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『燃えあがる女性記者たち』感想(ネタバレ)…母なるインドは女性の声を聴かない

燃えあがる女性記者たち

それでも声をあげる…ドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Writing with Fire
製作国:インド(2021年)
日本公開日:2023年9月16日
監督:リントゥ・トーマス、スシュミト・ゴーシュ
性暴力描写

燃えあがる女性記者たち

もえあがるじょせいきしゃたち
燃えあがる女性記者たち

『燃えあがる女性記者たち』物語 簡単紹介

インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、カースト外の「不可触民」として差別を受けるダリトの女性たちによって設立された新聞社「カバル・ラハリヤ」は、紙媒体からSNSやYouTubeでの発信を中心とするデジタルメディアとして新たな挑戦を開始する。ペンをスマートフォンに持ちかえた女性記者たちは、多重の差別や偏見に晒されるも挫けることなく、やがて大きなうねりとなってジャーナリズムを広げていく。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『燃えあがる女性記者たち』の感想です。

『燃えあがる女性記者たち』感想(ネタバレなし)

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インドでも市民がジャーナリストに

アメリカのタイム誌は2023年12月13日、世界に変化をもたらして今後の活躍が期待される「次世代の100人」を発表しました。日本からは、政治家でも芸能人でもない人物として元自衛官の“五ノ井里奈”氏が選出されています朝日新聞

“五ノ井里奈”氏は、陸上自衛隊郡山駐屯地で受けた性被害について実名で訴えたことで話題になった人であり、先日、元隊員3人が強制わいせつの罪に問われた裁判で、福島地方裁判所は「被害者の人格を無視し、卑劣で悪質だ」として、3人全員に執行猶予の付いた有罪判決を言い渡しました。

こうした告発は非常に勇気のいることであり、「次世代の100人」に選ばれたのはその姿勢を支持する意味合いもあると思いますが、一方で被害者ばかりが矢面に立たされる状況は歯がゆいものでもあります。なぜ被害者の名だけがネットに拡散し、顔を晒され、注目を浴び続けなければいけないのか…。

そもそも自衛隊という国家と密接に関連する組織の不正を暴くのはメディアの仕事ではないのか? 新聞やテレビ局などの大手メディアは今まで自衛隊のような組織の問題にどれほど積極的に向き合い、報道してきたのか? 注目を真っ先に浴びて被害者の盾になるべきはマスコミなのではないか? …そんなことを考えずにはいられません。

しばしば大手メディアのジャーナリズムが機能していないことは問題視されます。政府や大企業などの権力者におもねるあまり、事件などが発覚しても追及をしなかったり…。問題さえも見てみぬふりをしたり…。まるで広報のように権力者側の発言を伝えているだけだったり…。

そんなとき、市民ジャーナリズムの出番となります。大手メディアにできないなら、庶民が立ち上がるしかありません。

けれどもそれは簡単なことではなくて…。だいたい大手メディアにできないなら、市民にだって困難に決まっています。それでもやらないといけない。なぜなら市民にとってそれは自分事。ジャーナリズムは儲けるためでも、かっこつけるためでもない。生存の最後の頼みの綱なのです。

だから市民はジャーナリズムの瀬戸際です。これが破られればもう後はありません。

しかし、市民ジャーナリズムに携わる人の世間の評価は低くく…。一般人ゆえに無名ですから…。

最近もイスラエルによって悲惨な犠牲者がでているガザにて市民が現地の実情を命懸けで伝えていますが、「タイム誌はテイラー・スウィフトなんて今年の人に選ぶのではなく、ガザ現地のジャーナリストに与えるべきだ」なんて声もあがっていましたThe New Arab

ジャーナリズムに参加する庶民…もっとその功績は知られなければ…。

今回紹介するドキュメンタリー映画は、インドを舞台にジャーナリズムに挑んでいる女性たちにカメラを向けた作品です。

それが本作『燃えあがる女性記者たち』

本作はインドのある地域で活躍する小さなメディアを主題にしているのですが、このメディアは女性、しかもカーストにおける最も下層の人たちに記者をしてもらうというスタンスで運営されています。

この女性たちのメディアがインド社会の何を捉え、何を伝え、何をもたらすのか…それを追いかけたのがこのドキュメンタリーです。

あとの詳しいことは実際に観てほしいですね。『燃えあがる女性記者たち』は、差別や貧困が絡み合うインターセクショナリティなフェミニズムのモデルケースのような事例とも言えます。パワフルな作品です。

社会正義をテーマにしてきたインドの映画製作者である“リントゥ・トーマス”“スシュミト・ゴーシュ”が監督した『燃えあがる女性記者たち』は国際的に高く評価され、この市民ジャーナリズムの認知は高まりました。

インド社会は日本社会と類似点も少なくありません。

日本にいるとインド映画がたまにバズることはあっても、インドの政治や社会問題が報じられることはほとんどないので、『燃えあがる女性記者たち』はそれを知る入り口になるでしょう。

