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『デッド・ドント・ダイ』感想(ネタバレ)…100日後でも死ねないゾンビ

デッド・ドント・ダイ

100日後でも死ねないゾンビ…映画『デッド・ドント・ダイ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Dead Don’t Die
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年6月5日
監督:ジム・ジャームッシュ

デッド・ドント・ダイ

でっどどんとだい
デッド・ドント・ダイ

『デッド・ドント・ダイ』あらすじ

アメリカの田舎町センターヴィルにある警察署に勤務するロバートソン署長とピーターソン巡査、モリソン巡査は、他愛のない住人のトラブルの対応に日々追われていた。しかし、ダイナーで起こった異様な変死事件から事態は一変。なぜだか墓場から死者が次々とよみがえり、ゾンビが町にあふれかえってしまう。もはや収拾のつかない状況になってしまい、警官たちがとった行動は…。

『デッド・ドント・ダイ』感想(ネタバレなし)

ジム・ジャームッシュがゾンビに手を出すと…

世界中でパンデミックが広がり、日本にも確実にその魔の手が伸びていた時期、日本のSNS界隈では「100日後に死ぬワニ」の結末で大盛り上がりしていました。覚えていますか。なんでしょうか、あのカオス。すごく世紀末感があるというか、人間のマヌケっぽさが出ていて…。何としてでも後世に語り継いでいきたい光景だった…。まあ、未来の人は今の私たちに「なにやってんだか」と冷たい視線を投げかけるとは思いますが…。

私はというと「なぜこんなにもワニに注目が集まるのにワニ映画は人気が出ないんだ…」と歯がゆい思いでいました(お前も何やってんだ)。

いや、わかります。別にワニだから人気が出たというコンテンツじゃないことくらい。「100日後に死ぬ」というクリフハンガーがネタになるということも、SNSだからくだらないことにこそ盛り上がれるということも。でも、ワニ、私はリアルなワニが好きなんだ…。

そんなことはさておき、この「100日後に死ぬワニ」もコラボした映画が公開です。逆にこのコラボレーションのせいで何かを暗示しているのかと考察を呼んだりもしたとかしないとか。ただ、完全に公開延期のせいでコラボ損していますよね…。

それが本作『デッド・ドント・ダイ』です。

誰が見てもわかるとおりゾンビ映画なのですが、大事なのは監督。あの“ジム・ジャームッシュ”です。最近だと『パターソン』でおなじみのこの監督はゾンビ映画?と困惑する人もいるかもしれませんが、確かになんとなくアート系の作風のような印象を世間に植え付けていますが、実際は『デッドマン』(1995年)、『ゴースト・ドッグ』(1999年)、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(2013年)などジャンル系の作品も手がけており、案外と守備範囲は広め。

しかし、そのフィルモグラフィーの中でも今作の『デッド・ドント・ダイ』はひときわ意表を突く一作になったのではないでしょうか。本作はカンヌ国際映画祭でもプレミア上映されたのですけど、正直、どう考えても場違いだったような…。

まずゾンビ映画といっても昨今のトレンドなエンタメに特化したゾンビ映画では全くないわけです。『ゾンビランド ダブルタップ』みたいなコメディ全開でもなく、かといって『新感染 ファイナル・エクスプレス』みたいな社会派と娯楽作を器用に両立したものでもない。『デッド・ドント・ダイ』は紛れもなくジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画の古典『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を下地にした、シネフィル的なこだわりを詰め込んだ一作です。結局はやっぱり“ジム・ジャームッシュ”監督っぽいんですね。

なのでゲラゲラ笑えるわけでも、ホラーに身の毛がよだつ体験ができるわけでもないのですが、一番喜ぶのは“ジム・ジャームッシュ”監督と同じ映画愛を共有している人たちという、まあ、そんな映画。そのへんをじゅうぶんに理解をしたうえで観に行かないと、変に失望するだけになります。

