う、うん…映画『ブルームーン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2026年3月6日
監督:リチャード・リンクレイター
恋愛描写
ぶるーむーん

『ブルームーン』物語 簡単紹介
『ブルームーン』感想(ネタバレなし)
私の考えるロレンツ・ハート
1934年の「Blue Moon」という曲はラジオで流れるや瞬く間にアメリカの大衆を魅了し、人気となりました。
この曲のみならず、当時の戦間期で人気曲を次々と生み出した作詞家&作曲家のコンビ…それが“ロレンツ・ハート”と“リチャード・ロジャース”でした。2人は1919年から創作パートナーとなり、20年以上もブロードウェイ・ミュージカルを中心に曲を作り続けました。
ところがそんな“ロレンツ・ハート”と“リチャード・ロジャース”のタッグは1942年半ばにぱったりと終わってしまいます。もしかしたら数年後には関係が復活していたかもしれません。でもそれはわからずじまい。なぜなら“ロレンツ・ハート”が1943年に亡くなってしまったからで…。
その48歳で生涯を終えた“ロレンツ・ハート”。彼の伝記映画が2025年に登場しました。
それが本作『ブルームーン』。
ただ、本作は伝記映画と言っても、たった1日のことしか描かれていません。“ロレンツ・ハート”が亡くなる7か月前にある打ち上げパーティーに顔をだしているだけです。そして喋りまくる。本当に会話劇です。
しかも、この『ブルームーン』、描かれていること自体は実際にあったとは言い難い…とりあえず確証はない…少なくとも大部分の会話の中身は創作。そんな伝記映画です。
それって伝記映画って言うのか? …という感じもありますけど、本作は作り手なりの「ロレンツ・ハートってこんな人なんじゃないだろうか」というイメージ映画と捉えていいでしょう。
『ブルームーン』の企画の出発点となったのが、アメリカの作家の“ロバート・カプロウ”。なんでもずっと“ロレンツ・ハート”に興味があったそうで、自分なりに資料をかき集めて「物語」を構想していたそうで…。
その構想を、“ロバート・カプロウ”の小説『Me and Orson Welles』を2008年に『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』として映画化した“リチャード・リンクレイター”にみせ、その“リチャード・リンクレイター”が信頼する俳優である“イーサン・ホーク”にも共有し、3人で映画にしよう!ということになりました。
でも“イーサン・ホーク”は「ロレンツ・ハート」を演じたいと熱望したのですが、そのときは“イーサン・ホーク”自身がまだ若く、不釣り合いだったので、「よし、老けるまで待とう!」という、“リチャード・リンクレイター”監督おなじみの熟成戦略を発揮。やっと2025年に映画が公開となりました。
ロレンツ・ハートは約150cmとかなり小柄なのですが、“イーサン・ホーク”は撮影場での演出で身長が短くみえるようにしており、前頭部がハゲた風貌といい、だいぶ別人になっています。
内容としては、こじんまりとしたおっさんがひたすらにキャリアの愚痴を言い、他人の成功を貶し、自分のセクシュアリティを自虐し、若い女や男の前で気取ろうとして失敗し、本心の嫉妬や焦りを誤魔化す…なかなかにニッチな「不憫な“おじさん”観察映画」になっているのですが、「しょうがないな」と渋々付き合ってあげてください。
『ブルームーン』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 大人のドラマなので、子どもにはわかりにくいです。 |
『ブルームーン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
土砂降りの雨の中、狭い路地でロレンツ・ハート(ラリー)は歌詞を口にしながらトボトボ歩き、ふいに地面に横たわり、動けなくなってしまいます。まるで力尽きたように…。
その7か月前の1943年3月31日。ミュージカル『オクラホマ!』の初演が舞台で行われていました。ステージでは見事なパフォーマンスが披露されています。
ハートは特等席で母と並んで観劇していましたが、最後まで観る気はないようで、途中で飲みに立っていってしまいます。足を踏み入れたのは、初演の祝賀会の準備が進むブロードウェイのレストラン「サーディーズ」です。店内はまだ静か。客もほぼいません。
中に入って帽子を脱いだハートは早々にバーテンダーのエディと会話を繰り広げ、皮肉なお喋りが止まりません。傍ではピアノ奏者のモーティが穏やかに演奏しており、たまに会話に混ざって相槌をうちます。
