そこには地雷がいっぱいある…映画『脱走』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2024年)
日本公開日:2025年6月20日
監督:イ・ジョンピル
だっそう
『脱走』物語 簡単紹介
『脱走』感想(ネタバレなし)
脱走はどこでも必死
どこか別の世界に脱走したい…。
でもどこに行けばいいのだろうか…。
そんなアンニュイな気持ちに浸るのもたまにはいいですが、今回は脱走するにしても地雷原を突破しないといけないので、命懸けです。まあ、脱走なんてたいていはそんなものかもしれません。
ということさっそく映画『脱走』の感想に移りましょう。
邦題が極めてシンプルですが、内容もタイトルに偽りなしで単純明快です。脱走する話です。本当に脱走するだけ。最初から最後まで脱走に徹します。
問題は“どこからどこへ”脱走するかということで…。
脱走する映画はいろいろあってジャンル性は似通っていても、“どこからどこへ”という点で味は大きく変わってきます。
例えば、『大脱走』(1963年)は捕虜収容所からの脱走であり、事実上の脱獄です。『ノー・エスケープ 自由への国境』(2015年)は、国境を超える非正規移民を描いた難民モノでした。
今回の『脱走』は韓国映画であり、舞台は北朝鮮と韓国の境界であるいわゆる「非武装地帯」(英語の「demilitarized zone」の頭文字をとって「DMZ」とも呼ばれる)です。停戦状態にある2つ以上の国家の間に協定などによって設けられる軍事活動が許されない地域のことですが、北朝鮮と韓国は表向きは停戦であるものの、その境界(国境ではない)は1953年から設定され、ずっと互いの軍が睨み合いを続けてきました。
韓国映画『脱走』はその非武装地帯を北朝鮮側から韓国側へ自力で許可なく渡る…つまり「脱北」する男を主人公にしています。
この朝鮮半島の非武装地帯を舞台にした韓国映画と言えば、“パク・チャヌク”監督の『JSA』などが有名ですが、それと比べると、本作『脱走』は主人公ひとりの行動に主眼が置かれているのでわかりやすいです。冒頭から脱走劇は始まり、いかにしてそれを達成するのか…映画時間もたったの94分で短くまとまっています。
当然ながら非武装地帯とは名ばかりで、そこでは軍隊が厳重に監視しており、少しでも怪しい動きがあれば、銃弾が飛んできますし、地雷も無数に埋められています。
本作も必然的にミリタリーアクションやサスペンスのジャンルになってきますが(ワンシチュエーション・スリラーというほどではない)、比較的、朝鮮半島特有の政治情勢の色は薄くなっています。
たぶん本作が『脱走』(英題は「Escape」)とシンプルになっているのとも関係しているのかもですけど、脱北者を描く特有性を打ち出すのではなく、「どこかここではない他の場所で夢を掴みたい」という普遍的な衝動を全面に取り上げ、より多くの観客に共感してもらいたいという狙いもあるのかもしれません。
一応は、北朝鮮の社会模様も少しだけ描かれますけど、ほんと、チラっとだけです。
『脱走』を手がけた監督は、『花、香る歌』や『サムジンカンパニー1995』の“イ・ジョンピル”。
俳優陣は、主演が『金子文子と朴烈』や『狩りの時間』の“イ・ジェフン”です。今作では良い走りっぷりをみせてくれます。
そしてその主人公を食い止めるべく追いかける側となる男を熱演するのが、ドラマ『D.P. 脱走兵追跡官』や『寄生獣 ザ・グレイ』の“ク・ギョファン”で…。
下手したらこの“ク・ギョファン”が影の主人公かもしれません。いや、間違いなく主人公は“イ・ジェフン”演じる男なのですが、“ク・ギョファン”演じる男も単なる悪役に収まらない複雑な魅力を秘めていて…。
それとも大きく関連するのですけど、本作『脱走』はクィア映画の片鱗も匂わせていて…。ただ、これがひと言で批評しきれない面倒なところでもあるので(察してくれ…)、そのあたりは後半の感想で私なりにあれこれ書いています。
『脱走』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 拷問の描写が少しあります。 |
キッズ | 殺人の描写があります。 |
『脱走』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
北朝鮮の非武装地帯。夜中、軍兵士が寝泊まりする舎を音もたてずに抜け出すひとりの男。完全に身についた慣れた動きで、建物を出て、敷地を全力で走り抜け、軍事境界線のほうの森へ。地雷地帯の草地で匍匐しながら地雷のある場所をひとつひとつ地図にメモしていきます。
その作業は時間の経過で終え、また静かに素早く戻ります。朝鮮人民軍のイム・ギュナム軍曹はこれを来る日も来る日も繰り返し続けていました。