でも俳優陣がやたらに豪華です。これは同窓会なのか?というほどに、“ジム・ジャームッシュ”監督作の常連が一堂に集まりました。

『コーヒー&シガレッツ』、『ブロークン・フラワーズ』、『リミッツ・オブ・コントロール』に続き4度目のタッグとなる“ビル・マーレイ”。こちらも4度目のタッグとなる“ティルダ・スウィントン”。『パターソン』に続いての登板となる“アダム・ドライバー”。短編合わせて3作品目の出演となる“クロエ・セヴィニー”。『ミステリー・トレイン』からの付き合いである“スティーヴ・ブシェミ”。『ダウン・バイ・ロー』からの親交が続く“トム・ウェイツ”。相変わらず仲が良い“イギー・ポップ”。妻でもある“サラ・ドライバー”

やっぱり“ジム・ジャームッシュ”監督の号令がかかればこれくらいはズラッと集まれるのでしょうか。

新顔もいて、“ダニー・グローヴァー”“セレーナ・ゴメス”“ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ”なども参加し、ものすごくワチャワチャした映画になっています。

こっちも同窓会に寄ってみる気分で映画鑑賞してみてください。お邪魔する感覚ですね。

こんなオリンピックが延期になるほどにパンデミックな事態が起きてしまった後にゾンビ映画を観るなんて滅多にない経験ですよ。不謹慎? いや、ゾンビ映画自体が不謹慎の塊だしね…。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(監督&俳優ファンは必見)
友人 ◯(ゾンビ愛のある同士で)
恋人 △(一般ウケはあまりしない)
キッズ △(ゾンビ好きならOK)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『デッド・ドント・ダイ』感想(ネタバレあり)

「I’m thinking zombies.」

パトカーを降りる二人の警官。ひとりはライフルを持っており、森に入っていきます。そこはのどかな林道で、木漏れ日の中、なんとも森林浴でもできそうな環境です。すぐにキャンプしていたような跡を見つけ、火を焚いていたのか、そこにいた形跡が生々しいです。すると突然、謎の髭もじゃ男が草むらから顔を出し、いきなり銃を一発撃ってきます。冷静な年配警官は反撃しようとするもう片方の仲間をなだめ、少し会話した後、立ち去ることにしました。例の髭男は「fuck you」と罵声を一言浴びせ、警官たちがの後ろ姿を双眼鏡で見ています。

変わり者の髭男に対処した警官のクリフ・ロバートソンロニー・ピーターソン。パトカーに戻り、署に帰ろうとします。車内ではロニーの時計が止まっていることに気づき、無線の調子が少しおかしいです。スマホもダメだと気づくロニー。でもたいしてそこまで問題だとも思っていません。ここは田舎町。滅多に大事は起きないのです。

車のラジオから曲が流れ、「The Dead Don’t Die」という曲だとロニーは説明。車はそんな他愛のない会話をする二人を乗せつつ、「センタービルへようこそ」という看板の前を通り過ぎ、ダイナーや葬儀場、モーテルを通過していくのでした。その風景からもこの町がとにかく小さい場所だというのがわかります。

ダイナーではたいして客はいませんが、いつもの常連たちがこれまたなんてことはないトークをしていました。ウェイトレスはどことなくいつもと違う雰囲気を感じ取ったような感じ取っていないような…。

また、少年更生施設では、ジェロニモがオリビアとステラという仲間とテレビを見ています。地球の自転に関する何かしらの情報が流れていましたが、スタッフに呼ばれて3人とも部屋を立ち去ります。テレビが映らなくなったことに誰も気づいておらず…。

配達員のディーンは、荷物を運ぶ仕事をしつつも、ガソリンスタンドの所有者であるボビーに雑誌を見せます。

例の森髭男はキノコを採取しています。

モーテルのオーナーであるダニーは、テレビでポージー・フアレスが伝えるペットに攻撃された女性の話を耳にしました。テレビにノイズがありますが気にするほどではないです。外に出て犬を呼び掛けますが犬は車の下に隠れていて急に走り出してしまいました。そして牛がいないことに気づきます。