アルコールを飲んで調子づいているハートはお祝いの花を配達してきた若者の男に言い寄り、機嫌が良さそうです。モーティが気を利かせて「ブルー・ムーン」を演奏すると「これは知っている」と若者は言い、「あなたが作詞したんですか」と驚きます。その素直な反応に得意げなハート。
ハートの会話はまた話が変わり、ひとりでブツブツ喋り続けます。
「ベンダー先生は先日の夜、私に言ったんだよ、私がヴィヴィアンにまたプロポーズするって言ったとき」「あなたはホモセクシュアルなのか、ヘテロセクシュアルなのか?」「私は言ってやったよ。私はアムビセクシュアルだって」「オムニセクシュアルの一種だよ、な?」
エディはこの終わりのみえないハートの自分語りと愚痴について、黙って話を聞いてあげています。
しかし、『オクラホマ!』の話を振ると、ハートはことさら感情がまし、単純な感想に収まらないようで、言葉が溢れでます。なにせ長年コンビを組んできた作曲家リチャード・ロジャースが自分ではなくオスカー・ハマースタイン2世という作詞家と手を組んで制作したのが『オクラホマ!』なのです。ハートにしてみれば、その成功は気に入りません。
その間でもケーキが搬入されたりと準備が進みますが、ハートは気にもしません。今度はイェール大学の美術学生で美術監督を目指しているエリザベス・ウェイランドという20歳の女性に夢中なのだと惚気ます。
どうやら自分はエリザベスとかなり関係が深まっているとハートは思っているらしいですが、他人にはそうはみえません。
そして店内にポツポツと人がやってくるようになり、『オクラホマ!』の初演が終わったらしいことが窺えますが…。

ここから『ブルームーン』のネタバレありの感想本文です。
不憫な“おじさん”観察映画
『ブルームーン』は、前述したとおり、ロレンツ・ハートという実在の人物を中心に、その人間関係を主軸にして映し出していますが、内容は限りなく脚本の“ロバート・カプロウ”による創作(フィクション)です。本作から史実を学ぶことは期待できません。
そもそもハートが「サーディーズ」という店に行ったのかどうかも実際のところは定かではないらしく(『オクラホマ!』の初日公演に出席した記録はある)、打ち上げの途中で母と帰った…という話もあります。
本作はハートの母は冒頭にちょこっと登場するだけで他は一切絡んでこないという、思い切りのいい脚色です。晩年にハートは母の死に落ち込んで精神的にますます滅入ったらしいので、それでも本作はあえてこの母親との関係の物語を描きたくないと判断したのでしょう。
その代わり、本作におけるハートは、ずっと「サーディーズ」に、それこそ打ち上げパーティーが始まる前から根を生やしており、それが終わってみんなが撤収しても、なおも残っていた…という存在になっています。
その店内ではほぼ喋りっぱなしです。マシンガントークでひたすら一方的に喋っています。正直、私の苦手なタイプの人間ですよ。
では本作がハートにここまで喋らせて何を描きたいのか。その会話は決して夜のムーディーな空気に似合うオシャレな大人のトークというわけでもありません。居酒屋とかでオッサンが愚痴ってると同じ光景です。
なにせこのハート、直前に自分の今までのクリエイティブ・パートナーが自分を見放して最高のミュージカルを作り出したところを目にしたばかりですからね。その傷心の自分を誰かに慰めてもらいたいのか、まだ人もいない店で独り語りを始めています。どうせ今夜は自分が主役でないのだから、先に自分で勝手に盛り上がっていればいいと言わんばかりに…。
ほんと、不憫でいたたまれない姿なのですが、“アンドリュー・スコット”演じるリチャード・ロジャースの視線が作中でもかなり刺さります。彼もまた自分の元クリエイティブ・パートナーがここまで落ちぶれる姿は見たくなかったでしょうし。
一方で、“イーサン・ホーク”演じるハートの止まるところを知らない雑談はこれはこれで興味深かったりもします。
本作は結構平然とした顔で嘘をぶっこむのでびっくりします。このあたり、知らない人は普通に「へぇ~」と騙されそうになりますよね。そこも含めて、作り手は完全に遊んでますね。
例えば、作家のE・B・ホワイトとばったり会って語りだすくだりは滅茶苦茶で、あろうことか『スチュアート・リトル』の名前を含むアイディアそのものがハートの発案であるかのように描かれています。
スティーヴン・ソンドハイムがしれっと子ども姿ででてくる場面も無理やりですが…。
こうやって振り返ると、本作の「サーディーズ」は一種の妄想のクロスオーバーを映像化する空間になっていると言えるかもしれません。
そしてこうやって荒唐無稽でも面白さを優先する語り口こそ、ロレンツ・ハートのエンターテインメント性であり、わざとらしく浮き出たフィクショナルなハートという存在自体で、この映画はそれをプロットでも表現しているのかな、と。
ロレンツ・ハートはオムニセクシュアル?
