ギリギリまで挑発的に!…映画『ワンダー・バー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(1934年)
日本では劇場未公開
監督:ロイド・ベーコン、バスビー・バークレー
自死・自傷描写 恋愛描写
わんだーばー

『ワンダー・バー』物語 簡単紹介
『ワンダー・バー』感想(ネタバレなし)
ヘイズ・コードを挑発する
アメリカのハリウッド映画において保守的なキリスト教の道徳的価値観に反する描写を規制するべく作成された指針「ヘイズ・コード」。性的マイノリティの表現も厳しく制限され、クィア表象は著しく抑え込まれてしまう時代が到来することになります。
そのヘイズ・コードは1930年に採択されたのですが、厳格に運用されだしたのが1934年。1934年6月に「製作倫理規定管理局(PCA)」が設立されたことで、この年の7月1日以降の公開映画は、公開前に承認証明書を取得することが義務付けられました。つまり、1930年から1934年のこの途中までは、「ヘイズ・コードはあるにはあるけど、無視もできる」という中途半端な状態でした。この時期は「プレコード(Pre-Code)」と呼ばれています。
ではそのプレコード時代では、大手スタジオはあっさり規制に屈したのかというと、必ずしもそうでもなく…。
今回紹介する映画は、ヘイズ・コード本格化のギリギリに初公開され、まさにヘイズ・コードを挑発するかのごとく、指針に反する内容がてんこ盛りの作品でした。
それが本作『ワンダー・バー』。
本作は1934年2月28日に初公開されたワーナー・ブラザース制作のアメリカ映画です。アメリカ映画ですけど、パリの高級ナイトクラブが舞台となっています。
ジャンル的にはなかなかにミックスで、ナイトクラブらしく派手なミュージカル・パフォーマンスがあるシーンが長めに用意されていたかと思えば、メインのストーリーはロマンスとサスペンスが混ざり合い、ところどころコミカルにもなっています。
『ワンダー・バー』は、トーキーのスターだった“アル・ジョルソン”が主演していたブロードウェイを映画化したもので、“アル・ジョルソン”がそのまま主演しています。
この『ワンダー・バー』にはクィア表象もあり、ただ、そうは言ってもほぼワンシーンだけのギャグとしての描写です。正直、ストーリー上は何も必須でもない、いくらでもカットできるシーンなのですけど…。
しかし、このシーンはヘイズ・コードの検閲官から相当に問題視され、大変なことになっていくのでした。そのあたりの話は後半の感想で…。
今回はクィア映画史を振り返る中で、この『ワンダー・バー』のクィア表象に注目してみたいと思います。『ワンダー・バー』を観ると、プレコード時代の映画業界におけるヘイズ・コードとの緊張感もよくわかりますからね。
『ワンダー・バー』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 黒人差別(ブラックフェイス)の描写があります。 |
| キッズ | 低年齢の子どもにはわかりにくい物語です。 |
『ワンダー・バー』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
フランスのパリ。この華やかな街で、富裕層や上流階級の人々を虜にしていたのがナイトクラブ「ワンダー・バー」。しかし、このエンターテインメントの場で、ある2つのドラマが交錯することになるとは、誰も想像していませんでした。
「ワンダー・バー」でメインのパフォーマーであったジゴロのハリーは銀行家ルノーの妻リアーヌと密かに不倫の愛を楽しんでいました。ルノーは裕福に暮らす妻がそんなことをしているとは思ってもいません。
一方でこのハリーは「ワンダー・バー」のダンサーであるイネスとも関係を築いており、イネスはすっかりハリーに夢中です。イネス自身はハリーの女へのだらしなさを過小評価していました。
愛に我を失うリアーヌはハリーにとっておきのダイヤモンドの首飾りを与えてしまいます。夫のルノーにはダイヤは失くしたと言い訳をしますが、あれほど高価なダイヤを紛失するなどさすがにどう考えても怪しいです。ルノーは探偵に調査を依頼することにします。
夫の調査を知ったリアーヌはハリーに返却してほしいと慌てて頼むのですが、当のハリーはもう持っていないと嘘をつき、なおも往生際が悪いです。しかし、あまりにリアーヌが焦っているので、「首飾りはカネに替えたからこの夜の最後の舞台が済んだら2人でアメリカへ逃げよう」と誘って安心させます。
急いでハリーは首飾りを「ワンダー・バー」のオーナーで歌い手でもあるアル・ワンダーに売ろうとしますが…。
ところかわって、ドイツ軍将校のフォン・フェリング大尉は株式投資で大損し、もはや投資の失敗を巻き返すこともできず、破産は確定的でした。アル・ワンダーはフェリングと親交があり、崖から自動車ごと飛び降りて自殺すると口走っているのも聞きます。
ハリーのトラブルとフェリングの失敗。これが思わぬかたちで結びつき…。

ここから『ワンダー・バー』のネタバレありの感想本文です。
ヘイズ・コードに違反しまくりな中身
『ワンダー・バー』は基本的に一夜の出来事を描いているだけなのですけど、それにしてはいろいろ盛りだくさんでしたね。
まずパリが舞台なだけあってか、非常に「退廃的」(デカダント)な雰囲気が全開です。実際に当時のパリがここまでだったのかはさておき、アメリカ人の考えるパリのイメージをそのまま再現したかのような空気感でした。
クラブ「ワンダー・バー」のステージ・パフォーマンスも気合が入っており、群衆の流れるような舞いを、非常に凝った撮りかたで映像にしており、優雅な女性陣のダンスにアイマスクをつけた男性陣が加わる流れも見事。鏡を駆使した無限空間は圧巻です。ここだけ観るかぎりだと、凄いゴージャスなミュージカルを楽しんだ気分になれます。
