そんなブラジルのゲイ男子のささやかな青春…「Netflix」映画『僕がプールでシャツを着る理由』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ブラジル(2026年)
日本では劇場未公開:2026年にNetflixで配信
監督:ダニエル・リーフ
イジメ描写 性描写 恋愛描写
ぼくがぷーるでしゃつをきるりゆう

『僕がプールでシャツを着る理由』物語 簡単紹介
『僕がプールでシャツを着る理由』感想(ネタバレなし)
ブラジルからのクィア青春映画
私は中学校(の体育授業)以来、もう何十年もプールに行っていません。プールは好きか嫌いかで言えば大嫌いなので、大人になっても行きたいと思わないし、もう一生行かないだろうな…。
そんな私なので「夏と言えばプール!」という気持ちも1ミリもないのですが、プールは今回紹介する映画くらいでじゅうぶんですね。
ということで、本作『僕がプールでシャツを着る理由』の感想です。
本作はブラジル映画で、“ヴィトール・マルティンス”による2017年の小説『Quinze Dias』を映画化したもの。内容は、王道の青春ロマンスになっており、ティーンエイジャーの男子同士の恋が描かれる初々しいクィア映画でもあります。
特筆点があるとすれば、主人公の男子がいわゆる「太った体型」であり、その劣等感と向き合う物語になっていることです。
ブラジルはLGBTQの権利においては非常に先進的で、法制度がとても整っています。同性婚はもちろん可能で、同性愛に対する大衆の認識も好意的です。手術などなくとも法的な性別の変更もできます。ブラジルに同性愛差別がないわけではありませんが、日本よりもはるかに先を進んでいます。
しかし、ゲイの男子は嫌な経験をせずとも「太ったゲイの男子」ならまだまだ嫌な思いをしながら生きている…というところに視点を置いているのがこの『僕がプールでシャツを着る理由』です。
だからといって、ものすごく暗いトーンということもなく、『僕がプールでシャツを着る理由』は『ヘアスプレー』的なキャンプさに、ラテンの陽気なエネルギーが注入され、『HEARTSTOPPER ハートストッパー』のような多幸感溢れる自己肯定を描き出してくれています。
映画『僕がプールでシャツを着る理由』を監督したのは、ドラマ『トレメンベ刑務所』を手がけた“ダニエル・リーフ”。原作者も製作に参加しており、2019年から企画が始まり、時間がかかりましたが、ようやくの映画完成となったとのこと。
主演のカップルを演じるのは、“ミゲル・ラロ”と“ディエゴ・リラ”。私が調べたかぎりだと、他の出演作が以前は見当たらないので、初出演作なのかな。インタビューをみると、2人ともオーディションで選ばれたようです。
『僕がプールでシャツを着る理由』は「Netflix(ネットフリックス)」で独占配信中です。
本作を観れば、プールに入らずとも爽やかな気持ちよさを味わえます。
『僕がプールでシャツを着る理由』を観る前のQ&A
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Q『僕がプールでシャツを着る理由』は日本ではいつどこで配信されていますか?
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A
「Netflix」でオリジナル映画として2026年8月19日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 学校での体型に関するイジメの描写があります。 |
| キッズ | マイルドな性描写があります。 |
『僕がプールでシャツを着る理由』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
フェリペという名のティーンエイジャーの男子は、幼い頃から同年代に体型をバカにされてきたことで、すっかり自分に自信がなくなってしまっていました。学校でも独りで過ごし、ヘッドホンをして周囲の声はシャットアウトしています。
落ち着けるのは家に帰って自分の部屋のベッドの上に寝転がってからです。
でも夏休みです。しばらく嫌な学校に行かなくていいです。好きな映画をいくらでも観ていられる時間があります。フェリペはゲイで、ステキな男性と恋することに憧れていましたが、映画のような出会いは現実にないことくらいわかっています。
シングルマザーであるリタは優しいです。それだけでもじゅうぶんなのかもしれない…。
それでもフェリペは家の窓から見下ろせる近くの小さなプールを羨ましそうに見つめます。幼いときにあのプールで泳いだときは散々にバカにされ、プールを避けるようになってしまいました。もう自分の裸を見られたくはありません。他のみんなが遊んでいるのを遠くから見つめるだけ。
家のシャワーを浴びるだけで満足することにし、ノリノリで歌いながらシャワーを終え、上半身裸のタオル姿で自分の部屋に戻るフェリペ。しかし、そこに別の男子がひとりいることに気づき、思わず叫びます。
それは幼馴染だったカイオです。どうやら夏休みの十数日間、この家に泊まるらしいです。カイオの両親はあまり息子に親和的でなく、カイオも居場所を感じていませんでした。親がいない間の滞在です。
フェリペは細身の筋肉質で運動も得意なカイオという、あまりに自分と違いすぎる存在が、自分の安寧の空間に居着くことに納得できません。せっかくの夏休みが台無しになってしまう…。
こんな状況だと趣味の映画鑑賞もままならないです。カイオは自分と感性も全然違います。好みの室温も違うし、楽しみにしていたデザートも食べてしまうし、フェリペのマイペースな生活は滅茶苦茶です。しかし、すっかり母はカイオを受け入れてしまっていました。まるで息子のように…。
フェリペは露骨にカイオに敵対的になります。さすがに母もフェリペを怒りますが、亀裂は深いまま。
