ナチス政権下でも…映画『カルメン狂想曲』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ドイツ(1933年)
日本では劇場未公開
監督:ラインハルト・シュンツェル
恋愛描写
かるめんきょうそうきょく

『カルメン狂想曲』物語 簡単紹介
『カルメン狂想曲』感想(ネタバレなし)
1933年のドイツの異性装コメディ映画
異性の服装や振る舞いをしてその異性になりきる「異性装」…英語では「cross-dressing」と言いますが…この異性装は人類にとって長い歴史があり、多様な文化的側面がありました。
エンタメ業界にとっても異性装は印象的な存在感を放っていましたが、LGBTQコミュニティにとっては、これは相反する作用をもたらしました。
ひとつは、異性装によって「ジェンダー規範から外れるさまを笑いものにする」という方向性で、これは性的マイノリティを侮辱することに繋がりました。
しかし、異性装によって「ジェンダー規範を風刺して打ち砕く」という真逆の方向性もあり、性的マイノリティの肯定に繋がることもありました。
針がどちらに振れるかは結局のところその表象しだいです。
異性装を描いた映画も昔からありますが、この異性装の表象がそのどちら寄りなのかを分析することは、批評の定番でしょう。
さて、今回紹介する1933年のドイツ映画の異性装はどうでしょうか。
それが本作『カルメン狂想曲』。
英題は「Victor and Victoria」で、このドイツ映画は有名になり、後に何度か他の国でリメイクされています。例えば、1935年にはイギリス映画として『First a Girl』、1957年には西ドイツ映画として『Viktor und Viktoria』、1982年にはアメリカ映画として『ビクター/ビクトリア』…といった具合です。とくに『ビクター/ビクトリア』(1982年)は、アカデミー賞に多数ノミネートし、アカデミー作曲賞を受賞するなど、高い評価を得ました。
どういう内容の物語かというと、全然売れずに女装芸人をしている男性俳優が、自分の代わりに若い女性にその役をやってもらい、予想外に人気を集めていく…そんな話です。要するに、男性のほうは周囲も理解したうえで「女装」しているのですが、女性は周囲に秘密で「女装する男性」のふりをするわけですね。ステージでは「女(女装する男)」に、プライベートでは「男装」するハメになります。文章で説明するとややこしいけど、映像で観てもらえればシンプルです。難しい話ではありません。
オーソドックスな異性装コメディであり、大半はドタバタ劇が展開します。部分的にミュージカル(オペレッタ)風になっていて、遊び心満載です。
1982年のアメリカ版ばかりが認知されていて、この1933年のドイツ映画『カルメン狂想曲』を観たことがない人も多いと思いますが、クィア映画の歴史に触れるうえでも興味深い一作です。
『カルメン狂想曲』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 子どもにはややわかりにくいギャグもあります。 |
『カルメン狂想曲』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
とある建物の廊下、俳優としての成功を夢見る男女が揃って、オーディション前の最後の演技調整をしていました。みんな真剣です。
今まさに部屋で熱演を披露しているのは、ヴィクター・ヘムペルという男。本人は気合の入った演技をしてみせますが、審査者はすっかり飽きてしまっており、完全に空回りしていました。しかし、本人は演技をやめません。「まだもうちょっと待ってください」と粘り続けます。
一方、ブロンドの若い女性であるスザンヌは素晴らしい歌声を披露し、年配男性をうっとりさせるも、今一歩なところで終わってしまいます。こちらは粘り強く交渉することはできません。
無念に終わったヴィクターが帰ろうとしていると、バックの中身をばらまいてしまいます。自分が今まで演技してきたキャラクターの写真が散らばり、その1枚をスザンヌが拾います。
2人は知り合い、ヴィクターは自分がいかに凄い役者なのか大ボラを拭きます。自分はハムレットやウィリアム・テルだって完璧に演じてきた、と。純粋なスザンヌは彼のあまりに堂々とした振る舞いもあって信じ切ってしまいます。2人共、性別が違えど、自分の理想とする最高の名優になりたいことは同じです。
