次は一緒に始めよう…「Amazon」ドラマシリーズ『キャリー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2026年)
シーズン1:2026年にAmazonで配信
ショーランナー:マイク・フラナガン
性暴力描写 イジメ描写 自死・自傷描写 児童虐待描写 LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
きゃりー

『キャリー』物語 簡単紹介
『キャリー』感想(ネタバレなし)
ドラマシリーズになっただけではない
今やレジェンドとなっているホラー作家“スティーヴン・キング”のキャリアの開幕を決定づけた一作となった1974年発表の小説『キャリー』。この物語は現代においてもあらゆる点でアイコニックな存在として刻まれています。
「いじめられていた子どもが、グロテスクで残酷な復讐を果たして覚醒する」というプロットを現代的な学校を舞台に確立させ、「少女」と「ホラー」を結びつけた定番ともなりました。
超有名なあの終盤のシーンは今なおパロディにされまくりであり、この作品に大きな影響を受けてクリエイターになったという人も数多です。
その小説『キャリー』は何度か映画化され、“ブライアン・デ・パルマ”監督の1976年の『キャリー』、一応はその続編ということになっている1999年の『キャリー2』、リブートとなる2002年のテレビ映画版『キャリー』、そして“クロエ・グレース・モレッツ”主演でさらにリブートされた2013年の『キャリー』…とありました。
そんな中、2026年、今度はドラマシリーズになることに。
それが本作『キャリー』です。タイトルは同じなのでドラマ『キャリー』と明記してきましょう。
あの名作をドラマ化するにあたって、原作を知っていると心配になることがあります。というのも原作はせいぜい1本の映画になる程度のボリュームしかなく、ドラマシリーズにしようとすると、どうしたってボリューム不足です。つまり、このドラマ『キャリー』は全8話(1話あたり約45~60分)なのですが、原作を大幅に脚色しないといけません。下手すると台無しにならないか…。
でも心配なしでした。なぜなら今回のドラマ『キャリー』を手がけるのは、あの“マイク・フラナガン”ですから。
“マイク・フラナガン”は“スティーヴン・キング”作品の映像化を任せられる安心と信頼のクリエイターの座を獲得しており、『ジェラルドのゲーム』(2017年)と『ドクター・スリープ』(2019年)、『サンキュー、チャック』(2024年)と、その実力を証明してきました。


ドラマシリーズでも、『真夜中のミサ』(2021年)、『ミッドナイト・クラブ』(2022年)、『アッシャー家の崩壊』(2023年)など、オリジナル作であろうとセンスを発揮。
私なりの評価をするなら、“マイク・フラナガン”はエモいホラーの語りが上手い人だなと思います。残酷さの中に「愚かな人間の希望」を見つめさせてくるというか…。
今回のドラマ『キャリー』も本当に大胆な脚色もあるのですけど、同時にすごく繊細な描写も輝いており、バランスが良いですね。時代設定は現代が舞台に変わっていますが、単なる現代化では終わっていません。
あと、“マイク・フラナガン”はクィアネスを現代的にアップデートしてステレオタイプではないかたちでホラーに盛り込むことを意識的にやっている感じが、過去作(とくに若者を描く作品)では観察できるのですけど、今作のドラマ『キャリー』もそこは期待していいです。クィアがメインではないですが、物語の大事な部分を支えています。
ドラマ『キャリー』で主演に大抜擢されたのは、『チャイルド・プレイ 誕生の秘密』にもでていたカナダ人の“サマー・H・ハウエル”。今作で才能を全開にさせているので、これは新たに伸びが期待される若手俳優になったのではないでしょうか。
原作を知らない人も当然楽しめますし(羨ましい)、原作や過去の映画を知っている人も新鮮なアレンジを満喫できるでしょう。イジメなど人間の残酷さを直視することになる物語ですが、今作はその先にエンパワーメントをもたらしてくれるのでぜひ。
『キャリー』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 生々しいイジメの描写があります。また、自死、親から子への虐待、未成年への性的加害行為などのシーンが一部にあります。 |
| キッズ | 低年齢の子どもには不向きです。 |
『キャリー』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
とある夜、ユーイン高校で火災との911通報がります。「みんな死んでいる」「街が燃えている」「通りが滅茶苦茶」だと…。
ところかわって暗い部屋で、ひとりの若い女子がインタビューに答えています。
