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ドラマ『HEARTSTOPPER ハートストッパー』感想(ネタバレ)…LGBTQはハッピーに描かれたい

HEARTSTOPPER ハートストッパー

LGBTQはハッピーに描かれたい(ただし人権を忘れずに)…ドラマシリーズ『HEARTSTOPPER ハートストッパー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Heartstopper
製作国:イギリス(2022年~)
シーズン1:2022年にNetflixで配信
シーズン2:2023年にNetflixで配信
シーズン3:2024年にNetflixで配信
脚本:アリス・オズマン
イジメ描写 LGBTQ差別描写
HEARTSTOPPER ハートストッパー

はーとすとっぱー
HEARTSTOPPER ハートストッパー

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』物語 簡単紹介

チャーリーとニックは何気なく出会い、何気なく友達になり、そして恋人になろうとしていた。まだ10代である2人にとって人生経験は豊富ではない。個性豊かな友人たちの助言やインターネットで氾濫する情報に触れながら少しずつ関係を模索していくが、上手くいかないこともある。それでもセクシュアリティについてわからないことだらけでも大丈夫。ティーンの若者たちの人生はまだ始まったばかり…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『HEARTSTOPPER ハートストッパー』の感想です。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』感想(ネタバレなし)

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この実写化を待っていた

2022年4月22日から24日にかけて日本最大級のLGBTQイベントと言われる「東京レインボープライド」が開催されました。2020年と2021年はコロナ禍でオンライン開催となっていたので、20年代に入って初のリアル開催ということで待ち望んでいた当事者も多かったでしょう。

そんなイベントですが、以前から主催者側の姿勢に対して当事者から批判の声もあり、今回もそれが論争となりました。とくに主催者のひとりが「人権というアプローチをとると、当事者と非当事者の分断を生みかねない。でもハッピーな要素には人を巻き込む力があります」という趣旨の発言をし、これがSNSで非難の火種となりました。さらに開催中に企業ブースに出展している企業に対して抗議活動をしていた当事者の人が実行委員会から「スポンサーへの妨害行為」として警察に通報されてしまい、これも大きな批判を集めます。

東京レインボープライドの主催者は当事者の人権ではなく企業の利権を守りたいだけなのではないか、これはピンクウォッシュと何が違うのか…。複雑な想いを抱えつつ参加した当事者も多かったと思いますし、実際の行進では「人権を!」と掲げる人も少なくなかったのは紛れもなくその反動でしょう。フロリダでは「Don’t Say Gay」でしたけど、日本では「Don’t Say 人権」だったわけです(フロリダの件は『アウルハウス』の感想で書いたのでそちらを参照)。

私もこうした主催者側の姿勢には甚だ納得いきません。そもそも“人権”がなければ“ハッピー”になりようがないですし、“ハッピー”と“人権”は両立するものです。“ハッピー”と“人権”の合わせ技で上手くアピールできる人もたくさんいますし、端的に言えばこれはもう才能の問題です。主催者が「人権も含めると関心を広げられないなぁ…」と思っているなら、(厳しいことを言いますけど)それは主催に才能がない(もしくは参加者を信用していない)だけでしょう。

そこで本題。今回紹介するドラマシリーズはこの“ハッピー”と“人権”を見事なバランスで支え合わせ、最高の体験を贈り届けてくれます。これぞ才能であり、当事者が何よりも求めていた誠実な姿勢というやつなのではないでしょうか。

それが本作『HEARTSTOPPER ハートストッパー』です。

本作はLGBTQをテーマにした青春学園ドラマなのですが、私がすでに何度か話題にだしている“アリス・オズマン”の著作が原作です。イギリス出身の“アリス・オズマン”はアセクシュアル&アロマンティックの当事者であり、そこは強調しておきたいところ。なぜならアセクシュアルやアロマンティックの人は恋愛がわからないのだから創作の仕事には向いていないと偏見を抱かれがちであり、雇用の機会として不利な扱いをされることもしばしばだからです。

