それが生きる術…映画『デッドマンズ・ワイヤー』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2026年)
日本公開日:2026年7月17日
監督:ガス・ヴァン・サント
でっどまんずわいやー

『デッドマンズ・ワイヤー』物語 簡単紹介
『デッドマンズ・ワイヤー』感想(ネタバレなし)
ガス・ヴァン・サントはまだまだ現役
1952年にアメリカのケンタッキー州ルイビルに生まれ、オランダ系のルーツを持つ“ガス・ヴァン・サント”(ガス・バン・サント)。ロサンゼルスで映画を学ぶ中で、彼はハリウッド・ブールバードの貧富の差に注目し、社会の周縁に存在する人々に焦点をあてることに関心を持ったそうです。
そして長編映画監督デビュー作となった『マラノーチェ』(1986年)では、ゲイの男とメキシコ移民の交差を映し出し、不条理をスクリーンに切り取っていました。
“ガス・ヴァン・サント”本人も、オープンリー・ゲイであり、ニュー・クィア・シネマと呼ばれる創作の潮流を切り開くことにもなります。『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)、『カウガール・ブルース』(1993年)、『ミルク』(2008年)など、手がけるクィアな作品はクィアネスそのものを露骨に物語的な仕掛けとして描くのではなく、あくまでそこにあるものとして自然に触れるのが特徴でした。
クィアな映画だけではありません。先ほども書いたように周縁化された人々の心にカメラを向けるので、その対象はさまざま。それでも作家性は安定し続けていたと思います。
2018年の『ドント・ウォーリー』以降は長編映画の監督業から離れ、ドラマ『フュード/確執 カポーティ vs スワンたち』でのエピソード監督をしていたりしていましたが、2025年に映画に帰ってきました。
それが本作『デッドマンズ・ワイヤー』。
アメリカ本国では2026年に劇場公開された久々の“ガス・ヴァン・サント”監督作は、クィア映画ではありませんが、1977年に実際に起きた立てこもり人質事件を犯人視点で主題にしています。“ガス・ヴァン・サント”監督は、『誘う女』(1995年)、『エレファント』(2003年)などで犯罪者を描いてきたので、それほど意外ではないでしょう。
今作『デッドマンズ・ワイヤー』も実に“ガス・ヴァン・サント”監督作らしく、一見すると典型的なジャンルっぽさがありますが、観てみるとそういう雰囲気はなく、社会の不条理に翻弄される人間性に光をあてています。
なんでも最初から“ガス・ヴァン・サント”監督が企画したものではなく、監督をオファーされたそうです。当初は“ヴェルナー・ヘルツォーク”監督&“ニコラス・ケイジ”主演の企画だったらしく、実現できなくなって、急遽土壇場で“ガス・ヴァン・サント”監督に任せたのだとか。それでこの安定感ですから、さすが巨匠ですね。
『デッドマンズ・ワイヤー』で主演を務めるのは、スウェーデン人の“ビル・スカルスガルド”。殺人ピエロとか、吸血鬼とか、何かと「あなた、誰!?」ってくらいの別人レベルで豹変する役を演じることに定評のある“ビル・スカルスガルド”ですが、今回はわりと平凡な男。でもその平凡さの中に秘める危うさなど、しっかり“ビル・スカルスガルド”らしい演技をみせてくれます。


共演は、『エルヴィス』の“デイカー・モンゴメリー”、『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』の“ケイリー・エルウィス”、『ゼイ・ウィル・キル・ユー』の“マイハラ”、さらに“コールマン・ドミンゴ”や“アル・パチーノ”といった大物まで。
『デッドマンズ・ワイヤー』は、社会の不条理に怒りを抱えている人にとくにオススメです。
『デッドマンズ・ワイヤー』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | やや大人向けの雰囲気です。 |
『デッドマンズ・ワイヤー』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1977年2月8日、アメリカのインディアナ州中央部のインディアナポリス。トニー・キリシスは緊張した面持ちで車を運転し、あるビルの前に到着。脇に細長い箱を抱え、その建物に入っていきます。そこは不動産投資会社のメリディアン・モーゲージ社でした。
