ボーダー 二つの世界
映画『ボーダー 二つの世界』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Gräns(Border)
製作国:スウェーデン・デンマーク(2018年)
日本公開日:2019年10月11日
監督:アリ・アッバシ

ボーダー 二つの世界

あらすじ

醜い容姿のせいで孤独と疎外感を抱える税関職員ティーナには、違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分けるという特殊能力があった。ある日、彼女は勤務中に奇妙な旅行者ヴォーレに注目するが、特に証拠が出ず入国審査をパスする。それでもヴォーレを見て本能的に何かを感じたティーナは、後日、彼を自宅に招き、離れを宿泊先として提供する。そして、ある事実を知るのだった。

『ボーダー 二つの世界』感想(ネタバレなし)

この人の作品を待っていました

ちょっと生物学のお勉強をしましょう。

「種分化(Speciation)」という言葉をご存知でしょうか。地球上には何万何億という生物が存在しています。例えば、一口に「カエル」と言っても、ニホンアマガエル、トノサマガエル、オオヒキガエル、ウシガエル…と種類があってこれを「種(しゅ)」と生物分類学的には呼びます。進化のプロセスで考えれば、ある種の生き物が進化の過程で複数の種に分かれたと考えるのが一般的。これが「種分化」です。

では種を分ける“境界”はあるのでしょうか? 研究者は「生殖的隔離」という用語でそれを説明しようとしました。つまり二者が“繁殖できるかできないか”で種が決まるということ。生息地が地理的・物理的に遠いので繁殖不可能ということもありますし、生殖器の構造が違うので繁殖できないということもあります。例を挙げると、私たち「ヒト」と「チンパンジー」と「ゴリラ」では似たような猿の仲間と言えますが、生殖器の形が全然違います。

もちろんこれは生物学の話。他にも“境界”を見いだすことはできます。人間は“境界”がやたら大好きで、人種、国籍、宗教、年齢、容姿、性別…とあらゆる視点から“境界”を作り、人間を隔ててきました。それが必ずしも「ヒト」という生き物のプラスになったかと言うと、そうではなかったのですが…。

ずいぶんと学術的な導入から始まりましたが、別に今回の紹介する映画『ボーダー 二つの世界』はアカデミックな作品ではありません。ただ、なんとなく知ってほしかっただけです。物語を感じ取る示唆くらいにはなるのかなと思ったので。

『ボーダー 二つの世界』は私が公開を楽しみにしていた映画のひとつでした。というのも、この作品の原作者である“ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト”という人が手がけたデビュー作となる小説「Let the Right One In」を映画化した『ぼくのエリ 200歳の少女』が非常に好きだからです。彼はスウェーデンの作家であり、映画もスウェーデン映画(後にハリウッドリメイクされましたが)。私にとって北欧映画ベスト5を挙げろと言われたら、この『ぼくのエリ 200歳の少女』を迷わず真っ先にセレクトするくらいのお気に入り。原作者自身も脚本に参加したこの映画は、ネタバレなしで人に説明しづらい内容です。多層的というか、ジャンル横断的というか、とらえどころがない。でも心にしっかり残る。何とも言えない余韻を残します。

そんな夢中になった映画の原作者の次なる映画化作ともなれば、それは興味を持たないわけがないでしょう。

『ボーダー 二つの世界』は短編を元に映画化したもので、すでにその独創性が高く評価されています。カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門ではグランプリを獲得。アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネート。スウェーデン・アカデミー賞で作品賞をはじめ最多6部門を受賞。文句なしの傑作です。

ただ、まあ、『ぼくのエリ』を鑑賞済みの方なら察することができると思いますが、非常に独特の作風がある作品なのは間違いなく、ゆえに人を選びますし、なにより衝撃を受けます。とくに今作『ボーダー 二つの世界』は『ぼくのエリ』以上にエキセントリックです。『ぼくのエリ』はまだ一般ウケしやすい要素がありましたが、『ボーダー 二つの世界』は“ええぇ…”と困惑させること確実。

え、どんな中身なの?と気になると思いますが、これがまた言葉では説明しにくい…。ジャンルすら名言しづらいですし(宣伝では「ミステリー」になっているようですけど)。だからこそ、公式サイトなどでコメントを寄せている批評家などの方も、抽象的な文章にとどまっているわけで…。ギレルモ・デル・トロ監督が称賛しているあたりで、なんとなく内容を嗅ぎ分けてほしいです。前情報を入れずに観るのがベストだと思います。

