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『寝ても覚めても』感想(ネタバレ)…恋愛って、よくわからない

寝ても覚めても

恋愛って、よくわからない…映画『寝ても覚めても』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Asako I & II
製作国:日本・フランス(2018年)
日本公開日:2018年9月1日
監督:濱口竜介

寝ても覚めても

ねてもさめても
寝ても覚めても

『寝ても覚めても』あらすじ

大阪に暮らす21歳の朝子は、麦(ばく)と出会い、運命的な恋に落ちるが、ある日、麦は朝子の前から忽然と姿を消す。それから2年後、大阪から東京に引っ越した朝子は麦とそっくりな顔の亮平と出会い、交流を深めていく。

『寝ても覚めても』感想(ネタバレなし)

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新しい“日本映画”のカタチ

もうすでに2019年のカンヌ国際映画祭の準備が着々と進んでいる中で今さら振り返るのもあれですが、2018年のカンヌ国際映画祭は日本映画大注目のフィーバー・タイムでした。是枝裕和監督の『万引き家族』が最高賞のパルム・ドールを受賞した偉業は、ふだんこういうタイプの映画を観ない一般層にも関心を湧き起こす素晴らしいきっかけにもなりました。

日本国内で開催される映画賞の話題度はたかが知れているところがありますが、一方で「海外で絶大に評価されました!」と言われると、無関心だった人でも「そうなんだ。じゃあ、どんなものなんだろう?」と足を運んでもらいやすくなるんですね。あらためて海外で評価されることの重要性を痛感する出来事でもありました。

そんな2018年のカンヌ国際映画祭ではもうひとつ日本映画がコンペティション部門に出品されていました。それが本作『寝ても覚めても』です。どの賞にも輝かなかったことと(でも出品されるだけでも凄い)、頂点に輝いた『万引き家族』に関心が集中したこともあって、イマイチ話題になりきれずに終わってしまった感はありましたが、この作品もじゅうぶん特筆に値する一作です。

なによりさっきから「日本映画」と連呼していますが、『寝ても覚めても』はフランスが製作国に名を連ねていることからもわかるように、フランス企業のバックサポートで作られた映画です。

監督は“濱口竜介”。2015年に手がけたインディーズ映画『ハッピーアワー』が高く評価されたことで業界内では話題になったのですが、この作品、5時間越えの映画であるため、なかなか人に気軽に勧めづらいのがネック。さすがに5時間は映画通でも躊躇することもありますよね…。

そんな“濱口竜介”監督の商業デビュー作が『寝ても覚めても』であり、いきなりのカンヌという大舞台まで駆け上がったのは凄いことです。その大躍進の理由には、フランスという海外資本のおかげというのも少なからずあると思います。

日本映画界は大手企業が牛耳っている状態であり、国内でじゅうぶんビジネスを成功させることができるため、海外市場に目を向けることはあまりありません。ゆえにお約束の一般層ウケのいい作品ばかりが映画館では連日上映されている…それは映画ファンもつくづく感じるところでしょう。

その潮流の中で、マイナーなインディーズ系作品は非常に少ない足場で踏ん張っているのも事実。海外であればこうした大手企業が手を出さない映画を救う受け皿として「Netflix」の存在が大きな力を発揮しています。でも、日本にはそんな従来のビジネスから脱する新興企業は存在しません。では、どうしたらいいのか。

その問題に対する有力なアンサーになるのが「海外資本で映画を作る」という選択なのでしょう。実力さえあれば日本の大手企業に媚びを売らずとも海外の“映画を芸術として評価してくれる組織”と手を結んで、他にはないユニークな作品が生み出せる。それが頻繁に起こるようになれば、日本映画界の硬直した構造は変わらざるを得なくなるのかもしれません。それこそNetflixに揺れるハリウッドのように。