「みんなあの事件を理解していない。私たちはまだ子どもだった」
アメリカのチェンバレン。ある工事現場にて、突然コンクリート・ブロックが倒れてひとりの作業員が下敷きになり、死亡してしまう事件が発生。犠牲者の名はラルフ・ホワイト。同僚は身内は知らないと言います。元海兵隊らしく終末論者で政府不信だったそうです。
警官が住宅管理担当者のエレノア・スネルとラルフの家に足を運びます。ドアを開け、中へ。室内はカーテンで覆われ、生活の名残がありました。独り暮らしではない様子。そして、階段下物置部屋にひとりの成人女性とその娘らしき女子が、こちらを警戒するように身を潜めてうずくまっていたのを発見します。
マーガレット・ホワイトとその娘のキャリー(キャリエッタ)は、何年も外出せず、夫(父)であるラルフの家でずっと生きてきたようです。ソーシャルワーカーのナンシー・パイパーが対面で観察しますが、キャリーに虐待の形跡もなく、本人は律儀で他人とのコミュニケーションもできます。
とにかくマーガレットは仕事しなくては保護者としての適性なしとなりかねません。そして、キャリーは学校に行くことになります。途中編入ですが冬休み明けで全学年が混ざる複合クラスがあるので、とりあえず大丈夫です。
こうして登校初日、マーガレットはキャリーを学校前まで車で送ります。「みんな目覚めていない。惑わされないで」と忠告しますが、キャリーは初めて見る景色に目を見開いていました。同年代の子が大勢いる…。
キャリーは目が泳ぎつつ、初めての登校を経験。かろうじて愛想笑いを浮かべつつ、緊張しながら同年代でいっぱいの廊下を歩きます。スマホとかいう代物を触っている子、露出度の高い服装の子、男子なのか女子なのかもわからない見た目の子、女子同士でキスしている子…。
ふと廊下でカウンセラーのピーター・モートンに遭遇し、リタ・デジャルダン先生の教室を教えてもらいます。
教室で注目を浴びながら席につくキャリー。後ろに座っていた学級委員長のスー・スネルは話しかけてくれます。スーは高飛車な女子のクリス・ハーゲンセンと大親友です。そのとき、スーのカレシのトミー・ロスが入って来て、スーに軽くキス。
キャリーにとってこんなに濃い1日は初めてで刺激的でした。自由時間中、クリスら女子たちは「どの子が一番イケてるか」という話題をしています。キャリーにはさっぱりです。
突然、放送で「訓練」の始まりが告げられ、生徒たちが教室の壁際に密集しだします。クリスはわざと煽るように銃乱射事件だと言います。キャリーはそれを信じてパニックになります。そして、教室に入ってきた犯人役の人の上に壁掛けのテレビが落下。教室が一瞬揺れた気も…。
情報量の多い1日を終え、帰宅したキャリーは母になぜ銃乱射事件の存在を教えなかったのかと素直な疑問を述べます。しかし、母は世界の危険性を力説し、祈らせるだけでした。
翌日、キャリーはさらに恥をかいてしまうことに…。
そんな過去を思い出しつつ、スーはインタビュアーを前に口を開きます。
「誰も正しい質問をしない。問題はキャリーだけじゃなかった」と…。

ここからドラマ『キャリー』のネタバレありの感想本文です。
「親の権利」は抑圧でしかない
原作は「子ども間のイジメ」と「大人(親や教師)の抑圧」がいかに個人を歪ませてしまうか…という恐怖をゾっとする衝撃とともに映し出しており、ドラマ『キャリー』でもその根幹は変わりません。残念ながらその双方は50年以上経った現代にも存在していますからね。
一方でドラマ『キャリー』はその2つをより現代の社会問題に乗せて描いており、社会の縮図としての青春学園モノの役割を果たしています。
まず、子どもたちですが、当然ながらスマホ世代であり、イジメの本場はオンラインです。原作どおり今作のキャリーも体育の授業後の更衣室で初潮にともなう陰湿なイジメ行為が発端となっていきますが、今作ではその光景はスマホで撮影され、後にSNSにミーム化して拡散します。
これくらいなら、まあ、現代的な嫌なイジメ描写としては平凡なのですけど、あのアカウント「キャリー・レッド」が10代の間で複雑なアイコン化していくのが印象的でしたね。
当初は生徒たちの日頃の不満や罵詈雑言をぶちまけるデジタルな掃きだめとして機能しているのですけど、ある事件がきっかけであのアカウントに政治的意義が生じてしまい、その評価をめぐってローカルなコミュニティの世論が二極化。キャリーも、変人としての嫌われ者から、一気に「耐え抜いて戦ってきた抵抗の少女」へと評判がひっくり返ります。作中でも触れられますけど、まさにジャンヌ・ダルク状態。
なので終盤のプロムでキャリーが本当にプロムクイーンに選ばれる展開にも説得力があります。今の時代はオンラインを活かせれば「被害者」が「ヒロイン」になることも可能だ、と。キャリー、スマホすら持っていないんですけどね…。
