その後は?…映画『アイ・スウェア/ぼくの本当の声』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2025年)
日本では劇場未公開:2026年に配信スルー
監督:カーク・ジョーンズ
動物虐待描写(ペット) 自死・自傷描写 児童虐待描写
あいすうぇあ ぼくのほんとうのこえ

『アイ・スウェア ぼくの本当の声』物語 簡単紹介
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』感想(ネタバレなし)
トゥレット症候群が映画で注目されたイギリスの2025年
「トゥレット症候群」という言葉を知っていますか?
これは運動障害もしくは神経発達障害の一種で、1886年にフランスの神経学者“ジョルジュ・ジル・ド・ラ・トゥレット”によって初めて疾患として認識されたことからその名がつけられました。
トゥレット症候群というのは、主に「チック」と呼ばれる自分の意思とは関係なく体が動い出てしまう不随意運動、または発声をともない、これらは本人には制御できません。チックの種類は本当にさまざまで、当事者によっても違います。中には突発的な罵詈雑言が飛び出す「汚言」の症状もあり、これがトゥレット症候群の象徴的な特徴のように世間では認知されていますが、必ずしもトゥレット症候群の当事者は汚言を行うわけではなく、トゥレット症候群の当事者の10%にしかみられないとされてもいます(Tourette Scotland)。
トゥレット症候群の原因は不明です。100人に1人がトゥレット症候群を持って生まれると推定されていますが、たいていの人はチックが軽度であるため、本人も気づかずに診断を受けていないと考えられています。トゥレット症候群は想像以上に多彩で、ゆえに「トゥレット・スペクトラム」という表現のほうがより適切に説明できると指摘する当事者団体の解説もあります。
そんなトゥレット症候群が映画で描かれる場合、ほとんどは「癖のあるキャラづけ」に用いられる程度であり、例えば、『マザーレス・ブルックリン』などはそうでした。
2008年のテレビ映画『Front of the Class』のように実在の当事者を基にした作品もあるにはありますが、目立ってはいません。
しかし、2025年にイギリスの賞レース界隈で大きな話題となったトゥレット症候群を主題とする映画が登場しました。
それが本作『アイ・スウェア ぼくの本当の声』。原題は「I Swear」です。
本作は、トゥレット症候群の当事者で、トゥレット症候群に関する知識や理解のために普及啓発などを行っている活動家の「ジョン・デヴィッドソン」の半生を基にした伝記映画となっています。
イギリス映画である『アイ・スウェア ぼくの本当の声』は非常に小規模作でしたが、2025年に公開されると批評家から高評価を集め、イギリスにおいてはとくに主演の“ロバート・アラマヨ”が俳優賞に続々と輝きました。“ロバート・アラマヨ”はドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』やドラマ『ロード・オブ・ザ・リング 力の指輪』などで活躍していた若手ですが、この『アイ・スウェア ぼくの本当の声』のトゥレット症候群になりきった演技で英国アカデミー賞のライジング・スター賞を獲得することに。
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』を監督したのは、『恋愛だけじゃダメかしら?』や『My Big Fat Greek Wedding 2』など、これまでもっぱらコメディを手がけてきた“カーク・ジョーンズ”。
日本では残念ながら劇場公開されずに配信スルーとなってしまいましたが、気になっていた人もいるはず。観たかった人は忘れずにチェックしておきましょう。
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 障害者差別的な言動や暴力、自殺未遂の描写があります。また、トゥレット症候群の症状として、人種差別・女性差別・同性愛差別に関する言葉、および犬を叩くなどのシーンがありますが、意思に基づくものではありません。 |
| キッズ | 保護者のサポートとともに鑑賞するのがオススメです。 |
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
2019年、スコットランドのエディンバラにあるホリールード宮殿。王族が集うこの建物内で、労働者階級出身のジョン・デヴィッドソンは正装で、厳かな場に混ざっていました。大英帝国勲章を授与されることになったのです。しかし、本人は自分がこんな空間に立っていること自体に焦り、落ち着きありません。
その理由は単に緊張しているからではありません。ジョンはトゥレット症候群であり、自分の意に反して暴言が口から飛び出してしまうことがあるのです。女王を前にそんな失態をするわけにはいかない…。
廊下で親身な女性に諭され、会場に戻るジョン。しかし、大勢が静かに席に座ろうとしているその後ろで、ジョンは大声をあげてしまいます。その場にいた一同はビクっと後ろを振り返りますが、ジョンは「すみません」と謝り、自分の席につこうとします。これはずっと自分が経験してきたことです。
