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ドキュメンタリー映画『グルスポングの奇跡』感想(ネタバレ)…姉妹の真実を知っているのは

グルスポングの奇跡
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たぶん死者だけ…ドキュメンタリー映画『グルスポングの奇跡』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Miraklet i Gullspång(The Gullspång Miracle)
製作国:スウェーデン・ノルウェー・デンマーク(2023年)
日本公開日:2026年9月4日
監督:マリア・フレデリクソン
グルスポングの奇跡

ぐるすぽんぐのきせき
『グルスポングの奇跡』のポスター

『グルスポングの奇跡』簡単紹介

マイとカーリの姉妹は、療養がてらの気分転換で、スウェーデンの小さな町であるグルスポングで穏やかに過ごすことにする。その地で家探しをしていた敬虔な2人は飾られていた絵に運命を感じ、理想の家を見つける。しかし、驚きの出来事が起きる。不動産を取り引きしに現れたオーウラグは、かつて自ら命を絶った姉のリータになぜか瓜二つだった。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『グルスポングの奇跡』の感想です。

『グルスポングの奇跡』感想(ネタバレなし)

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つまりどういうこと?

家を探してますか? あれ、あの人、あなたの兄弟姉妹に似てない?

そんなことを経験したら、ドキュメンタリー映画になるかも…しれません。

さっそく本題に移りましょう。

紹介するのは、『グルスポングの奇跡』というドキュメンタリー映画です。

本作はスウェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧合作の2023年の作品で、日本では2026年に劇場公開となりました。

ドキュメンタリーはさまざまな対象を扱うものですが、今作はとある高齢の姉妹に焦点をあてている、言ってしまえばとてもパーソナルでミニマムな作品です。その姉妹はスウェーデンのグルスポングという小さな町に住むことになり、人口も1000人ちょっとの規模なのですが、そこで思わぬ家族にまつわる体験をすることになります。

で、何があったのか…という話なのですが…。これは…何と言えばいいのか、運命的な出来事だと思ったら、根深い歴史に紐づく過去が露呈し、シリアスだと思ったら、妙に捻じれた転調をし始め、最終的に…う~ん…となる…。いや、これは反応に困る作品じゃないでしょうか。

ベタな感動の家族ストーリーとかにはならないし、何かを告発するほどにも到達しない。他人からみると「全くとりとめのない他者の家族の話を聞かされたような…」という感じ。「それで、結局何なの!?」とこっちが問い詰めたくなる空気すらある。

とにかく衝撃的な物語とか、御涙頂戴の物語とかは、全く期待しないでください。タイトルも皮肉が効いてますね。

初見の率直な感想として、私はよくドキュメンタリー映画としてまとめることができたなと思いましたよ。普通、途中で「これは企画としてダメだな」となりそうですし。日本の配給だって宣伝で「ラビリンス・ドキュメンタリー」なんてよくわからない言葉でアピールするしかない状況になっているのがその証ですよ。本作、言及に困る一作だ…。

この珍妙な『グルスポングの奇跡』を手がけたのは、これが長編映画監督デビュー作となる“マリア・フレデリクソン”。今は女性だけで設立された制作会社「Ballad Film」を創設し、そこでドキュメンタリー関係の仕事を主にしているようです。これまでに、犬の購入に対する税控除を受ける権利を求めて闘うサーミ人の女性を通して、スウェーデン政府のサーミ文化に対する無知を浮き彫りにさせ、先住民の権利と経済的差別を問う短編ドキュメンタリー『Svonni vs. Skatteverket』(2021年)などを製作してきたとのこと。

『グルスポングの奇跡』を鑑賞して「つまりどういうこと?」となったら、その反応がきっと普通です。別にあなたが何かを見逃したわけでもない。どういうこともないけど、こういう家族なんだな…と思えばいいんじゃないですか?

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『グルスポングの奇跡』を観る前のQ&A

『グルスポングの奇跡』の見どころ
★家族というコミュニティの曖昧さ。

鑑賞の案内チェック

基本 —
キッズ 3.0
子どもにはわかりにくい。
▼
↓ここからネタバレが含まれます↓
▼

『グルスポングの奇跡』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『グルスポングの奇跡』のネタバレありの感想本文です。

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グルスポングの…奇跡?