雨が降りしきる外を前に、2人は一旦別れます。
しかし、オートマット・レストランで2人は再会。ヴィクターは相変わらず饒舌です。そして例の演技写真を見せていると、ベルリンの小さなキャバレーで女装芸人として出演していることがバレます。ヴィクターはこっそり耳打ちして教えてくれました。
そこでヴィクターはスザンヌを替え玉としてその女装の役で出させることにしました。自信が持てないスザンヌに成功体験を与えることができるはず…。
スザンヌは男の格好をし、口調も男になりきって、ヴィクターに連れられてそのキャバレーに向かいます。まだ慣れていないスザンヌはうっかり女性用の更衣室に入りかけたりと、危なっかしいです。
男性用の更衣室で落ち着かず硬直しているスザンヌを、ヴィクターはなんとかサポートします。そこでは男たちが思い思いに演技を解いており、普段は知れないような男性たちのプライベートな姿がありました。
さすがに着替えづらい空気があったので、ヴィクターはショーのための誰かの鳥をわざと逃がして、部屋にいた男たちの注意をそらします。
そしてついにスザンヌは見事な女性の衣装でステージに立ち、堂々とパフォーマンスを披露。おどけながら軽やかに歌い、観客を沸かせます。みんな大熱狂でした。
丁度そこにいた大興行師のポンカーテンはさっそくこれに目を付けてあの“男”と契約しようと即決。
さすがにスザンヌは悩みますが、最高のチャンスだとヴィクターに背中を押され、「ヴィクトリア」としてサインすることに…。
こうしてロンドンでの初舞台を迎えますが…。

ここから『カルメン狂想曲』のネタバレありの感想本文です。
男らしさの馬鹿々々しさと男女の判定基準
『カルメン狂想曲』は、非常に直球な異性装コメディであり、視覚的なギャグやドタバタ喜劇が満載です。そのどれもが「この性別ならこうするものだ」という社会の決めつけ…ジェンダーの固定観念の馬鹿々々しさをおちょくるもので、とくに本作の場合は、男らしさというものをいじり倒していきます。
すべてはスザンヌが「女装する男性」になりきることから始まるのですが、ステージ外ではほぼ男装しているのと同質です。
こうしてスザンヌは「男たちの世界」を覗き見ることになりますが、その視点から見える世界はなんともシュールです。例えば、男装スザンヌが男子更衣室に入る序盤のシーン(もちろん女子更衣室には入れない。生物学的性別? なにそれ?)。
普段は男性たちは男らしさというものをまとい、社会では俺は「男だぞ」とアピールしていくような生きかたをしています。しかし、この男子更衣室では男たちはそのジェンダーの役割から下りており、わりと自由に素を曝け出している姿が垣間見えます。すごい筋肉質で体格のいい男かと思ったらガリガリだったり、女性のように熱心にメイクしていたり…。「男ってこんなものなんだな」というあっけない感じ。床屋ではいささか乱暴な男の美容に翻弄されますし…。
一方で、社交の場で「男」として溶け込むハメになったスザンヌ(ヴィクトリア)は、男同士特有のコミュニケーションや空間に困惑しまくりです。
個人的に一番笑えたのは、男たちがスキンシップとして互いを小突く仕草ですね。スザンヌもそれを平然とやられるのですが、スザンヌにはさっぱり理解できず、「なんでいちいち小突いてくるの?」となってるという…。
また、女性を見つめていると色目を使っているみたいに思われて、いつの間にやら喧嘩沙汰になったり…。他にも、タバコを吸ったり、ウィスキーを一気に飲み干したり、何かと男らしいとされる行為を同調圧力的にやらないといけなくなったり…。
いずれにせよ世間の男らしさなるものが実はただただアホらしいということを看破する気持ちよさがあります。
そんな中、ひとたびステージに立つと今度は女性らしさを全開にします。ここで重要なのは、スザンヌはそもそも女性なので「女が女の振る舞いをする」なんて普通じゃないかと思うのですけど、「男」という前提を観客と共有しているので、普段の女らしさの枠では絶対にできない自由さを享受できる点です。
