でも繋がる新たな出発点…映画『3670』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2025年)
日本公開日:2026年9月25日
監督:パク・ジュンホ
性描写 恋愛描写

『3670』物語 簡単紹介
『3670』感想(ネタバレなし)
韓国のクィア映画のマイルストーン
2026年9月早々の日本のSNSは、「ゲイの人たちは肛門性交ばかりしている」かのような頓珍漢な言説が飛び交い、さらには包括的性教育を否定する話にまで飛び火し、相変わらず支離滅裂な様子(この特定のセクシュアリティの行為に関する嫌悪の歴史はすでにさまざまな視点で研究されていますが…;Hirst et al.)。
まあ、そんなわけのわからない主張を信じるよりも、今回紹介する映画でも観ましょうよ。
その映画は、社会に生きるゲイの人たちを主役にしていますが、肛門性交をしようと執着しているわけではもちろんなく、人との繋がりを求めて彷徨う姿を映し出しています。
それが本作『3670』。
意味深なタイトルですが、これがどういう意味なのかは、映画を観るとわかります。
『3670』は韓国映画で、保守的な宗教(そこには日本でも存在感を発揮する統一教会を含む)の浸透ゆえに同性愛への社会的反発が根強い韓国において、映画がゲイを主役にすることは非常に珍しいです。とくに男性同士の同性愛はひときわ嫌悪の対象にされやすく、題材として避けられるか、題材になってもステレオタイプな描写にとどまることも多々あります。
最近だと『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』(2024年)がありましたが、あれもかなりマジョリティ観客を気遣った描写だったと思いましたし…。
その点、今回の『3670』は非常に先駆的な一作であり、韓国映画界のクィア映画史に刻まれる作品なのではないでしょうか。マイルストーンとなるクィア映画ですよ。
先ほども説明したように、本作は韓国社会で生きるゲイの人たちを描いているのですが、主人公はさらに脱北者でもあり、マイノリティとしては二重の周縁化を経験しているのが最大の特徴です。
「ゲイであること」と「脱北者であること」…この双方のアイデンティティの描写が本当に巧みだと思います。単に2つのマイノリティを合わせた映画だから新鮮…以上の、想像のその先を行く深みを提供してくれます。
物語としては、恋愛感情は描かれることは確かですけど、甘々なロマンスを主体にしたジャンルではないので、そこは勘違いしないでください。かなり現実路線です。かといって苛烈な同性愛差別の描写があるわけでもなく、紛れもなく現代の韓国社会で平等な権利を享受できていない当事者の今そのものを淡々と映すような…そんな感じ。
2025年の映画『3670』を監督・脚本で手がけるのは、“パク・ジュンホ”で、これが長編映画監督デビュー作となります。またもの凄い新人が登場しましたね。
主人公を演じるのは、本作で長編映画初主演を果たした“チョ・ユヒョン”。舞台俳優も結構やっている人らしいのですけど、今作では漂わす雰囲気がもう完璧でしたね。何というか、本当にこういう当事者、そのへんのソウルの街にいそうな感じがする…。
その“チョ・ユヒョン”演じる主人公と相対するのが、“キム・ヒョンモク”で、こちらは『悪魔なカノジョは裁判官』や『暴君のシェフ』などドラマシリーズで多才に活躍中。
さらに、ドラマ『ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語』の“チョ・デヒ”、そして、“チョン・ドゥシク”、“ハ・スンウ”、“ユン・ソル”など。
繰り返しますけど、韓国映画界のクィア映画としては見逃せない一作なので、ぜひどうぞ。
『3670』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 性行為の描写があります。 |
『3670』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
カーテンを閉め切った暗い部屋で2人の裸の男が体を重ね、行為を終えて、ひとりはやや気まずそうに座っています。その気まずそうな青年のほうは、もっと親密な関係を築くことを求めていましたが、もう片方の男は、この一夜の関係でじゅうぶんのようです。
青年のチョルジュンは、北朝鮮から脱北した身でした。普段はコンビニで真面目に働き、夜中に語学を学び、そのルーチンワーク。大学に進学したいという目的もありましたし、他の脱北者の同年代とも一緒にいます。しかし、このソウルの街で、ほぼ独りの生活です。
孤独なのには理由がありました。脱北者であるというだけではありません。脱北者の人は他にもいます。偏見が根深く社会に巣くう韓国では、自分が同性愛者であることを気楽にはカミングアウトできません。脱北した同士でもゲイだとは明かしていませんでした。
