シェイプ・オブ・ウォーター
映画『シェイプ・オブ・ウォーター』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Shape of Water 
製作国:アメリカ  
製作年:2017年 
日本公開日:2018年3月1日 
監督:ギレルモ・デル・トロ 

【個人的評価】
 星 10/10 ★★★★★★★★★★

あらすじ

1962年、冷戦下のアメリカ。政府の極秘研究所で清掃員として働く女性イライザは、研究所内に密かに運び込まれた不思議な生き物を目撃する。イライザは“彼”にすっかり心を奪われ、こっそりと交流していき、心を通わせていく。そんな矢先、イライザは“彼”が実験の犠牲になることを知る。

ネタバレなし感想

愛の監督、ギレルモ・デル・トロ

私はとくに自分が絶対的に崇拝するような“推し”の監督や俳優というのはいません。しかし、“ギレルモ・デル・トロ”監督の最新作が2017年の米アカデミー賞で最多13部門ノミネートを記録したというニュースを聞いたときは非常に胸がいっぱいになりました。

“ギレルモ・デル・トロ”監督は、賞にノミネートされるような他の常連映画人と比べて明らかに異質です。なぜなら彼は俗にジャンル映画とよばれるようなホラー・スリラー、とくにモンスターを題材にした作品をずっと撮り続けてきた人だからです。それは監督初期作『クロノス』(1993年)から現在にいたるまで一貫して変わりません。普通だったら、最初はモンスター映画から始まったとしても、途中で自分のキャリアが安定してきたら、もっと一般受けしやすいジャンルに移行したりするものじゃないですか。でも、“ギレルモ・デル・トロ”監督はずっと一途。これは映画を職業にするうえで凄くリスクがあります。世の中には「モンスター映画=低俗」とみなす“高尚な”批評家や観客もいるのですから。

それでも“ギレルモ・デル・トロ”監督は自分の作家性を決して捻じ曲げず、2006年に監督した『パンズ・ラビリンス』でついにモンスター映画信仰者ではないシネフィルたちからも称賛され、ヒットメイカーとして世界的に名を馳せます。

私個人としてもモンスターが好きで、怪獣映画をきっかけに映画が好きになった人間なので、“ギレルモ・デル・トロ”監督は勝手な言い方ですが他人事とは思えないのですよね。だから彼が評価されれば嬉しくなるのです。

ただ、“ギレルモ・デル・トロ”監督は「オタク監督」と称されて、確かに『パシフィック・リム』とかオタク全開ですが、別にミーハー的にサブカルが好きな人というわけではないと思うのです。彼が素晴らしいのは、例えばモンスターならモンスターに対して本当に“心底、愛している”ことです。もう“愛”ですよ。LOVEです。

そんな愛が究極に炸裂したのが、本作『シェイプ・オブ・ウォーター』でしょう。

お話はあらすじのとおり。他に言うこともありません。モンスター愛が溢れています。

なお、日本公開版は「R15」指定で、オリジナルの「R18」指定とは変わっていると公開前に聞いて、私は心の底からガッカリしたのですが、なんでも1か所のぼかし処理のみということ。それに、ぼかし処理の入るシーンは、メインとなるヒロインと半魚人に対してではなく、ストーリーに影響のあるものではないので、そこは幸いかな。

ちなみにここから先の「ネタバレあり感想」には、本作のほかに『大アマゾンの半魚人』『美女と野獣』『リトル・マーメイド』のネタバレも含まれるので気になる人は注意してください。






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

既存のモンスターロマンスに欠けるもの

本作の「人間の女性と半魚人が恋をする」というのは別に珍しくもない、オリジナリティのある物語ではありません。かみ砕いて言えば「人間と異生物が恋をする」という話ですから、そういう一種の異類婚姻譚というのは、古くは神話や童話に遡るほど、枚挙にいとまがないものです。本作には盗作疑惑なんてものも一部で指摘されましたが、パクるパクらない以前に、本来、壮大な歴史の中での作品の積み重ねがあるのです。

