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『否定と肯定 Denial』感想(ネタバレ)…あなたとは対等ではありません

否定と肯定

あなたとは対等ではありません…映画『否定と肯定』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Denial
製作国:イギリス・アメリカ(2016年)
日本公開日:2017年12月8日
監督:ミック・ジャクソン
人種差別描写

否定と肯定

ひていとこうてい
否定と肯定

『否定と肯定』あらすじ

1994年、イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングが主張する「ホロコースト否定論」を看過することができないユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットは、自著の中でアーヴィングの説を真っ向から否定していた。しかし、アーヴィングは名誉毀損で彼女を提訴するという行動に出たことで、リップシュタットとその弁護団はあの虐殺の実在を証明しないといけなくなる。

『否定と肯定』感想(ネタバレなし)

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中立を悪用する人たちがいる

最近、気になることがあります。それは「中立」という言葉を得意げに乱用しながら他者にマウントをとる人たちです。「中立」という概念はまるで“良いもの”として取り上げられることもしばしばです。また、“冷静的で”かつ“客観的”な立ち位置を示していると思っている人もいます。

しかしそれは大きな間違いで、「中立」というのもしょせんはひとつのポジションにすぎず、何も正しさを保証はしません

それどころか「中立」という言葉を履き違えてしまうと逆に“中立ではない偏った者たち”を後押ししてしまうことにもなりかねません。

例えばよくメディアに見られるのが、ある問題に関して“警鐘を鳴らす”「専門家」の意見を取り上げつつ、その問題を“否定する”「別の人」の意見も並べる場合があります。その「別の人」が「専門家」なら両論併記として成り立つのですが、ただの「素人」だったりすることが往々にしてあるのです。職種はさまざまで、共通するのは専門家ではないということ。最近だとなにかといろいろな議題に首を突っ込むネット論者とか…。

これは本当に理不尽で深刻な問題です。なぜならその議題に詳しくない一般人からすれば、あたかも2つの意見が拮抗して存在しているように錯覚してしまうからです。実際は専門的な知識も根拠となるデータも議論の蓄積も雲泥の差があるのに、下手すれば思いつきでしかない個人の主張が専門的見解と横並びになってしまう。これは恐ろしい話ですが、残念なことにしょっちゅう起きています。

だからこそ「中立」を標榜する人やメディアに出会ったら真っ先に疑わないといけません。

今回紹介する映画はまさにそういう中立の脆弱性を巧みに悪用する者とそれと戦う者を描いた作品です。それが本作『否定と肯定』というとある実際に起きた裁判を描いた映画。

簡単に内容を説明すると、1990年代にイギリス人歴史学者「デイヴィッド・アーヴィング」がアメリカ人歴史学者「デボラ・E・リップシュタット」と出版社ペンギンブックスを訴えた裁判です。なぜそうなったのかというと、ホロコーストの専門家であるリップシュタットは著書の中でホロコーストを否定するアーヴィングを非難し、それによって名誉を傷つけられたとしてアーヴィングが名誉毀損の訴訟をイギリス裁判所に提起したのでした。

世の中にはホロコーストという歴史的事実とされるものは“嘘である”と主張する、いわゆる歴史修正主義者がいます。アーヴィングはその筆頭といえる存在。“嘘である”と主張したいならば学術的な舞台(学会など)で学問的に議論すればいいのですが、アーヴィングはそれでは敵わないと考えたのか、裁判でホロコーストの否定を叫ぶことにしたのです。裁判というのは仕組み上、争う者同士が対等におかれます。中立性を重視する舞台です。アーヴィングはまさにこれを利用して、自分が専門家として並び立つ存在であることを世間に知らしめようとした…というわけ。

その裁判の結果は…映画を観てもらうとして、本作は昔の事件として片づけられない、今もリアルやネットで盛んに勃発している構図そのものであり、非常に多くの示唆を与える作品だと思います。