“アリス・オズマン”はそんなレッテルを華麗に吹っ飛ばしており、2014年に『Solitaire』という作品でデビュー以降、この2017年から続く『Heartstopper』というグラフィックノベルも高い評価を受け、ヤングアダルト小説業界では今トップクラスに話題の若手クリエイターとして注目を集めています。『Heartstopper』は日本でも最近になって邦訳が発売されたので“アリス・オズマン”の知名度も日本の当事者界隈では上がりつつあり、初期から追っかけている私も嬉しいかぎり。

その“アリス・オズマン”の『Heartstopper』が実写ドラマ化されるというのですから…それはもう私にとっては2022年で一番楽しみにしていたドラマシリーズの一本ですよ。

しかも、今回の実写ドラマは“アリス・オズマン”自身が製作総指揮&脚本に立ち、原作者の主導で脚色されており、とても理想的な映像化を果たしています。原作を知っていると「あのキャラが、あの場面が、本当にそのまんま映像になっている!」という感動が凄い…。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は、原作未読の人に魅力を伝えるなら、とにかく“可愛い”多幸感に溢れる物語です。雰囲気としては『ベビー・シッターズ・クラブ』に似ていて、それをちょっとティーン年齢高めにしたような…。みんなを幸せにしてあげようというオーラに包まれながら、それでいて人権のような正しさも見失わない。もちろん内容も面白い。言うことなしです。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』のメインで描かれるのは2人の少年の同性同士のロマンスですが、レズビアントランスジェンダーなど多彩なクィアが映し出されますし、それでいて恋愛伴侶規範ありきになっていないのも安心できるところ。アセクシュアル&アロマンティックのキャラクターだって普通にいます。みんな違ってみんないい…で終わらせず、しっかり差別と闘っていこうね、できる範囲でいいから…というハードル低めの呼びかけをしてくれる作品。こういうドラマをリアルタイムで観れる今の子どもが羨ましい…。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』は「Netflix」で独占配信中。シーズン1~3はそれぞれ全8話。1話あたり約30分なので観やすいです。ぜひ何度も繰り返し観てください。

オススメ度のチェック

ひとり 5.0:青春学園モノ好きは必見
友人 5.0:素直に語り合える人と
恋人 5.0:クィアな恋を応援
キッズ 5.0:前向きな気持ちに
↓ここからネタバレが含まれます↓

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

トゥルハム男子校。チャールズ(チャーリー)・スプリングは新学期を迎え、ちょっと浮足立って登校していました。スマホでベンからの「早く会いたい」というメッセージを目にし、期待に胸躍りますが、すぐに「やっぱり休み時間に会おう」というメッセージが送られてきて少しお預けでガッカリ。

チャーリーはハムレットグループの教室へ行き、先生から「ニコラス(ニック)・ネルソンの隣だ、1つ上の学年でラグビー部だ」と教えてもらいます。その優しそうなニックをひとめ見て何かを感じるチャーリー。これは…。

その後、チャーリーはベンと誰もいない部屋で会い、親密に語り合い、ベンからキスされます。「誰にも言うなよ」と冷たく去っていくベン。チャーリーはゲイを公表していましたが、このベンはそれを隠しており、こうして密会するように会っているだけでした。普段のベンは完全に他人のふりです。

しかし、チャーリーはニックという新たな気になる存在のせいで日に日に落ち着きません。たまにすれ違って「やあ」と挨拶をかわす程度ですが…。

チャーリーは友人が3人いました。ひとりはアイザック。いつも本を読んでいます。もうひとりはタオ。落ちこぼれ仲間です。3人目はエルなのですが、ヒッグス女子校に転校しており、今はこの学校では3人組に。

チャーリーがニックを見ているのに気づき、タオは「あいつらは僕たち落ちこぼれとは違う、ラグビー部だぞ」と忠告します。

美術室でチャーリーはアジャイ先生に恋人の悩みを打ち明けます。本当に恋人だと思ってくれているのか…それでも自分で確かめるしかない…。チャーリーは姉のトリに「どんな人と付き合いたいの?」と聞かれ、「人前で僕と話してくれる人」と答えます。