これは同時にキャリーに対する多面的な評価に繋がっており、それ自体が現実社会の私たちが「キャリー」を好きになっている現象の投影でもあるでしょう。
そして大人側ですが、今作最大の脚色のひとつがキャリーの両親でした。原作では母親のマーガレット(演じるのは“サマンサ・スローヤン”)は狂信的なキリスト教原理主義者の設定でしたけど、今回は明らかに陰謀論者になっています。ディープステートや反ワクチンなどに依存する、いかにも今っぽい陰謀論家庭です。
しかも、この社会適応できずにいたマーガレットが、吹っ切れて自身でネット配信をしだすようになり、反撃にでます。そこで彼女が標榜するのが「親の権利(Parental Rights)」です。これは本来は学校でLGBTQや人種差別の歴史を教えることに反発する一部の保護者が使いだした言葉で、保守的な政治運動のいち形態として、2020年代から激化しているものです。
今作のマーガレットは娘のキャリーを保護するという名目で、イジメ撲滅に便乗して、学校教育に介入しています。そして娘キャリーとは別のかたちで支持を集めることに…。
この一連の描写は「親の権利」運動は古くからある親による子への抑圧のリブートにすぎないことを見抜いた風刺と言えるでしょう。今作では母にハッキリ反発するキャリーの姿勢を通して、「それは子どものための活動なんかじゃない」と言い切っています。
また、学校側の責任もより浮き彫りにさせる描きかたになっています。ヘンリー・グレイル校長の事なかれ主義はとくに火に油を注いでおり、最期の感電死も同情の余地なしですね。
そうした現代化によって、今作のキャリーは原作以上に無知さが際立つスタート地点にいるのですけども、少しずつ知識を得て(図書館に感動する姿も良い)、自立したアイデンティティを獲得するさまはこちらも安心感のある展開でした。そのアイデンティティの芽生えが、異能としても演出されていて(パーティーの帰りに車が一瞬だけスーっと浮くシーンがいいですね)、今回の特殊能力は単なるヒステリックな恐怖の力ではありません。これは終盤の劇的なサプライズにも繋がってきますが…。
成し遂げられなかった女子の連帯と、男の罪
私は原作は名作だと思いますけど、今の視点からみると、2つのステレオタイプがあるなと思っていて、このドラマ『キャリー』はそのステレオタイプを2つとも覆していて、そこが嬉しかったです。
ひとつは、「これだから女って陰湿よね~」という“したり顔”のステレオタイプ。確かに今作でも女子間で生じるイジメが起点なのですが、女性の描きかたはこれまで以上に奥深くなっていました。
例えば、キャリーと対峙するクリス(演じるのは“アリソン・ソーントン”)ですが、彼女も親の抑圧(ネグレクト)の犠牲者です。本作では、キャリーとクリスは別の選択肢を歩んでいれば、一緒に共闘して大人に対抗し合える仲間になれていたのでは?という未来を一瞬だけ垣間見せてくれます。だからこそあの後半の話し合いの場での決裂が切ないです。
また、教師のリタ・デジャルダン(演じるのは“アンバー・ミッドサンダー”)は、今作はかなり生徒に共感的な立場寄りに位置するようになっていて、学校というシステムを変えようともがくも力及びません。
そして、何よりもキャリーの母マーガレット。正直、原作は「母親の育てかたが悪い」という短絡的な感想を引き出しやすい部分が否めなかったのですが、今作はこの単純化されがちな母親像が非常に多層的に描かれていて…。母娘の和解の未来を、原作よりも強く感じさせてくれます。最終話の「私は許される?」「神が許さなくても私が許す」「逆に私を許してくれる?」「許すよ。ママ」のやりとりは、涙、涙です…。
子どもの頃からキャリーに有名作の本をくれた隣人エステル(ステラ)・ホーランも地味ながら心強かったですし。最後まで心配してくれるなんて…。
逆に原作では不可視化されがちだった男性の責任に目を向ける構成も目立ちました。
校長はもう言及したので論外として、セス・パイスト先生(演じるのは“ラフル・コーリ”)のあのダメすぎる教師の失格っぷりも言うまでもなし。
クリスについては、あの弁護士の父親ジョンは「誤った権力の行使」を教えてしまい、世の中を冷笑するしかしないあのビリー・ノーランは孤立したクリスを搾取しただけです。ほんと、権力系中高年と冷笑系男子は女子に近づかないで…。
キャリーとマーガレットの裏にも男性…つまり父であり夫であるラルフの存在があります。彼もおそらくPTSDに苦しみ、その結果で陰謀論に陥ったのでしょうけど、家庭における男性の抑圧の最初の被害者となるのはマーガレットとキャリーだったわけですから。2人が遺骨を引き取るくだりはその過去との心の整理でもありました。
男性がみんな悪者なわけでもありません。今作のトミーはとても模範的な男子でした。スーとの別れかたも健全で、トミーのほうから本心でキャリーをプロムのパートナーに誘っており、嫌な感じがまるでありません。
