相手の見えなかった心がある…映画『センチメンタル・バリュー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ノルウェー・フランス・デンマーク・ドイツ(2025年)
日本公開日:2026年2月20日
監督:ヨアキム・トリアー
自死・自傷描写 恋愛描写
せんちめんたるばりゅー

『センチメンタル・バリュー』物語 簡単紹介
『センチメンタル・バリュー』感想(ネタバレなし)
ヨアキム・トリアーの絶好調継続中
2025年はこの監督の世界的評価がまた更新されていきました。
誰かって、“ヨアキム・トリアー”のことです。
デンマーク出身ノルウェー育ちの“ヨアキム・トリアー”は2006年に『リプライズ』で長編映画監督デビューし、それ以降、『オスロ、8月31日』(2011年)、『母の残像』(2015年)、『テルマ』(2017年)と監督作を増やし、2021年の『わたしは最悪。』では国際的にも高い評価を得て、あちこちの賞で絶賛されました。
そんなに映画を頻繁に作る人ではないですが、キャリアとしては快調すぎるほどに階段を駆け上がっていました。
そして2025年の本作『センチメンタル・バリュー』は、さらに賞賛に輝くことに…。
本作もずっとタッグを組んでいる脚本家の“エスキル・フォクト”と一緒に手がけており、前作までは「オスロ三部作」なんて呼ばれていましたが、今回の『センチメンタル・バリュー』もノルウェーの首都オスロが舞台で、実質「オスロ三部作」に連なっています(物語は何の関係もないですけど)。
実は『オスロ、8月31日』とテーマ的に鏡映しのように対照構図になっているところもあったりするのですが、それは観てのお楽しみで。
『センチメンタル・バリュー』は、ある理由で崩壊した家族を描いており、気まずい家族関係が映し出されます。「崩壊」といっても、いかにも劇的なことがあるわけでもなく、本当にその人にしかわからない心のしこりみたいなもので、それが家族の他者と共有できずにわだかまりが広がる…。よくありそうな家族のぎこちなさですね。
父、その娘の姉妹、そして外部からのひとりの若い女性…主に4人で織りなされるポリフォニックなドラマです。
また、主人公たちは演劇と映画の世界で監督と俳優として働いており、業界モノの側面もある物語であり、このあたりも今作は上手く練り込まれています。
同じく映画畑の家系で育った“ヨアキム・トリアー”監督の人生経験もたぶんに反映させているのでしょうし、本作は代々受け継がれてきた実家を軸にして居るのですが、“ヨアキム・トリアー”自身も最近になって実家を手放す出来事があったらしいです。
『センチメンタル・バリュー』の俳優陣は、まず直前でも主演作『わたしは最悪。』で話題となった“レナーテ・レインスヴェ”。“ヨアキム・トリアー”監督が映画業界に引っ張り上げた才能が、今作でもいかんなく発揮されています。
その“レナーテ・レインスヴェ”演じる主人公の妹役で、“ヨアキム・トリアー”監督作に初めて参加する“インガ・イブスドッテル・リッレオース”が加わっています。
さらにスウェーデンの名優“ステラン・スカルスガルド”も父親役で出演。当然のように見事な安定した演技で物語の深みを上質にしています。
さらにさらに、ハリウッドより“エル・ファニング”も共演。どういうかたちで物語に関わるのかと思ったら、観ればしっかり納得のキャスティングで、“エル・ファニング”がベスト・ポジションにハマってます。“ヨアキム・トリアー”監督の映画に出たい!と熱望しているハリウッドの俳優なんて山ほどいるでしょうし、“エル・ファニング”、美味しい機会を手に入れたなぁ…。
と、こんな感じで、“ヨアキム・トリアー”監督のフィルモグラフィーの中では最もゴージャスな顔ぶれです。
ぜひ『センチメンタル・バリュー』の物語にゆったり浸ってください。
『センチメンタル・バリュー』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 希死念慮が一部で描かれます。 |
| キッズ | 低年齢の子どもにはわかりづらい大人のドラマです。 |
