そして私もその先へ…映画『CROSSING 心の交差点』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:トルコ・ジョージア・スウェーデン・デンマーク・フランス(2024年)
日本公開日:2026年1月9日
監督:レヴァン・アキン
LGBTQ差別描写 恋愛描写
くろっしんぐ こころのこうさてん

『CROSSING 心の交差点』物語 簡単紹介
『CROSSING 心の交差点』感想(ネタバレなし)
ジョージアからトルコに移る理由
日本は島国なのでイマイチ実感しづらいのですが、隣国と陸続きだとLGBTQコミュニティにとっては隣の国の事情も無関係ではいられません。
例えば、「ジョージア」と「トルコ」。どちらも東欧として扱われることがありますが、LGBTQの権利の状況は違っています。
ジョージアは、正教会の影響力が強く、反LGBTQの色が濃いです。性別適合医療は禁止され、法的な性別の変更はできません(Equaldex)。2024年にはLGBTQをプロパガンダとみなし、さらに規制が厳しくなりました。
一方のトルコは、トランスジェンダーの人々は1988年から性別適合手術をすれば法的性別を変更することが認められています(Equaldex)。トルコは人口のほとんどがイスラム教徒ですが、オスマン帝国は寛容とまではいかないでも、性的マイノリティをそこまで積極的に弾圧しなかったので、ヨーロッパ諸国の並みの国々よりも良環境だった歴史的経緯があるんですね。
と言ってもトルコもLGBTQの平等とは程遠いです。しかし、ジョージアのLGBTQ当事者にとっては、トルコのほうがまだマシ…に思えることに…。なので、ジョージアのトランスジェンダーの人はとりあえず隣のトルコに居場所を求めようと移り住んだりする事例があります。
今回紹介する映画は、そんな2国を背景とするトランスジェンダー当事者の苦悩を追いかけるような作品です。
それが本作『CROSSING 心の交差点』。
本作は、ジョージアに暮らす主人公が行方不明になったトランスジェンダーの姪を探してトルコのイスタンブールへ向かい、街を捜索をしていく…という物語。ロードムービーと言っていいのかもですが、ほぼ物語が展開するのはイスタンブールです。異国放浪モノですね。
『CROSSING 心の交差点』は2024年の映画ですが、監督したのは2019年の『ダンサー そして私たちは踊った』でも高い評価を獲得したジョージア系のスウェーデン人の“レヴァン・アキン”(レバン・アキン)。
クィアなテーマを得意としますが、今作『CROSSING 心の交差点』ではトランスジェンダーのコミュニティをリサーチしながら、その政治的・社会的な苦難を逃げずに映し出し、そのうえで当事者の行き場のなさに最後まで寄り添っています。
もちろんトランスジェンダーの役にはトランスジェンダー当事者を起用し、実人生の感情を役柄に上手く反映させています。
『CROSSING 心の交差点』は、ベルリン国際映画祭でLGBTQ+をテーマとした独立した公式賞であるテディ賞を受賞し、GLAADメディア賞でも高評価を得ました。そのわりには、他の賞での注目度は低めでしたけど…。私は同じトランスジェンダー映画でも、現地の当事者コミュニティに向き合って作られたトランスジェンダー映画を評価してあげたいですけどね。
『CROSSING 心の交差点』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | トランスジェンダー差別な言動の描写があります。 |
| キッズ | 性行為を示唆するシーンがあります。 |
『CROSSING 心の交差点』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
ジョージアの海辺の町。ここで暮らす歴史教師を退職したリアはある気がかりがありました。姪のテクラがいなくなってしまったのです。リアは表向きは平静を装っていますが、そのことを考えると複雑な感情が押し寄せます。
リアの気持ちに真に寄り添ってくれる人はこのあたりにはいません。地元で探していると、テクラを知っていると言うアチに巡り合います。彼によれば、テクラはイスタンブールの住所を残していたらしいです。