1983年、スコットランドのガラシールズ。12歳のジョンはサッカー選手になることを夢見る少年でした。家族に囲まれ、普通の生活を送っています。サッカー場では、ジョンはゴールキーパーをしています。今日も見事にボールを止めてみせました。
中等教育へ進み、ジョンはますます張り切っていました。
ところが、ある授業で、ジョンは教科書を上手く読むことができません。妙な感覚とともに頭をビクビクと動かし、何度もつっかえてしまいます。
そのことでクラスメイトからは揶揄われます。それを家でも話題にできるわけもありません。夕食時にまたあのときの感覚が振りかかり、思わず自室にこもってしまいます。
さらに映画館での鑑賞中にも落ち着かなくなり、いきなり大声をあげてしまう始末。自分でもなぜこのタイミングで声を発したのか理解できません。
学校でのランチ中に、近くに座った校長に暴言まで吐いてしまいました。校長は彼を部屋に呼び寄せ、ベルトで手を鞭打ちます。
サッカーのスカウトがジョンのゴールキーパーとしてのスキルを評価する大事なとき、手が痛むジョンは全く実力をだせずに終わります。
その症状はとうとう家でも隠し切れなくなっていき、ジョンに唾を吐きかけられた父は激怒し、家を出ていきます。母ヘザーは困惑するばかりで、ジョンを夕食のテーブルから追い出すくらいしかできません。両親の関係も悪化し、ジョンは自責の念に沈み、心苦しいです。
学校では喧嘩騒ぎとなり、問題行動の連発ゆえに、校長は彼に転校するように威圧します。
絶望したジョンは症状が止まらないまま、川に身を沈めて自殺をしようとします。しかし、救助されて病院で目を覚ますジョンは、駆けつけた母に自分でも自分がわからないことを吐露するしかなく…。
13年後の1996年。25歳になったジョンは、トゥレット症候群と診断されていました…。

ここから『アイ・スウェア ぼくの本当の声』のネタバレありの感想本文です。
可哀想な障害者が救われる話
私は本作『アイ・スウェア ぼくの本当の声』に関して、観る前にその作品概要を聞いたときからそんなに期待はしていなくて、結局観た後も「う~ん…」とやっぱりな感情の平行線のままだったのですけど、一番に思ったのはあれですね。「これは『レインマン』の再来なのか」ということです。
自閉スペクトラム(ASD)を初めて真正面から描いた劇映画として当時は話題になった1988年の『レインマン』が、いかに障害者表象の悪例として消えぬ傷跡を残したかについては、以下の記事で簡単に整理しているので、そちらを参照してください。
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』は扱っている主題は全く違いますけど、『レインマン』とかなり重なるところが多いです。
何より主演の“ロバート・アラマヨ”がイギリス国内で大絶賛で賞を獲得できたのは、トゥレット症候群になりきった「名演」に対する評価なのは言うまでもないでしょう。それはつまり「障害者ではない俳優が障害者を難役として演じる」という演者界隈の定番がまた表出したことを意味もします。
また、私は当事者ではないですけど(少なくとも診断はされていない)、本作を観ていて「あぁ…これは当事者が補足する役割を背負わされる作品だな…」とも思いました。
主題となっているジョン・デヴィッドソンというたったひとりの当事者のサンプル、それもこの映画によって脚色というフィルターをとおして描写された「トゥレット症候群」のその姿は、もちろんトゥレット症候群の当事者すべてには当てはまりません。それは当たり前だろうと思うかもですが、もう少し嫌味な言い方をするなら「映像作品上で見栄えがする描写」に恣意的に選択されたものです。
とくに「汚言」と呼ばれる罵詈雑言もしくは攻撃的行動ですね。前述したとおり、汚言はトゥレット症候群の当事者の10%にしかみられないとされているのですが、主題のジョン・デヴィッドソンは汚言に苦しんでいたということで、本作でも事あるごとにその言動が強調されます。この汚言は演出的にも使いどころのあるインパクトをもたらしてくれますが、本作の製作陣は汚言を多面的に演出に使うのが確かに上手いです。あるときはショッキングに、あるときはユーモラスに、あるときはドラマチックに…。イギリス映画らしい上質なコミカルさですよね。
その巧みさがあるからこそ、本作の観客は自然と「トゥレット症候群=汚言」と刷り込まれ、汚言にしか関心がいかなくなるほどです。
一方で、ジョン・デヴィッドソンは強迫性障害でもあり(併存症はトゥレット症候群の当事者には珍しくない)、彼の言動を逐一、トゥレット症候群ゆえのものとみなすのは正しくもないはずで…。
やはり本作はトゥレット症候群の映画であると銘打ちすぎていて、トゥレット症候群を理解したような気分にさせるけれども、実際は誤解を助長していないか…という懸念は拭えないなとも思います。
でも当事者団体はこの映画を否定もしづらいでしょう。なぜなら多少なりとも問題があってもそこに目をつぶってでもこういう作品を通して関心を高めないと、団体の寄付を集めたり、参加者を増やしたり、そういう活動自体ができないからです。障害者団体というのは常に劣勢にあります。表象に贅沢なことは言えないと思ってしまうくらいに…。