『グルスポングの奇跡』の経緯は簡単にまとめるとこうです。

ノルウェー出身の高齢女性のマイは、スウェーデンのグルスポングに住んでいる姉妹のカーリを訪ねました。それで、ウォータースライダーかなんかの事故で、マイは尾骨を骨折してしまったらしく、しばらく動きづらいのでカーリの家で数週間は療養しないといけないのですけど、それもどうかということで、自分の一時住まい探しをすることになります。

そして住まい候補のある家に入ると、その家のキッチンに飾られた3枚の果物の絵に魅入り、この家が良い!と直感で決めます。まあ、ここまではよくある住居探しの話。なんかいかにも高齢者らしいのんびりした話ですよ。

しかし、ここである出会いが…。

その家を担当する不動産業者の女性としてマイとカーリの前に現れたのがオーウラグ。彼女の顔をみて、2人はびっくり仰天。自分たちの姉のリータにそっくりじゃないですか。リータは1988年に自ら命を絶ってこの世にいないので、ここにいるはずもないです。

リータがもし生きていれば、こんな老けかたで今に至るだろうなという姿。聞けばオーウラグは顔だけでなく、誕生日も同じで、若い頃のニックネームも一緒。

そんな偶然があるの?…という驚きの出来事でした。

終わり。

いや、終わらないのですけど。終わっていれば良かったのかもしれない…。

正直、この序盤だけの話なら、よくある「歴史で結ばれた奇跡的な感動の再会」です。これだけだとニュース・バラエティー番組のちょっと信じられない話題のコーナーで5分程度で説明される程度でしょう。

さらにオーウラグはリータの双子の姉であることが判明します。どうやら生き別れのようで、どうも1940年代にナチス・ドイツ占領下のノルウェーでは双子は人体実験の対象として狙われる危険があったゆえに、オーウラグだけ出生時に「死亡」と偽られて別の家族に託されたらしい、と。

この過去の話も、理屈としては腑に落ちます。かつての悲しい歴史が生んだ「隠された双子」ってやつです。

2018年に『同じ遺伝子の3人の他人』というドキュメンタリー映画があって、あちらは研究上の理由で引き離されて出自を知らないままに育った3つ子を映していましたが、そういうのと同系統ですよね。フィクションの劇映画でも「私に双子の兄弟姉妹がいたなんて!」という展開はよくありがちです。

そもそも本作『グルスポングの奇跡』が製作されるに至った流れも、この奇跡的な出来事を記録に残したいと思った姉妹が、スウェーデンの国営放送局「SVT」に連絡したことがきっかけだそうです。“マリア・フレデリクソン”はそこで以前働いており、そのツテで話が回ってきたのだとか。要は当事者からの依頼で製作しています。

当人たちもこれはネタになると確信してのことだったでしょう。

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事実は小説より奇なり…というほどにもならない

ところがこの『グルスポングの奇跡』は、そこから展開がさらにひっくり返っていきます。

再度のDNA検査の結果、オーウラグとリータは別に双子どころか血縁者でもない…という新情報が浮上。これだけであれば「勘違いだったのか」となりますよ。「もしかして双子ネタはでっちあげで、話題作りのために当人で垂れ込んだのか?」と怪しむこともできます。どちらにせよこの時点で企画はボツになっても文句は言えません。

しかし、リータは自殺じゃなくて、殺人の可能性がある…とまで浮上してくると、ちょっと只事ではない空気にはなります。警察記録によれば湖畔で心不全で亡くなったらしいですが、横領スキャンダルの後で、パートナーとも不審な別れもあって、目撃者の証言も矛盾し…とにかく怪しいところが多々あります。

でも本作は闇に葬られた犯罪事件の真相解明に突き進む…ことにはなりません。この場に名探偵がいれば、すかさず「あれれ~」と怪しいところを調査し、隠れた犯人を突き止めること間違いないでしょう。けれどもこのドキュメンタリー映画には探偵はいません。そういう作品じゃないのです。