けれども、チョルジュンは出会い系アプリで一夜の関係では満足できず、話に聞いたゲイの集まりの場に行ってみることにします。
それは路地裏の奥まった地下の階段を降りた先にありました。夜、そこはゲイ男性が密かに集まる会場でした。今日も大勢います。ソウルにはこんなにもゲイがいたのか…。
それぞれ番号を胸につけ、マイクを順番に渡されて自己紹介します。チョルジュンは緊張しながら声を振り絞ります。そして食事をしながら各自で近くの人とお喋りとなります。
パーティーゲームが始まり、場の空気に押されつつ、チョルジュンも飲んでいきます。でもやはりどうも馴染めません。自分が北朝鮮出身だと紹介すると、物珍しそうな視線を浴びます。
そんな集まりを過ごした後、またいつものコンビニのレジで働いていると、あのゲイの交流会で目にしたヨンジュンと再会します。彼は気さくに話しかけてくれ、その場では短い会話で終わります。しかし、ヨンジュンは店を出た後、すぐに戻って来て、一緒に歩こうと行ってくれます。
仕事終わりに2人で並んで歩きつつ、会話をします。ヨンジュンはこちらのペースに合わせて、ゆったりと、でも楽しそうに付き合ってくれました。
2人は27歳で同じ1997年生まれでした。そこでヨンジュンはチョルジュンを自分が所属する「97年生まれクラブ」に誘い、輪に加えてくれます。
脱北者以外の同年代とこんなにも他愛もなく過ごすのは初めてだったので、最初は困惑していましたが、チョルジュンは徐々に慣れていきます。
新しい居場所ができたような気分になっていましたが…。

ここから『3670』のネタバレありの感想本文です。
脱北者とゲイのコミュニティの相似性
まず何よりも『3670』は、あのソウルの街並みの中で暮らすマイノリティの若者の姿が実に生き生きと描き出されているのが素晴らしいです。脇役でも背景でもなく、彼らがまさに主役なのです。
第一に脱北者。
どうしても「脱北者」というと、今も韓国の映像作ではステレオタイプな表象が目につくことがあります。裏で良からぬことをしているとか、冷酷で無感情な人物像とか、暴力に躊躇がない気質とか…。
しかし、この『3670』の主人公であるチョルジュンを含めた脱北者のあの男たちは、本当にどこにでもいそうな青年たちです。極めて平凡で、性格も行動も韓国出身者と何ら変わりません。働いて、勉強して、ゲームして…そんな日常です。
“パク・ジュンホ”監督は、大学時代に、脱北者の学生たちの家庭教師としてボランティア活動をしていたそうで、その支援を通じて脱北者の生活をよく目にしていたからこそ、今回の映画であそこまで素の感じを表現できるのでしょうね。
そしてゲイ(男性同性愛者)。
本作のソウルのゲイ・コミュニティの平凡さもまた心地いいです。
そもそもチョンノ3街の通りは韓国の主要なゲイ地区だそうで、作中では「午後7時にチョンノ3街6番出口前で待ち合わせ」というメッセージがグループチャットに届くと、チャットに参加しているソウルのゲイ・コミュニティのメンバーのうち一緒に遊びたい人は返信し、略記は場所と時間の数字を連ねた「367」から始まり、4桁目の数字で参加の意思を示す…という仲間内の暗号が描かれます(最初の参加者は「3671」と書き、次の参加者は「3672」と続いていく)。
こういうオンラインの空気感、そしてそれが現実社会のミートアップ(要するに合コン)、さらにもっと小さな遊び友達グループ(性的な意味ではない)に分散化していく過程。この他愛もない感じのゲイ当事者のネットワークの姿もまた自然で…。
脱北者とゲイ…この双方が並べられることで、その共通点もすんなり浮かび上がってきます。韓国社会に確かに存在し、完全に隠匿されているわけではないけど、どこか片隅で生活している。そういう周縁化の感覚。「周縁化」とひとくちに言ってもいろいろですけど、この脱北者とゲイのコミュニティは結構意外なほど似通っているのかもなと思わせます。
だからこそ、脱北者でゲイでもある主人公のチョルジュンは、その2つのコミュニティを行き来し、往来する者としてその相似性を自ら体験します。その過程は刺激的でワクワクさせてくれます。
チョルジュンは内気で無口な性格なようで、脱北者とゲイ、どちらのコミュニティでもやや浮いています。その彼が少しずつ勇気を振り絞って自分の世界を広げていく…いや、こういうときは「世界を広げる」という言い回しは適切じゃないかもしれないですね。「世界に馴染む」という感じかもしれません。
とにかくコミュニティに馴染んで溶け込むことの難しさはその当人にしかわからないものがあると思いますが、『3670』はその手探り感がよく表現できていたなとも感じました。
