女性の“支配と服従”のキンクを真正面から描く…映画『ベイビーガール』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年3月28日
監督:ハリナ・ライン
性描写 恋愛描写
べいびーがーる
『ベイビーガール』物語 簡単紹介
『ベイビーガール』感想(ネタバレなし)
女性のキンクを丁寧に描く
「キンク(kink)」という言葉があります。以下の記事でも少し説明したことがあるのですが、これは「パラフィリア(性的倒錯)」といった言葉で表現されてきた(ときに病理化されてきた)社会的規範に適合しないとみなされてきた性的魅力&性行動のさまざまなパターン(性的指向など「LGBTQ+」を除く)の総称です。
キンクの代表例が、BDSMなどの性的ロールプレイです。これは何かしらの「役割」を設定し、それに従って性行為を楽しむというもの。とくに「支配と服従」(「D/s」とも呼ばれる)はわかりやすいです。
ある一方が「支配」、もう一方が「服従」の役割に徹し、その役割に自分を置くこと自体でも性的興奮を得ます。もちろんそれは互いの合意の上で行い、止めたいときはいつでも止められるようにするものですが、一方が余計な介入のない空間で他方に身体的な支配権を譲ることにエロティックな快感を感じる人は世界中にいます。
ただ、そういうキンクを楽しみたいという願望はなかなか表明しづらいもの。とくに女性のキンクは表に出づらいです。やはり女性の性的欲求はタブー視されてきた歴史があるからで、おのずと自分の欲望を押し込めてしまう女性は少なくありません。
今回紹介する映画は、そんな女性の内なる欲望を真正面から誠実に描く作品です。
それが本作『ベイビーガール』。
主人公は大企業CEOの50代の女性で、その既婚者でもある女性がインターンの若い青年と性的関係を持っていく姿を描いていくエロティック・スリラーとなっています。
『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の男女逆転版みたいな構図ですが、それだけでなく、先ほども説明した「支配と服従」の描き方も非常に丁寧。こういう女性の性欲をせっかく描いていても、男性の眼差しによるレンズを通されることで、どこか女性当事者を置いてきぼりにした男性消費を暗黙の前提にした映像になっているケースも多々ありますが、本作『ベイビーガール』はそうなっていません。その点では全編を通して安心して官能的な映像を眺めていられます。
男性の眼差しを拒絶した女性視点でブレないエロティック・スリラーのジャンル作として、この『ベイビーガール』は突出したクオリティだと思います。
『ベイビーガール』の監督・脚本を手がけたのは、オランダの俳優で、2019年に『Instinct』で監督デビューし、2022年には『ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』というスリラー映画でこれまた才能を魅せたばかりの“ハリナ・ライン”。今作の2024年の『ベイビーガール』はそこからさらに実力を見せつけており、アカデミー賞ではスルーされたのですが、全然、監督賞や脚本賞くらいは余裕でいけたはず。
主演は“ニコール・キッドマン”です。ベテランで実力はじゅうぶんわかっていますが、今作の堂々たる貫禄は“ニコール・キッドマン”の凄みがあってこそ。今回の名演で、ヴェネツィア国際映画祭でボルピ杯(最優秀女優賞)を受賞しました。ほんと、なんでアカデミー賞では無視されたのか…。アカデミー賞は女優に対してセックスワーカーの役だと評価する傾向があるくせに、こういう女性が主体的に性を表現する役は評価しないというのは、ちょっと…露骨すぎませんか…。
“ニコール・キッドマン”のお相手となるのが、『逆転のトライアングル』や『アイアンクロー』など多数に出演している“ハリス・ディキンソン”。彼もミステリアスで良い演技をしています。
こういうキンクを描くと、もうそれをただ半ば小馬鹿にしたネタ扱いでいじることしかできない人も正直世の中には一定数いるのですけど、そういう感想は無視してください。
女性の「支配と服従」のキンクを真正面からしっかり描いた映画が見たいなら、この『ベイビーガール』はハズレません。
『ベイビーガール』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 直接的な性行為の描写が多くあります。 |
『ベイビーガール』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
