私の好きな世界に出会うために…アニメシリーズ『さよならララ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2026年)
シーズン1:2026年に各サービスで放送・配信
監督:小出卓史
恋愛描写
さよなららら

『さよならララ』物語 簡単紹介
『さよならララ』感想(ネタバレなし)
2026年は人魚が豊漁
2026年の日本の映画興行収入は『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』がトップとなるのはほぼ確実ですが、「人魚」映画の1年になったわけですね。
そんな中、映画だけでなく、アニメシリーズでも「人魚」モノが2026年は存在感をみせていました。
日本は人魚がお好きなようで、アニメだけでも人魚が主題の作品が過去にはいっぱいあります。映画だと、スタジオジブリの『崖の上のポニョ』はもちろん、最近だと『夜明け告げるルーのうた』や『ChaO』など。アニメシリーズだと、昨年は『私を喰べたい、ひとでなし』がありました。
やっぱり人魚は題材として面白いですよね。アフリカなど古来からその存在は神秘的かつ禍々しいものとして語り継がれ、“ハンス・クリスチャン・アンデルセン”が1837年に童話『人魚姫』として「物語」の型を普及させ、みんなが認知するものになっているのもその人気の背景でしょう。
もちろん同じ物語を繰り返してもつまらないので、どの作品でも独自のアレンジが加わります。そこもまた魅力です。ファンタジーなのでアニメーションとの相性も抜群ですし。
今回紹介する2026年の日本のアニメシリーズも、独創的な人魚の物語を届けてくれました。
それが本作『さよならララ』。
本作は原作なしのオリジナルということになっていますが、まあ、あえて原作を言うなら当然のごとく、“ハンス・クリスチャン・アンデルセン”の『人魚姫』ということになるでしょう。
主人公は人魚のプリンセスで、人間の世界に憧れて、魔女の薬で人間の姿になり、地上で王子様と出会い、しかし、愛に巡り合えるかと思われたものの、ある悲劇が…。そんな感じで、本当にそのまんまな『人魚姫』の物語の導入で始まります。
しかし、どういうわけか、舞台は日本の琵琶湖がある滋賀県に移り、そこで奇想天外な未知の物語に続いていく…という流れ。まさに「日本のアニメのテイストで、おなじみの御伽噺を大胆にアレンジしました!」というテンションで描かれています。
『さよならララ』は、アニメーション・スタジオ「キネマシトラス」の制作で、「キネマシトラス」の15周年記念作品と銘打っており、気合が入っています。
『さよならララ』の監督は、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』で副監督を務めた“小出卓史”で、シリーズ構成は、実写映画『山田くんとLv999の恋をする』などを手がけてきた“川原杏奈”。キャラクターデザインは、アニメ『わたしの幸せな結婚』で作画監督を担った“谷紫織”です。
アニメ『さよならララ』は2026年7月からの放送で、全12話。既存の物語がどう脚色されて、解体された結果、新しい物語が生まれるのか、その行方に興味がある人はぜひどうぞ。
『さよならララ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 一部に人を傷つけるシーンがありますが、子どもでも観れます。 セクシュアライゼーション:なし |
『さよならララ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1777年。太陽の光も届かない海の底にある王国にて、海の王ローワンの娘である2人の幼い人魚は、大きな貝を前に、自分たちの妹の誕生を今か今かと待っていました。赤い髪の子ルナは「赤い人魚が生まれる」と言い、青い髪の子リサは「青い人魚がいい」と張り合います。
そんな微笑ましい光景を、他の姉たちが囲んで見守っていました。ローワンは「どんな色であっても美しい我が娘だ」と語ります。そのとき、貝が開き、6人目となる子どもが生まれました。その子は赤い髪で、何でも齧る子でした。名前はララと名づけられます。
3年後、リサは少し成長して泳げるようになり始めたララを城の外に連れ出します。
そんな中、いつも傍にいる乳母と思われた人物が正体を現します。それはかつて追放された魔女グレイスでした。ララを特別だと言い、不気味な笑いを残して消え去ります。
その頃、ララは人間の人形を発見し、興味をそそられます。それは触れるのも禁忌とされていました。王国では地上の人間は忌み嫌われていました。