なお、本作には性暴力の直接的な描写はありませんが、性的被害について被害者が語っている場面はあるので、そこは留意してください。

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『燃えあがる女性記者たち』を観る前のQ&A

✔『燃えあがる女性記者たち』の見どころ
★ジャーナリズムの意義を目にできる。
✔『燃えあがる女性記者たち』の欠点
☆社会背景は他の資料でさらに学ぼう。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:ジェンダー観点で
友人 3.5:関心ある人に
恋人 3.5:興味あれば
キッズ 3.5:社会勉強に
↓ここからネタバレが含まれます↓

『燃えあがる女性記者たち』感想(ネタバレあり)

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女性とカーストの視点

ここから『燃えあがる女性記者たち』のネタバレありの感想本文です。

大手メディアというのは「視点」を見失いがちです。大局的な立場で「ウケ」を気にして報道してしまうこともあります。対するこの『燃えあがる女性記者たち』の市民ジャーナリストは自分たちの確固たる「視点」を持っており、それが何よりも最大の武器で、アイデンティティとなっています。

まずは「女性」だということ。インド社会もご多分に漏れず家父長制が非常に色濃いです。とくに農村部では女性の扱いは酷く、家財のようにみなされ、そこに女性の主体的な意思は反映されません。『スケーターガール』などの映画でもその実情は描かれています。

作中でも映し出されていましたが、この世界では「7歳で結婚」など婚姻自体が恋愛によるものではなく、親が決めたルールにすぎません。

これだけでもキツイですが、加えて「カースト」というものが被さってきます。ヒンドゥー教における身分制度がカーストですが、ヴァルナという分類で人々を区分するもので、そのヴァルナすらも持たないとされる最下層の人たちもいます。この人たちは「不可触民」と呼ばれていますが、当人はそんな自分たちを「ダリト(ダリット)」と自称しています。

本作で主題となる「カバル・ラハリヤ」は、インド北部のウッタル・プラデーシュ州でダリトの女性たちが立ち上げたメディアです。

あまり「女性ならではの視点」といった表現は好ましいものではないのはわかっていますが、この「カバル・ラハリヤ」はあえてその立場を上手く活用しています。

作中で一般女性が受けた性暴力の問題を取材しているシーンが冒頭からありますが、この農村部で女性がこのような性被害を打ち明けるなど滅多にないはずです。タブー視されていますから。「カバル・ラハリヤ」の記者が女性だから話せる…そういう構造をわかったうえで取材に向き合っています。

また、同じダリトの人たちの声もかき集めやすいです。今もインド社会ではカーストは本当にセンシティブで、法律上はカーストによる差別を禁止していても、社会に一度根を深くはった差別構造は消えてくれません。

当然、「カバル・ラハリヤ」の記者として集まったダリトの女性たちは、専門的な教育を受けたわけでもなく、ハッキリ言えば素人の集まりです。多少の指導をベテラン先輩から受けることはありつつ、作中の様子はあどけなさすらあり、観てるこっちは大丈夫なのかと不安にもなってきます。

あのダリトの女性たちが取材として各地を飛び回るのですから。危険は間違いなくあります。残念ながらダリトの女性はこのインド社会では最弱とみなされ、舐められています。作中の至るところでその見下しが滲んでいました。

当の若手や新米記者であるスニータシャームカリもかなり悩みながら仕事している様子が描かれ、主任記者ミーラに引っ張られ、奮闘しています。私は立場が全然違うので安易に共感するわけにもいきませんが、でもあれは不安だろうというのはわかります。

けれどもそんな最下層からのスタートのはずなのに、みるみるうちに自信と誇りを見い出していく。自分で自分を過小評価していた彼女たちが「私にはこんなこともできるんだ!」と存在意義を手にする。良い意味で“やりがい”と雇用というものがポジティブな化学反応を生んでいました。それは人権の充実感というものを噛みしめられる余裕が少しでき始めたからなんだと思います。

この光景は、生理用品を届ける事業に関わることによってインド社会の女性たちが変わっていく姿を追ったドキュメンタリー『ピリオド 羽ばたく女性たち』にもありましたね。

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ヒンドゥー・ナショナリズムを見つめる

「カバル・ラハリヤ」のダリトの女性たちは、本当にいろいろな題材を取材対象とします。女性やカーストに関する問題に限定されません。

あるときは違法労働が蔓延する危険な採掘場に爆音の中で立っていたり、またある時は選挙運動で湧く大群衆の中に立っていたり…。

作中ではインドの政権の変化(というか変化しなさ)も重要なトピックです。

2023年時点、インドの政治のトップである首相は“ナレンドラ・モディ”。2014年から首相を務め、ついに10年超えも目前の長期政権となっています。

この“ナレンドラ・モディ”首相は「ヒンドゥー至上主義(ヒンドゥー・ナショナリズム)」というかなり明白な政治姿勢を打ち出しています。これは要するに「ヒンドゥー教が絶対的に一番だ」という政治思想なのですが、インドという国は多様な民族や宗教で成り立っている中、こうして特定の宗教を優位とみなすことはあからさまに選民思想的です。ゆえに“ナレンドラ・モディ”首相の姿勢はナチスのヒトラーのように否定的に評されていたりもします。