アチという青年は意外にも気にかけてくれます。ただ、ここでじっとしていては何も進展はしないのは明らかです。リアはどこへ行ったのか。やはりイスタンブールに行くしかないのかもしれません。
そこでリアはイスタンブールに向かうことにします。アチもついてくるつもりのようです。アチとしては家にいてもうるさい小言しか耳に入ってこないので、好奇心で同行したいだけにみえます。アチは「通訳がいる」と同行の必要性を訴えます。
リアとしてはひとりで行くつもりだったので、アチの同行は邪魔にしかならないと感じていましたが、渋々それを認めます。
移動はバスになります。バトゥミからイスタンブールまでは長いです。車内で他の乗客は談笑する中、リアとアチもぎこちなくも会話を重ねていきます。年齢も性別も違う者同士、当初は全く折り合わない感じでしたが、話をすることはできます。
橋をバスが渡り、ついにイスタンブールに到着。住人や観光客が混ざり合って大勢の人々が行きかい、リアとアチにとっては完全に異国の地です。
とりあえず出会う人に片っ端からテクラの行方を知らないか聞いて回ります。街中を歩いていると、ホームレスと思われる男の子と女の子がしつこくついてきて小銭をせびろうとし、しょうがないので「テクラの居所を知っているか」と質問。
するとその子たちは「ついてきて」と雑多な路地へ案内してくれます。
半信半疑で従うリアとアチでしたが…。

ここから『CROSSING 心の交差点』のネタバレありの感想本文です。
テクラがなぜいなくなったのか
「trans」という単語は接頭辞で「先へ通過する」というニュアンスがあります。『CROSSING 心の交差点』はまさにこの接頭辞がいくつも交じり合う物語だったと思います。
物語に不在の「transgender(トランスジェンダー)」が軸となり、登場人物たちは「transfer(移動)」をしながら、街中で言語の異なる者同士が「translate(翻訳)」し、コミュニケーションを図ろうとする。私たちはたいていどこかからどこかへ通過しています。ただ、その先がどこになるのか、その終着点がわからない…。
作中でイスタンブールの街中にバスが入る際、橋を渡りますが、その下を通っているのは川ではなく「ボスポラス海峡」です。トルコのイスタンブール周辺はこの海峡で二分されていて、北は黒海、南はマルマラ海に繋がっています。このボスポラス海峡は、「牛の通路」という意味で、ギリシャ神話にてゼウスに牛の姿に変えられたイオの物語に由来しており、ここを渡って地上を彷徨ったとされています。2つの異なるモノを繋ぐ象徴でもあり、この映画にふさわしいロケーションです。
「通過する」という要素は序盤とそしてエンディングの重要な場面で登場する船でも強調されており、海峡を横断するフェリーの往来は、本作のテーマを示しているとも言えるでしょう。
こんな感じで“レヴァン・アキン”監督は過去作と比べても今回の『CROSSING 心の交差点』は、非常に暗示するような演出で物語を伝えています。本作は直接的な「性別移行(transition)」を描くものではないですが、この映画で映し出される彷徨い自体がその経験への疑似的な追想です。当事者にとってそれは単に体の変化ではない…政治的・社会的な偏見や差別に追われ、あてもなく彷徨うということはどういうことなのか。
テクラがなぜいなくなったのか、その真意は本人の口からは語られません。しかし、察することはじゅうぶんにできます。この記事でも最初に説明したようにジョージアのLGBTQへの迫害は苛烈です。地域レベルでも家庭レベルでも居場所はない…。それこそ命にかかわる事態も起きうる…。
一方でこれも説明したようにトルコだってそこまでトランスジェンダーの安寧の地ではありません。それを代表するように、エヴリムの視点でも物語が並行的に描かれます。
エヴリムは弁護士で専門職にあるのでこれでもまだ恵まれているほうなのですが、性別適合手術はできても法的な性別変更に手間取り、その最中に嫌な目にも遭う…(そんな中で、あのタクシー男の本当に良い奴っぷりが輝く…)。しかし、エヴリムはトランスジェンダー当事者でありながら、他のトランスジェンダーの人たちをほぼ無償奉仕で助けてあげています。支援コミュニティというにはあまりに個人の努力に依存していますが、これがこのイスタンブールで可能な精一杯のこと。
また、エヴリム以外にもイスタンブールの地のトランスジェンダーの人たちも登場しますが、その多くはセックスワーカーと紐づき、小さな寄り添いでひっそり暮らしています。
