自分らしさを誇示するジョージア・ダンスは止めさせない…映画『ダンサー そして私たちは踊った』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:スウェーデン・ジョージア・フランス(2019年)
日本公開日:2020年2月21日
監督:レヴァン・アキン
ダンサー そして私たちは踊った
だんさー そしてわたしたちはおどった
『ダンサー そして私たちは踊った』あらすじ
ジョージアの国立舞踊団で、ダンスパートナーのマリとともに幼少期からトレーニングを積んできたメラブ。家は貧しくとも、踊りに対する情熱では負けるつもりはない。ところがカリスマ的な魅力を持つ新星イラクリの登場により、メラブの立場は危うくなってくる。このままでは成功を手にすることはできない。その一方で、メラブの中に芽生えたライバル心は、やがて抗えない愛へと確実に変化していく。
『ダンサー そして私たちは踊った』感想(ネタバレなし)
ジョージア・ゲイ・ロマンスは踊る
ヨーロッパは同性愛に寛容な地域…そんなイメージを持っている人も多いかもしれませんが、実際はそう単純ではありません。ヨーロッパであっても国によっては天と地の差があったりします。
とくに東欧はLGBTなどセクシュアル・マイノリティに対して厳しい対応をとっています。最近であれば、ポーランドが「LGBTフリーゾーン」(要するに、ここには性的少数者はいません、排除しました…という区域であると自治体が明示する)という施策を広く実施しており、国内の当事者は迫害され、反発を強めています。
こうしたLGBTQへの対応の違いはEUの分断の火種になっており、ただでさえイギリスが抜けて傾いているEUですけど、今後さらに分裂が激化しそうな予感がします。
今回紹介する映画もそんな東欧のセクシュアル・マイノリティ差別の実態を映し出す一作です。それが本作『ダンサー そして私たちは踊った』。
本作はアカデミー賞の国際長編映画部門のスウェーデン代表に選出された一作なのですが、中身としてはスウェーデンではなくジョージアが舞台になっています。
ジョージア…北側にロシア、南側にトルコなどと隣接する、東欧の中でもかなり端っこの国です。1991年にソ連から独立した歴史があり、国家としての歴史は浅いほうですが、その土地で暮らす人々は昔からいました。
『ダンサー そして私たちは踊った』はそのジョージアの首都であるトビリシを舞台に、そこで舞踏団の一員として青春を捧げる若者たちを描いています。そして、同性同士のロマンスを描いていく作品でもあるわけです。
雰囲気としてはゲイ・ロマンスということで『君の名前で僕を呼んで』と空気が似ています。2人の若い男たちが漂わす匂いや、その愛の芽生えを自然に映し出すセンスが共通している感じです。こちらの作品が気に入った人は本作にも惹かれるのではないでしょうか。
しかし、このジョージアは同性愛に対して寛容とは言えないお国柄で…。主人公の周囲には暗澹たる偏見の息苦しさが充満していき…というストーリー。ジョージアがどうしてこうも同性愛に厳しいのかは、後半の感想で映画の内容も踏まえつつ語っています。
この『ダンサー そして私たちは踊った』を監督したのは“レヴァン・アキン”(レバン・アキン)という人物。ジョージア系のスウェーデン人で、ジェンダーをテーマにした作品をよく手がけているそうです。私はこの監督の作品を本作で初めて鑑賞したのですが、こんなに社会に堂々と異を唱える作品を生み出す人がいたとは…。今後も注目していきたい監督になりました。
そして俳優陣も印象的です。とくに主演を務めた“レヴァン・ゲルバヒアニ”。1997年生まれのフレッシュな存在ですが、もともとダンサーで今作でスクリーンデビュー。これはなかなかの逸材を発掘できたのではないでしょうか。これは魅了される人も続出かなという納得のポテンシャルですからね。『ダンサー そして私たちは踊った』は“レヴァン・ゲルバヒアニ”のデビューの場としてセッティングされたかのような、最高のステージになっていますし、作品との相性がスパークしすぎてます。
そんなヨーロッパ映画好き、もしくは同性愛と社会の関係を描く映画に関心がある人には見逃せない『ダンサー そして私たちは踊った』なのですが、日本では2020年2月後半に単館公開。しかも、運が悪いことに新型コロナウイルスのタイミングと重なってしまい、緊急事態宣言もありましたし、日本では全然観られるチャンスがなかったという人も少なくなかったと思います(あの時期はミニシアター系作品にとっても過酷だった…)。
見逃した方はぜひデジタル配信をレンタル・購入するのでもいいので、鑑賞してみてください。
オススメ度のチェック
ひとり | :隠れた良作として |
友人 | :関心ある者同士で |
恋人 | :切ないロマンスです |
キッズ | :性的描写あり |