『ブルームーン』で重要な要素となっているのが、ロレンツ・ハートの色恋沙汰…というか、セクシュアリティです。
史実のハートは結婚していませんでした。恋人はいたのかはよくわかりません。ただ、周囲の人はハートは隠れた「男性を愛する人」であったと言及しています。
1948年に『ワーズ&ミュージック』というロジャース&ハートの人生を主題にした映画が作られたこともありますが、その作品ではハートの性的指向は異性愛者のようにしか描かれていません。
対するこの『ブルームーン』は遠慮なくクィアなトークを全開にしています。
1950年代のアメリカは「ラベンダー狩り」と称される性的マイノリティの迫害が深刻化していきますが、その時代と比べると1943年はまだ平穏です(もちろん差別が無かったわけではありません)。なのでハートがこうして自分のセクシュアリティをバーテンダーの前で堂々と喋っていても変ではないかもしれません。
でも、それにしたってやけにオープンすぎます。そのうえ、本作のハートは自身を「オムニセクシュアル(omnisexual)」とまで表現してみせるんですよ。
よっぽどLGBTQ用語に精通していないとわからないと思うので補足しますけど、このオムニセクシュアルというのは、性別を意識したうえでどの性別にも惹かれるという性的指向のことで、性別にこだわらないパンセクシュアルとは区別されて一般的に使われます。
ただ、このオムニセクシュアルという単語は、1959年に詩人の“ローレンス・リプトン”の『The Holy Barbarians』にて「Omnisexuality」という単語が初出となりますが、セクシュアリティとして位置づけられたのは1984年の『Sexual Choices: An Introduction to Human Sexuality』の中です。さらに1990年代初頭に“M・ジミー・キリングスワース”が詩人の“ウォルト・ホイットマン”を分析した際にも登場。そして2000年のインターネット掲示板時代になってやっとこの言葉は広く普及し、当事者の間で使われるようになりました。
要するに、1943年を描く本作でハートが自分を「オムニセクシュアル」と表現するのは時代錯誤というか、考証的におかしいのです。私は本作のこのシーンを観ていて、「未来からやってきたクィア当事者なの?」と脳内ツッコミしましたよ。
作り手がどういう意図があったのかは知りませんが、結果的にあの作中のハートはまるで私たち観客の時代の知見から自身を自己批評しているみたいになっています。
また、本作のハートは“マーガレット・クアリー”演じるエリザベス・ウェイランドという若い女性に夢中ですが、実際、何人かの女性にプロポーズしていたらしいので、これはわりと史実に近い描写です。このエリザベス・ウェイランドは架空の人物に思えますが、史実のハートは「エリザベス・ウェイランド」なる人物と手紙のやりとりをしていたことを示す資料があるらしく、本作のこのキャラクターはそれに基づき創作されています。
ハートはエリザベスにフラれ(しかもクィアネスを指摘される嫌な感じで)、同時にビジネス・パートナーのリチャード・ロジャースにも見限られるので、構図的に男女双方からそっぽをむかれたかたちになります。いろいろな意味で轟沈です。
ここだけ切り取ると本当に可哀想なのですけども、本作は史実ではああいう最期を迎えている以上、どうしたって陰鬱になってしまうハートの人生をフィクションの力でさりげなく救おうともしている映画だとは思いました。
とくにラストにハートが店を出ないで「まだ喋っていてよ」と誘うかのように店の関係者たちから呼び止められることで、史実の死の運命を回避したかのようにも錯覚したくなります(冒頭であえて描いているのはその伏線なのか)。
少なくともこの映画のハートは孤独ではなかったのかもしれない。孤独にはさせたくない…そういう作り手の想いを感じました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
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・『ゴッド・セーブ・テキサス』

・『ヒットマン』
以上、『ブルームーン』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 FUNNY VALENTINE, LLC ALL RIGHTS RESERVED. ブルー・ムーン
Blue Moon (2025) [Japanese Review] 『ブルームーン』考察・評価レビュー
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