ロミー・マティスは舞台演出家の夫ジェイコブと贅沢な邸宅の寝室で交わったばかり。夫は満足したようでベッドにそのまま寝てしまいましたが、ロミーは物足りず、すぐにノートパソコンを取り出し、ポルノを見ながら床に寝そべって声を押し殺して自分で快感を得ます。
ロボット企業のCEOをしているロミーはキャリアは完璧で、裕福な生活を送っていましたが、セックスライフだけは不満でした。この夫ではどうしても足りないのです。
家では子どもの面倒をみて母親らしい一面もみせます。一方のビジネスも抜かりなく、アシスタントのエスメのサポートもありつつ、気を引き締めて事にあたっています。
ある日、仕事に向かう街中の道で、リードのついていない犬が暴れている状況に直面。驚いて硬直していると犬が向かってきます。
そのとき、全く動じることなく犬を呼び寄せて首輪をつけて大人しくさせてくれた青年が現れ、事なきをえました。
オフィスに着くと、あの犬から助けてくれた青年はちょうど来たばかりのインターンだとわかりました。名前はサミュエルです。
それからというものロミーはサミュエルのことが忘れられません。
ベッドで夫にキスをされても、頭に浮かぶのはあの若いサミュエルです。自分の頭を隠して夫に体を触ってもらい、脳内のイメージだけであの彼と淫らなことをしているような感覚を味わおうとします。しかし、夫はそんなことになっているとはわかっていません。
パーティーでもサミュエルを目で追ってしまいます。彼はどこか不思議な佇まいで、こちらの年齢や肩書を気にせず、気さくに接してくれます。
パーティーの翌日、会場の床にサミュエルの落としたネクタイを見つけ、拾います。そしてオフィスのブラインドを閉じ、そのネクタイに思わずしゃぶりつきます。
欲求はとどまることを知らず、ロミーの中で昂っていきますが、CEOという立場もあり、インターンのサミュエルに手を出すなんてできないと自制します。
ところがあろうことかそのサミュエルのほうから意外なアプローチがあり…。
家庭でも職場でもメリハリはない虚しさ

ここから『ベイビーガール』のネタバレありの感想本文です。
『ベイビーガール』はオーガズムで始まり、オーガズムで終わる…自己完結な綺麗な収束です。自分で楽しんでいるのだから、もう放っておいてくれる?と言わんばかりの揺るぎない佇まい。ただし、最初のオーガズムは偽…要するにフリです。
主人公のロミーは性生活に満足できていません。別に家庭が崩壊しているわけではありません。むしろ円満です。充実しています。他者から見れば「これだけ恵まれているのにまだ文句を言う気なのか?」と批判されそうです。
とくに夫のジェイコブは嫌な男ではないです。なにせあの“アントニオ・バンデラス”が演じているのですよ。“アントニオ・バンデラス”ってセクシーな男優の代表格なのに、その彼が演じる存在に満足しないというわけで…。これは相当にロミーの性に対する求めるハードルは高い…というか、根本でマッチしていないということ。
セクシーなだけじゃなくて…優しいだけじゃなくて…こう、もっと…。
結局のところ、あのロミーは真面目すぎるのでしょう。CEOというポジションについていても、どこか「女性だからこうあるべき」という殻に自分を閉じ込めてしまっています。
逆にCEOという役職がジェンダーの抑圧を悪化させているかもしれません。女性ならなおさら失敗できない…品行方正であらねばならない…。そういう期待がロミーを家庭でも職場でも縛り上げてしまっています。
ロボット・オートメーションの企業だというのが皮肉な設定です。服従と支配を象徴するロボットという存在を扱っているわりには、トップのロミー自身が企業のロボット同然になってしまっている…。冒頭に不格好な体勢で自慰するしかないロミーの姿が、ハイテクな産業とのあられもない対比になっていて虚しいです。セックス・ロボットがこういう時にこそ必要なのかな…。
ちなみにロミーは家庭でも職場でも似たような心理的立ち位置で、すごく発散する機会もない刺激のない平坦な1日を送っているのですけど、夫のジェイコブは舞台演出家の仕事では結構な過激なことをしていて(銃とか突きつけたり)、しっかり発散できています。つまり、ジェイコブは職場では激しい演出家としてスッキリし、家では優しい夫の役割でリラックスするというメリハリを満喫できているんですね。対するロミーはメリハリがゼロ…。
その貪欲だけど退屈に心が沈んでいたロミーが出会ったのがあのサミュエルです。彼は何とも言えない雰囲気を放っており、疑似的な「支配」というものを完璧に熟知してくれています。最初の犬を手懐けるシーンでそれを示唆するのもゾクっとさせます。
