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映画『オブセッション 災愛』感想(ネタバレ)…ダメ男選手権新記録!

オブセッション 災愛
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こうならないように…映画『オブセッション 災愛』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Obsession
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2026年7月17日
監督:カリー・バーカー
動物虐待描写(ペット) ゴア描写 性描写 恋愛描写
オブセッション 災愛

おぶせっしょん さいあい
『オブセッション 災愛』のポスター

『オブセッション 災愛』物語 簡単紹介

ベアという青年は、恋心を寄せている職場の同僚の女性であるニッキーと恋愛関係になりたいと考えているが、どうしても愛を告白するほどの勇気がでない。そこでたまたま店で見つけたひとつだけ願いを叶えてくれるという怪しいオモチャ「ワン・ウィッシュ・ウィロー」に手を出してしまう。彼女が自分を世界で最も愛してくれるようにと願った瞬間、最悪の恐怖が始まる。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『オブセッション 災愛』の感想です。

『オブセッション 災愛』感想(ネタバレなし)

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“ダメ男”映画の新鋭

私はダメ男がでてくる映画が無性に好きなのですけど、なんでなのでしょうか…。別にダメ男自体は好きじゃないし、現実では関わりたくもないですよ。ダメ男に振り回された経験があるからなのか、いや、でもそんなのみんなそうなんじゃないの?(勝手な決めつけ)

あえて自問自答するなら、人間味があるからなのかな。別にこれは性別関係ないですが、模範的で完璧な人物より、欠点を抱えた人物を“距離をとって”眺めるほうが有意義だと思います。なぜ人は不完全なのかを冷静に考えられるので…。

ここで注意しなくてはいけないのは、この人間の不完全さに同情しすぎるとマズいということですかね。そうするとすぐさま自分の過ちの正当化にしかならなくなりますから。

話を戻して、ダメ男が主題の映画は私も毎年しっかりチェックしていますが、久々に自分の中での“ダメ男”映画の新記録を打ち立てる、とんでもない一級品がやってきましたよ

それが本作『オブセッション 災愛』

本作は2025年に製作されたアメリカ映画ですが、本国では2026年5月に一般劇場公開。するとあれよあれよという間に特大ヒットし、インディーズ映画としては記録を塗り替えるような成果をあげました。業界にとってもセンセーショナルです。

なにせ75万ドルの低予算で、有名な俳優はでていませんし、監督はこれが長編映画監督デビューの26歳ですからね。

『オブセッション 災愛』を監督したのは“カリー・バーカー”というアメリカ人で、もともとYouTubeでスケッチコメディの創作活動をしていたクリエイターです。またしてもYouTuber監督の躍進ですが、これを「YouTuberは凄い!」という文脈で受け取るのは少々安易すぎかなとも思います。むしろ今の時代はYouTubeで創作を提供するのが当たり前なのでしょう。

それにこの“カリー・バーカー”、監督としては新人ですが、父親は劇作家で、母親は芸術家だそうで、今回の『オブセッション 災愛』にも製作に参加してくれ、アドバイスもしっかりもらって支えられていたとか。家族一丸で作っているところもいかにもインディーズですが…。

そんな『オブセッション 災愛』はどういう物語かと言うと、恋愛を扱ったサイコロジカル・ホラーです。ロマンス・スリラーと言ってもいいかもしれません。

ある怪しげなアイテムで個人の理想を叶えようとして、人生が壊滅的に狂っていく…という大筋なので、『サブスタンス』っぽくもありますが…。『オブセッション 災愛』は、ある種の男性が執着する「“女性との恋愛”願望」を叶えてしまうことで悲惨の極みに陥ります。

詳細はあまり語りたくはないのですけど、私としては心の中で大笑いできるダークなユーモアのある作品だとも思いました。恋愛伴侶規範や性愛至上主義を痛烈に皮肉るような…。ほんと、ずっと凄惨なんですけどね…。観る人によってはとんでもなく気まずい鑑賞体験になるはず…。

