恋愛は“する”んじゃなくて“ネタ”にしたい時代!…アニメシリーズ『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』 『かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~』 『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2019年~2022年)
シーズン1:2019年に各サービスで放送・配信
シーズン2:2020年に各サービスで放送・配信
シーズン3:2022年に各サービスで放送・配信
監督:畠山守
イジメ描写 性描写 恋愛描写
かぐや様は告らせたい
かぐやさまはこくらせたい
『かぐや様は告らせたい』あらすじ
『かぐや様は告らせたい』感想(ネタバレなし)
恋愛は駆け引きするよりもネタにしよう
「恋」とは何でしょうか?…いや、そんな問いかけ、小っ恥ずかしいだけです。口にしてしまったら笑われるのが関の山。下手すればドン引き。周囲がミュートになります。
でもこの問いは紀元前の頃からあって人類が2000年以上向き合い続けているものでもあります。
遡ること、紀元前の古代ギリシア。哲学者のプラトンは中期対話篇のひとつ「パイドロス」の中で、「恋とは何か」についてひたすら書いています。厳密には当時は「エロース」という概念であり、私たちの知っている恋や愛のような詳細な分別はなかったのかもしれませんが、まあ、だいたいは同じでしょう。その中でプラトンは何を書いているかというと、超意訳でざっくり説明すると「恋する人間って面倒くさいよね」ということを延々とダラダラ述べているわけです。そこには「恋をしている者」が「恋をしてない者」のふりをして上手く優位に立とうとしたり、要するに恋愛マウントみたいな事象が描かれてもいます。
こういうのを読むと、紀元前の頃から人間って本質は何も変わらないんだな…と思ったり。私に言わせれば、恋愛は唯一無二の特別な感情みたいな崇高なものでも何でもなくて、「駆け引き」の一種みたいなものですよ。駆け引きしているだけなんです。面倒なオブラートに包みながら…。世の中にはいろいろな種類の駆け引きがあるけど、恋愛はそのひとつの形です。
そんな恋愛ですが、紀元前は哲学の題材でしたが、時代が進むと文学の題材として定期的に大流行するようになり、1900年代後半は商業主義の上に乗っかって一挙に大衆化します。「こういう恋愛が理想です!」「これがロマンチックです!」という宣伝文句に釣られて庶民は恋愛を型どおりに着飾るようになりました。ラブコメ作品も無数に作られました。
でもその時代も長くは続かない…。商業的な恋愛の型(恋愛伴侶規範の使い古された図)にさすがに見飽きるようになっていきます。型が嫌になることだってあります。
じゃあ、恋愛はオワコンなのか。それも違う。今度は私たちの社会は恋愛を「ネタ」として消費するようになり始めたのです。2010年代以降、恋愛はネタにする時代となり、この傾向はより強化されている雰囲気です。理想の恋人をゲットできたら勝ち組…ではなく、恋愛をネタにできた方が勝ち組…すらあります。恋愛の型は真面目に実行するものじゃない…笑い飛ばしたり、冷笑したりする対象でしかない。そんな中でなんだかんだで恋愛できたらいいなと内心で抱く人もいる。駆け引きに疲れたからにネタが流行り始めたのかもですが、これはこれで駆け引きが余計に面倒になりましたよ。
なのでこの現在、恋愛を風刺して現代的な視点でネタにする作品が目立ちます。創作の現場はいかに恋愛をネタにできるか、その頭脳戦です。
今回紹介するアニメシリーズも、大衆が「恋愛の定番」を認識しているからこそ成り立っている、そんな恋愛風刺ネタ作品です。
それが本作『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』です。
本作は“赤坂アカ”による漫画が原作。2019年と2021年に“橋本環奈”主演で実写化もしていますが、同時期の2019年からアニメシリーズも展開しています。正直、アニメ向きの作風だと思います。なにせコテコテのラブコメであり、テンポ重視のデフォルメありきのギャグスタイルですから。