監督は『ボディガード』(1992年)で有名な“ミック・ジャクソン”で、今や70歳を超えたベテランですが、硬派な作品もさすがの腕前で見事にまとめています。

主演は『ロブスター』や『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』の“レイチェル・ワイズ”。ホロコーストを否定する論争の火種となる男を演じるのは、『ハリー・ポッター』シリーズにも出演し、『ターナー、光に愛を求めて』で絶賛された“ティモシー・スポール”。他にも“トム・ウィルキンソン”、“アンドリュー・スコット”、“アレックス・ジェニングス”など名俳優が揃い、なかなかの演技合戦を堪能できます。法廷劇なので演技のぶつかり合いは一番の見どころですね。

題材がホロコーストなので歴史映画でもあるのですが、『否定と肯定』の場合はその歴史を正しく語り継ぐことの重要性を説いているもので、あらためて歴史映画自体の大切さも痛感させてくれます。人はなぜ歴史を学ばないといけないのか、その理由を突きつける物語ともいえるでしょう。

老若男女問わず幅広い世代に届けたい一作です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(ホロコースト映画の中でも必見)
友人 ◎(議論や話題のネタになる)
恋人 ◯(映画好き同士での鑑賞なら)
キッズ ◯(歴史を学ぶ意義がわかる)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『否定と肯定』感想(ネタバレあり)

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偉大なる歴史家は異端から生まれる?

「大量虐殺は趣味以前の問題だ。悪趣味なたとえをしよう。E・ケネディ上院議員は女性を見殺しにしたがガス室では誰も死んでない」

そんな上手いのか下手なのかもわからないことを得意げに演説ぶっている男。彼、デイヴィッド・アーヴィングはイギリスの作家なのですが、歴史家として人前に立ち、第二次世界大戦中に行われたというユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)は真実ではないと主張していました。

ホロコーストを専門とする歴史家であるデボラ・E・リップシュタットはそんなアーヴィングを授業の題材に用いながら、このように講義していきます。

「ホロコースト否定論者は4つの点を主張します。第1の点は、欧州の全ユダヤ人虐殺というナチス全体への命令はない。第2に、死者の数は600万よりはるかに少ない。第3に、ガス室や新たなに建てられた殺戮施設などなかった。第4に、ホロコーストはユダヤ人が捏造したもので彼らは賠償金をせしめてイスラエルを建国した。また戦争は残酷であり、犠牲者はユダヤ人だけではない、大袈裟だ…と」

「ホロコーストはあったのか、その証明方法は?」…そう問いかけるリップシュタット。ナチスが撮影を禁じたのでガス室内のユダヤ人の写真は1枚もありません。私たちはいかにしてこの殺戮を知ったのか、証拠は、信憑性は…その疑問を学ぶのが歴史という学問でもあります。

1994年。ジョージア州アトランタ。エモリー大学でリップシュタット教授の講演が準備されていました。その裏でカメラを設置する怪しげな男たちも…。

講演が始まり、「人が否定論者になるのはなんであれ隠された意図があります。彼らには否定だけが新たな扉を開ける鍵なのです」と語っていくリップシュタット。
質疑応答では「否定論者と討論しないのはなぜですか? 話すことが民主主義では? 拒むのは臆病です」と質問を受け、「ホロコーストを頭から無かったと主張する人とは御免です。なぜならホロコーストがあったのは事実だからです」と自分の立場をハッキリ答えます。

すると聴衆席からひとりの男性が「デイヴィッド・アーヴィングを侮辱なさっているが数多くの一次史料を発掘した学者です」と主張します。リップシュタットは「侮辱したとは思っていません」と答えますが、話が言い終わらないうちに別のひとりの男性が後ろの方の聴衆席から立ち上がり、こう堂々と言い放ちました。

「私こそ今ここで侮辱されたデイヴィッド・アーヴィング本人だ」

聴衆が一斉に振り返る中、そのアーヴィング本人は続けます。「私を攻撃する資格が君にあるのかね。私は30年間学究生活を送り、著作は世界中の出版社から出ている。君が批判者と戦わないのは新たな事実を恐れるからだ。君の見解に合わぬ事実をね。どうだね、反論は?」