正直、デートムービーで観る映画ではないですが、私はこれをうっかりデートで観てしまったカップルがぎこちなくなっていく様子を遠くから見物していたいという意地悪な感情を抑えきれないところがある…。

“カリー・バーカー”監督、まだこれが1作目なので判断しづらいですが、作家性としては“アリ・アスター”に通じるものがあるのかな。でもあちらのようなよそよそしい冷笑さは一切なく、非常に洗練された自己批評をミニマムに届けており、次世代の若手らしいセンスです。

『オブセッション 災愛』は俳優の演技も釘付けになります。とくにヒロインを演じた“インディ・ナバエレッテ”。もう凄まじいとしか言いようがない…。これは何か賞をあげて!と思うぐらいに極限の怪演です。

その相手となる主人公を演じる“マイケル・ジョンストン”も、組み合わさったときの化学反応が素晴らしいですね。

私の中では「これが2026年のマイ・ベストになるか…」と降参する衝撃と快感だったので、以下の感想はやや興奮で乱れていますが、ご了承ください。

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『オブセッション 災愛』を観る前のQ&A

『オブセッション 災愛』の見どころ
★恋愛伴侶規範や性愛至上主義への痛烈な批評センス。
★サイコロジカル・ホラーとしての洗練された演出。

鑑賞の案内チェック

基本 猫が死亡するシーンがあります。
キッズ 1.0
性行為とゴア描写があります。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『オブセッション 災愛』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

青年のバロン・“ベア”・ベイリーニッキー・フリーマンという女性に恋心を寄せていました。彼女は職場の同僚であり、今もじゅうぶん会話もできる関係で、交際に発展できればいいなと考えています。しかし、ベアは内向的でどう切り出せばいいのかもわからず、途方に暮れていました。

同じ楽器店で働く友人のイアンに告白の予行練習に付き合ってもらうも、ぎこちなさが滲み出ています。気楽に遊び心で誘ってみるのはどうかと提案され、それでも頭の中はパニック。タイミングはいつでもあるのだから慌てることはないと諭され、そう言われるがままにベアは自分を落ち着かせます。

しかし、帰宅すると、飼い猫のサンディが床で冷たくなっていて、平静になろうとしていた心は一気にぐちゃぐちゃになります。どうやら誤ってオキシコドンを摂取して死んだようです。片づけながら最悪の気分を味わうベアでした。

気が滅入ったベアは思わずニッキーと電話しますが、彼女はクリスタルのネックレスを落としたらしく、これはチャンスだと考え、顔を合わせる前に新しいものを買ってプレゼントしようと思いつきます。

そこで入った店で「ワン・ウィッシュ・ウィロー」というオモチャが陳列されているのを目にします。壊すと1人につきひとつの願いが叶うらしく、半信半疑ながらも試しに1個購入します。

同僚のサラも合わせ、イアンも加えて4人でバーに集合。ベアはニッキーと2人きりになる機会を得て、会話を繋げていき、ちょうどいい間を探るも、ニッキーはいつもどおりお喋りでマイペース。

それでも帰り際にチャンスが到来し、ニッキーを車で家に送ることになります。2人きりの車内でもニッキーはリラックスし、ベアへの信頼を口にします。

家に着くと、「あなたはサラをどう思っているのか」と聞かれ、不意な質問に動揺します。さらにニッキーは自分の気持ちは誰にもわからないとも言い、ベアは結局このタイミングでも肝心のことを言えずに終わります。

ところが、去り際にイアンにアドバイスされた変な呼びかけをしてしまい、ニッキーの顔色は変わり、あからさまに神経質になります。

そして「私のことが好きなの?」と聞いてきます。完全に頭が真っ白になったベアは「良い友達だよ」と言葉を絞り出すことしかできません。

ニッキーは家へと去り、車の中にひとり残され、ベアは自分に失望します。苛立ったベアは、箱から出すとチープな音が鳴るワン・ウィッシュ・ウィローを握りしめ、「ニッキーがこの世界で誰よりも自分を愛してくれますように」と願いながらヤケクソで壊します。