物語は学園青春モノで、とある名門校の生徒会の会長男子と副会長女子が互いに好意を抱いているものの、それを素直に相手に伝えるのはプライドが許さないので、相手から告白させようとする。その自己満足このうえないみみっちい駆け引きが展開されるだけ。その半ば観客には結末が見えている安心感のもとで、やらせ試合のような様を観戦するという、いかにも恋愛風刺ネタ騒ぎな作品です。
私は他者に恋愛感情を抱かないアロマンティックな人間ですけど、本作はこれはこれで恋愛伴侶規範を小馬鹿にしている内容とも言えるので、「恋をしている者」を笑えるという楽しさは享受できるかな。でもそういう楽しみ方でもいいんだと思います。今のラブコメは恋愛に憧れるためだけにあるものでもないし、恋愛の理想論を布教するためのものでもない。恋愛をしない人にも満喫する席を与えるのが、恋愛風刺ネタ時代のラブコメの魅力でしょう。もちろん作品を楽しめるかどうかは個人差ありますけどね。
その『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』は2019年の第1期に始まり、2020年の第2期は『かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~』のタイトルで(打消線も正式)、2022年の第3期は『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』のタイトルで放送&配信。
頭脳なんて使わずに、気軽に恋愛を笑いましょう。
オススメ度のチェック
ひとり | :ラブコメが好きなら |
友人 | :笑い合える人と |
恋人 | :ほぼ異性愛ロマンス |
キッズ | :多少のイジメ描写あり |
『かぐや様は告らせたい』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):お可愛いこと
人を好きになり、告白し、結ばれる。それはとても素晴らしいことだと誰もが言う。しかしそこには明確な力関係がある。搾取される側と搾取する側、尽くされる側と尽くす側、勝者と敗者。決して敗者になってはならない。恋愛は戦。好きになった方が負けなのである!
秀知院学園はかつては貴族や氏族を教育するために作られた由緒正しき名門校であり、その貴族制が廃止された今でもなお富豪や名家に生まれた生徒が多く就学していました。
その学園の頂点にいる生徒と言えば生徒会に所属するこの2人。副会長・四宮かぐやと会長・白銀御行。
四宮かぐやは、総資産200兆円の四大財閥のひとつ「四宮」グループの長女であり、あらゆる分野で華々しい功績を残した紛れもない才女にして令嬢。クールな振る舞いゆえに他者を寄せ付けないオーラがありますが、熱烈なファンも校内には…。住まいの屋敷で使用人をしている早坂愛はこっそりこの秀知院学園に在籍して、四宮かぐやを裏で支援しています。
一方の白銀御行は、勉学一本の圧倒的な模範生。家は裕福ではなく、家柄がいいわけでもないですが、その健全な姿勢と、常に1位を保持する成績によって、この百花繚乱の秀知院学園でも他を寄せ付けない存在感を独力で築いていました。
その四宮かぐやと白銀御行は学内ではお似合いの2人だと噂されており、もしかして付き合っているのかという囁きもありますが…。
生徒会室。「なんだか噂されているみたいですね。私たちが交際されているとか」と四宮かぐやは冷静に口にし、白銀御行も「そういう年頃なのだろう。聞き流せばいい」と優雅に答えます。まるで互いに恋愛に興味なさそうに…。
でもこれは表面上の話。実は互いに相手と付き合ってもいいと思っていました。というか好きでした。けれども言い出せません。自分から告白してしまうのはプライドに関わる…。
そして…半年が経過。特に何もありませんでした。