そんな町の様子を知ってか知らずか、クリフとロニーは、警察署に戻り、警官仲間のミンディ・モリソンと合流。

一方、謎の柔道着で刀を構える女、ゼルダ・ウィンストンは和室の仏像(地味に大きくないですか)に深々と頭を垂れ、刀を向けます。何をしているのか? 知りません。隣の部屋には遺体があり、ここは葬儀場です。だから何をしているのか? 知りません。

その夜。この町にアイツらが現れます。墓の地面からニョキっと手を出してきたそいつら。二体這い出てきて、ウロウロと徘徊した後、近くのダイナーに登場。二人のウェイトレスはやられてします。もぐもぐタイム。「コーヒー…」とつぶやきコーヒーを大胆に飲むそいつら。

朝、電話で起きるクリフ。急いでダイナーに向かうと、そこには無残すぎる遺体が転がっており、言葉なし。遅れてロニーもやってきてやっぱり無残すぎる遺体を見つめ、困惑。ミンディは嘔吐。

そしてロニーはぽつりと考えを述べるのでした。「ゾンビだと思う」

そっかぁ、ゾンビか~…。

内側から崩れる社会は外から見るとシュール

『デッド・ドント・ダイ』は先にも言ったとおり、ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画の古典『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を下地にしている作品であり、いたるところでオマージュがあります

ただ、超有名作である『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、どれくらいの人が観たことがあるのでしょうかね。シネフィルならまだしも、若い人はもちろん一般の人々は「ゾンビ」という言葉とそれが示す姿や挙動は認知していても、ゾンビのパブリックイメージを固定化した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は未見という場合が大多数なのではないでしょうか。パブリックドメイン扱いになっているのか、Wikipedia(英語版)で普通に本編をフル鑑賞できるのですけどね。

まず舞台になっているあの町が『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の田舎町にそっくりで、墓地の雰囲気もそのまんま。スマホが普通に出てくるので『デッド・ドント・ダイ』は現代が舞台だと推測できますが、妙にあの町は時間が止まっています(だから時計が動いていないという序盤シーンの意味もあるのかもですが)。そしてゾーイたち若者組がやってくるのですが、彼女たちの乗っている車もまさに『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のやつ(組み合わせ的に縁起が悪いだろうに…)。

ついにゾンビ出現!となっても、今作のゾンビは奇想天外なことはしません。ヨロヨロと歩き回るのみ。オーソドックスな『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』スタイル。ちゃんと背後からのそっと襲いかかっていましたね(あらためて見ると警戒心を持てよ、人間…)。

外にいた者たちは無残に襲われ、中にいて初撃を防いだ者たちは籠城することに。籠城戦というゾンビに対する定番の対処の仕方を定着させたのも『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の功績。

こんなように“ジム・ジャームッシュ”監督は偉大な名作に敬意を払いつつ、ひたすらにリスペクトを重ねるだけでなく、その作品の何が良かったのかまで答えを出しています。

それは人間社会が内側から壊れていく恐怖。エイリアンの侵略でも核ミサイルでも怪獣でもない。自分たちの平凡な社会が、平凡な空気のまま、いつのまにか崩壊している。それこそがゾンビの恐怖。舞台となった町もほぼ無抵抗なままに壊滅しています。

皮肉にも今の私たちはそれを感染症という存在でこの瞬間に体験しているわけで、その怖さも痛感できますし、嘘ではないと理解できます。確かにパニックになる暇もなく、無力に社会が機能しなくなっていくというのは恐ろしいものです。

そしてそれは傍から見ればすごくシュールに見えるものなのかもしれません。全然関係ないものを買い占めたり、突拍子もないもので騒いでみたり…。私たちは当事者になるとわからなくなりますが、『デッド・ドント・ダイ』のあの住人達と今の私たちはそんなに違いはないのではないでしょうか。

そのスクリプトは誰のもの?