トニーはロビーの受付で、住宅ローンブローカーのM・L・ホールとの面会があると落ち着きない様子で告げます。「あちらのソファでお待ちください」と言われ、真顔で座ります。トニーは左腕を吊っており、箱を右側に置きます。
すぐに名前を呼ばれ、今、ホールはフロリダで休暇中だと言われます。受付に詰め寄りますが、ホールの息子リチャード(ディック)がやってきて、なだめます。しかし、トニーは逃げたのではないかと不満を口にします。
リチャードは「父のオフィスに行きましょう」と、律儀に上階に案内します。そこには顔見知りの元受付のバーブもいました。
部屋につくと、リチャードと2人きりになり、トニーは箱から図面の紙を取り出し、さらにリチャードが後ろを向いている合間にショットガンを突きつけます。
状況を察したリチャードは固まりながら手をあげますが、トニーは4年間騙されたことへの復讐のために来たと言い放ち、リチャードの首にワイヤーを装着。ワイヤーは銃と連動していて、少しでも動くと発砲するようになっている仕掛けのようです。
トニーは地元警察に自ら通報し、早口で役員室にいることも伝えます。
すぐにビルの前には警察のパトカーが到着し、騒然とします。その様子にトニーは満足そうです。
そしてトニーはリチャードを連れて非常階段を降り、1階のロビーに辿り着きます。警官が何人もいましたが、人質がいる以上、手出しはできません。
外に出て、まっすぐリチャードの車に向かいます。警察は少し後ろから後を追います。
マイク・グレイブル刑事も駆けつけ、話し合いに持ち込もうとします。そこに地味な仕事に退屈していた地元テレビ局レポーターのリンダと同行カメラマンも事件を嗅ぎつけて現れ、緊迫の現場を撮影。
トニーはパトカーを奪い、手錠も拝借して、その場を逃走してしまいます。
車内ではトニーはやけに呑気で、地元のラジオDJのフレッド・テンプルは自分も好きだと勝手に喋りだします。まるでちょっとドライブでもしているような口ぶりです。
こうしてトニーの自宅アパートに着きますが…。

ここから『デッドマンズ・ワイヤー』のネタバレありの感想本文です。
地元の普通の人
『デッドマンズ・ワイヤー』は、主題になっている実話の事件自体が死者はいなかったとは言え、かなりインパクトがあるものだったので、映画のネタになるのも頷けはします。
そのあまりにわかりやすいインパクトゆえに、 ハリウッドの量産されがちな流行のスタイルになってしまいやすいだろうなとも思ってしまいます。それこそアクション全開のノンストップなスリルを届けるとか、はたまたコミカルなドタバタ劇で笑わせるとか。
しかし、この『デッドマンズ・ワイヤー』はそういうアプローチには一切手をつけていません。典型的なジャンルに飛びつかない姿勢を貫いています。
かと言って、史実どおりとかそういうことでもないのです。細部をみるとしっかり脚色しています。
つまり、どこに焦点をあてるかでこの映画は明確な独自性を発揮していて、前半で少し触れたように社会の不条理に翻弄される人間性が映し出されるところが面白いんですね。そしてこれぞ“ガス・ヴァン・サント”監督の真骨頂でもあります。
まず事件を引き起こす張本人のトニー・キリシスがユニークで、別に極悪人でも、サイコパスでもない。なんというか、いかにも凡人であり、それこそ「地元の普通の人」の代表みたいな感じです。実際、地域の人々に当たり前のように認知されていて、事件を起こした直後も「ああ、お前かよ」みたいな反応をされたりもしています。
そのトニーの犯行の動機も、大企業に舐められて堪忍袋の緒が切れて…ということなので、その犯行を支持するかどうか別にしても、「気持ちはわかるよ」という同情を集めやすいのは当然です。
しかしながら、このトニーは「民衆の英雄」というほどの持て囃されるカッコよさとも無縁の存在で、そこがまた何とも言えないシュールさを生んでいます。メディアがフィクションとかで描きがちな民衆の英雄は見た目もカッコいいものじゃないですか。“クリント・イーストウッド”みたいな…。対するこのトニーは…まあ、どこにでもいる特段のビジュアル的なクールさもワイルドさもない中高年男性ですから。