しかし、国内では高い支持率を獲得し、その支持を背景に、公然と支配者のように君臨できているわけです。

「カバル・ラハリヤ」のダリトの女性たちはこのヒンドゥー・ナショナリズムの熱狂を冷静に見つめています。おそらく今のインドで最も批判しづらいものとなっているナショナリズム。その欺瞞を見抜き、社会の傷跡を伝えていく。

これだって相当にアウェイな居心地の悪さだと思います。あれだけ大衆の支持が吹き荒れている中、「これっておかしくないですか?」と声を上げるのは大変ですよ。多くの人は言葉を飲み込んでしまうはず。

しかし、やはりここでも「カバル・ラハリヤ」が先陣を切って伝えることで「そうだよね。そう思っていました」と同調の声が少しずつ広がっていく。

無論、「カバル・ラハリヤ」は逆張りだけの冷笑主義者ではありません。ちゃんと取材し、弱者に寄り添っています。そこは忘れていけないこと。

別に本作では何か政権転覆みたいな巨大な変化が起きたわけではないのですけども、小さなうねり(文字どおり「カバル・ラハリヤ」の名が表す「ニュースの波」)であってもそれはとても大切で…。こういう起点となるのも市民ジャーナリズムの無視できないパワーです。

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テクノロジーはいつまで味方なのか

『燃えあがる女性記者たち』にて「カバル・ラハリヤ」のダリトの女性たちが手にする最大の道具はスマートフォンです。貧困ゆえに持ったことも無いというスマホを初めて手にして、その使い方を覚えることからジャーナリズムは始まります。

2017年時点で、インド都市部ではダリト世帯の61%が携帯電話を所有しているらしいのですがNational Herald、今ではどれくらいの人がスマートフォンを持っているのかな…。作中ではもちろん動画も撮れるスタンダードなスマホを「カバル・ラハリヤ」のダリトの女性たちは与えられていたのでその点は好待遇です。

そして撮った取材動画はSNSやYouTubeチャンネルにアップされ、多くの視聴者を集めます(フェミニストをディスる罵倒コメントもつくけど)。

やはり今の市民ジャーナリズムにとってテクノロジーは必需品。『ラッカは静かに虐殺されている』でも描かれたように、スマホは欠かせません。

そういう意味では本作におけるテクノロジーの描かれ方は基本はポジティブです。

ただ、このテクノロジー依存の市民ジャーナリズムも危うさはありますし、そこは無視できないという側面はあるでしょう。インド政府も手をつけ始めているネット検閲に対抗できるのかという問題もそうですし、近年になって“イーロン・マスク”で露呈したように横暴な経営者の独裁でITサービス自体がジャーナリズム・メディアをシャットアウトしてくることだってあるし…。

本作は2016年から2019年の様子を中心に映しており、確かにこの時期はテクノロジーが市民ジャーナリズムを盛り上げるという高揚感があったと思います。

しかし、2020年代になってその希望的観測に暗い影が落とされてしまい、今のテクノロジー依存の市民ジャーナリズムは岐路に立たされているのかもしれないな…とも。相次いで「X(旧Twitter)」から撤退するジャーナリズム系組織アカウントを見ながら、つくづく実感します。

それでも市民ジャーナリズムはそれも含めて戦い続けるでしょうけどね。

2020年代になってもインド社会は変わらず、『K.G.F』『PATHAAN パターン』などナショナリズムを掲げたマスキュリニティ全開な映画が国内で大ヒットしているのも、そうした政治の時勢と無縁ではないはずです。

私みたいな異国にいる者ができるのは「カバル・ラハリヤ」のようなメディアの記事を伝えて積極的に引用したりすることかな。

見やすいところだと「Feminism in India」というメディアもオススメです。最近はダリトのトランスジェンダーの人々の23%が警察によって強制的に裸にされ、19%が支援の場で性的暴行を経験しているという悲惨な状況を報じていたりしていました。

良識あるメディア同士が互いに繋がること…2020年代はそうやって連帯を深めて備える時期かもしれないですね。この先、何か起こったときのために…。

『燃えあがる女性記者たち』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 78%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
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女性主導のインド映画の感想記事です。

・『おかしな子』

・『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画』

・『シークレット・スーパースター』

作品ポスター・画像 (C)BLACK TICKET FILMS. ALL RIGHTS RESERVED 燃え上がる女性記者たち

以上、『燃えあがる女性記者たち』の感想でした。

Writing with Fire (2021) [Japanese Review] 『燃えあがる女性記者たち』考察・評価レビュー