ギュナムは10年間の軍務を終え、除隊を控えていました。しかし、北朝鮮から韓国への亡命を単独で考えていました。この国での自分の生活の基盤はもうないです。つい1年前に母親を亡くしたことで家族もいません。北朝鮮で夢を叶えることもできないと思っていました。ギュナムは探検家になって自由に冒険がしたいのです。
脱北するには軍事境界線に近いところで勤務する今が最大のチャンス。そのためにこうして脱出ルートを綿密に練っていたのです。
昼間に任務でこの軍事境界線付近に来ることもあります。そこで仲間が数日後に雨が降るという予報を話していました。もし雨が降れば地面がぬかるむだけでなく、地雷の位置もわからなくなってしまうかもしれません。実行するならもう数日中にしなければ…。
地雷にかかったイノシシを仲間と食べ、最後の晩餐のつもりでした。しかし、上層部に見つかり、イノシシはトップの者たちの宴会のメインディッシュになってしまいます。あまりものを食べるしか、下級の兵士にはできません。こんなひもじい思いはもうしたくない…。
ところが下級兵士のキム・ドンヒョクがギュナムが脱北しようとしていることに勘付いてしまいました。彼も一緒に脱走したいとまで言ってきます。ギュナムはその部下の声を制止し、何も聞いていないことにするとし、無理やり押しとどめます。
しかし、早朝、けたたましい警報音で起こされ、焦ったドンヒョクが先に脱出をしようと単独で行動に出てしまったことを知ります。
すぐにギュナムは軍事境界線エリアのフェンス近くでもたついていたドンヒョクに追いつき、なんとか説得しようと試みるも、他の部隊に発見されます。
ギュナムも脱北を企てた共犯として捕まり、暴力的な尋問を受けるハメになります。このままでは絶体絶命。ここで人生は終わってしまいます。
そのとき、保衛部少佐リ・ヒョンサンがやってくるという話が舞い込んできます。部隊の上層部に緊張が走ります。どういう処分が下るのか…もしかしたら上層部全員が罰を受けるかも…。
ヒョンサンは飄々とした態度で、今回の事件の説明を受け、ある提案をします。
脱走兵が2人も出たとするよりは一人の脱走兵を一人の英雄が発見して拘束したということにするほうが、何かと今後のためになる、と。
そしてギュナムを脱走兵逮捕の功績で英雄視されることになりました。
実はヒョンサンはギュナムの幼なじみでした。ギュナムを異例の昇進でかばってやると2人きりの時間を作って気楽に語ってくれます。
でもギュナムは何としても脱北したいので、ここで脱走を諦めるわけにはいきません…。
死ではなく、無意味な人生を恐れるべき

ここから『脱走』のネタバレありの感想本文です。
一般的に「脱北する」となると、ドキュメンタリー『ビヨンド・ユートピア 脱北』を観ればその実態がよくわかりますけど、本来はいろいろな海外の経由地を通して韓国に辿り着くという、相当に壮大な旅をしないといけません。
対する韓国映画『脱走』は、非武装地帯を突っ切るという極めて単純な移動です。もちろん実際にこういう方法で脱北した人がいないというわけではないので、これはこれで非現実だと一蹴はできないですが、かなりジャンル的にわかりやすくはしています。
それをビジュアルでも明確にしており、本作では脱北という脱走のアクションをシンプル化した演出があちこちで目立ちます。とくに「左から右へ」という横軸移動をカメラで映すアプローチです。
冒頭から主人公イム・ギュナムがスクリーン右方向へ全力疾走するわけですが、とにかく走る走る…。この動きの気持ちよさ。これひとつで観客にこれ以上ないほどにわかりやすい「目標」を認識させてくれますよね。とりあえず右に行けばいいんだ、と。
“イ・ジェフン”がまた良いフォームで走ってくれます。
で、ヒョンサンに不本意にパーティーに連れていかれてしまい、平壌に異動させられそうになったので、あろうことか今すぐにここから脱走を始めないといけません。すごろくで言えば、スタート地点がさらに後退して難易度が跳ね上がったようなものです。
ここから車で重役配送のふりをした突破をするのですが、途端にカーチェイスでクラッシュして、今度は銃撃戦からの自力ダッシュ。ここも右移動です。
ラストも右移動が強烈に印象に残ります。ずっと最終的にどこがゴールなのかは示されてきませんでしたが、ここでやはりこちらもこれ以上ないほどにわかりやすい文字どおりの「ゴールライン」が映し出され、そこに命からがら達する…あのフィニッシュ。
なんでしょうか…長距離マラソンのゴールシーンを見たような達成感が観客にもありますね。
この移動に特化するためか、本作の主人公であるギュナムのキャラクター性に関する描写は随分と最小限に抑えられています。そもそもギュナムはさっさと北朝鮮からおさらばしたいわけで、この地で人間関係をもっと育むつもりは毛頭ありません。だから意図的に対人付き合いも希薄になります。
しかし、ドンヒョクという計画外の道連れが登場し、ここでギュナムの人柄が少しわかってきますね。他人を無慈悲に見捨てることはできない、根は良い奴なのだ、と。