だからモヤっとする観客は当然いるはず。事件性を調べもしないまま物語が進むミステリー・ドラマを見ているような気分です。

ただ、そこがこの『グルスポングの奇跡』の面白いところでもあって、私なりに言うなら、現実はフィクションよりもっと意味不明だ…ということです。

本作は「世にも奇妙な物語」にすらなりきれていないです。「事実は小説より奇なり」という言い回しがありますが、実際は「奇」という形になることもなく、ただひたすらに曖昧でわからなさが充満して終わる…。それが現実です。

私たちはどうしても「ストーリー」を期待してしまいます。起承転結があるとか、スカっとするオチがあるとか、そういうやつです。でも現実はそんなことを保証するわけもないじゃないですか。脚本家だっていないんですから。“デイヴィッド・リンチ”的な奇妙な捻じれをみせかけることはできても、物語の完成を約束はしません。

こういうのって、何かを取材・調査したことがある人なら、よく経験しがちな感覚じゃないでしょうか。調べていけば真相解明ができると思って調査を継続するけど、調べるほどにわからないことだらけで、当初の「こうだろうな」という予想とは全然違う方向に行くし、かと言って別の答えがみえてくるわけでもない。なんだか手を出したことで余計にごちゃごちゃになっただけのような気がしてくる…。

倫理観のないテレビ番組のプロデューサーなら、「もっと面白くするために、こういうストーリーで編集していけ!」と指示し、それがいわゆる「ヤラセ」になるのでしょうけど、この『グルスポングの奇跡』では“マリア・フレデリクソン”監督はそういうあられもない現実をそのまま映すのがユニークでした。なので、ヤラセのようで、それすらしないという、一周回って出来の悪いヤラセもどきみたいになってるところがありますね。

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こじつけでもいい

もちろん『グルスポングの奇跡』でも編集はされているので、意図的な演出はあります。

冒頭からしてそれは炸裂しています。マイとカーリのあの絵を発見したときを再現する、何とも言えない撮影の姿。当人たちは敬虔なクリスチャンなので、あの3枚の絵に三位一体の神の啓示を感じたわけですけど、私たち部外者からみると本当にどうでもいいやりとりにしか思えなくなってくる…平凡な再現シーンです。

オーウラグとの関わりも傍から見るとシュールです。オーウラグからすると、マイとカーリの人生はあまりに保守的すぎて退屈というか、まあ、馬が合わないのでしょうね。

それもわかります。だって、リータの死が自殺じゃないかも…となってきた際に、キリスト教的には自殺はあまり良いものとされないという考えかたから、マイとカーリはとりあえず「自殺じゃなくてよかった」と受け止めるのですけど、「そういう問題なのか?」ってツッコミは当然あるでしょうから。

さらにマイとカーリはオーウラグがわざと家族関係を否定しようと狙ってそんな疑惑を持ち出しているのでは?と示唆するのですけど、こうなってくるともう言いがかりみたいなもので…。どのみち、殺人であるという決定的な証拠もなく、もう血縁かどうかはわりとどうでもいい論点になってきているのですけど…。

本作を観ていると、あらためて「他人は他人」ということがわかりますね。得体のしれない相手であり、家族とか血縁とかそういうものであろうと他人なのは変わらないです。

でも人は家族とか血縁にすごく執着します。そこに信仰めいたものまで見いだして…。それは、そうやってこじつけみたいなものであろうとも居場所が欲しいということなのだとも思います。

真実なんてどうでもいいのです。人は後付けで理屈を考えます。それこそ生者の特徴なのかもしれません。真相を知る唯一の死者はもう口を開きません。

『グルスポングの奇跡』の“マリア・フレデリクソン”監督はエンドクレジットの最後までそんな生者の生態に付き合ってあげる人なのでした。

『グルスポングの奇跡』
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)

以上、『グルスポングの奇跡』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)2023, Ballad Film, SVT, Film i Väst, Film Stockholm, Mer Film, Good Company Pictures. All rights reserved グルスポング・ミラクル

The Gullspång Miracle (2023) [Japanese Review] 『グルスポングの奇跡』考察・評価レビュー
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