正直、私もコミュニティに馴染むのがものすごく苦手だから、あのチョルジュンの葛藤はとても実感として理解できました。どうして他の人はあんなに馴染んでいるのに、自分はこんなにも苦労するんだろうとずっと思い悩みながら、他の人が一瞬でやってみせたことを自分は何十倍も労力と時間をかけて取り組む…その何とも言えないもどかしい試行錯誤。悶々としますよね…。
繋がれぬ断絶を無視はできないけど…
そういう構図があるからして、「この映画は脱北した北朝鮮の青年と韓国の青年の立場を超えたロマンスか~」…なんて外野が期待していると、かなり手厳しく現実というものでビンタされ、呆然とするかもしれません。それくらい、この『3670』は甘いファンフィクションには一切傾かず、現在の朝鮮社会の現実を映しだしています。
ゲイだからと言って、恋人ができればゴール…というような方向性にはしていませんし、むしろこれは愛の限界を描きだしているような…。何でもかんでも「愛」では片づけられないんですよね。
チョルジュンはヨンジュンらのゲイ・グループに初めはぎこちなくも馴染み始めます。チョルジュンとヨンジュンの間に、ヒョンテクというモテ男を挟みつつ、ロマンスが火花を散らす気配があからさまに漂います。しかし…そうはならない…。
思えば、チョルジュンにとっての「馴染む」とはどういう状態だったのか。序盤から、あのゲイ当事者の交流会の中で、参加者は朝鮮半島では恒例の出身地と名前を言いながらの自己紹介をするわけですが、チョルジュンは「北朝鮮の人」で定着します。やはりソウルのゲイ・コミュニティでは北朝鮮出身者はかなり珍しいのでしょう。以降、どう馴染もうとも「北朝鮮の人」の固定化から脱することはできません。
それは結局のところ、可哀想だから仲間に入れてあげようという同情でしかない…。ヨンジュンもメンターみたいに導いてくれているのかと思ったら、本音はやっぱり…という…。
これ、“パク・ジュンホ”監督としては自身の活動経験からの自己批判的な部分が大いにあるんじゃないのかなと察せます。社会的弱者の支援は、一歩見誤ると「可哀想だから助けてあげる」を動機にしがちですからね。でもそれは当事者の尊厳を傷つけるもので…。
別にヨンジュンにものすごい悪意があったわけではないでしょう。彼も彼なりの優しさは確かにありました。しかし、「優しいこと」と「正しいこと」は全然違う…。
2人の違いは作中で随所で強調されてもいました。とくに、家族・国家・信仰の3点は己がどういう立場にあるのかを測る指標ですね。
ヨンジュンは保守的な家庭に育ったようで、おそらく自分の性的指向を受け入れてもらえず、信仰にもネガティブな印象を持っているのでしょう。韓国のゲイとしてはよくある姿です。
一方の、チョルジュンは他の脱北者仲間がおカネを貯めて北朝鮮にいる家族をこっちに連れてこようと仲介者と交渉しているにもかかわらず、自分はそういうことをしていません。しかし、Googleマップで以前の北朝鮮の家を眺めている姿から推察できるように、故郷というものを断ち切ることは完全にできていない様子です。そして、脱北者には支援金が支給されるようですが、教会への出席記録が必要らしく(教会資本の支援体制なのでしょう)、チョルジュンは緩い信仰下にあります。チョルジュンにしてみれば宗教は、とりあえず助けてくれるラッキーなもの…くらいの認識かもしれません。
ここに両者の帰属意識の差が露わになります。ヨンジュンは保守的な家庭や国家から距離をとるという選択をとっていても、その経済的恩恵は享受できます(ゼロから帰属を築く必要はない)。チョルジュンは北朝鮮から離れ、家族も切り捨てないといけない覚悟に迫られます(ゼロからの出発を強いられる)。同じ「距離をとる」でも深刻さの度合いはまるで異なるものです。
『3670』のラストは、悲しいが悲劇という言葉では片づけられない、別れがあるが失恋とも違う…この両者の断絶を象徴する後味でした。韓国と北朝鮮の「政治と社会の断絶」に対する“パク・ジュンホ”監督の譲れないシビアな批評がここでハッキリ表出していましたね。チョルジュンとヨンジュンの2人の距離感を視覚的にも物語的にも提示して、「これくらい離れてしまっている存在なのだ」と痛感させる。
でも希望がないわけではないというあの終幕の会話。脱北者コミュニティの異性愛規範も、韓国のゲイ・コミュニティの脱北者軽視も、ゆっくりと良くなっていくかもしれない…。
“パク・ジュンホ”監督は社会に絶望せずに断絶と向き合っていました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
以上、『3670』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Orot Film
3670 (2025) [Japanese Review] 『3670』考察・評価レビュー
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