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『世界一危険なコメディアン』感想(ネタバレ)…バセム・ユセフは笑う、ジョークは剣よりも強し

世界一危険なコメディアン

バセム・ユセフは笑う、ジョークは剣よりも強し…ドキュメンタリー映画『世界一危険なコメディアン』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Tickling Giants
製作国:アメリカ(2016年)
日本では劇場未公開:2016年にNetflixで配信
監督:サラ・タクスラー
世界一危険なコメディアン

せかいいちきけんなこめでぃあん
世界一危険なコメディアン

『世界一危険なコメディアン』簡単紹介

外科医からコメディアンへと転身したバセム・ユセフ。それはただの気まぐれではない。遊びでもない。笑いという武器を手にしたのであった。表現の自由が全くない社会に失望した彼は、風刺と皮肉を己の切り札に、中東の腐敗した政治体制に「笑い」でメスを入れていく。もう何も遠慮はしない。メディアをとおして真の民主化を呼びかける彼の姿と、揺れ動く国民の反応を追いかけ、激動のエジプト社会に迫る。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『世界一危険なコメディアン』の感想です。

『世界一危険なコメディアン』感想(ネタバレなし)

風刺で国を変えることはできるのか

『ジョシュア:大国に抗った少年』に続いて、Netflix民主化運動ドキュメンタリー第2弾(勝手に命名)です。

『ジョシュア:大国に抗った少年』は最近起こった香港での民主化運動について“ジョシュア・ウォン”という若き先導者を中心に描いたドキュメンタリーでしたが、本作『世界一危険なコメディアン』はエジプトの民主化運動について“バセム・ユセフ”という男の活動を中心に描くドキュメンタリー。

同じ民主化運動ではありますが、変わっているのはその方法。広場を占拠したり、シュプレヒコールをあげたり、ハンガー・ストライキをしたり…そんなことはしない

“バセム・ユセフ”の武器、それは「ユーモア」。風刺による笑いでもって政権などの権力者を批判していくのでした。

政治家を風刺するなんて日本や欧米では当たり前のように行われているし、アメリカの場合は大統領選などでの風刺合戦が過剰すぎて逆に問題視されたりしますが、風刺がダメな国も世界にはあります。そのひとつであるエジプトでは、軍事政権下において権力者を批判することは許されるはずもなく、風刺も論外な状況。そこへ果敢に挑んだひとりの一般市民が“バセム・ユセフ”でした。

面白いのは彼は医者なんですね。医者からコメディアンに転職するという時点で変わってるのですが、その背景もあるせいか、彼は賢いのです。あくまで彼が行うコメディは理性的かつ戦略的。『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』みたいな、ひたすら空気を読まずバカなことをしでかしてハチャメチャするのとは少し毛色が違います。

エジプトにおける「アラブの春」の内情を市民目線で知ることができる作品であると同時に、このドキュメンタリー自体が風刺という体裁をとっており、二転三転するエジプト社会を客観視させてくれます。また、「風刺はどこまで許されるのか」という根源的な問いに発展していくのも見どころでしょう。

“バセム・ユセフ”の挑戦の顛末は、考えさせられます。まさにそれこそ「風刺」の醍醐味なんですけどね。

『世界一危険なコメディアン』予告動画

↓ここからネタバレが含まれます↓

『世界一危険なコメディアン』感想(ネタバレあり)

デモではなく風刺で挑む理由

“バセム・ユセフ”はなぜデモではなく風刺を用いるのか。

当初の彼の動機は「表現の自由」です。軍事政権であるムバラク大統領が辞任した後も、権力者を批判することもなく、つまらない番組ばかりのメディアに嫌気がさしたバセムが、得意のユーモアセンスで何かできないか考えます。そんな彼の憧れの人はアメリカのコメディアンの“ジョン・スチュワート”。既存のエジプトのメディアに代わって“ジョン・スチュワート”のような番組がしたい…バセムはYouTubeで動画配信を独自に始めます。だからあれですね、医者やりながらYoutuberもやるってことですね。

口コミで人気が拡大したバセムはいよいよテレビで番組を放送できることに。憎きメディアでまさに「表現の自由」を行使できるようになり、この時点でバセムの目的は達成されたのも同然。

ところが続く政権トップの座に着いたモルシ、そしてシーシの政治は、問題点だらけ。それに怒った民衆がデモに繰り出すと、事態は悪化。テロも多発し、死傷者累々となってしまうのです。

本作でも『ジョシュア:大国に抗った少年』と同様にデモの限界というか、負の側面が浮き彫りになっています。人間というのは集団になると行動が過剰になりがちであり、コントロールがとても難しいです。また、デモされる側もいくら平和的だとデモする側が主張しても、大勢で取り囲まれれば恐怖を感じます。日本だと(少なくとも今は)治安が良いのでデモをしてもそこまで過激な事態に発展はしにくいのですが、治安の悪い国だとリスクが大きい。Netflixドキュメンタリー『ウィンター・オン・ファイヤー: ウクライナ、自由への闘い』を観るとよりそのデモの一触即発性がわかります。

だからといってデモをするなとも言えない。そこでバセムはデモに代わる手段として「風刺」を押し出していくんですね。

独裁者の方はご退出ください

しかし、そんな風刺も危機に直面します。

ムバラク独裁政権と違って、現政権には支持者も一定数いる状況。バセムの風刺は、二極化している国内にて、さらに国民を二分してしまいます。「政治に苦しむ人々を癒す医者」「国民の代弁者」と呼ばれたバセムは一転して、「国の恥」「宗教を冒涜する奴」「処刑しろ」と冷たい扱いに。

自分がデモされる対象になってしまったバセムが「笑えるね」と呟くのも、なんとも皮肉。しかも、放送中止を脅され、裁判沙汰にも発展。

再び軍事政権下になり表現の自由がなくなる…こんなオチは予想つきません。

圧倒的に支持率で大統領に当選したシーシ政権を前に、今はもう放送できないと宣言した彼はエジプトを後にします。「独裁者の方はご退出ください」で始まった本作ですが、退出させられたのは独裁者ではなく、コメディアンの“バセム・ユセフ”でした。

結局、風刺で国を変えることはできないのか。でも、人は変えられている姿が劇中でも印象的に映っていました。なにより「風刺って物事を理解するのにこれ以上なく最適だよね」ということを、このドキュメンタリーは身をもって示しているわけですから。

伝わった人がいるということが大事です。いつか風刺が許される日がくることを祈ってます。

『世界一危険なコメディアン』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 91%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

以上、『世界一危険なコメディアン』の感想でした。

Tickling Giants (2016) [Japanese Review] 『世界一危険なコメディアン』考察・評価レビュー