それら数多くの同一ジャンルの作品と本作の決定的な違い、それは「モンスターへの愛の深さ」に他なりません。

明らかに本作がインスピレーションを受けたであろう作品に『大アマゾンの半魚人』があります。1954年に製作された、モンスター映画界では殿堂入りの名作ですが、この作品の物語の顛末はだいたい以下のような感じです。
アマゾンの奥地に棲みついていた半魚人が、調査に訪れた研究所の博士とその助手の女性を襲う。半魚人は女性に狙いを定めるが、人間による激しい抵抗にあい、最後は傷つけられて入江の深くへ消えていく。
ある話によれば、“ギレルモ・デル・トロ”監督はこの『大アマゾンの半魚人』のオチに納得がいっていなかったといいます。確かに半魚人視点で見れば、終始“化け物”扱いであり、女性に近づいた結果、何の理解もされず、酷い目に遭うだけですから、バットエンドです。『キングコング』の時代からそうですが、どうしても「モンスターは女性を襲う」というステレオタイプが存在するのですよね。レイプを暗に示しているのでしょうけど。

しかし、時代が進むにつれ、このイメージは崩れ始め、モンスターと女性のロマンスを描く作品が現れ始めます。その変化が如実にわかるのは『キングコング』のリメイクです。初代とリメイク版では関係性がガラッと180度変わってます。

ところが、“ギレルモ・デル・トロ”監督はこの変化にもまた納得がいっていませんでした。その引っかかる問題点が、女性の描写。結局は、“美女”ばかりなのです。また、さらに許せないのが「モンスターが最終的には人間になる」という展開です。最たる例は、多くの人々に支持されたディズニーのアニメ『美女と野獣』ですよね。最近、実写化もされましたが、やはりこれは外見の違いを超えた愛を描くものではないなと今でも思います。
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誰とでも恋におちてもいい

その一方、『シェイプ・オブ・ウォーター』はまさにそういう既存のモンスター・ロマンスに対する明確な意趣返しといっていいでしょう。

まずヒロインのイライザは、失礼な言い方をしてしまいますが、美人では…ありません。掃除という雑用係をしている相応な見た目です。しかも、声を話せない。ただ、重要なのは、別に「可哀想な“障がい者”」ではないということ。本人はわりと健気に生活しています。また、パートナーとなる半魚人ですが、こちらは非常に野生的でありながら、知的で、愛嬌もあります。劇中でもイライザは激昂しながら“言って”いましたが“同じ”なんですね。

その対等な二人が最終的にどうなるか。このエンディングは人によってはあっさりしすぎと思う人もいるかもですが、私としては大感動もの。完全にディズニーアニメ『リトル・マーメイド』のオチと真逆ですね。私は子どものときから『リトル・マーメイド』のラストには納得いっていなかったのですよ。絶対に人魚のままがいいと。人間になって何が楽しいのかと。だから『シェイプ・オブ・ウォーター』のラストは本当に心の底から“おめでとう”です。エンディングとオープニングがついになるのは“ギレルモ・デル・トロ”監督の『パンズ・ラビリンス』と同じです。

本作の物語は寓話として、もっといえばメタファーとして、これはジェンダーやLGBTなどマイノリティを描いた作品であると評価する声もあります。もちろん、その評価でも良いのですが、個人的にはそうは思わなくて。本作の半魚人はメタファーとしてのモンスターではなくて、モンスターそのものだと私は受け取っています。作中で、悪役ストリックランドは最初は怪物扱いしていますが、最後は神扱いに変わり始めます。でも、違うのです。“彼”はモンスター(怪物)でも神(メタファー)でもない。ひとりの愛する生き物としてこの映画では描かれています。