その瞬間、ニッキーがなぜか外のこちらの車まで戻ってきて…。

この『オブセッション 災愛』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/07/17に更新されています。

ここから『オブセッション 災愛』のネタバレありの感想本文です。

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恋愛に依存する典型的な男性

“カリー・バーカー”監督は『オブセッション 災愛』を製作中に初期の編集版をスクリーニングで他の人に観てもらった際、主人公のベアに同情する反応が一部にあったらしく、それに対してベアに一切同情できないように再撮影と再編集で手直しして完成版に至ったそうです。

ヒムパシーではないですけど、やっぱり「恋人が欲しくて健気に頑張っている男」みたいな印象を一定数の人に与えてしまったのですかね。これはこれでいかに世間は「過ちを犯した男性」に同情しやすいかを浮き彫りにさせていて興味深くはあるのですが…。

主人公のベアは別に孤独ではないです。普通に友達もいて、平凡ではありますが仕事もして、それ相応の人生を築いています。また、インセルみたいないかにも有害な男性像にもなっていません。

ベアが望んでいるのは「職場の同僚のあの子と付き合えたらな…」という、ただそれだけ。いわゆるフレンド・ゾーンから一歩踏み出したいというやつです。この願望自体はいたってありきたりだと思います。

しかし、このベアは冒頭の告白練習から察せるように、ちょっとロマンチストすぎる面があり、そのうえ、臆病というか、意気地はありません。つまり、自分がリスクを払うことはせず、極めて受け身です。

そして、序盤から自分の薬の管理の不始末で飼い猫を死なせているにもかかわらず(ベアは最期はこの猫と同じ顛末を辿るわけですけども…)、依然として被害者的な態度をとり続け、自分に対する哀れみに沈む傾向があります。ナルシシズムなところがありますよね。

これらのベアの性格は、その後に起きる惨劇に対処できずにズルズルを突き進む理由づけになっています。

さらに男友達のイアンの存在ですね。イアンは冒頭で一見するとベアを親身にサポートしてあげているように思えますが、実際のところ、イアンは裏でニッキーとカジュアルに性関係を持ったりした経験があるらしいことがわかります。つまり、あの冒頭もアドバイスにみせかけているだけで、ベアが真剣にニッキーと交際することを本気で応援はしていないことが察せます。イアンは嫌な奴だというのを最後であんな視覚的に表現するとは思わなかったけど。

ともあれ、私はベアももっと良い男友達が傍にいれば、いくらでも(とくに恋愛における)人生の考えかたを好転できたと思うんですよね。

要するにベアは悪い男友達と関わることで、その危うい欠点のある性格が、より有害なものに変質してしまったとも言えます。本作は、あからさまに有害な男…ではなく、たとえ、どんなに平凡で平均的な常識のある男でも、何かの連鎖で最低な一線を越えてしまうことを映し出している物語でした。それは、恋愛に依存する典型的な男性が招く恐怖の寓話です。

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男の願望をゴアに粉砕する

『オブセッション 災愛』の惨劇は、ベアがあの安っぽいオモチャに「ニッキーがこの世界で誰よりも自分を愛してくれますように」と願ったところが開幕します。

なんでそんな極端な願いにしたんだ…という話ですが…。「1回だけデートできますように」とか「1度でいいので私に告白する勇気をください」とか、そういうささやかな願いにすれば良かったのに…。

その願い直後からニッキーの言動は、まるで恋愛シミュレーションゲームでヒロインの攻略ルートに突入し、ヒロインが自分に好意を寄せ始めた…くらいのあまりに不自然で極端な急変をみせます。「あなたの家に行ってもいい?」とおねだりし、家では彼女がエロティックに隙だらけで、自分に依存しまくってくれる…。ストレート男の願望どおりの光景です。