この無意味な青春の浪費の間、2人はいかに相手に告白させるかに思考をシフトさせていました。そのためなら手段を選びません。静かな生徒会室では内心では緊迫の駆け引きが起きていたのです。二手三手先を読み合う、問われる知性、巧妙な策…。
この超高度で傲慢な恋愛の駆け引きに全く気付かないものがひとり。生徒会書記の藤原千花です。会計の石上優は置いておいても、その藤原にときに邪魔されつつ、四宮かぐやと白銀御行のバトルは終わりが見えず…。ラブレター、弁当、LINE交換、旅行計画、猫耳、相合傘、心理テスト、期末試験…。青春のあらゆるイベントやアイテムが駆け引きを勃発させる毎日です。
断じて告白するのが恥ずかしいとか、フラれるのが怖いとか、そういうことではない…はず。
日本式ラブコメ・アニメのお手軽さ
日本のアニメが最も得意としているジャンルのひとつは「ゆるいコメディ」だと私は思っているのですが、『かぐや様は告らせたい』はラブコメとしてとてもテンポよく遊びまくっており、バランスが良いです。背伸びしすぎず、あくまで恋愛を風刺するというポジションを陣取っているのが利点なのかな。
四宮かぐやと白銀御行の恋愛駆け引きは、要はシェイクスピアの喜劇『から騒ぎ』にまで遡れるような恋愛劇の王道。『かぐや様は告らせたい』はそれを“ほんと~~~に”くだらない低次元の争いに落とし込んでいます。それを観客はじゅうぶんに理解し尽くしたうえであえてニヤニヤと楽しむという、お約束を共有できているからこそ。このニヤニヤをメインディッシュにしているので、あまり観客を不快にさせるような笑いの取り方はしないようになっており、そのへんの配慮も感じます。
学校が舞台ながらあくまで生徒会という狭いコミュニティを舞台にしているのでそんなに登場人物がごちゃごちゃせず(いわゆる部活モノと同じ)、人間関係の把握に混乱しないのも脳に優しいです。
四宮かぐやと白銀御行の主軸以外のサイドにいるキャラクターも全員が良い味を出しています。恋愛経験は無いけど恋愛文化に博識がある藤原千花、劣等感をくすぶらせて恋愛エンジョイ勢に毒を吐く石上優、不純異性交遊を禁止するほどに生真面目ながら王子様にベタに憧れる伊井野ミコ、恋愛を支えることにはプロフェッショナルながら内心では自分も恋愛がしたい早坂愛、順調に恋愛充実生活を送っている柏木渚&田沼翼、そんな2人の隙間にも入れず嫉妬する四条眞妃…。
個人的には全然ロマンスが関係しない、藤原千花による白銀御行の特訓ギャグが一番好きかな。ああいう勢いの良さはアニメの武器です。ラップ回も本格的だったし…。
そう言えば毎度のオープニング曲を歌っているのが「ラヴソングの王様」“鈴木雅之”というチョイスなのもパロディとしてはなかなかでした(若い人はたぶんわかんないだろうけど)。この作品のラブコメをギャグにする姿勢がこの曲一発で示されているな…。本音を言えばもっとパロディは欲しかったけど…。
ただ、本作を見ているとラブコメのギャグにも限界ラインが浮き彫りになってきますね。とくにそれが露骨にでるのが「性」をネタにする場面。初体験や性行為などの話題が持ち出されることは何度もありますが、その描写は妙に奥ゆかしい程度にセーブされるし、男性的ギャグはあっても女性的ギャグはないとか、明らかにこの背景には日本の性規制とか作り手の手札の偏りが染み出ているな、と。まあ、この『かぐや様は告らせたい』に限らない、日本のアニメにあるあるな話だけど…。
シリアスになると欠点も…
ユルさを何も考えずに楽しむなら何も問題ないのですが、その一方で『かぐや様は告らせたい』の構造的な欠点も、ことさらシリアス・パートになると強く表れるなとも思ったりしました。
なお、以下の感想はアニメ版の物語だけを材料にしているという点をあらためて強調しておきます。
本作は恋愛をネタにする作品なので、登場するキャラクターはあえてなのでしょうけどストックキャラクター的な型どおりのものになっています。個人的にはそれをひっくり返す展開も期待したのですけど、それはあんまりなく、シリアス・パートになればなるほど作品自体が型に縛られて自由さを失っていくのが顕著だったかなと。