ララは10歳になり、正式に王家の一員になります。そして王家の指輪を授けられ、今までより遠い海へ泳ぐことが許されます。しかし、人間にだけは接近してはいけないと父に掟を強く命じられます。それでもララは人間への好奇心を心の内で高めていました。
1792年、15歳になったララは海面で燃え盛る船を見つけ、海中に投げ出されたひとりの人物を目にします。その人は「王子」と呼ばれていました。ララがその人を浜辺まで運んであげます。
城に戻ると父は陸の砂をララの部屋で見つけたと言い、ララを叱ります。しかし、ララは「人間って本当に醜い生き物なの?」と疑問をぶつけます。その言葉は父をさらに怒らせ、ララは幽閉されます。
ところがその暗い牢屋の中でどこからともなく表れたグレイスはララに近寄り、「人魚を人間に変えてしまう薬」を渡してきます。本当に欲しいものが映る鏡を目の前にだすと、ララはその鏡に何かを見たとき、粉々に割れてしまいます。ララは苦悩の中、「決めるのはお前自身だ」と言われ、あの薬を手にします。
気がつくと浜辺で、ララには足がありました。あの王子と再会し、ララは人間の城に迎えられました。ただし、声を奪われており、喋ることはできません。「本当の愛」を見つけることが大事だとグレイスは言っていましたが、ララと王子の間にしだいに愛が芽生え始めます。
しかし、その愛が高まったと思われた瞬間、王子の前でララの下半身は魚に戻り、それを見た瞬間に王子は「おぞましい」と容赦なく剣を向けてきます。それでもララは人間を愛した気持ちを否定しません。私が醜かったんだと内心で考えながら、ララは泡になってしまいます。
また気がつくと貝から目覚めるララ。また人魚の姿です。朽ちた海の宮殿で目覚め、ララの掟破りのせいで王家の血が穢れて人魚の種族の海の居場所は滅んだこと、愛する娘を想うローワンの最後の願いのおかげでララだけが奇跡的に蘇ったことを鏡によって知ります。
鏡の中のグレイスは王たちは貝の中で眠っており、救えるのはララだけと伝えます。「お前の物語をもう一度見せてみろ」という試練に答えるべく、ララは魔女の薬で再び浮上。
けれども、眼下に広がる世界があのときとはまるで違う。ララは知るわけもありませんが、そこは2026年の日本の琵琶湖でした。
そしてたまたま近くを歩いていたボクシンググローブを抱えたひとりの女子高校生、大津茉里のもとに落下するララ。
勇気あるプリンセスに祝福を…。

ここから『さよならララ』のネタバレありの感想本文です。
プリンセス・ストーリーは泡に消え…
アニメ『さよならララ』の第1話は、“ハンス・クリスチャン・アンデルセン”の『人魚姫』を大まかになぞっていく順当な作りです。『リトル・マーメイド』みたいなミュージカルはないにせよ、オリジナルでデザインされたキャラクターによって人魚たちの子ども時代が愛らしく映し出され、アニメーションの丁寧さが心に残ります。
そして、泡になって消えて終わりではなく、そこからさらに物語は続き、200年後にジャンプして、舞台は日本の琵琶湖のある滋賀県へ。異世界のララが女子高校生の大津茉里と遭遇する、あの瞬間。
伝統的な海外の御伽噺が、日本のこれまたある種のお約束的な日本アニメの出だしと接続する…。一体ここから何が始まるんだろう!?とワクワクドキドキさせてくれます。この第1話は掴みとしては完璧でした。
そして、以降、とくに第2話から第5話あたりまでは、元人魚のララが人間の世界、それも日本の生活に溶け込もうと懸命になるというパートに突入し、こちらも王道の面白さがあります。ララが不当に罰せられたり、拒絶されたりすることなく、あの街の人たちにゆっくり馴染んでいく姿は安心感で満たされますね。
これはこの作品のテーマでもありますが、異なる他者をどう受容するか(もしくは異なる世界にどう根付くか)というのは、忍耐もともなう時間が必要であり、一瞬のマッチングで判断することではありません。ララというのは、事実上はあからさまに外国人(それも非正規移民)ですけど、「共存」というのは年月をかけて小さな人間関係からじっくり構築するものだということを、今作でも噛みしめることができます。
そんな『パディントン』的な新しい社会への適応をユーモラスに描きつつ、この『さよならララ』は同時に既存のプリンセス・ストーリーを解体してもいるのが特徴です。
「お姫様が王子様に出会って結ばれてめでたしめでたし」なんて物語はもう誰しもが飽きており、国内外で無数の作品がプリンセス・ストーリーを上書きする試みを行っています。
『さよならララ』もそれと同系統の挑戦をしているのですが、ララが滋賀の地上で出会う人間たちの多くは、典型的なジェンダーの規範から外れる者たちばかりです。