私の率直なネタバレなしの感想は「よくこんな作品を映画化しようと思ったな」と。もし私が製作の人間で、本作の企画を持ちかけられたら、「こんなの映像化できないよ!」と開口一番に言い放つと思うのですが、それを一切の妥協もなく映像化してみせたクリエイターは本当に凄い。

監督は“アリ・アッバシ”というイラン生まれの人で、代理出産とホラーを結びつけた『Shelly』という作品がデビュー作だとか。またまた奇才の登場ですね。

「R18+」指定なので子どもは見れません。まあ、いくらポスターに動物がいっぱい映っているからといって、「可愛い動物が見れるのかな~」と寄ってくる人はいないと思いますが、念のため。

疎外感を感じて生きている人の代弁となる映画は世の中にはいっぱいあります。ある作品では狂気の犯罪者になり、ある作品では身近な愛を知り、ある作品ではナルシズムの虚空を漂い…。『ボーダー 二つの世界』もそういうタイプの映画ですが、こんなに変わっていてもこれにこそハマれるという人だっている。何が居場所になるかは人それぞれ。それがこの映画のテーマでもあるわけですからね。

今年一番の奇々怪々な映画はこれで決まり。人によって年間ベストにだって入る怪作です。

以下、感想後半では若干の『ぼくのエリ』のネタバレも含まれるのでご注意ください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(北欧映画ファン必見)
友人◯(マニアックを求めるなら)
恋人△(かなり人を選びます)
キッズ✖(子どもは見れません)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『ボーダー 二つの世界』感想(ネタバレあり)

境界で出会った存在の正体

『ボーダー 二つの世界』はそのタイトルどおり、まさに“境界”だと言える、スウェーデンのフェリー発着場が舞台となります。ここはスウェーデンの海の玄関であり、海外からモノや人が毎日たくさんやってくる場所です。ちなみにロケ地はスウェーデンの首都ストックホルムから北に80kmの位置にある、バルト海に面するカペルシャー港だそうで、ここではフィンランドやエストニア行きのフェリーが出ています。

主人公ティーナはこの国と国とを隔てる人間が作りだした“境界”で働いています。税関職員として国内に入国してくる人たちが不審なモノを持ち込んでいないか、チェックするのが日課。

これだけなら日本でも空港で普通に見かける光景ですが、ティーナの場合は少し違い事情がありました。実はティーナには“怪しい”人間を嗅ぎ分ける能力があったのです。犬みたいですが、特定の化学物質に反応するでもなく、漠然と“怪しさ”を見抜くことができるティーナ。理屈はどうでもいいですが、ともかく税関においてはこれ以上ないほどに便利なスキルなので、ティーナは非常に現場で重宝されています。

けれども、ティーナは顔が“醜い”という特徴があったため、ただでさえ普段から歩いているときや買い物をしているときにも警戒されたり忌避されたりするわけで、そのティーナがフェリー発着場に着いた人たちを睨みつけ、鼻と上唇をヒクつかせながら嗅いでいる姿は、言っちゃ悪いですがかなりの恐怖感を相手に与えます。

悪態をつかれながらも淡々と仕事する日常。今日も“怪しさ”を嗅ぎとったスーツ姿の男を呼び止め、荷物確認。スマホを出させて、匂いを嗅ぐように顔を近づけていると、急にその男がスマホのメモリーカードを取り出したかと思いきや、飲み込もうとします。必死に取りあげる税関スタッフ。その場はおさまり、詳しい調査へ(児童ポルノ所持と判明)。後はもうティーナの仕事ではありません。またチェックに戻ります。

するとまた別の男に注目します。その男は先ほどのスーツ男とは打って変わってみすぼらしい恰好で、なによりティーナと似たような“顔”でした。ともかく流れで荷物確認をすると、謎の装置のついた箱が出てきて、“爆弾か!?”と思うような見た目ですが、恐る恐る中を覗くと「ミルワーム」のような虫が入っていました。正直、意味不明で謎めいていますが、ダメなものではないので、そのまま通すことにするティーナ。しかし、自分の感じた“怪しさ”の違和感は消えていません。

