくボシュの姿は、時代の終焉と記録を担う人物の交代を端的に表す場面でした。

そのボシュが本作の最後に撮る写真がああいう温かい人々の姿というのも良いもので…。

こういった記録写真が当時の人々の命を懸けた苦労で今に残っているからこそ、現代の私たちはこのような再現性の高いナチス映画を鑑賞もできるという、そのことだけでも感慨深いです。一方で、やっぱり凄惨な写真を撮るよりも、撮る側も撮られる側も気持ちの良い写真の方が断然いいよねという気持ちも去来する、なんとも複雑な思いが渦巻く映画でもありました。

SNS映えするスイーツの写真を撮るのも楽しいですが、たまに自分の身近にある、もしかしたら数十年後には忘れ去られそうなものをカメラにおさめてみるのも良いのではないでしょうか。「いいね」の数では測れない写真の価値がきっとあるはずですから。

『マウトハウゼンの写真家』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience 81%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Rodar y Rodar Cine y Televisión, Netflix

以上、『マウトハウゼンの写真家』の感想でした。

The Photographer of Mauthausen (2018) [Japanese Review] 『マウトハウゼンの写真家』考察・評価レビュー