『ダンサー そして私たちは踊った』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):我が国の精神
熱心にパフォーマンスの練習に没頭する舞踊団の面々。ここはジョージアのトビリシ。国立舞踏団の稽古場です。今、この部屋で練習している若者たちは第1線で踊ることを認められたベテランではなく、その候補として腕を磨いている最中の者たちばかり。
その中で実力を発揮して急成長しているのがメラブでした。ダンスパートナーであり、プライベートでも付き合っているマリとともに、パフォーマンスをさらに高めようと汗を流します。
コーチは厳しく指導します。
「ナヨナヨするな、もっと銅像のように」「汚れなき処女性を表現するんだ」「ジョージア舞踊はセックスとは無縁だ」
一瞬の隙も許されないピリピリした稽古場。そこへ代役のイラクリという男がフラッと入ってきます。このイラクリは妙に軽々しく、コーチ相手でも動じない態度をとります。メラブと代わり、マリと踊るイラクリ。予想外のライバル登場にやや不満げなメラブ。
メラブはウェイターとして働いており、給料の前借りを頼みますが断られます。実はメラブの家はあまり裕福とは言えず、おカネに苦労していました。買い物をして家路へ。帰宅すると母と犬がいます。
店の残り物を持ってきて今日の食事に。それでも家計は苦しいです。
朝。兄のダヴィドが帰ってきます。兄もダンスをしていましたが、今はサボりがちで、いつも夜中は飲んだくれています。
今日もバスで稽古場に。男子たちはメイン団の舞踊を覗きます。やはりプロフェッショナルとして前に立つダンサーのオーラは違いました。
練習中、スーツの老人が入ってきます。それはこの舞踏団の上層部の人間であり、各人に緊張が走ります。
「名前は?」「メラブ・ロミナゼ」「ヨゼフの息子か?」
「そっちは?」「マリア・キピアニ」
「舞踏とはなんだ?」と聞かれたメラブは「伝統?」と言葉少なげに答えますが、その老人は「我が国の精神そのものだ」と毅然と答えます。老人が部屋を出た後、コーチは説明。メイン団に欠員が出たらしく、男性1名を審査するとか。これはチャンスです。
女子の更衣室ではトークが盛り上がります。マリは「あの新入りは変わってるわ、アレコにあんな口を聞くなんて」と言及。一方でメイン団の欠員の理由はザザがクビになったことらしく、彼は地元の男とヤっていると噂になっているらしいとか、“正常に戻すために”修道院に送られたなどと、周囲の女子は口にします。
かたや男子の更衣室では、イラクリは下品な男たちの会話にあまり入らず、地元に恋人がいるからと風俗店への誘いも断っていました。
メラブは翌日も稽古場へ行くとひとり黙々と練習するイラクリに出会います。「それじゃあダメだ、足に負担がかかる」と教えてくれるイラクリ。
コーチはイラクリにマリと組めと言い、交代でいらつくメラブ。
メラブはマリと市場へ。目的は父です。「ジョージア舞踊に未来なんかない」と言う父。「ダンサーの人生は悲惨だ」と語る父も、祖母も、昔はダンサーでした。
帰るとダヴィドが家にいて、今度はイラクリを連れて帰ってきていました。なんとなく変な空気になる2人。またも2人で練習。イラクリは「ニヌツァに恋人は?」と聞いてきます。食事に誘うつもりらしいです。「マリとは付き合っているのか?」とイラクリに聞かれ、「まあ、そんな感じ」と答えるメラブ。
2人の仲はしだいにゆっくりとかみ合うようになっていき…。
ジョージアと同性愛差別社会
『ダンサー そして私たちは踊った』を鑑賞するうえで、舞台となっているジョージアという国はどんなところなのかをおおまかにでも理解しておくと、物語への理解がグッと増します。
同じくジョージア映画である『マイ・ハッピー・ファミリー』の感想でも書いたのですが、ジョージアは「正教会」が主流となっており、これは今もなお昔ながらの信仰を維持している歴史の長いキリスト教のひとつであり、ジョージア社会に深く浸透しています。
『ダンサー そして私たちは踊った』でも宗教的なシーンが少し映し出されており、当然ながらそこにある規範はジェンダーやセクシュアリティの考えにも影響を及ぼします。
ジョージアはやはりそれゆえなのか同性愛への風当たりは厳しいです。それを実例で示してしまったのが本作の公開時のエピソード。この本作はジョージアで限定公開されたのですが、映画館に右翼団体が押し寄せて負傷者を出す大騒ぎになったそうです。映画での同性愛の表象すらも許されない、それを国家への反逆とみなす人たちがこうも実力行使に出てくるのですから、確かに同性愛者の当事者にとっては危険すら感じることでしょう。
本作の振付師の人がノンクレジットなのも身の安全を守るためなのだとか。それほどの危機感。
それでも本作への主演を決めた“レヴァン・ゲルバヒアニ”。すごい勇気だと思うのですが、彼はインタビューでこう語っています。