しかし、終盤の唐突なブラックフェイス・ミンストレルショーはさすがに何も褒められないですけど…。黒人天使の総出演によるやたらドラマチックで規模もデカく、「一体何が始まったんだ…」と初見なら絶対にキョトンとしますよね…。
主演の“アル・ジョルソン”はそもそもブラックフェイスを持ちネタとするスターで、ブラックフェイス・パフォーマーのキングだと評されているほどの人です(1927年の『ジャズ・シンガー』はとくに有名)。“アル・ジョルソン”がブロードウェイと映画の業界においてブラックフェイスを大衆に普及させたことが、結果的に何をもたらしたのかという複雑な遺産は、すでに専門家によって多角的に批評されていますので、そちらは今回はこれ以上は触れません。
ひとつ注釈を入れるならば、このブラックフェイスは1930年代当時はもう批判されるようになり始めており、後述するヘイズ・コードに関係なく、ブームは後退していました。
『ワンダー・バー』に話を戻すと、パフォーマンス以外の大部分は、結構ざっくばらんにジャンルが混ざり合います。
ジゴロのハリーを中心にリアーヌとイネスという2人の女性が振り回されるロマンスのパートがメインではありつつ、それはハリーの死という惨劇に繋がり、そこにフェリングの自殺計画がアル・ワンダーの画策によって利用されます。
これらのストーリーは当時のヘイズ・コードにどれも違反しまくっていました。
不倫、殺人、自殺ですからね。しかも、そのどれもが作品のコミカルな空気の中で展開するので、咎められる感じもないです。性道徳も挑発的で、序盤から足を強調して女性をセクシーに撮ったかと思えば、クラブに顔を出す中年女性たちすらも性に奔放な感じをみせ、ハリーとイネスが最後に踊るシーンはなぜかやけに激しく鞭が打たれ、BDSMの匂いが際立ちます。
まあ、最終的なオチについては「それって上手く丸く収まったと言えるの?」という疑問が私はずっと拭えぬままの感想ではあるのですが…。カラっとした「ちょっと切ないこともあったけど、これも人生だよね」というトーンで終わらせたつもりなのかな。享楽の中にほんのひとつまみの哀愁がある味加減にしようという狙いがありそうなのは想像がつきますけど、上手いかどうかは正直よくわからない…。
ギャグも検閲される
で、ここからがこの私の感想の本題。『ワンダー・バー』のクィア表象についてです。
不倫、殺人、自殺、そして無自覚な人種差別と、あれこれオンパレードな『ワンダー・バー』でしたが、ヘイズ・コードの検閲官が一番に問題視したのはそれらではありませんでした。最大の論争となったのが、あるワンシーンのギャグです。
それは映画のわりと前半にあり、クラブ「ワンダー・バー」でパーティーが開かれ、参加者が男女ペアを組んで踊っているひと幕。ひとりの男性がペアで踊っている男女に近づき、踊っている男性の肩を叩いて「私もいいですか?」と聞きます。女性と踊っていた男性は微笑んで彼女から離れ、新しく来た男性が女性とペアを組んで踊るかと思いきや、男性のほうとペアを組み、男性同士で優雅に踊って画面外へ消え去る…というくだりです。
その一連のやりとりをオーナーである“アル・ジョルソン”演じるアル・ワンダーが見ていて、愉快そうに「Boys will be boys! Wooo Wooo!」と言い放って囃し立てます。
「Boys will be boys」は「これだから男の子ってやつは!」みたいなニュアンスの言葉で、本来は典型的な男らしさを揶揄う言い回しですが、本作では同性愛を浮かび上がらせる効果をだしています。
これは別に同性愛嫌悪というわけでもなく、むしろ異性愛規範をおちょくるようなノリが強く、当時の映画界に確かにあった同性愛の受容を再確認できますね。まあ、こういうシーンがあるからと言って当事者が嬉しいと思うかどうかは別問題ですが…(ブラックフェイスと同じで、第3者に勝手にコメディに使われているだけな感じも否めない)。
しかし、検閲官はこのシーンに激怒し、当時に有名な検閲官だった“ジョセフ・ブリーン”は執拗にこのシーンのカットを要求するも、ワーナー・ブラザース側は無視し続けていたそうで…。
『ワンダー・バー』は1934年2月28日に劇場初公開されたのですが、前述したとおり、ヘイズ・コードは「製作倫理規定管理局(PCA)」設立とともにこの年の7月1日以降の公開映画に強制適用され、後に公開された『ワンダー・バー』もその対象になりました。そして、オハイオ州とペンシルベニア州の州検閲委員会が例のそのクィアなシーンをカットしたとのことです。
『ワンダー・バー』は狙ったわけではないでしょうけども、ヘイズ・コードと闘い、クィア表象を残そうとギリギリまで粘った第一線の映画となりました。1934年の公開のアメリカ映画には、あまりクィア表象と言えるほどの作品は乏しく、この『ワンダー・バー』は歴史を振り返っても稀有な存在感を放っています。
その後の暗い時代を思うと、あんなギャグでも軽やかに表現できたことが懐かしくなるくらいです。実際、あの時代を生きていた当事者はこの映画を観て(そして検閲されたのを目の当たりにして)、どう思っていたのでしょうか。それは映画を観るだけでは知る由もないことですが、どうしても考えてしまいますね。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
?(匂わせ/一瞬)
関連作品紹介
性的マイノリティを描くクィア映画の歴史を辿れる作品の感想一覧です。
以上、『ワンダー・バー』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Warner Bros. Pictures ワンダーバー
Wonder Bar (1934) [Japanese Review] 『ワンダー・バー』考察・評価レビュー
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