『センチメンタル・バリュー』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ノルウェーのオスロの市街地にひっそりと佇む木々に囲まれた木造の一軒家。濃い茶色の外壁に朱色の縁がコントラストとなり、頭上の三角の屋根がひときわ目立っています。
そんな家でノーラとアグネスという姉妹は育ちました。この家は父のグスタヴ・ボルグが代々引き継いできた家です。しかし、父のグスタヴは妻のシセルと離婚し、この家を離れたことで、それ以降は父のいない生活でした。
大人になったノーラは女優として成功し、今は舞台に立っています。プレッシャーに弱く、上演前は右往左往でパニック気味ですが、才能はあります。スタッフはそんな彼女を支えるのにいつも苦労。ノーラは既婚の同僚ヤコブと不倫関係にあり、不安に陥るとつい彼に頼ってしまいます。
しかし、ステージのライトに照らされれば、ノーラは一気に役者としてのスイッチが入り、その場の中心を掌握できます。今日の演劇もスタンディングオベーションでした。
ある日、母のシセルは亡くなりました。いつものあの家に妹のアグネスもやってきます。アグネスは歴史家で夫がおり、息子もいます。
葬儀で知り合いが集まる中、父のグスタヴも姿を現し、それを知ったノーラは明らかに動揺します。アグネスと共に父の前に立ち、久しぶりの再会。あまりに長い間、放っておかれたことにノーラは心を許せず、アグネスと違って表情も硬くなってしまいます。
今さら家族として揃っても何になるのか…。それでもノーラはアグネスと話し合って父と対話しようとしますが、それは和解どころか、互いのすれ違いを浮き彫りにさせただけで、ますます関係性の亀裂が生じてしまいました。
父はどんなにこちらに寄り添おうとしていても、その不器用な言葉と無自覚な協調性のない態度ではノーラの心には届きません。
昔から映画監督だった父は最近はさすがにキャリアの注目度も下がり、どうやら今、企画している新作でノーラを主演にしたいと考えているようです。それは15年ぶりの新作となる自伝的映画。自身の母を題材にしています。
けれども、いきなりそんなことを一方的に提案されてもノーラは気軽に承諾はできません。その場で苛立ちながら断ります。
結局、グスタヴの映画企画は、昨今の業界の事情もあり、資本集めの観点からもハリウッドで有名なアメリカ人女優のレイチェル・ケンプを起用することになりました。
それでもなおもグスタヴの心には家族のことが引っかかり続け…。

ここから『センチメンタル・バリュー』のネタバレありの感想本文です。
父が家を出た理由
『センチメンタル・バリュー』の物語の中心にあるひと家族。とくに貧しいわけでもなく、衝撃的な事件の渦中にいるわけでもない…他者からみれば平穏そうな家族です。しかし、この家族にはこの家族の当事者にしかわからないぎこちない気まずさを抱えており、そのうえ、その互いの心の奥底にあるしこりは、たとえ家族でも共有していません。
本作はあの家族の亀裂の核心にある「父の家出」の詳細を描くことはしません。なので察するしか観客にはできません。「子どもの家出」ならよくありがちですが、いい年をした父が自分の実家を出ていったのはなぜなのか…。確かに当時はまだ子どもだった姉妹にはわかるわけもなく、また大人になってもわかりはしない…。
その父であるグスタヴですが、典型的と言ってはあれですけど、自身の弱さに裏打ちされる感情を表にだすのが苦手な男性です。別にことさら暴力的だとか、そういうことではないのですけど、感情を共有する術を磨いてはいません。人生経験が豊富であろうと、年齢を重ねていようとも、世間に認知されたキャリアがあろうとも、不得意なことはある…。
“ステラン・スカルスガルド”はそのグスタヴのある種の未熟さをとても巧みに演技で表現していました。
そのグスタヴは、やはり自分の領分である映画の仕事をとおして、もっと言えば映画という媒体を利用しないと、自分の感情を表に表せません。孫を使うあたりの姑息さは「ちょっとそれはダメだよ、おじいちゃん…」って感じですが…。
こういう「プライベートな人間関係が全くダメで、仕事の表現でやっと自己を開示できる」という業界人の男を描くタイプの作品…最近だと『ジェイ・ケリー』がありましたが、この手の映画は批評家好みなところはありますね。