もしニックから告白してくれたら最高なのに…と妄想が捗りますが、ニックは自分に思いがけない提案をしてきました。「ラグビー部に入ってくれない?」

明らかに貧弱なチャーリーですが、あのニックの誘いとなれば無視もできない。入部してみるもやはりキツイことがたくさんです。とくにハリーはゲイであるチャーリーをバカにしてきます。

ある日、ベンに呼び出され、「君がカミングアウトするまで待つつもりだった」とチャーリーは関係をこれ以上続けられないと示します。しかし、ベンは無理やりキスしてきて、そこにニックが「嫌がっているから消えろ」と助けに割って入ってくれます。

聞かれてしまった…。でもニックはそれでも優しく、深くを問い詰めません。

チャーリーはニックにますます夢中になり、ニックもそんなチャーリーに幸せを感じ始めて…。

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トラウマを上書きする多幸感

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』の大きな特色であるのが前述したとおり「多幸感」。これは昨今のアメリカの青春学園ドラマの流行りの路線とは一線を画すものです。

ハリウッドではドラマ『13の理由』から顕著なのかな…とにかくティーンの青春学園生活を露骨にダークに、シリアスに、アダルトに、ショッキングに…そういうテイストで描いていくのが「カッコいい」とされるようになる流行が生まれ、例えば『ユーフォリア』なんかはその最新のドラマでした。

これは要するにバズりやすいようなインパクト重視になっており、まあ、確かにそういう風潮に傾くのも止む無しかという現実もありました。

そんなアメリカのヤングアダルト映像界隈の主流とは真逆をいくのが『HEARTSTOPPER ハートストッパー』です。本作は、ハピネスでキュートでフワフワしている、ポジティブな空間

もちろんトラウマ的な描写もゼロではありません。チャーリーはイジメに遭い、同性愛差別な中傷を受けますし、陰湿な攻撃に苦しみます。親友とも関係がギクシャクしてしまう。それでも最終的には希望や幸せが上書きしてくれる。そういう作品のバランスになっています。

LGBTQを描く際にありがちなのはトラウマに依存してしまうこと。『恋せぬふたり』の感想でも私は書きましたが、トラウマ描写がキツすぎると一部の当事者には見づらいものになってしまうという欠点もありました。『HEARTSTOPPER ハートストッパー』でもタオとエルが何の映画を観るか語り合う場面で「『ムーンライト』は悲しくなるから嫌だ」と言っていましたが、そのとおりいくらLGBTQ題材とは言え、当事者が何でも歓迎するわけではありません。

この『HEARTSTOPPER ハートストッパー』も私は実写化したらさすがに生々しくなってしまうのではと危惧もあったのですけど、随所にコミック的なイラスト演出が挟まれたりして、それが絶妙に緩衝材になっていたり、差別シーンもこれが一番フィルターを通された調節済みのギリギリなんじゃないかなと思います。

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シーズン1:クィアを熟知しているからこそ

一方で多幸感があればいいというほどに単純に片付けてもいない。『HEARTSTOPPER ハートストッパー』はテーマに対する向き合い方も真摯で、そしてインクルーシブです。

本作の精神的支柱にいるのは間違いなくニックというキャラクター。このニックがとにかく“良い人”で、ゴールデンリトリバーと称されるとおりの無邪気さで、観ていて可愛くてたまらないのです(演じている“キット・コナー”は抜群の起用でした)。でもこの“良い人”ゆえの苦悩がしっかり描かれていて、単に「良い子だね~」では終わりません。

自分も性的少数者ではないかという疑問の芽生え。ネットで調べればヘイトクライムなど世界のLGBTQニュースや診断サイトがごまんとでてくる。でも確信は持てない。クィアな友人がいても、献身的な母親がいても(演じているのは“オリヴィア・コールマン”!)、気軽には口に出せない。この漠然とした不安。私も経験しているので痛いほどよくわかる…。恋愛伴侶規範に焦らされるニックの姿からもわかるように、こういうのはアロセクシュアルでも感じる普遍的な重圧ですよね。