もし「女」ということを明かしてあんなパフォーマンスをしたら、「女のくせに下品すぎる」と不評を買うことになりかねないけど、「男が女のふりをしています」という形なら許してくれる。ここではジェンダー規範を飛び越えることで、想像以上の解放感があることを身をもって表現してくれますね。
とは言え、スザンヌは女なので女だとバレないのかと思うのですが、パフォーマンス中にたまにちょっと男らしくして、最後にカツラをとるだけであっさり男だと信じてもらえます。
これも世の中の「他者について”男か、女か”をジャッジする基準」というのがとんでもなくいい加減で表面的なものであることを風刺していて、その批評性は現代でも余裕で通じるものがあるでしょう。
アンドロジナスなミスター・ヴィクトリア
『カルメン狂想曲』は、ハッキリとセクシュアル・マイノリティそのものを描く方向には進みません。1982年のアメリカ映画『ビクター/ビクトリア』のほうが、その点では踏み込んでいます。
しかし、あれだけジェンダー規範を弄んでいれば、意図せずともクィアネスをくすぐるシーンがいくつも生まれます。
例を挙げるなら、スザンヌがステージ上でパフォーマンスをする姿を観た男性観客たちが、「男のはずなのに、なんて可愛いんだ」と惚れ惚れするあの感じは、セクシュアリティの曖昧さを覗かせます。日本のジャンルで言うと、「男の娘」に惚れる男…みたいな構図に近いところもありますね。
また、プライベートでのアンドロジナスなミスター・ヴィクトリアについても、女性からは「プリティ・ボーイ」と呼ばれ、その振る舞いはすでにじゅうぶんにジェンダークィアです。多くのAFAB(出生時に女性と割り当てられた人)にとっての入り口となるペルソナを、あの姿では体現しています。
また、最終的にスザンヌはヴィクターによって「実は女だ」とバラされてしまうのですが、その展開もこれは一種のアウティングですよね。
後半のある一定のパートまでは、ジェンダー規範を皮肉ったクィアな視点で溢れた物語を映し出してくれますが、最後の着地はかなり異性愛&シス規範に収束します。
結局、スザンヌはこの「男」の人生に耐えられなくなり、「女」に戻ってロバートと結ばれます。平凡な男女カップリングです。
最後のヴィクターは女装芸人として喝采を浴びるという、いささか唐突なオチのつけかたになるのですけど、あれもドラァグ的なパフォーマンスだと言えばそうなるかもですけども、さすがに無理があるかな…。
でもこの『カルメン狂想曲』、これほどまでの中身の映画を、あのナチス政権下に制作したというだけでも凄いなと思います(1933年1月30日にアドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任し、本作がドイツで公開されたのは同年の12月でした)。
監督した“ラインホルト・シュンツェル”はユダヤ系だったのですが、特例で活動を許されたものの、やはり迫害に耐え切れず、国外退去。ロバートを演じた“アドルフ・ウォールブリュック”も(彼はゲイでした)、ドイツを離れます。
最も悲しい運命を辿ったのは、スザンヌを熱演した“レナーテ・ミュラー”で、彼女はヒトラーからかなり気に入られたそうですが、本人は距離をとります。そして、1937年に31歳の若さで突然死します。その死は謎めいたものとして話題になり、一説では自殺という話もあれば、酔って窓から落ちて死亡したという話もあります。“レナーテ・ミュラー”の死については、1960年に『Sweetheart of the Gods』という映画にもなりました。
楽しい映画なのに制作者や俳優の後の歴史に影があるのは、この時代だとどうしても避けられませんね。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
性的マイノリティを描くクィア映画の歴史を辿れる作品の感想一覧です。
以上、『カルメン狂想曲』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Universum Film AG ヴィクター・アンド・ヴィクトリア
Victor and Victoria (1933) [Japanese Review] 『カルメン狂想曲』考察・評価レビュー
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