『デッド・ドント・ダイ』の主役はたくさん登場する町の住人達です。

まず町唯一の警官3人であるクリフ、ロニー、ミンディ。おそらくこの町で一番警察に向いていないこの3人。なんでお前たちが治安を任せられてしまったのか…。それくらい、この3人は頼りなさすぎます。あの3人が揃ったときの、狂気の事態を目の前にしてもなすすべなしで茫然としている姿のなんと滑稽なことか。まあ、実際これがリアルなのかもですけど。

その中でもやはりロニーを演じた“アダム・ドライバー”。『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』でも思いましたけど、本当にコメディが上手い。いや、上手いというか、ただ立っているだけでなんか笑えてくる

あの最初の犠牲者が発生したダイナーに駆け付ける際、ロニーが乗ってくるのが小さい赤いスマートカーなのがもうシュールすぎて…。そこだけ世界観にあまりにもマッチしていないのに、なんとなく“アダム・ドライバー”ならありかなという気分になる。私もあのスマートカー、ちょっと欲しくなったですよ。ゾンビにやられてしまったゾーイたちを斬首していくくだりの事務的な対応といい、“アダム・ドライバー”だから笑えるシーンが盛りだくさん。

あと、“アダム・ドライバー”はもう「スター・ウォーズ」ネタで笑いをとるのが十八番になってしまっていますね。ここまでくると自虐ネタにするために「スター・ウォーズ」出演を決めたんじゃないかと勘繰りたくなるくらいノリノリじゃないですか。

そんな無能警官トリオとは真逆に存在しているのが、葬儀屋(?)のゼルダ。“ティルダ・スウィントン”、毎度のことながら今回はどんな奇抜キャラで観客を翻弄するのか、すでにそのびっくり人間ショーを見るための存在だと思っていますが、今作も意味不明だった…。“ティルダ・スウィントン”はだいたいどの作品でも浮いているキャラなのですけど、決してダサくはない。むしろオーラを放っている。今回もあんなに刀が似合う人は日本人でもそうそういなかったくらいに、ハマってましたね。

物語自体は非常にシニカルなユーモアのまま、エンディングも放置プレイです。まあ、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のラストの方がよっぽど冷酷ですけど、さすがにあれは今の時代はとくに勇気がいりますしね。でも『デッド・ドント・ダイ』も相当に冷たく、これは“ジム・ジャームッシュ”監督の今の社会に対する冷めた目線が大きく反映されているのだろうなと思います。

今の社会はあっけなく内部から陥落しているんだという警鐘というよりは、毒舌に近いような。そんな社会にはついていけないなという視点はあの森の髭男に投影されており、“ジム・ジャームッシュ”監督は双眼鏡でこの現代社会を覗いている立場なのかもしれません。

一方で若い世代への期待も感じさせます。作中でもジェロニモたちは何かしらの未来を感じさせる扱われ方です。この社会を良い方向に修正するのは若い世代に任せたという、これまた“ジム・ジャームッシュ”監督の希望なのかな。

ただ厳しい言い方をすればそういう中高年世代からの若い世代への期待というのは、若い世代側からしてみれば鬱陶しい以外の何者でもないケースも多いです。なにせ若い世代にしてみれば、自分たちが苦しくなる元凶を作ったのが中高年世代なわけですから。勝手にそっちが達観して、私たちに期待を託すんじゃないよ、まずは自分たちで何とかしてくれよ…そういう考えも普通にあるわけで、若い世代は別に中高年世代の理想の「良い子」ではないのです。

この『デッド・ドント・ダイ』が若い世代に全然ウケそうにないあたりも、また皮肉なものですが、すでに世の中はこういう「シニカルなおっさん目線」を求めていないのかなとも思います。

“ジム・ジャームッシュ”監督のクリエイティブ自体が生ける屍になって徘徊しだしたら、それこそ若い世代は問答無用で首を刎ねるでしょうね。

『デッド・ドント・ダイ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 55% Audience 38%
IMDb
5.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★

関連作品紹介

ゾンビ映画の感想記事です。

・『ゾンビランド ダブルタップ』

・『新感染 ファイナル・エクスプレス』

作品ポスター・画像 (C)2019 Image Eleven Productions,Inc. All Rights Reserved.  デッドドントダイ

以上、『デッド・ドント・ダイ』の感想でした。

The Dead Don’t Die (2019) [Japanese Review] 『デッド・ドント・ダイ』考察・評価レビュー