しかし、大切なのは性的少数者かどうかの証明ではなく、正しい人間として愛する者のために行動することであるとニックは一歩を踏み出す。ニックはハッピーの前にまずは人権のケジメをとったからこそ、ホモフォビアなハリーに向き合ったわけで…。

“アリス・オズマン”はやっぱりクィアなことをわかっているなという安心感がある…。脚本上の迂闊なアウティングやミスジェンダリングもしないし…。

インターセクショナリティなクィアのあれこれも巧みに網羅しており、タラとダーシーのレズビアンな関係性も良いですし(ちなみにダーシーを演じた“キジー・エッジェル”はノンバイナリーです)、タオとエルのほのかな関係性の芽生えも丁寧です(トランスジェンダーのキャラがトラウマ抜きで他者と親密な関係を構築する姿を描くのは珍しいですね)。同性愛と両性愛が対等に描かれるのも良いなと思います。男子校と女子校というある種の極端なバイナリーな世界観であるにも関わらずこれほど多様で繊細な表象をサラっとできてしまうとは…。

小ネタも味があって、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の鑑賞体験でニックがバイセクシュアルだと感じたり(“アリス・オズマン”が最もバイな映画は何?とアンケートで聞いて、『パイレーツ・オブ・カリビアン』が挙がったそうです)、アイザックの読んでいる本だったり、カルチャーを取り込むのも手慣れていました。

劣等感をストーリーの原動力にしない多幸感のストーリー・テラーであり、クィアを熟知している。こういうクリエイターを私も求めていたんだなぁ…。

シーズン1だけだと物足りない部分もあって、タオ、エル、タラ、ダーシーの描写は掘り下げられましたけど、アイザックイモジンについては次のシーズンで掘り下げたいとか、チャーリーのメンタルヘルスは続編で取り組みたいとか、“アリス・オズマン”は意気込みを見せています(文学少年のアイザックとかはたぶん“アリス・オズマン”自身がモデルでしょうしね)。

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シーズン2:カミングアウト、そしてACE

※シーズン2に関する以下の感想は2023年9月1日に追記されたものです。

チャーリーとニックのラブラブ全開で始まる『HEARTSTOPPER ハートストッパー』のシーズン2。

そんな2人に今回のシーズンで立ちはだかるのは、カミングアウトです。ニックはバイセクシュアルであると前回のシーズンで自覚したものの、それをどう周囲に公にするか。そもそも公にすべきなのか。もちろん公にしたほうが堂々とイチャイチャできるし…。

本作はカミングアウトの繊細なプロセスを描いています。あらためて思いますが、カミングアウトというのは「秘密を公開しま~す!」なんてお気楽さは全くない、本当に葛藤に葛藤を重ねる心をすり減らす行為ですよね。

ニックの場合は、学校のホモフォビアな目線、兄デヴィッドからのバイフォビアな態度、離れて暮らす父ステファンとの関係性の希薄…いろいろな引っかかりがカミングアウトを遠ざけます。あれだけクィアな友人に囲まれていても躊躇するものです。

そしてふとした機会が訪れ、ニックは勢いのままにえいや!と同級生にカミングアウト。あっさりですが、これもまたそんなもの。また、家での家族の前でのカミングアウトのように、すごく気まずい思いをすることもある。それもまたそんなもの。カミングアウトっていろいろです。

シーズン2では、エルとタオが恋人同士になったり、アジャイ先生とファールーク先生が大人の恋を展開したり(10代はカミングアウトどころではなかった人生を抱えるファールーク先生の一瞬見せる哀愁がまたいい…)、何かとロマンスに溢れています。

そんな関係図だからこそ、やはりシーズン2で個人的に注目はアイザックですね。

初期からずっと恋愛相手のいないアイザック。別に恋愛嫌悪も性嫌悪もないし、友人の恋は素直に祝福できます。でもなぜ自分には周りが感じているトキメキとやらが実感できないのか…