ポリコレを意識した“あざとい”狙いもなく、「誰とでも恋におちてもいいじゃないか」と確信している“ギレルモ・デル・トロ”監督だからこそ創りだせる映画でした。

シェイプ・オブ・ウォーター

全編、魚らしいセックスを描く

本作はイライザのテンポ良い日常風景から始まります。しかも、そのルーチンワークには自慰まで描かれて赤裸々に性生活が示されます。この自慰の描写はとても重要で、とくにバスタブの“水中”でそれをしていることがポイントです。

本作では、イライザと半魚人の“愛の交わり”という一番大事な部分が描かれていないじゃないか!という批判もあるかもですが、私はそれに真っ向から反論したくて。というのも、本作は最初から最後まで「セックス」を描いた映画だと思うのです。

そこで、水中でのイライザの自慰です。というのも、魚類や両生類は哺乳類のように交尾はしません。メスが水中に卵を産み、オスがそれに精子をかける「体外受精」をします。つまり、イライザが水中で自慰をする意味はそれです。しかも、この後、イライザは半魚人に出会い、“卵”を与えるわけです。これなんてもろに“それ”ですよね。あれは表向きは食事のシーンですが、実際は「ヤりましょう」という熱烈なアピールですよ。

このようにイライザは終始、哺乳類ではなく魚類のように描かれます。声が発せないのもそういう意味合いですね。終盤に近付くにつれ、イライザの服装が赤くなっていくのは、繁殖期で体が派手な色になる魚みたいです。結局、本作は“愛の交わり”を描かないどころか、最初から最後までずっとセックスし続ける超大胆な物語なのです。そして、セックスの終わりである最後は、イライザは愛を知り、同化する。

これ以上の理想的な性行為はあるでしょうか。

尿で縄張りをアピールする獣

そんな魚系女子的なイライザと対極にあるのが、“マイケル・シャノン”演じるストリックランド。

この男はエリート主義でクズ中のクズなわけですが、それを示す最初のシーンがトイレというのも愉快。手を洗う順番の謎理論、そして尿を散らすことも気にしない傲慢さ。本作を観終わった後、私もトイレに行きましたが、いつも以上に“狙い”を定めて、あとは念入りに手を洗ったのは言うまでもありません。

コミカルな場面ですけど、よく考えると、哺乳類は尿をまき散らすことで縄張りをアピールするのですよね。つまり、ストリックランドは哺乳類的な部分を強調して描かれているのです。また、礼儀という名の行動手順をやたら気にするあたりは極めて動物的です。

さらに、ホフステトラー博士ことディミトリがスパイだと知って銃撃した際、口に穴の開いたディミトリを指でひっかけてズルズルと運ぶシーンがありますが、あれはよく魚市場とかである大型の魚の口をフックでかけて運搬する行為を連想します。要するにストリックランドは周囲の人間を魚扱いしています。

ストリックランドの指が腐敗していくのも、指は魚になくて哺乳類にある象徴的なモノですから、それが失われるのは自身の存在にとっての誇りの消滅を暗示させますよね。

そもそも、日本版ではぼかし処理が入るストリックランドと妻のセックス。このように哺乳類の交尾は男が支配的なわけです。対して魚は体外受精という性質上、少なくとも見た目は男女が対等に見えます。意外と対等な男女の恋愛を描く作品は少ないのですよね。それこそ最近だと『ラビング 愛という名前のふたり』くらいだったかな…。
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他にも本作には語りたいことは山ほどあるのに…これ以上は長くなってしまう…。

最後、本作の手話ギャグは最高でした。「F・U・C・K・Y・O・U」もいいですが、ゼルダの「ついてるの?」に対するイライザのあの手話。字幕なしでも伝わるコメディセンス、見事。

モンスター偏愛が著しい本作ですが、こんなの“まとも”じゃないという人は、不味いパイでも食っててください。

↑ギレルモ・デル・トロ監督の「ヘルボーイ」シリーズ、2作目ではこちらでも半魚人の恋が、人間臭く描かれるのでおすすめ。

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