ティーナの住んでいる家は森の奥深くの外れにあります。外には柵の中で犬が複数飼われており、吠えまくっているのですが、ティーナの犬ではなく、同居しているローランドの犬でした。彼は犬の調教師。ティーナとは夫婦的なパートナー関係にあるのか不明確ですが、関係性はそこまで親密そうではありません。

またもや勤務中の一幕。あの似たような“顔”を持つ男が再度現れます。疑いを捨てきれないティーナは懲りずに荷物検査を実施。やっぱり不審なものはありません。続いて別室で男性職員が身体調査を行います。そしてすぐに帰ってくると、その職員は驚くべきことを告げました。「あいつはペニスがない」「女性器があった」…つまり男ではなく女だったのか。また、体に傷跡があるとも言います。その男、いや女に謝罪しに行くティーナですが、その女はあまり気にしていないらしく、「旅行していた」と説明し、近くのホステルにいるとも語り、まるで誘うように教えてくれます。そして名前は「ヴォーレ」だ…とも。

このティーナとヴォーレの出会いが全ての始まり。本能を呼び覚まし、“境界”を揺り動かすことに…。

曖昧な境界、そこからの解放

『ボーダー 二つの世界』はとにかく観客にとっては掴みづらい映画です。

その理由を考えてみると、きっと登場人物を判断しづらいからでしょう。私たちは赤の他人に会ったとき、その人を意識的か無意識的かどちらにせよ、評価してしまいます。その物差しになる情報はそれこそ人種、国籍、宗教、年齢、容姿、性別…それら“境界”を使います。カテゴライズするわけです。

もちろんその評価は真実とは限りません。いや、むしろ間違っていることも多いです。だからこそ差別や偏見が蔓延するのですから。例えば「ルッキズム」という言葉があります。これは「見た目」で人の印象を決めてしまうことを指し、例を挙げると、よくメディアの見出しで「美人スポーツ選手」と書かれたりします。スポーツの才能と美人か否かは明らかに関係ないのに、「美人」と書いてしまう。これは典型的なルッキズムです。

そう指摘すれば悪いことではあるのですが、でも私たちはついついそうせざるを得ない。じゃないと、どうコミュニケーションをとればいいのかもわからない。こういう不完全な決めつけに近い評価によって、私たちの社会はとりあえず歪に形を保っているのかもしれません。

映画を観るときもそうですよね。登場人物が現れてすぐに風貌や言動に基づいて「あ、こいつは悪い奴かな?」とか「この人は最終的には善人だろうな」とか、心の中で評価をやってしまいがちです。

そのセオリーでいくとこの『ボーダー 二つの世界』はそれが通用しません。普段から使っているステレオタイプな“境界”が意味をなさないからです。なので観客は終始落ち着かないというか、登場人物の役割すらも判断できず、無性に不安になってきます

主人公のティーナからしてそうです。その生まれつきの醜い容姿。不審者を嗅ぎ分ける能力。野生動物との交流。これらの要素からこのキャラクターの何かを判断することは極めて難しいです。『美女と野獣』のように醜い存在の裏には純真さがあるという、安直な逆張りもできないではないですが、そういう安心感を与えてくれるほどこの映画は優しくはありません。

そこにヴォーレというティーナ以上に判断不可能な存在がやってくることでますます物語は混沌としてきます。案の定、男性だと思ったら女性だと判明し、観客の認識は揺さぶられますが、まだこの程度は今のジェンダー・ダイバーシティの時代です。それで心が混乱するようなこともありません。

しかし、さすが“ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト”作品、ここからが本番でした。

親交を深めるティーナとヴォーレ。そして明らかになったのは二人は「トロール」だということ。北欧名物の妖精ですね。

それを知ったティーナは衝撃です。でも解放感にも包まれます。なにしろ自分は染色体異常で、だから顔も醜く、子どもも産めないんだと半ば諦めて考えていたわけです。それが、人間というコミュニティでは異常者だと思ったけど、実はそもそも属しているコミュニティが違うんだと自覚する。自分の本質は何も変わっていないのに、この“外”との認識を変えるというパラダイムシフトだけで、生き方が変わる。本作ではトロールでしたが、この価値観の転換はいろいろな生き方に悩む者への普遍的な示唆だと思います。