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』は、間違いなく当事者ではない人々が鑑賞して心地よさを感じるタイプの「障害者映画」です。共感的で人道的…「可哀想」を前提にした「感動」を届けてくれます。
作中のジョンはことさら前半は、学校でイジメられ、親に見放され、自死を試み、警察に捕まり、路上で暴行され、大切な人の葬儀に普通に参加できず、とにかく可哀想な目に遭い続けます。オーソドックスな「可哀想な障害者が救われる話」とは言え、ここまで型どおりじゃないとダメなのかと思わざるを得ないところはありました。
社会は映画で矯正できない
逆に『アイ・スウェア ぼくの本当の声』で私が良いなと感じた数少ない部分は、まずひとつにジョンを支援してくれる人たちの存在の描写です。
トゥレット症候群の当事者を前にしたらこうするのが「正解」という一律の模範はないのですけども、作中でジョンの前に現れる支援者はそれぞれみんな違う対応をとります。
後に再会する学友のマレーはチックに対してもふざけたユーモアで受け流してくれて気を楽にしてくれます。そのマレーの母ドッティは、チックが発露するたびに謝るのが癖になっているジョンに「謝らなくていい」と言い聞かせ、ストレスのない家庭を提供しようとしてくれます。地元のコミュニティセンターの高齢の管理人であるトミー(トーマス)は、忍耐強く受け止める包容力の持ち主で、ジョンが外に踏み出す足がかりになってくれます。
実際のジョン・デヴィッドソンは10代の頃にBBC制作のドキュメンタリー『John’s Not Mad』(1989年)で取材対象になっており、わりとメディアにでるのが早かったので、作中で描かれる孤立感はやや脚色されたものでしょうけど。
それでもこういうスーパーヒーローではない市井の支援者の力は実生活でも大事ですよね。
また、終盤に映し出される当事者としての活動の描写も良かった点です。それまではずっと「既存の社会に適応すること」に苦慮してきたジョンですが、ここから立ち位置が変わり、 「社会を変えること」に存在意義を見いだすようになっていきます。個人的にはこの活動家としての描写をもっと中心に据えてほしかったですね。
ただ、今作、そのようやく良い流れになったなと思った終盤の最後に、大学の研究者たちと協力して治療装置を試験し、チック症状を抑え、図書館でずっと静かに過ごせるジョンの姿を映し出すシーンが挟まれます。この場面、「障害の矯正」という印象をどうしたって与えかねず、別にこんなシーンいらないのにとも思ったけど…。
ちなみに当事者団体「Tourette Association of America」の説明をそのまま引用しますが、「トゥレット症候群の根本的な治療法(cure)はありませんが、チック症状を軽減したり、併発する症状を管理したりするのに効果的な、薬物療法だけではない行動療法など、多くの方法(treatments)があります」。
この矯正を暗示するようなラストは、非当事者の観客を安心させたかもしれません。「なんだ、あの言動も治るんだ。じゃあ、うちらにも害はないな」と。エンディングあたりでテロップ等の補足があるにはあれど…。
けれどもそれは映画の後味として非当事者の観客に「(トゥレット症候群のことを)あなたは考えなくていいよ(全部医療が治すから)」という誤ったメッセージを送ってしまわないのか。その懸念が実例として浮上した出来事があろうことかこの映画絡みで起こってしまいました。
『アイ・スウェア ぼくの本当の声』がノミネートされた英国アカデミー賞授賞式にて、黒人俳優の“マイケル・B・ジョーダン”と“デルロイ・リンドー”がステージで賞を発表した際に、会場に招かれて見守っていたジョン・デヴィッドソン本人がNワードを叫び、それが放送でもしっかり聴こえたという事件です。当然、人種差別は論外なのでそれを許容しないことは大前提として、それでもこの出来事でトゥレット症候群に対する誤解がまたも蒸し返される事態になり、残念でしかたありません。
やっぱり映画で感動するだけでは、障害者を取り巻く実社会は何も変わらないということか…。少なくとも映画的なユーモアだけでなんとかなるわけではないのです、現実は…。
障害者の権利運動は依然として白人男性中心的です。『アイ・スウェア ぼくの本当の声』にはまだまだ問われるべき構造的な問題があります。社会をより良いものに変えるために、非当事者の人こそ他人事にならずに、感動に依存しないで、その先の行動に繋げていきたいですね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『アイ・スウェア ぼくの本当の声』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 I Swear Limited. All Rights Reserved. アイスウェア
I Swear (2025) [Japanese Review] 『アイ・スウェア ぼくの本当の声』考察・評価レビュー
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