大津茉里は女子ながらボクシングひと筋で、ほぼ友達がいないようですが、その生きかたを恥じていません。ルカはララが昔に出会った王子にそっくりなものの、男らしさからは離れた佇まいで、「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」の男の子版みたいになっています(よく転ぶし…)。そのルカの“弟”とされる幼いレオはコテコテな少女の格好をしており、とくに取りざたされることもなく、普通にそこにいます。
典型的なジェンダーの規範から外れていく過程をリアルタイムで観察できるのは、第4話から登場する女子高校生の米原ひめかです。彼女は守山央士という幼馴染がいて、学校で一番のモテる男子である守山央士に片想いをする、かなりベタなカップル像を当初は覗かせます。しかし、当の守山央士は他の女子に好意があるようで、告白するもフラれた米原ひめかは、物語の型どおりではない恋を自分なりに模索することに…。
本作の中で、最も恋愛モノの主人公らしい成長をみせるのは、この米原ひめかですね。
これらキャラクターに囲まれるからこそ、ララが使い古されたプリンセス・ストーリーに飲まれず、自分の道を歩いてくれるという期待感を観客は抱くことができます。
本当の愛を否定する前に
こうしてアニメ『さよならララ』のラストでも、確かにプリンセス・ストーリーを振り切って終わります。タイトルも回収し、上京(実際にララがどこに行くかはわかりませんが)という結末は、これはこれでまた日本らしいものですし。
一方で、物語の後半はテーマがだいぶ散漫になっている印象も否めませんでした。
とりわけ物語全体の起承転結の「結」に入り始めるパートは、内面的モノローグか、各キャラクターの独白が中心を占め、感情説明的な演出に終始しています。構成としてはセリフに依存する演劇みたいです。
そうやってセリフの連発で説明されるわりには、結局テーマに対して何を答えとしたいのかよくわからず、エモーショナルな論調であやふやにしただけな感じもありました。
そもそも選ばれしプリンセスが「王子様」との間に「本当の愛」を感じたときに光が生まれるという前提でしたが、作中では「王子様とは何か?」「本当の愛とは何か?」という疑問をわざわざララ自身の口から提起しているわりには、最後は答えを丸投げしてしまっています。
「本当の愛」とやらにいたっても、具体的に論点が絞られることもないです。セクシュアリティの肯定なのか、安全なリレーションシップなのか、愛の深さや種類の話なのか…。もちろん作り手はそこを詳細に指定したくなくて、あえて誤魔化しているのでしょうけど、テーマにする以上はもっと踏み込んでもいいはずです。そうじゃないと単に逃げたようにもみえますし…。
最終的にララは「本当の愛なんかいらない。あなたのいる世界にいたい」「私がいたいと思う世界をずっと探していた」と、観客側には「本当の愛」が何なのかわからないまま、「本当の愛」を否定してしまうので、なんというか「あ、そうなんだ…まあ、あなたがそれでいいならそれで…」と反応するしかない気分で…。
例えば、私としてはララは恋愛に対するトラウマを抱えているように感じましたし、それは当然あの過去の王子との経験のせいなのですが、もっと言えば、それは抑圧的な父の振る舞いが根源とも言え、ある種の男性恐怖です。
リグモアの双子であり、かつて人間の世界に憧れた先人だったグレイスは、ララを通して自身のトラウマの傷を癒そうとしていたようにも受け取れます。いわゆる世代間トラウマの現象ですね。
ララはグレイスのような手段を用いず、大津茉里の「強くなり続けたい」という揺るぎない目標精神に刺激を受け、その根源の恐怖に向き合っても良かったはずで…。要するに、私としてはあの父に一発パンチを決め込むべきだったろうな、と。なんなら大津茉里からあのローワンにボクシング仕込みのストレート・パンチを食らわしてもいいですよ。「私のララを泣かすな!」とか、カッコいいこと言って…。
『さよならララ』の終盤はちょっとお上品すぎたかな…。
本作は憎悪による対立というスケールが大きいテーマを下地にしているせいもあって、そこを「時間をかける」という将来的解決に委ねてしまっているのですけど、それは現実的にはそうなるのもやむなしとは思いますが、せっかくのアニメなのですから、もっとぶっ飛んだ解答を用意してくれてもいいんじゃないかなと思いました。
シネマンドレイクの個人的評価
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以上、『さよならララ』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)「さよならララ」製作委員会 グッバイララ
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#女子高校生 #人魚