このテーマ性は『ぼくのエリ 200歳の少女』でも同じです。少しネタバレになりますけど、こちらの映画では主人公の少年の前に現れた少女が実はヴァンパイアだと判明し、さらには少女ではなく少年だと明らかになります(日本公開時はモザイクのせいでそこがあやふやだったのですが)。この二段階揺さぶりをかけるのが、原作者“ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト”の常套手段なのでしょうか。

個人的には“境界”を曖昧にして適度にショックと不信を与えつつ、最終的に予想外の解放のストーリーに持っていく手腕は、最近観た『ヘレディタリー 継承』にも通じるものがあるなと思いました。

私はそもそもこういうタイプの映画が好きなんですね。

生殖を描く創作上の意義

『ボーダー 二つの世界』は様々な“境界”を破壊してボーダーレスな避難所のような空間を作ってあげる…そんな映画なのは前述したとおり。しかし、本作はさらに“そこまでやるか”という押し込みを見せることで、この映画を衝撃作を言わしめるだけのものに格上げしてきます。

それは「生殖」を描くということ。確かに生殖は“境界”を決定づけるうえで大事な要素。「生殖的隔離」という言葉があるように、この自然界の摂理です。

でもまさかトロールの生殖をああもハッキリ描くとは。ライオンの生殖器すら描かないこのご時世ですよ(まあ、あれはファミリー映画だから文句を言ってもしょうがないですけど)。

ティーナの股からペニスのようなものがニョキニョキと伸びてきての非常に獣けものしいセックス、いや交尾というべきですかね、それが映像で映し出されます(もちろんペニスは人間のモノとは全然違う)。でも卑猥だとは思いません。それはもう私たちがこの二人を「ヒト」ではなく「トロール」だと認識しているからでしょうかね。裸で躍動的に追いかけっこし、川で絶叫遊泳する姿は、なんとも楽しそう。

社会から隔絶を感じる者同士が「生殖」をキーワードに文字どおりつながるという展開は特段珍しいものではないですし、最近だと『心と体と』がその描写をトリッキーに表現していました。

ところが『ボーダー 二つの世界』はあえてのトリッキーに逃げずの本当にストレートで攻める。この姿勢がぐうの音も出ないほどに素晴らしいです。

どうやらこのクリエイティブ・スタイルは“アリ・アッバシ”監督の得意分野というか、心掛けている精神性みたいですね。彼のインタビューを読んでいると、「園子温」とか『ゴジラ』(初代の原爆を象徴する一面の話)を話題にしており、そういう世間が嫌うようなモノでも明け透けに実在を描き切ることへの美学に惹かれ、自分でもこだわる人のようです。

しかも『ボーダー 二つの世界』は生殖という生命には欠かせない領域から、さらに「児童虐待」「チェンジリング」という誰しもが評価を避けるようなタブー・ゾーンに踏み込むのですから容赦ないです。善悪という単純な二元論での着地は許さないという視点が一貫しており、尊敬できるところ。

それにしてもこの世界観を映像として見事に完成させた製作陣はいくら称賛しても足りないくらいです。“アリ・アッバシ”監督の他にも、役者勢も凄いでは言い表せない。ティーナを演じた“エヴァ・メランデル”も、ヴォーレを演じた“エーロ・ミロノフ”もあのメイク(メイクですよ!本人の顔はネット検索で確かめてね)でよくぞあそこまで演技を表現できるものだなと感心するばかりだし。

野生動物の使い方も抜群にいいですよね。キツネ、シカ(ダマジカかな?)、ヘラジカ…。ヨーロッパの「ダークファンタジー」というと安っぽくなるのでノワールお伽話と呼びますけど、こういう本作や『ロブスター』に登場する野生動物の演出は個人的に好きです。一番自然の動物っぽいので。

本作が気に入った人はぜひ原作を読みましょう。以前の原作者の映画化作『ぼくのエリ 200歳の少女』を観ていない人はぜひチェックしてください。それでも物足りない人は、スウェーデンに赴いてトロール探しでもしましょうか。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 76%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

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↑『ぼくのエリ 200歳の少女』…ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト原作小説を映像化し、世界中で話題となった北欧映画の代表作。
作品ポスター・画像 (C)Meta_Spark&Karnfilm_AB_2018