「あなたと討論する気は今も将来もありませんし…」

「君は学生に嘘ばかり言っている。ホロコーストを信じ込む学生を作るのか。ヒトラーがユダヤ人殺害を命じた文書を示した者にこの1000ドルを進呈するぞ。誰に雇われて書いた?」

アーヴィングの弁論はとまらず、どんどん一方的にまくしたてるばかり。「座るか、退席を」という指示も無視。そんな台無しになった講演後、アーヴィングは学生に著書を「真の歴史だ」とご満悦にタダで配っていました。

1996年9月25日。ロンドンの出版社から電話を受け、アーヴィングがイギリスでリップシュタットと出版社を名誉棄損で訴えたと報告を受けます。彼のサイトを見てみると、散々な自分の悪口が書かれており、最後には「Total Victory! Revenge!」と勝手気ままに勝利宣言をしていました。極右のネオナチ集団の前で演説して鼓舞するアーヴィングの映像を見るリップシュタット。彼女の中で何かが背中を押します。

リップシュタットはこの歴史を我が物顔に私物化して利用する男に挑むことにしました。前代未聞の裁判の開始です。

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学問の力を見せつけよう

オチを書いてしまいますけど『否定と肯定』の物語の帰着は自明であり、アーヴィングの訴えは退けられ、リップシュタット側が勝ったことになります。問題はなぜこの結末になったのか、そこです。歴史的事実だから当然でしょ?というのはもちろんなのですが、法廷劇におけるもっとも見どころになる勝敗の駆け引きとともに、真の歴史家であるリップシュタットと偽の歴史家モドキであるアーヴィングの違いが本作では鮮明に浮き彫りになってきます。

アメリカなら原告側に立証責任があるけれどもイギリスは逆なので、リップシュタット&弁護団はホロコーストが真実であることを証明しないといけなくなります。

結果的に何をしたのか。別に奥の手があるわけでもない。切り札もない。ただ淡々と歴史を示す根拠を積み上げて提示する。つまり、普段から歴史学者たちが学問の世界でやっていることを法廷でやってみせただけでした。

まず専門家を集め、多角的な視点から情報を整理します。次にその中から重要な情報を抽出し、分析し、答えを導きます。これだけ。地味に見えるでしょう。でもこれが大事。そしてこれが学問なのです

一方のアーヴィングは学問的セオリーなど完全に無視し、何をするのかと思えばただ持論を述べるだけ。加えて「私は否定論者ではありません」「これは私への処刑です」「否定論者という言葉はレッテルです」と空虚な被害を語り、専門家の提示する情報やデータにケチをつける程度です。

あげくに持論の矛盾点を指摘されると(処刑室ではなく死体消毒と防空壕用の部屋だったという自説)、「専門ではないので…」と逃げる。通話記録の誤訳を指摘されると、「その程度の誤りはあり得る」と開き直る。こんなこと学生が大学でやったら指導教員に説教されるか見放されるレベルの幼稚な態度です。

そんな思いついた愚論をまくしてているだけで結論を曖昧にするような、歴史家として話にならないアーヴィングに対して、リップシュタット&弁護団が「歴史家とはこういうものだ!」という“舐めるんじゃねぇぞ!”と言わんばかりの学問的ストレートパンチを立て続けに打ちこんでいくのは爽快です。

裁判の終盤ではアーヴィングが演説で「心ある人はホロコーストに飽きてるが政治的に不適当なので口にしないだけだ」と語っていることが示され、女性差別に黒人差別もしていることを指摘され、それでもアーヴィングは「軽妙な演説でしょう。軽いジョークだ」と相変わらずのスルースキルを発揮します。しかし、娘に「私はアーリア人種。ユダヤや非国教徒ではない。ジャマイカの猿と結婚するわけもない」というどう考えても差別的な歌を歌っていたことが判明し、トドメの一撃に。