例えば、石上優のエピソードはそれが露骨で、彼は中等部時代に大きな事件を引き起こし、それがきっかけで人間不信的なやさぐれた態度を示すようになっています。表面上はそれこそ恋愛を充実してやっている人に敵意を向けるような非リア充キャラ、もっと言えば「弱者男性論的なナルシシズム」を体現するような存在なのですが、実際の過去を鑑みるとやや複雑なキャラクター性になっています。
本作ではその石上優のストーリーのゴールとして「恋愛を成就する=彼女を手に入れる」という成功体験の獲得が提示されます。その相手として挙がるのが、正規ルート的に描かれる子安つばめと、別ルート的に描かれる伊井野ミコ。この2人の女子は「ギャルだけど案外と引きこもり男子にも優しくしてくれる先輩タイプ」と「生真面目で小うるさいけど隙があって可愛いところもある風紀委員タイプ」という、これまた超ベタないかにもオタクが好みそうな女子像に設定されています。
ただ、この石上優のストーリーのゴールを恋人のゲットに置くべきだったのか。これだと結局はルサンチマンに沈む男子に都合のいいトロフィーを与えているだけではないか。もちろん石上優だって恋愛したっていいのですけど、まずは石上優に物語上与えるべき成功体験は、女をゲットすることではなく、学校権力と戦いきるというリベンジなんじゃないか…そう思ったり。
そもそもこの『かぐや様は告らせたい』は権力構造と戦うことはほぼしないんですよね。なぜなら主要登場人物の生徒の多くが権力側にいて、つまるところ権力と癒着しているので。だからなのか石上優の件でも風評を緩和するなど消極的解決策しかしないです。
四宮かぐやのエピソードもそうで、1期の終盤の「夏祭り花火」回はまさに幽閉されたプリンセスを救いにいくような王道の展開になります。それ自体はいかにも青春っぽい感動なのですが、これも結局のところ、家父長的な束縛を抱える四宮かぐやを根本的に救うには至らず。
さらには白銀御行のエピソードを見ていると、彼も当初の生徒会に入る前は外部生で権力側生徒に不満を持っていたにもかかわらず、物語が進行すると、どっちかと言えば権力に取り込まれているような立ち回りを見せていて、四宮かぐやを自己進路上へとモノにするオチから言っても、これでは“何者でもなかった男子”が権力と女を手にした話になりかねないので、これはこれでモヤモヤするし…。
まとめると、本作はわちゃわちゃとみんなキャラ立ちしているように見えて、実は分析してみると男性視点の既存的“男らしさ”達成の長者出世譚に偏っているように思います。
個人的にはとくに白銀御行と石上優の男子キャラは、既存的“男らしさ”と向き合わせ、型を脱する展開が欲しかったところです。文化祭でのウルトラロマンティック作戦を実行するのに学校権力と戦わないといけないとか、学歴や恋愛至上主義な価値観ではない進路を見い出すとか、やりようはあったはずで…。理想としては、四宮かぐやに主体的決定権を任せ、白銀御行は一歩引いて降りるのが次世代的男子像だったんじゃないかな。
そう考えると『かぐや様は告らせたい』はコメディ部分は自由気ままで楽しいですが、シリアスな終着点はとても不自由でちょっと古い部類だとは思いました。
『かぐや様は告らせたい』のような2010年代的なラブコメが築いた土台を足場にしつつ、2020年代はもっと型破りな学園青春ラブコメが生まれるといいですね(まあ、もう生まれていると思いますけど)。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)赤坂アカ/集英社・かぐや様は告らせたい製作委員会
以上、『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』『かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~』『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』の感想でした。
『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』考察・評価レビュー