しかも、その犯行計画も妙に行き当たりばったりです。あのデッドマン装置を前提にしたワイヤー固定のショットガンは、たぶんトニーが必死に考えて「これぞ名案だ」と思って実行したのでしょうし、家での仕掛けといい、本人なりにはあれこれ万全を尽くした…と自画自賛している感じが伝わってきます。
ちなみに史実のトニーは陸軍士官学校で小火器の教官を務めていたそうなので、おそらくそういう武器の扱いには長けていたのでしょう。その点においての自信は確かにあったのでしょうね。
一方でこの犯行計画は人質を確実にとることには特化しているものの、肝心の要求を実現することに関してはほぼ保証がなく、トニーはそこまで考えてなかったのでしょうかね。少なくとも映画を観ているかぎりでは、あのトニーはものすごく性善説的な思考で動いており、素の人間らしさが滲み出ていました。
映画だと、地元のラジオDJのフレッド・テンプルのキャラクターを上手く間に混ぜ込むことで、トニーの人柄がより身近になっています。憧れの人に認めてもらえたと感じて浮かれる仕草といい、あの上機嫌なトニーはファン心理で簡単に操られてしまっているのですけど、本人的にはそれはそれでいいとも思っているような…。
正直、わざわざこんな大仰な人質事件を起こさなくても、もっと別のより効果的なパフォーマンスとなるやりかたがあったんじゃないかと思ってしまいますね。これはトニーをバカにしているんじゃなくて、トニーならそれこそ本当に抗議運動のリーダーとかになれそうだったんじゃないか…という話です。
正気のまま怒らないといけないときがある
『デッドマンズ・ワイヤー』における人質側となってしまったリチャード(ディック)。完全に当初の計画外の人質なので巻き添えではあるのですが、父親が会社のトップなので無関係でもない…いわゆる親からその特権を継承している立場です。半分くらいは自分の責任だけど、もう半分くらいは親の罪を被っている…絶妙な立ち位置ですね。
このリチャードは、終始、かなり可哀想です。リチャードはわりと誠実で、この映画の中では一番ちゃんとトニーと交渉しているように思えるほどです。ただ、トニー的にはリチャードは企業のお偉いさんみたいには思われておらず、相手にされてないのがまた悲しいです。
そんなリチャードが作中で最も不憫なシーンは、父のM・L・ホールとの電話の場面。M・L・ホールは本当にまるっきし交渉する気もなく、息子の危機にも我関せずです。この振る舞いは『ゲティ家の身代金』を思い出しますね。
ただ、M・L・ホールはもっとぞんざいで、息子に対して「お前、それはストックホルム症候群だぞ」と言い放ったり、ショットガン以上の威力のある暴言でリチャードの心をズタボロにしているのがなんとも…。
このM・L・ホールはトニーにも説教しだすのですが、その言いかたが「子どもを養ってこそ一人前なんだぞ」というおなじみのやつで…。
ちなみに実際のトニーは生涯結婚をせず、恋人がいたという話もありません。別にゲイだったとか、アセクシュアルだったとか、そういうことが言いたいわけではないですが、M・L・ホールの発言はあからさまな異性愛規範の物言いであり、そういう圧力をさりげなく描くのも“ガス・ヴァン・サント”監督作らしくもありました。
この映画で最も魅力的なのは対話のシーンよりも沈黙のシーンで、先ほどのリチャードのひたすら耐える姿といい、ラストのワンカットといい、言葉のない空間にこそ最大の人間性が光ります。
裁判後のトニーが自分は正気であるとひと言だけ主張するのもいいですね。そこに込められるいろいろな意味が何よりも大事で…。
私たちはもっと正気のままで社会に怒ることが必要なのでしょう。
アイスクリームの主要製造企業が価格引き上げのカルテルを結んでいたとか、そんな理不尽にもしっかり怒っていきましょう。ワイヤーを結びつけなくていいように。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『デッドマンズ・ワイヤー』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 Starlight Digital Ventures, LLC. All Rights Reserved. デッドマンズワイヤー
Dead Man’s Wire (2026) [Japanese Review] 『デッドマンズ・ワイヤー』考察・評価レビュー
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