そして当初はテクラの情報を教えません。まるで見つかりたくないかのように…匿っているかのように…。
これがイスタンブールのトランスジェンダー・コミュニティの生存の手段なのでしょう。このあたりの「他者からみるとよそよしいけど、実はそこには暗黙のルールがある」みたいな共同体の描写もリアルだなと感じました。
まだ脱却の旅路の途中
『CROSSING 心の交差点』の主人公であるリアとアチは部外者です。クィア映画としては当事者ではない人の視点になると、どうしても距離感が離れすぎる難点がありますが、今作はその距離感を逆に上手く物語に活かしていたなと思います。
リアについては、おそらくテクラにネガティブな態度をとってしまったのか、少なくともテクラに寄り添えなかったのでしょう。リアの中にある感情には後悔と罪悪感が混じっていることが窺えます。
つまり、今作の物語は、今さらながらの関係を再構築しようとする修復の試みであると同時に、リア自身の偏見や過ちを直視することになる内面的な葛藤でもあります。消極的な加害者(だった者)がどうやり直せるかという苦悩…。これはこれで現実社会でよく経験する出来事です。
おそらくリアだけがイスタンブールに向かっていたら何もできなかったはず。そこでアチの存在感が際立ちます。明らかにチグハグしたコンビです。
でもアチも母親を失い、あのジョージアの家族規範に苦しんでいた…。テクラとは多少違えど、部分的に共感できる苦しみを持っています。ジョージアの家父長的な家庭における日常的な圧力に対して「逃げる」という手段しか思いつかないことも。
このリアとテクラの間にアチをクッションにして関係性の修復の予行練習みたいな感じになっているのがいいですね。
リアとアチがぎこちなくも少しずつ関係性を紡げることで、リアとテクラの関係性もやり直せるという期待を抱かせてくれる…。もちろんそれは希望的観測にすぎないし、現実はもっと厳しいかもしれませんが、間違いなく一歩は踏み出せている…。
その試行の舞台となるイスタンブールについても、異国をエキゾチックに消費するのではなく、その多様な文化に敬意を払いつつ、ケアの場として巧みに機能していました。ドキュメンタリー映画『猫が教えてくれたこと』でも取り上げられるようにとても猫の多い街で、作中でも猫がいくつか映りますが、そんな猫を愛でるくらいのハードルの低さから始まり、やがては対人関係に向き合っていく。こういう過程の描写も丁寧で良かったです。
あらためて整理すると、私は『CROSSING 心の交差点』は「de-radicalization」を描いた作品としても受け止められる作品だったなと思いました。「de-radicalization」というのは、その人が何かしらの差別的な思考に陥ったとき、そこから脱却していくことを指します。
リアはまだラストに至っても脱却の段階なのです。アライになりました…なんて綺麗事は言えない。でもなんとか自分なりに自分の中にある負の部分を取り除いて、不器用に懸命に自分自身を変えようとしている…。本作はある意味でリアが「transition」しているのかもしれません。これまでの自分を捨て、新しい自分に…。そうやってまたあのテクラを抱きしめられるような、抱きしめても安全だと思ってもらえるような人間になるために…。
『CROSSING 心の交差点』は、トランスジェンダーへの差別…というかもはや憎悪が蔓延するこの世において、“レヴァン・アキン”監督なりの「非当事者ができること」を提示した、とても社会に真剣に責任を持った一作でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
以上、『CROSSING 心の交差点』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2023 French Quarter Film AB, Adomeit Film ApS, Easy Riders Films, RMV Film AB, Sveriges Television AB
Crossing (2024) [Japanese Review] 『CROSSING 心の交差点』考察・評価レビュー
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