独り不安を抱えるアイザックが「アセクシュアル」「アロマンティック」という言葉と出会い、アイザックらしく本でその概念を自分に取り込んでいく…(ちなみに作中にでてきた本は邦訳もでている『ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと』)。

原作者でこのドラマの脚本を一貫して手がける“アリス・オズマン”は当事者ですが、アイザックのAセクAロマのアイデンティティを見つけるまでのプロセスを、そこまでトラウマをたっぷり目に流し込ませることなく、でも要点はきっちり抑え、青春恋愛ドラマの中で普通に包括して描きだす。やっと2023年にこのゴールに辿り着いたか…。感慨深い…。

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シーズン3:愛で治せないもの、そして議論が心を傷つける

※シーズン3に関する以下の感想は2024年10月17日に追記されたものです。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』のシーズン3。前シーズンから示唆されていましたが、今シーズンでは、チャーリーのメンタルヘルスが大きく取り上げられます。この手のトピックはどうしても過剰にトラウマ的に描かれやすいのですが、さすが本作、絶妙なバランスで誠実に描いてくれました。

チャーリーは摂食障害を自覚(強迫性障害と拒食症の診断)。心の病は愛で治せません。ニックの支えで親に打ち明け、専門の病院に入院することになります。

でもそれで解決にはなりません。本作はその治療や再発のもどかしさ、苛立ち、悲しみ、悔しさ…全部を正直に映し出します。

一方で寄り添うニックの苦しさも同時に描いています。精神科医の叔母ダイアンが「あなただけが責任を負う必要はない」と助言しますが、そのとおり、いくら恋人とは言え、10代の子には荷が重すぎますからね。入院で離れているチャーリーを心配してハロウィンパーティーの中でニックが追い詰められる姿がツラい…(このシーンでニックがキャプテンアメリカの仮装をしているのがまた象徴的です。フィクションの男らしさと現実の男の子の脆弱さの対比)。

最後は2人がようやくセックスの段階に踏み出し、観る前からハッピーエンドだとわかっているのに、見ている私は心の底から安堵ですよ。

前シーズンでACEと自覚したアイザックは、「恋愛は誰もが望む魔法ではない」ことをカミングアウトで示し、自己概念の再構築にゆっくり務める姿が…。ここも変に敵対的な不穏さをだしまくることなく、あっさりカミングアウトになってくれるのがいいですね。

シーズン3でのトラウマ的なパートで際立ったのは、エルのエピソードでしょうか。ランバート・アートスクールで才能を伸ばしたエルはラジオに出演。しかし、そこで「トランスジェンダーは論争の火種」として話題を向けられ、彼女は傷つきます。これはまさに今のイギリスの情勢そのものであり、やはり『HEARTSTOPPER ハートストッパー』と言えどもそれを理想的世界観で無視はできないと考えたからこその直球な取り上げだったのだと思います。トランスフォビアは「子どものメンタルを傷つける行為なんですよ?」という怒りを込めて…。

あと意外な印象を持っていったのはダーシーの描写。ダーシーを演じた“キジー・エッジェル”がノンバイナリー(現時点の最新ではトランスマスキュリンのクィア)であるとカミングアウトしたことを踏まえ、原作&脚本家の“アリス・オズマン”がわざわざ本人に「演じていて苦しいことはないか」と提案し、ダーシーもノンバイナリーとして性別移行していく過程を描くことにしたそうですPinkNews

こういう若い俳優の実人生まで気遣いながら(自分の原作を変えてもいいというあえての緩いスタンスで)物語を構築し直す。なかなかそんなことができるクリエイターはいないと思います。

ドラマ『HEARTSTOPPER ハートストッパー』、私の中では青春作品としては(あまり言わないけど)人生ベスト級ですね。本作に10代の頃に出会ってたら人生が変わっていただろうな…。

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』
シネマンドレイクの個人的評価
10.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
◎(充実)

作品ポスター・画像 (C)Netflix ハート・ストッパー

以上、『HEARTSTOPPER ハートストッパー』の感想でした。

Heartstopper (2022) [Japanese Review] 『HEARTSTOPPER ハートストッパー』考察・評価レビュー
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