ジョージアという国はとても複雑で、アゼルバイジャンやアルメニアといった他のコーカサス地域の国に比べると本当にプログレッシブですが、非常に保守的な面もあり、社会は分断しています。僕を含む若い世代はオープンでEUに憧れる一方で、年配の世代はソビエト連邦の子孫というか、ソビエト的思想に洗脳され、ロシアから強く影響を受けています。この2つの集団が同居しながら、お互いにコミュニケーションをとれていないのが現状です。
引用:Fan’s Voice
本作を観れば伝わる何気ないホモフォビアな空気感、それは間違いなくリアルなジョージアにまだ根付いているものなんですね。
踊りが自分らしさを縛る
そして『ダンサー そして私たちは踊った』に欠かせない要素であるジョージア・ダンス。あの舞踊は作中でも語られていたとおり、ジョージアを象徴する存在であり、単なるダンスのいちジャンルには収まりません。日本で言えば相撲みたいなものでしょうか。そこにはその国らしさという保守性が強く反映されています。
私は全然舞踊に詳しくないので知らなかったのですが、ジョージアの舞踊は非常に男性的な踊りになっているそうです。確かに作中を観るかぎり、やたらとパワフルなダンスで、床を踏み抜くつもりなのかというくらいでした。すごくマッチョイズムなものなんでしょう。
このジョージアの舞踊が作中ではまさに同性愛を抱える主人公に圧力として圧し掛かってくるものになっています。
ちなみにジョージアの国立の舞踊団自体も実際に同性愛を否定するコメントを出しているそうで、単に象徴というよりは、まさに加害者の本拠地みたいなところなんでしょうけど。作中の舞踏団に所属する若者たちも、バイナリーで別れ、男子たちなんかは典型的な男社会の馴れ合いを示していましたし。業界自体の淀みを感じます。
そんな中、メラブはイラクリと出会い、恋をしていく。あの2人のデートのシーンがいいですね。イラクリのおばあちゃんが名前を全然覚えてくれない場面とか笑ってしまう。
そして初めて体を重ねる瞬間。このシーンは野外ですが、光に照らされてとても綺麗に描かれており、荒々しさが薄れている、ある種の男らしさの払拭を示すよう場面でもありました。宗教的な絵のようにも見えます。ここは完全にジョージア・ダンスと対極的になっていたのではないでしょうか。
2人とも表向きは女性への関心がある“異性愛者”という皮を被って生きています。そうしないといけない世界だから。隠れながらのクローゼットな恋模様は切なく、息が詰まります。2人でのダンスレッスンはそんな圧力を分かち合って凌いでいるかのようです。
一方で、マリはどこかそんな2人の関係に気づいている感じが薄っすらと漂います。でも本人に何かできることがあるわけでもない。無論、ジョージアは女性差別も深刻。女性は女性で保守的な役割に縛られています。マリもきっと圧力に耐えている。そこは忘れてないでおきたいところですね。
芸術は国家のためじゃない
『ダンサー そして私たちは踊った』のラスト、メラブは審査員の前で足の怪我に耐えつつ、踊ります。やめろと言われても踊り続ける、舞踊を侮辱していると怒鳴られても踊り続ける。
ここでの踊りは男らしさが発露したものではなく、どこか女性的なしなやかさを持っていました。それがメラブのやりたかった踊り。
演じている“レヴァン・ゲルバヒアニ”はジョージアのダンスではなく、コンテンポラリーダンスが専門だそうで、あえてそっちができる方を起用したんじゃないかなと思います。このラストシーンのためのキャスティングであり、それは見事に決まっていました。
踊りを終え、静かに出ていくメラブ。それはまさに自分らしさを貫いた後ろ姿。
芸術は国家の威厳のためにあるのではない、自己表現のためにあるんだ! 勘違いするなよ!…という無言の、そして強烈なメッセージを発するエンディングの切れ味。
これなんかはジョージアに限らず、今の日本でも声を大にして言いたいことそのものです。ほんと、今の権力者さんどもはアートやスポーツを愛国心を示す道具みたいに思っているようですからね…。そうとしか思っていない人にはあのメラブの気持ちなんて欠片もわからないでしょう。
そして私たちは踊った…これからも…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 95%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『フランクおじさん』
・『君の心に刻んだ名前』
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作品ポスター・画像 (C)French Quarter Film / Takes Film / Ama Productions / RMV Film / Inland Film 2019 all rights reserved.
以上、『ダンサー そして私たちは踊った』の感想でした。
And Then We Danced (2019) [Japanese Review] 『ダンサー そして私たちは踊った』考察・評価レビュー