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映画『アン・リー はじまりの物語』感想(ネタバレ)…揺れて震える独身信仰ミュージカル

アン・リー はじまりの物語
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そして静かに還っていく…映画『アン・リー はじまりの物語』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:The Testament of Ann Lee
製作国:アメリカ・イギリス(2025年)
日本公開日:2026年6月5日
監督:モナ・ファストボールド
性暴力描写 児童虐待描写 性描写
アン・リー はじまりの物語

あんりー はじまりのものがたり
『アン・リー はじまりの物語』のポスター

『アン・リー はじまりの物語』物語 簡単紹介

18世紀のイギリスで、アンは鍛治職人の貧しい家に生まれたが、幼少期から信仰心を抱き、成長していった。そんなある人生のとき、彼女は自らが「イエス・キリストが女性の姿で生まれ変わった存在」だという啓示を得る。性別や人種の平等を説くアンを中心とする共同体は多くの人々を惹きつけ、アメリカの地に渡って少しずつ拡大していくが、その異分子を許さぬ者もいた。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『アン・リー はじまりの物語』の感想です。

『アン・リー はじまりの物語』感想(ネタバレなし)

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シェーカーの始まり

ひとくちに「キリスト教」と言ってもいろいろありますが、その中でも「シェーカー(Shakers)」…またの名を「キリスト再臨信仰者協会」と呼ばれる宗派は、現代ではかなりマイナーな存在です。

それもそのはず、現在においてシェーカーの信者はほぼおらず、衰退しきっているからです。

当然、映画など映像作品の主題になることもほとんどなかったのですが、2025年にシェーカーの創始を映す決定的な映画が誕生しました

それが本作『アン・リー はじまりの物語』です。

本作は、シェーカーの創始者のひとりである「アン・リー」という女性を主人公にしており、1700年代を生きた彼女の人生を大まかに追いかける伝記映画のような形になっています

同時に部分的にミュージカル映画になっているのも特徴で、『ウィキッド』みたいな王道エンターテインメントとはわけが違い、讃美歌をコンテンポラリー・ダンスで表現するような独特なトーンになっています

これはシェーカー教徒が礼拝時に震える(shaking)ような独自の動作をするためにその名がついたことを背景としており、映画がこういうアプローチをとったのも納得です。

こういう宗教コミュニティを主題にする作品は、ドラマ『アンダー・ザ・ヘブン 信仰の真実』など何かとその異様さに焦点をあてやすいですが、この『アン・リー はじまりの物語』はセンセーショナルに描くのではなく、個人に寄り添った雰囲気が濃いです。

『アン・リー はじまりの物語』を監督したのが、ノルウェー出身の“モナ・ファストボールド”。パートナーである“ブラディ・コーベット”と脚本で組むことでも知られ、最近は“ブラディ・コーベット”監督作の『ブルータリスト』(2024年)で高い評価を得ました。

“モナ・ファストボールド”自身も監督業をしており、2020年には19世紀半ばのアメリカの辺境を舞台にしたレズビアン・ロマンスを描いた『ワールド・トゥ・カム 彼女たちの夜明け』を監督。こちらは日本では劇場未公開で配信スルーとなったので、“モナ・ファストボールド”監督作が日本で劇場公開されるのは今作『アン・リー はじまりの物語』は初ですね。

主演は、ドラマ『ロング・ブライト・リバー』“アマンダ・セイフライド”(アマンダ・サイフリッド)。ミュージカル映画は2018年の『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』以来です。

共演は、『サンダーボルツ*』“ルイス・プルマン”『JOY 奇跡が生まれたとき』“トーマシン・マッケンジー”、ドラマ『ヨルガオ殺人事件』“マシュー・ビアード”『ウルフマン』“クリストファー・アボット”、ドラマ『アマデウス』“ヴィオラ・プレティジョン”など。

ミュージカルだからといってエンターテインメントらしさ全開ではないですが、そこまでハードルの高い映画でもないので、「昔にこんなふうに信仰に身を捧げた人がいたのか」くらいの感覚で鑑賞してOKです。作品細部の芸術や装飾もこだわりがみえるので、そこに注目しても良し。主人公のアン・リーは女性の宗教指導者としても異例だったので、フェミニズム映画の側面としても眺められるはずです。