このアーヴィングが差別主義者であることを示す根拠になったのが彼のつけていた膨大な日記…というのが皮肉ですね。つまり、アーヴィング自身の歴史を示す文書なのですから。歴史を偽造する者が、歴史に制裁される…というまさに大ブーメランでした。

ちなみに本作の裁判のやりとりは実際の内容どおりの再現になっているそうで、作中のアーヴィングのあの厚顔無恥な言動は本当に法廷であったこと。うん、なんだかね…。

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良心を他人に委ねる辛さ

『否定と肯定』はチーム映画としても面白いです。アーヴィングは単身なのですが(なぜなら裁判を自己アピールの晴れ舞台に使いたいので他人は邪魔)、リップシュタットはチームで挑みます。

ただ、リップシュタット自身は見ていることしかできず、弁護団に任せるのみです。歴史学者として本領発揮できないのはもどかしい気分。しかし、彼女の場合はそれ以上に、ユダヤ人としての自分の民族的歴史に重大な関わることを、非ユダヤ系の人たちに任せていいのだろうか?という不安があるのも忘れてはいけません。「良心を他人に委ねる辛さを想像できる?」というセリフのとおり。それはサバイバーの人はさらに痛感していることでもあります。

なのでリップシュタットは当初は弁護団メンバーをなかなか信用しきれていません。チームを指揮するアンソニー・ジュリアスという事務弁護士も妙に淡々としていて真意が読めませんし、法廷弁護士のリチャード・ランプトンもなんだか敬意の見えない態度をチラつかせ、リップシュタットの不信感を煽ります。事務弁護士補助で参加する大学院生二人とかも、なんか軽いノリに見えます。

でも蓋を開けてみればリップシュタットの心配もよそに弁護団はめちゃくちゃ優秀で、歴史というものの重みもユダヤ人の苦しみもわかっている人たちだったわけです。要するに、ホロコーストという歴史は今やユダヤ人だけが抱えるものじゃない、全人類の責任と使命なんだということをあの弁護団の存在が示しています。こうなっているのも歴史が正しく教育として伝えられたおかげであり、さりげないことですが、歴史の価値を映画が見せているのではないでしょうか。

一方でユダヤ系コミュニティもちょっとだけ登場し、具体的にはリップシュタットがユダヤ指導者と食事をする前半部のシーンですが、あそこではカネで示談にしようとか、非ユダヤ系は信じるなとか、男女の色恋の話題とか、消極的かつ保守的な立場が映ります。もちろん全てのユダヤ系コミュニティがそうだったわけではないですけど、ユダヤ人も一枚岩ではないのはこれもまた事実。

ラスト、リップシュタットはランニングの最中にチャリオットに乗るブーディカの像を見上げます。ローマ帝国に反乱を起こしたケルトの女王ブーティカ。どこの国でも巨大な力に立ち向かうマイノリティな民族はいる。ユダヤ人はもう孤立していないという国際的連携を感じさせる場面です。

日本もそんな連携に加わりたいものですね。映画を観た私たち鑑賞者も「中立」ではありません。恥ずかしいことに日本にもアーヴィングみたいな人はいます。その信奉者もいっぱいいます。

作中の言葉を借りるなら「表現の自由を悪用する者からその自由を守るため」、私たちも歴史を学び続けましょう。正しい専門家からね。

『否定と肯定』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 82% Audience 71%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★
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関連作品紹介

ホロコーストを題材にした作品の感想一覧です。

・『チャナード・セゲディを生きる 』
…ネオナチのホロコースト否定論者がユダヤ人だった?という衝撃のドキュメンタリー。

・『アウシュビッツの会計係』
…いまだに続くナチスのホロコーストの責任を問う裁判を追うドキュメンタリー。

作品ポスター・画像 (C)DENIAL FILM, LLC AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2016

以上、『否定と肯定』の感想でした。

Denial (2016) [Japanese Review] 『否定と肯定』考察・評価レビュー