グローバル・クリエイティブの時代に「日本映画」という概念は存在する価値があるのか。新しい“日本映画”のカタチがあってもいいのでは。

実はそんなセンセーショナルな問いかけも抱えているかもしれない、『寝ても覚めても』。観れば「ああ、これは日本映画の定番では通用しない恋愛映画だな」とすぐにわかるはずです。そのような視点で観てみるのも興味深いでしょう。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(変わった作品を観たいなら)
友人 ◯(議論は盛り上がる)
恋人 ◯(議論は盛り上がる)
キッズ △(大人のドラマです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『寝ても覚めても』感想(ネタバレあり)

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「恋をしていると幸せなんやな」

『寝ても覚めても』は原作は芥川賞作家の柴崎友香の恋愛小説で、あらすじをシンプルに一文で表現すると「同じ顔をした2人の男性の間で揺れ動く女性の恋心を描いた物語」。

これだけ聞くと、ベタな恋愛モノじゃないかと思うのも無理はないと思います。私も映画の鑑賞前は正直、あまり期待していなかったというか、結局は型どおりなのではと半信半疑な気持ちでした。

ところが全然そんな内容じゃなかった…いや、予想を軽く超えるとんでもない代物で、びっくりしたし、自分は浅はかだったと反省したし、いろいろな意味で心をかき乱されました。

まず序盤、本作の主人公である泉谷朝子が小さな写真展の会場で「麦」という見るからに謎めいた男と出会うシーンから始まります。そして、帰り道で二人は面と向かい、名前を紹介し合って、キス。こうして男女は恋人同士となりました。めでたし、めでたし。

いや~、恋って本当に突然降ってくるもんで…そんなわけあるかい! そういう関西人らしいツッコミでスタートする本作は、まさに日本映画にありがちな“フィクション恋愛あるある”を風刺するものになっており、普通の恋愛映画ではありませんという宣言にもなっています。この序盤パートでの朝子の友人の島春代のセリフ「あさちゃん、これはあかん。一番あかんタイプのやつや」がツボに入る滑稽さで、大半の観客の気持ちを代弁しているのですが、物語はこの“あかん”方向にさらにぐんぐん突っ走っていくのでした。

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「めっちゃ好き」

で、いきなり全体的なまとめになってしまいますが、本作を観た観客の評価を分ける最大の問題点は“あんな行動をとる”朝子を許容できるかどうか、ここに尽きると思います。もちろん許せないと思うのは当然です。たぶんアレは100人中100人が激怒する行為でしょうし、道徳とか倫理とか以前に他人の気持ちをズタズタにする最低な裏切りだとみなされるのは、世間の常識かも、うん、常識でしょう。

でもこの映画は別に「朝子を許せる?許せない?」アンケート調査ではないわけで…。

私は朝子の行動の賛否は置いといて、それを描く意味はじゅうぶん理解できたので、その点は納得いきました。しかも、結構、自分に当てはめて考えられたのは意外でしたね。

この問題については、恋愛という枠を一回忘れて別のことに変換して考えてみるといいかもしれません。

例えば、映画鑑賞という趣味。私のような映画好きにはありがちな現象ですが、ある映画を観て「ああ、これは一番好きだな」とベタ惚れしたかと思えば、後日、別のある映画を観て「ああ、これも一番好きだな」とまたもや惚れまくる。あげくに誰にも頼まれてもいないのに年末には「ベスト10」とか決めだしたりする。こういう行為は、映画鑑賞なんて全く趣味じゃない人にしてみれば、意味不明な気持ち悪い行為に映るものです。どういうロジックでそうしているの? 結局、一時の気まぐれみたいな主観でしょう?…と。まあ、映画好きとして反論したいところですが、でもそれも認めたくないけど正論で。要するに好き勝手しているだけです。

じゃあ、恋愛はどうなのかと。恋愛は結婚や出産など人生を構成する要素になりうることもあって、ときに“大きな意義”を何かと与えられがちですが、これも好き勝手しているだけに過ぎないではないか。

だから恋愛にロジックなんて通用しないし、道徳も倫理も常識も問う価値はない。朝子は麦と丸子亮平という顔が同じ二人の男の間を彷徨うことになりますが、とくに丸子亮平との会話で「好き」という言葉で気持ちを互いに確認するのは、やっぱり恋愛がわからないからこそなのか。朝子以外にも、串橋耕介と鈴木マヤが初対面であれほどまでに気まずい対立をした犬猿の関係に思えたのに、一番順調に交際して、家庭を築いていたり、とにかく恋愛はわからない。