ジェイコブはプライベートというよりはサービスとして快楽を提供してくれます。別に対価はないのですが、そこらへんのプロフェッショナルよりもプロフェッショナルです。
初めて密会した部屋での、ロミーの最初は帰ろうとするも我慢できずにキスしてからの、ぎこちないやり取り。それからのおそらく他人にしてもらったオーガズムの喜び。その直後に恥ずかしさなのか、嬉しさなのか、感情が極まって泣いてしまっているのが本当に可哀想で、でもそれは恥じるようなことでもなく…。
あのシーンの“ニコール・キッドマン”は体を張ってるから凄いとかそんな安直なものではなく、女性の複雑な心情を表現する演技として圧倒されるものがありました。
自由で安全な「支配と服従」
『ベイビーガール』におけるロミーとサミュエルの性関係は、当初にロミーも懸念を口にするように、CEOとインターンという間柄である以上、容易に有害なものになりかねません。
しかし、サミュエルもそのあたりもわかっていて、あくまであの性的ロールプレイを楽しむ空間はそういう「社会通念上の倫理観」を忘れていいという世界にしてくれています。そこがまたロミーを解放させます。
こうやって考えると、ちゃんと同意の上で実行するならば、この「支配と服従」は全く無害で、安全です。整えさえすれば、キンクはいくらでも人生を豊かにできる可能性を秘めていることをこの映画はとてもポジティブに伝えてくれます。キンクを笑いのネタにしたり、センセーショナルに見下すことはしません。
なお、終盤で男性役員がロミーのキャリアに揺さぶりをかけてきますが、そういう職場で起きる「支配と服従」にはもちろんロミーは興奮はしません。あれこそ有害な「支配と服従」です。
有害な「支配と服従」から自由で安全な「支配と服従」に切り替えたいんですね。
でも同時に、人間というのはロボットみたいにプログラムでは動いていないので、性的ロールプレイのあの空間とそれ以外の空間で感情をカチっと完璧に切り替えることはできません。ロミーもそうですが、職場でも家庭でもあのときの体験を引きずります。
それが作中ではしだいに支障となって不穏な緊張感を生んでいくことに…。
同じエロティック・スリラー映画の『Fair Play フェアプレー』のようなオフィスにおける男女のジェンダーの力場が差別や暴力としてくっきり浮き上がる作品ではないですが、『ベイビーガール』のスリルもまた現実感はありました。
『ベイビーガール』が良かったのは、映画自体がこの主人公に罰を与えようとはしていないこと。不倫もしたわけですし、相手はインターンでしたが、だからといってロミーが最終的に家庭も仕事も奪われるわけではなく、そこまでの代償はなく人生が続きます。
あと、クィアネスを混ぜ込むストーリーテリングも良かったです。ロミーは異性愛者のようですが、娘のひとりは本人も言っているとおり明らかにゲイです。そんなクィアな娘にささやかに後押しされ、カチカチな性倫理を遵守しようとするロミーは一歩ずつ新しい扉を開きます。アンダーグラウンドなクラブで同性同士の戯れもある中、ロミーは性の固定観念を捨てて自分の欲望に素直になります(あそこでのサミュエルを見るかぎり、彼もクィアっぽい感じはありました)。
母親が娘のクィアなアイデンティティを肯定する話は定番ですが、その逆でクィアな娘が母親の性規範脱出を手助けしてあげる話はあまりないと思います。新鮮でした。“ハリナ・ライン”監督は前作の『ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』でもそうでしたが、クィアネスの扱いが上手いですね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
関連作品紹介
第81回ヴェネツィア国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(金獅子賞)
・『ブルータリスト』(銀獅子賞;最優秀監督賞)
作品ポスター・画像 (C)2024 MISS GABLER RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
以上、『ベイビーガール』の感想でした。
Babygirl (2024) [Japanese Review] 『ベイビーガール』考察・評価レビュー
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