で、ベアも最初は半信半疑で警戒していますし、ニッキーもどう考えても逸脱した行為をとっているのは火を見るよりも明らかなのですが、欲が勝ってしまってベアは憧れの女性とデートやセックスをすることで現実逃避していくという…。

一番にこのベアの心理が滲み出るなと思うのは、パーティーにニッキーを連れてきてしまう場面で、ニッキーは自分の顔を自傷し始めるのですけど、周囲が騒然とする中、ベアは無表情で佇んでいるんですね。ここの思考停止っぷりが、ほんと、この男の性格の極致ですよ。

ベアは奇行のニッキーに怯える場面も何度かありますが、それは本心では「ニッキーをこんなふうに変えてしまった自分の加害責任」に怯えているところも感じさせます。でもその責任に向き合えない…。

パーティーから帰宅した後の「ただのニッキーでいてくれ!」「ニッキーにはなれない!」のやりとりは、この映画のベアの歪みを突きつける最もわかりやすいシーンでした。ベアはいまだに「自分にとっての理想のカノジョ」が存在すると脳内で固執しているけど、そんなものは最初からいやしないという現実。そこでの床にへこたれながら「怖がらせないで!」と涙目で訴えるべアがなんとも…。「お前のせいだよ!」とこの男にツッコミを入れたくなった鑑賞者は多いでしょうけど、ここが一番こっちの声がデカくなりますね。

『オブセッション 災愛』はとにかく男の願望を粉砕することに徹していました。

後半には、サラというあちらから好意を寄せてくれる、これまた都合のいい感じ女性が登場したかと思ったら、すかさずニッキーが容赦なく粉砕(物理)してくれますからね。

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ニッキーにとっての理想と願望

『オブセッション 災愛』は完全にベアの視点の物語ですが、これをニッキーの視点とすると、この物語は本当に壮絶な地獄です。

ニッキーが体験しているのは、超自然的な現象による性暴力(性奴隷?)と言っても過言ではないです。最後はきっと殺人の責任まで背負わされるんでしょうし…。

この映画が嫌らしいほどに恐ろしいのは、あの願いの具現化に利用される状態となったニッキーが、たまに意識の混濁の中で正気に戻ることがあるという設定。この設定を盛り込んだのは、もう“カリー・バーカー”監督は鬼畜としか言いようがないです…。でもそのニッキーの意識の切り替えがまたホラーとして巧妙な演出になっていて、上手いから何も文句は言えないけど…。

ニッキーが当初はベアのことをどう思っていたのか曖昧なまま…というのも意地悪な設定ですよね。

これは私の勝手な考察になりますけど、ニッキーはそんな愚かな女性ではないでしょうし、ベアと違って自分のことを自己分析できているタイプの人間だと思うのです。ニッキーは人柄も良く、たぶん「モテる」女性で、周辺の男性グループからそういう目線でみられていることにも自覚的だったのかな、と。だからこそ男性を素直に信頼はできず、男性に理想を抱けない、ちょっと冷めた感情があったのかもしれません。

けれどもニッキーにしてみれば男たちの中ではあのベアはまだ「自分の理想になってくれるかもしれない」という薄っすらとした希望を抱けていた…のかもしれません。序盤の車の中での会話シーンはそういう探りを入れる感じも匂わせます。まあ、残念ながらこのベアという大馬鹿野郎はその期待に応えられないし、ニッキーの悩みとかに微塵も慮ることはしないんですが…。

ベアにとっての願望が歪んだかたちで成就する中、ニッキーにとっての願望はことごとく踏みにじられる…そういうジェンダーの不均衡も的確に捉えているところもこの映画の鋭さだと思います。

『オブセッション 災愛』
シネマンドレイクの個人的評価
9.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)

以上、『オブセッション 災愛』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)2026 Focus Features LLC. オブゼッション オブセション

Obsession (2025) [Japanese Review] 『オブセッション 災愛』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2025年 #カリーバーカー #マイケルジョンストン #インディナバレッテ #パルコ配給