本作はこの恋愛の“よくわからなさ”をあえて露骨に表に出した、ある意味“嫌な”映画でした。

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「わからへん」

『寝ても覚めても』は恋愛というプライベートな小スケールの題材をメインに据えつつ、ちょっと広いスケールでその題材を相対化して見せている部分もあったと思います。

それが「震災」描写です。「野鴨」という鈴木マヤが出ている舞台演劇を見に来た丸子亮平は、その場に朝子がいないことにガッカリしつつも、観劇。しかし、突然の揺れと暗闇、そして悲鳴。東日本大震災の余波が襲ってきた瞬間。

この震災描写は生々しいですけど、別に本作は震災を描く映画ではなく、かといって闇雲に震災描写を映画に入れ込んだわけでもなく。

震災と恋愛に通じる点といえば、“元の居場所にとどまる人”と“新しい居場所に移る人”がいることです。被災した故郷の復興に尽力しながらその地で暮らし続けることを決めた人もいます。一方で、被災した故郷を離れ新天地で人生を再出発することに決めた人も大勢います。では、後者を酷い裏切りだと批判できるか。それはできないはずです。そして、そのどちらの選択がいいのかなんて、安易なロジックで決められることでもないでしょう。

作中では朝子は麦となかば駆け落ち状態で出ていくことになりますが、被災地を通っていきます。そこでどっちを選ぶか、決断を問われます。このように震災と恋愛を重ね合わせる演出があるゆえに、本作のテーマが一層センシティブなものになりますね。

麦の名前も夢を食べると言われる動物「バク」に重ねることで、震災と同じ“襲ってくる概念”としての存在感が強調されているのも物語的には面白いところです。

“よくわからない”…けど答えを出さないといけない。これってなかなかツラいですよね。映画感想なんて気楽なものとはそこは大違いです。

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東出昌大より不気味な存在がいた

こんなややこしい人間模様を描いた本作。それを支えたのはやはり役者陣の力。

丸子亮平と麦を演じた“東出昌大”は、以前から「よくわからない不気味な役」を演じると抜群にハマる俳優でしたが、今作にいたってはそれが二人分で観客に立ちはだかりますからね。このまま3人、4人と増えたらどうしようかと思いましたよ(ないです)。

ただ、その“東出昌大”を食う勢いで「よくわからない不気味な役」を怪演した泉谷朝子になりきった“唐田えりか”が凄かった。あまりキャリアとしても私は存じ上げない女優だったのですが、そのせいもあって、“なんなんだこの女は”と不安感を煽ってくる、良い怖さがありました。たぶん本来なら純情とかピュアな透き通ったイメージで売っている女優なのかもしれないですけど、それをこう使った“濱口竜介”監督。絶妙な手腕…。アジア・フィルム・アワードで新人女優賞にノミネートされたようですが、今後も日本なんか置いといて国際的な舞台でガンガン活躍していってほしいです。

あとは“濱口竜介”監督の演出力はやっぱり素晴らしいなと。序盤から続く日常系ホラーみたいな空間の描き方も、何気ないセリフの置き方も、どれも意外に計算されているのではと思わせますし、麦再登場からの展開は完全にサスペンススリラーでした。防波堤とか、フィールド使いも良いですね。なんとなく思ったのは、これ、アクセルの踏み込み方を過激にしたら、デヴィット・リンチ監督作みたいになるような気も…。とにかく陳腐な恋愛映画になりうるのに、監督のストーリー・バランス感覚の見事さで回避している。いろいろな才能を結集した映画でした。

“濱口竜介”監督の次回作も含めて、今後が非常に楽しみです。次はカンヌのてっぺん、登ってください。

『寝ても覚めても』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 67% Audience –%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

以上、『寝ても覚めても』の感想でした。

Asako I & II (2018) [Japanese Review] 『寝ても覚めても』考察・評価レビュー