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『アン・リー はじまりの物語』を観る前のQ&A

✔『アン・リー はじまりの物語』の見どころ
★シェーカーの信仰をミュージカルで表現する演出。

鑑賞の案内チェック

基本 児童虐待、集団リンチ、性的加害行為の描写が一部にあります。
キッズ 1.0
性描写や暴力的な内容がややあり、低年齢の子どもには不向きです。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『アン・リー はじまりの物語』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(序盤)

1736年のイングランドのマンチェスター。そこでアン・リーは生まれました。鍛冶屋の娘であり、教会が身近にあり、幼い足取りの頃から信仰に人生を捧げてきました。頭の中は神のことでいっぱいです。

また、アンは弟のウィリアムをとくに可愛がり、いつも一緒でした。

少し成長し、アンは人間の罪を知ります。自分はそんな罪深いことはしないと誓い、文句も言わず黙々と働きました。

ある夜、両親が体を交えているのを寝ながら目にします。それは欲の罪であると感じ、嫌悪します。自分はこんなにも罪深い存在の傍にいる。それこそが己の罰せられるべき罪…。父親は反抗的とみなしたアンの手を鞭で叩いて痛みを与えます。

アンはさらに成長し、一段と敬虔になりました。今は工場の重労働ではなく、地元の診療所で料理人として働いています。

アンとウィリアム、そして姪のナンシーは、各地の信仰集会に足を運ぶのが日課になっていました。

ある日、その一環でウォードリー家に向かいます。そこではクエーカー教徒のジェーン・ウォードリー「イエスは最初は男であったが、再臨して女となった」と語っていました。

そして罪を人前で告白させたかと思えば、叫び震え踊り歌うのです。このような集会は初めてでした。これまでの厳かな礼拝とは全く違います。真の信仰は内なる体験にあるというウォードリー夫妻は「シェーカー」と呼ばれていきました。

アンはついに信念を同じとする共同体を見つけたと実感。完全に陶酔します。この信仰を自分の礎にすることに決めました。

そしてそこで出会ったアブラハムという男と結婚します。ところが、このアブラハムとの性行為はアンにとって楽しいものではありません。また、4人の赤ん坊が産まれるも全員が短い命で悲劇的な死を遂げました。

その苦しみから解放を求めるようにアンはますます信仰に身を投じます。シェーカー教徒たちは、その独特な信仰スタイルゆえに地元住民を不安にさせていましたが、アンは辞めることは一切しません。

そんな中、アンが逮捕される事件が起き…。

この『アン・リー はじまりの物語』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2026/06/06に更新されています。

ここから『アン・リー はじまりの物語』のネタバレありの感想本文です。

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シェーカーの独身主義と現代のアセクシュアル

『アン・リー はじまりの物語』で主題となる「シェーカー」という宗派。本作の作品概説では「性別や人種の平等を説いた」と述べられていますが、実際のところ、そういう平等主義自体はわりと他の宗派でもみられるので珍しくありません。キリスト教全体がそうだったとはやや言い難いですが、少なくとも平等主義はシェーカー特有の特徴とは言いづらいでしょう(実際にシェーカーが平等だったのかという論点もあるでしょうが、今回はあまりそこは広げないことにします)。

それよりも本作を観ていて、とくに印象深かったのが、シェーカーの中心的な教義と言ってもいい独身主義です。情欲を罪とする考えかたはキリスト教に多くみられますが、それを実践というかたちで徹底する者はなかなかいません。シェーカー教徒は、結婚を拒否し、性関係を持たない…ということでその実践を土台にしています。

この映画を観ていて私はどうしたって「アセクシュアル」「アロマンティック」のコミュニティを想起させましたよ。他者に性的に惹かれないアセクシュアルや、他者に恋愛的に惹かれないアロマンティックは、今は性的マイノリティのひとつです。