人間から引き出されるのが邪悪さになるか、親切さ(kind)であるかは、誰とどんな関係を築けるかで決まる。ドラマ『キャリー』はその関係性を描くうえで、ジェンダーの力場をしっかり評せていました。
今度はクィアがキャリーを救う
残るもうひとつのステレオタイプが、「穢れを知らぬ純真な処女(性に目覚めたときに悲劇的な運命が舞い降りる)」というやつです。最近もこの型のドラマを観て、そのありきたりさにうんざりしたばかりですが…。
ドラマ『キャリー』では、これについては初潮事件の直後の序盤で早々に現代らしく性教育に言及がありますが、それだけで覆せるものでもないです。
だからなのか“マイク・フラナガン”は今回、超特大の改変を仕込んでいました。メインストーリーの裏で密かに進む、能力者をめぐるスケールのデカいサスペンスが…。
各エピソードの冒頭で他の能力者(TK遺伝子とかいうものが影響するらしい)の存在が露骨に示唆されていましたが、今回のドラマ『キャリー』の世界では、「能力者が結集した派閥」と「能力者の排除を狙う派閥」がいるらしく、両者は臨戦状態にあるようなのでした。「能力者が結集した派閥」は、1982年に車の下敷きになった息子を怪力で助けたアデレードが指揮しており、「能力者の排除を狙う派閥(複数いるのかも不明)」は幽体離脱の子を持つ母で、マーガレットに能力者殺しの手段を教示して接触したアマンダ・ウェストが登場します。アデレードのマーガレットの殺害シーンがまた恐ろしい…。
雰囲気としては『The Witch 魔女』シリーズみたいになっていますね。
今回の第1話で銃乱射事件訓練が描かれたとき、あのプロム大炎上は現代社会における銃乱射事件を彷彿とさせる描きかたにするのだろうと予想していましたが、まさか本当に銃が飛び出すとはね…。
しかも、この二者の対峙だけではないのです。ここがキャリーにとって大切なことですが、キャリーはそのどちらにも絡めとられることのない道に進みます。そうです、今回のキャリーは生存します。
そこで重要になってくるのがクィアネスです。
「キャリー・レッド」アカウントではアウティングなどのクィアフォビアな差別もばらまかれていましたが、作中でたびたび迷えるキャリーをまず救ってくれたのは、カウンセラーのモートンでした。彼はゲイであり(演じる“ティム・バグレー”もゲイであることを公表しています)、自身のイジメを受けた経験から、キャリーに親身に接してくれます。モートンの部屋には、パートナーと思われる男性とのツーショット写真やレインボーフラッグが映っています。
そしてキャリーの前にたびたび出現するエマリン・ウェスト。キャリーにしか見えない空想の人間かと思いきや、その正体は幽体離脱の能力者。そのエマリンはラストでキャリーの生存を導き、車でどこかに連れ出します。このエマリンを演じるのは、ノンバイナリー俳優“タリア・デュデック”で、ここもまたクィアな性質の濃いキャラクターが「あんたは枷を壊しただけ」とキャリーに自分の世界へと引っ張り出し、救います。「X-Men」にでも加入させるのかというぐらいの流れでしたよ。
本作のキャリーは別に性的マイノリティとしては明示的に描かれているわけではないですけど、規範に抗うクィアの精神というのは、別にクィアじゃない人にも突破口になったりするんですよね。
LGBTQコミュニティの中には「キャリー」が好きだった人も少なくないと思いますが、今作はクィアな人たちが「キャリー」を救ってあげる、ある種の恩返しの物語だったのかもしれません。
ドラマ版『キャリー』は、この他にも、トランスジェンダー女優“ジョシー・トタ”がティナ・ブレイクという最もコテコテの女子らしい役柄に起用されていますし(ちゃっかり生存している)、エピソードのひとつは“マイク・フラナガン”のノンバイナリーのシブリングである“ジェイミー・フラナガン”が脚本を担当しているとのこと(Autostraddle)。
プロムも学校も嫌いな、イジメに嫌な思い出しかない私にとっては、クィアとの親和性に満ちてますます自信たっぷりに強くなった『キャリー』は、ずっと観たかった結末の到来でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
関連作品紹介
スティーヴン・キング小説を映像化した作品の感想記事です。
・『ロングウォーク』
・『ランニング・マン』
・『IT イット ウェルカム・トゥ・デリー それが見えたら、終わり。』
以上、ドラマ『キャリー』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Amazon MGM Studios
Carrie (2026) [Japanese Review] 『キャリー』考察・評価レビュー
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