ギュナムは極地探検家のロアール・アムンセンを人生の志にしているようで、今回の脱北のための脱走の道筋は、いわばギュナム初の危険な踏破チャレンジ。それは人徳といった人間性も試される道のりです。ギュナムはその試練に見事に応えてみせたんですね。
こうした心理面も手際よく混ぜながら、映画的な動きそのものはスマートに絞っているという点で本作『脱走』は映画の作り方としても綿密に最短効率を突っ切った作品だったのではないでしょうか。
クィアな世界に走れはしなかった…
ここで別に感想を終えてもいいのですけど、韓国映画『脱走』はもうひとり忘れることはできない人物がいます。
“ク・ギョファン”演じる保衛部のリ・ヒョンサンです。
簡単に言えば、ヒョンサンは主人公を追いかける側の存在…つまり悪役的なポジションなのですが、そう容易く表現するには惜しいくらいに、語りがいのあるキャラクターでした。それこそギュナムよりもキャラクターを魅惑的に掘り下げている感じさえあります。最短効率で作られている映画なのにわざわざヒョンサンに時間を割くのはなぜか。製作者の真意はわかりませんけど、この映画のさらなる可能性を一瞬垣間見せてくれます。
というのも、このヒョンサン、この若さで異例の階級の高さなのですが、かつてはピアニストとして国際コンクールに出場したことがある優秀な音楽家だった(ギュナムが彼をピアノ兄貴と呼んでいる)ことが明かされます。
そのヒョンサンのプライベートを知る人物として、幼馴染だというギュナム以外にもうひとりの人物がでてくるんですね。
それが“ソン・ガン”演じるソン・ウミンというこれまた若々しいイケメンです。
で、ヒョンサンがパーティーでやっぱりこの若さで階級が高いゆえなのか女性に囲まれてもてはやされる中、このソン・ウミンが意味深に近づいてくるわけです。また、ヒョンサンも常にこのソン・ウミンに目がいってしまいます。
そしてどうやらこの2人は以前は恋人として付き合っている関係だったことが示唆されます。それはヒョンサンがウミンのことをスマホでどういう名で登録しているかで裏付けのようにハッキリ提示され、確信的に描写されもします。ヒョンサンはなおもウミンに未練はあるようです。
つまり、ヒョンサンはゲイ(バイセクシュアルかもですけど)であることを隠して生きているクローゼットということになります。
ギュナムはヒョンサンの性的指向までは把握していないようですが、ヒョンサンはギュナムを恋愛的にはみていない雰囲気ではありますけど、明らかにギュナムをかばってくれています。最初に駆けつけた際に、ギュナムの父のペンを目にして「ギュナムが脱北の地図を作った計画の実行者だ」と直感できたはずです。それでもギュナムをかばった(最後も殺しを躊躇う)のはやっぱり幼馴染への同情か…。
とにかくギュナム側は「俺は一度も失敗できない北よりも、失敗できる南のほうがいい!」と言って走っていくわけです。この言葉は確かにひとつの事実。
しかし、ヒョンサンが秘めた性的マイノリティ当事者だと知ったうえでこの言葉を振り返ると、ヒョンサンにしてみれば、北朝鮮も韓国もLGBTQを迫害していて同性同士の結婚もできませんし、結局は2つの世界は同じ現状だと言えます。ヒョンサン的にはすごくやるせない気持ちです。「南でも幸せになれない自分はどうすればいいんだ」と…。
そう考えるとアツい2人の男の心情の交錯が窺えるのですが、いかんせん、この映画、そこの明示がぼんやりしすぎている…。
“イ・ジョンピル”監督は、韓国国内の記者会見で、当初はウミンの役は女性だったものの、面白さを考えて男性にしたと語っており、かなり意図的だったのだと思われます。一方で別のメディアでは、クィア・コードで表現するつもりはなかったとも語っており、こうした曖昧な姿勢がLGBTQコミュニティから批判されました(IndieWire)。
もちろん、反LGBTQの保守的な圧力が露骨な韓国では迂闊に製作者がLGBTQに言及できないという事情もわかります。『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』ですら相当に反発があったわけですし…。
とは言え、『脱走』がこのクィアネスをもっとプロットで全面に出していれば、新しい韓国映画の時代への助走としてはじゅうぶんすぎるほどだったのに…と少しもったいない気持ちにもなりました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
?(匂わせ)
作品ポスター・画像 (C)Plus M Entertainment エスケープ
以上、『脱走』の感想でした。
Escape (2024) [Japanese Review] 『脱走』考察・評価レビュー
#韓国映画 #イジョンピル #北朝鮮 #軍隊 #ゲイ同性愛