そんな2人は徐々に互いを知って信頼を深め合うようになり…。

ここから『僕がプールでシャツを着る理由』のネタバレありの感想本文です。
太っているゲイとしての青春の悩み
映画『僕がプールでシャツを着る理由』は、前述したとおり、「太っているゲイ」の男子を主人公とすることに、作品の大前提があります。つまり、「体型」と「性的指向」の二重差別に悩んでいる10代です。
フェリペは明らかに肥満恐怖症(fatphobia)を幼少期から内面化しており、自分の体形に関する劣等感は根深いことが映し出されます。
こうした体型の悩みを抱える10代は日本を含め世界中のどこにでもいるでしょうが、今回の映画はブラジルということで、ラテン系のステレオタイプを意識しないわけにもいきません。
ラテン系の男性や女性は、性的な対象化をされやすく、男性であれば「マッチョな細身」と持て囃されることが多いです。本作のフェリペはあくまで学校の中、家の周囲という、とても狭い範囲しか人生の舞台ではないので、そういう世界からの眼差しとは無縁そうですけど、そうもいかないところもある…。
さらにそのうえでゲイなのです。ゲイもやはりマッチョな細身が表象として好まれやすく、太った体型のゲイを描く作品なんてなかなかありません。現実でも細身で筋肉質なゲイ男性はセクシーだと称賛され、太ったゲイ男性は嘲笑されるということが、いまだにあります。ゲイ・コミュニティの中ですらも、そういう「太っているのだから笑われて当然」「それも含めて自虐してみせるべき」みたいな感覚さえまかりとおっていることもあったり…。
作中ではフェリペは体型に対する嘲笑を受けることばかりが目立ちますが、決して同性愛者であることの差別を経験していないわけではないでしょう。これらは切り離せないものです。「太っているゲイ」という複合的な自分の実態が、その劣等感を一層に混迷させています。
なので本作はボディポジティブであると同時に、さまざまなゲイ男性の多様さを力強く訴えるものでもありました。
あらためてこういう映画を観ていて思いますけど、マイノリティを描く作品を他者化する男性層というのが世の中には一定数いますが、男性にとってもちゃんとエンパワーメントを与えるものですよね。少なくとも男性たちの世界の中で、男らしさの規範から外れて「自分なんてどうせ…」と引きこもるしかできない男子に手を差し伸べることができるのは、こういうマイノリティを描くナラティブなのは間違いありません。
コンフォート・ゾーンからの脱出
映画『僕がプールでシャツを着る理由』は、そんな「ブラジルで暮らす太っているゲイ」という複合的な背景を背負っている10代の男子の人生を、露骨にトラウマ的に描くものではなく、そこも良いところです。悲劇は待っていません。
近年はそういうアプローチのクィア青春映画は当たり前になり、もうそれが主流化している感じさえあります。今作の原作は2017年のものですが、2026年に公開された映画として時代性にスムーズにマッチしていました。
ポップカルチャーへの言及も楽しく、色彩にも強いこだわりがあり、全体的にエネルギッシュです。フェリペは他の同じような体型の自分より年下の子どもの手本にもなってみせており、そこも前向きです。恋に夢見がちな男子でも終わらず、別の葛藤を抱えるカイオにも向き合えるようにもなります。
よくありがちな「太っている男子」に対するジメっとした孤立した陰湿なイメージはなく、解放感があります。体型に関係なく、対等に青春ロマンスを展開しようという姿勢を感じますね。やっぱりこういう太った体型のキャラクターを描くうえで、作り手が変に意識しすぎて、その体型を過剰にギャグにしてしまうとか、そういうことを良かれというつもりでもしてしまうと、途端にストレスですし…。
作中ではフェリペが鏡を何度か気にし、そこに映った自分に耐えられないというシーンが描かれます。「見る見られる」ということへの恐怖を乗り越えることはボディポジティブに一新していくには欠かせないプロセスです。
その中で、ベッカとメリッサのレズビアン・カップルの関わりも上手く機能していました。ベッカもフェリペと同じ「太った体型の同性愛者」なのですけれども、ボディポジティブを先んじて取り込んでいる先輩になっています。そのベッカのガールフレンドであるメリッサは細身な体型ですが、肌のことで一目を気にしており、彼女もルッキズムの不安を抱えていましたが、フェリペの前でそれがあっけなく払われていく姿をみることになります。
フェリペは家こそ居心地のいい場所と認識しています。母も素晴らしい支援者であり、そういう場所が我が家であるということはそれはそれで幸せだと思います。
でもそういういわゆる「コンフォート・ゾーン(comfort zone)」から一歩出ることも大切で…。そうじゃないと自分の世界は抑圧に屈したまま、自由と解放を得ることはできませんから。
『僕がプールでシャツを着る理由』は、どうやってコンフォート・ゾーンから出ればいいのかという道のりを丁寧かつ軽快に描き出していました。その姿はあらゆる国々の人々に響く普遍性があります。
私もいつかプールと向き合って、またプールに足を踏み入れることができる日は来るのかなと、ぼんやり思ったりした…そんな鑑賞後の気持ちです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
以上、『僕がプールでシャツを着る理由』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Netflix
Here the Whole Time (2026) [Japanese Review] 『僕がプールでシャツを着る理由』考察・評価レビュー
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