一応、誤解ないように説明しておきますが、アセクシュアルやアロマンティックは禁欲とは異なるもので、実践的な試行とは違います。

なのでアン・リーらのシェーカー教徒をアセクシュアルやアロマンティックとみなすのは早計です。

それはわかったうえで、それでもあのシェーカー・コミュニティは、アセクシュアルやアロマンティックのコミュニティとどこか通じ合うものがある感じもする

その感じた理由は、多くのシェーカー教徒が既存の社会で居場所の無さに苦しみ、自分たちで居場所をゼロから築き上げていく過程が、現代の性的マイノリティの姿と似ているからでしょう。そして偏見に晒され、迫害を受けてもなお自分たちの在り方を守ろうと寄り添いあう姿も…。

“モナ・ファストボールド”監督も、シェーカーとクィアネスの結びつきを意図的に考慮していたことがインタビューで示されており、「シェーカー教徒のコミュニティが、安全な場所を必要とし、異性愛関係に陥りたくない多くのクィアの人々を惹きつけていたに違いないと考えました」と語っていますEntertainment Weekly

それに作中でウィリアムは同性愛者として描かれ、セクシュアリティに関係なく、あのシェーカーのコミュニティは誰をも受け入れていることが示唆されます。「神は男でもあり、女でもある」という男女二元論を超越した解釈もそうです。

そう考えるとこの『アン・リー はじまりの物語』は歴史的に確かに存在したコミュニティを、クィアなマイノリティを受容する場として再解釈した映画だとも言え、それがこのシェーカーをセンセーショナルに描かない、ある種の優しさに包まれた作品に仕上げたのではないかなと思います。

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悲劇にさせないパフォーマンス

『アン・リー はじまりの物語』の物語全体としては、起きることはどうしたって悲劇が目立ってきます。「異教徒だ」「サタンだ」と敵視する意見が周囲から飛び交い、やがて陰惨な暴力がコミュニティを襲う終盤のシーンは絶望的です。アン・リーを裸にさせ、身体をジャッジしたうえで「お前は女ではない!」と嘲るシーンは、かなりトランスフォビアな暴力に重ねるかのようなシーンだったとも思います(このあたりも前述のクィアネスの視点から明確に狙った場面だったのかな)。

シェーカー自体が衰退したのはそういう偏見ゆえというわけではないですが(そもそもコミュニティは小規模で、子どもを産まないので、死亡者のほうが増えていくのは必然)、シェーカーに対する異質者とみなす激しい敵意があったのは、多くの歴史的資料に残っています。シェーカーのコミュニティ縮小にともない、関心が薄れたので、迫害も減りますが、迫害の事実を無かったことにはできません。

“モナ・ファストボールド”監督はこの悲劇ありきでシェーカーを虐待の被害者として一面的に映さず、その信仰への喜びを解放的に描いていたのが良かったですね。

そこで演出的に重要になってくるのが、ミュージカル。まあ、私たちはこれを映画として観ているので「ミュージカル」と表現しますけど、シェーカー教徒の立場としては祈りのスタイルのひとつなのかな。当人は別にミュージカルをやっているつもりはないでしょうし。

あくまで映画的な脚色としてあのパフォーマンスになっているのかなと思っちゃいますが、確かにカメラワークなんかはいかにも映画的な演出ですけども、あの動きなどは実際にシェーカー教徒がやっていたものにかなり近くなるように再現しているようです。これもジェスチャーが細かく文献に残っていたおかげなのだとか。

もちろん映画ではプロの振付師が音楽と完璧に合わせてパフォーマンスとして成り立たせているので、圧巻の映像になっています。もしここまでのパフォーマンスを実際にやっていたら、その当時にシェーカーのその姿を目にしたら、私なんか「凄いパフォーマンスをみさせてもらった」と拍手していそうです。

ずっと抑圧されてきたシェーカー教徒たちが、この映画という媒体でやっとその存在を偏見抜きで世間に知ってもらえる…。その解放感も込みで、『アン・リー はじまりの物語』は気持ちのいいパフォーマンス・シーンから、規範に抗うパワーを貰えました。

『アン・リー はじまりの物語』
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)

以上、『アン・リー はじまりの物語』の感想でした。

作品ポスター・画像 (C)2026 Searchlight Pictures. All Rights Reserved アンリーはじまりの物語 アン・リー始まりの物語

The Testament of Ann Lee (2026) [Japanese Review] 『アン・リー はじまりの物語』考察・評価レビュー
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