ただ、『センチメンタル・バリュー』が趣向を凝らしているなと思うのは、単に感傷的に浸らず、別の女優(レイチェル)をとおすかたちで、グスタヴが娘の、そして自分の母の気持ちを理解できるようになっていく物語上の仕掛けです。
しかも、当初は半ば不本意なキャスティングでもあり(ここでもディスられるNetflix!)、グスタヴにしてみれば余計に狂わされそうだったのに、案外と対象と距離を置いて客観視するというシチュエーションが出来上がり、予想していなかった自己反省も成り立っていくという…。
レイチェルを演じた“エル・ファニング”も抜群にハマっており、最初はいかにも“エル・ファニング”らしい無邪気さそのものな接し方です。でもこの若い俳優は意外にそれほど無頓着ではないし、誰よりも感受性と共感力を持ち合わせていて、あの老齢の男の心をこじ開けてみせます。
なんだかんだでレイチェルは降板し、それを「家」で告げられるわけですが、それはあのグスタヴにとってはあの母との過去の再演。しかし、史実のあの過去ほど凄惨でもない、もう少し穏やかな対話ができるシチュエーションです。やっぱり許せはしないけども、自分の中で前よりは呑み込めている…ような気がする…。
『センチメンタル・バリュー』はこの「家」の使い方が終始上手かったです。
仮の家で今度は逃げ出さないで
『センチメンタル・バリュー』のもう一方の物語を似合うノーラ。父のグスタヴを許せないノーラは、不和を抱えたまま大人になっています。そして作中では具体的に示されませんが、彼女の人生は表面からはみえてこない多くの傷を隠してもいます。
冒頭は舞台恐怖症のような感じで裏でパニックに陥っている姿が描かれており、表の仕事と素の姿の違いが強調されます。後々で繋がってきますが、要するにグスタヴが家を出たのも、このノーラの舞台から逃げ出したくなる衝動とさほど変わりないのかもしれません。
ちなみにこのパートでノーラが演じているのは、“ヨアキム・トリアー”と“エスキル・フォクト”が考えたオリジナルの劇だそうで、1700年代にノルウェーで火あぶりにされた実在の最後の魔女「アンネ・ペダースドッター」を題材にしているそうです(Deadline)。ノルウェーで名前もノーラだから、“ヘンリック・イプセン”の『人形の家』かなと安易に想像してしまいますけど、そういうわけではないらしい…。
ともあれ男性的な抑圧の中で声を絞り出す役を熱演しているノーラは、そのまま現実におけるノーラの苦しみと重なってきます。
そのノーラと寄り添っていくのは妹のアグネスであり、この姉妹の間にだって理解し合えない溝があるにはあるのですけども(すでに人生はだいぶ異なっていますから)、それでも共有できるものはある…。本作はこの姉妹の繋がりも静かながら良い温かさがありました。“レナーテ・レインスヴェ”と“インガ・イブスドッテル・リッレオース”の相性も完璧です。
また、アグネスは歴史家として史料を調査することで父グスタヴの心の傷に足を踏み入れることができ、それはノーラにとっての父の理解へと繋がります。ここでしっかり職業の学者としてのスキルが活かされるのもいいですね。
『センチメンタル・バリュー』で家族の亀裂の核心にあるのは、いわゆる世代間トラウマです。このタイプのトラウマはその性質上、共有がとても難しく、他人にしてみれば理解しづらいことが多々あります。
ラストは仮の家のセットの中で、そのトラウマが共有される瞬間を映し出します。癒すような段階ではない…ささやかな視線だけの共有。でもそれは当人にしかわからない大きな一歩の修復。
こういう撮影セットによるメタな構造はアプローチとして他作品でもみられる定番ではありますが、『センチメンタル・バリュー』はここに至るまでのプロット上での各キャラクターの感情の積み上げが本当に良かったですね。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『センチメンタル・バリュー』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS センチメンタルバリュー
Sentimental Value (2025) [Japanese Review] 『センチメンタル・バリュー』考察・評価レビュー
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