私の創造力は私のもの…「Netflix」映画『私はフランケルダ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:メキシコ(2025年)
日本では劇場未公開:2026年にNetflixで配信
監督:ロイ・アンブリス、アルトゥーロ・アンブリス
恋愛描写
わたしはふらんけるだ

『私はフランケルダ』物語 簡単紹介
『私はフランケルダ』感想(ネタバレなし)
ストップモーションはメキシコの時代に!
2025年の頃から個人的にずっと観るのを楽しみにしていたアニメーション映画が2026年にようやく気軽に観られる機会がやってきました。
それが本作『私はフランケルダ』です。
2025年は“ギレルモ・デル・トロ”監督の『フランケンシュタイン』や、“マギー・ギレンホール”の『ザ・ブライド!』と、「フランケンシュタイン」派生の映画が続々と登場していましたが、私が一番に期待していたのはこの『私はフランケルダ』。


ただ、『私はフランケルダ』は「フランケンシュタイン」というよりは、その原作を創り出した作家の「メアリー・シェリー」の存在自体をインスピレーションにしている…という感じの内容です。
主人公の若い女性作家が自分の創り出した面妖なダーク・ファンタジーの世界に入り込むという、創作の苦悩と喜びを斬新に表現する物語となっています。
この『私はフランケルダ』はストップモーション・アニメーションであり、しかもメキシコのスタジオが制作している…という点が注目ですね。
従来はストップモーション・アニメーションと言えば、「ライカ(Laika)」や「アードマン(Aardman)」などが有名どころでした。ここにきてメキシコが話題になるのは意外かもしれませんが、歴史を振り返るとそう意外でもありません。
そこに多大な貢献をしたのが“ギレルモ・デル・トロ”で、3DCGではピクサーに勝てずともストップモーションならメキシコも匹敵するものが作れると確信し、1990年代からクリエイター育成と支援に尽力。“ギレルモ・デル・トロ”監督自身も2022年にアメリカとメキシコ合作で『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』を生み出しましたが、これはひとつの事例にすぎませんでした。
今やラテンアメリカはストップモーションの黄金時代を迎えていると言われ、ある種の流派的なストップモーション・アニメーションのクリエイター・コミュニティが築かれているそうです。
“ロイ・アンブリス”と“アルトゥーロ・アンブリス”の兄弟もその勢いに乗っかることができたクリエイターでした。「Cinema Fantasma(シネマ・ファンタズマ)」という身内だけの小さなスタジオから始まり、2021年に「HBO Max」の企画で『Frankelda’s Book of Spooks』というストップモーション・アニメシリーズを制作します。
この『Frankelda’s Book of Spooks』の成功が弾みとなり、さらに“ギレルモ・デル・トロ”の後押しもあって、前日譚となる劇場版を手がけることができるようになり、ついに『私はフランケルダ』というメキシコ初のストップモーション長編映画が誕生しました。
なお、前日譚ですけど、この映画だけしか観ずともお話は理解できるので大丈夫です。
2025年に一部の映画祭とメキシコ本国で公開されましたが、2026年には「Netflix(ネットフリックス)」で全世界配信され、ストップモーション界隈におけるメキシコの時代の到来が本格的に幕開けしましたね。
ということで、ストップモーション・アニメーションが好きな人は、この潮流を見逃すわけにはいきません。
『私はフランケルダ』を観る前のQ&A
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Q『私はフランケルダ』は日本ではいつどこで配信されていますか?
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A
「Netflix」でオリジナル映画として2026年6月12日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 子どもでも観れます。 |
『私はフランケルダ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1866年、メキシコのレアル・デル・モンテ。空の下、外で筆を片手に絵画を描く眼鏡の女性がいました。その隣には麦わら帽子を被った小さな女の子…フランシスカ・イメルダがおり、母の作り出す幻想的な世界が大好きでした。しかし、母は健康を悪化させ、帰らぬ人となってしまいます。
喪服で母の墓の前に立つフランシスカはその現実に耐えられず、外の木に隠れ、自分で物語を書き綴ります。厳格な祖母に何を言われようともそれはやめません。想像力が無限に沸き上がり、ベッドの上でも物語を考えるのをやめられませんでした。
フランシスカの創り出す世界「トパス・テレヌス」は、幻想的な生き物で溢れていました。やがて他の子どもたちにもその世界の物語を読み聞かせますが、たいていの子は笑い飛ばすばかりで、あまり関心がないようです。孤独なフランシスカは涙を流し、ますます物語に執着します。
実はフランシスカの創り出した世界は、並行世界として実在していました。
しかも、その世界で暮らす翼を持つエルネヴァル王子がフランシスカの世界にうっかり迷い込んでいました。フランシスカはエルネヴァルに遭遇し、最初は驚きます。見間違いだったのか…。エルネヴァルは地面に空いた隙間から自分の世界に戻ります。
トパス・テレヌスの世界の住人たちは恐怖を糧にしており、勝手な行動をとってしまったエルネヴァルは両親から人間界へ行くことを禁じられます。しかし、父は弱り、困っていました。肝心の「悪夢の語り部」でもあるプロクステスが恐怖の欠如による王国の衰退を憂慮するも、プロクステスの生み出す悪夢さえもしだいに魅了はしなくなっていきます。
数年後、成長したエルネヴァル王子は、なおも衰退する王国を救うべく、あのフランシスカを新たな悪夢語りにしようと決め、彼女のもとにまた現れますが…。

ここから『私はフランケルダ』のネタバレありの感想本文です。
作り物の魅力が詰まっている
『私はフランケルダ』を観て、やはり魅力されるのはあの禍々しくもチャーミングな世界観とキャラクターです。
“ジム・ヘンソン”の『ダーククリスタル』とかの影響を色濃く感じますね。
全編にわたって、「作り物」であることを意図的に強調するような演出が散りばめられています。動きのフレームもわざとカシャカシャと動かすなど、スムーズにさせていません。
これは「作り物」であることがまさに本作の創作のテーマと合致するのでむしろ効果的な意味があるからでしょうけど、同時に今はこういう「作り物」っぽさが再評価される時代に突入しているなとも感じます。
ひと昔前は3DCGはフォトリアルをひたすら目指していました。確かに表現技術は飛躍的に向上し、動きは極めて滑らかで、実写と変わらないほどです。2026年は『トイ・ストーリー5』が公開されるので、久々に1作目の『トイ・ストーリー』(1995年)を見返しましたけど、この約30年の表現の進化にあらためて驚きましたよ。
しかし、2020年代以降、フォトリアルなアニメーションに大衆は慣れてしまい、さらにそこに生成AIの登場が追い打ちとなって、逆にフォトリアルさは感動を生まなくなってもいきました。今や最新のテレビはフレームを補完して動きを滑らかにするという余計な機能までついている時代ですからね。AIで補正すればざらついた画像や動画も瞬時に高解像にクリアに変えることができます。全然ワクワクもしない、クリエイティブでも何でもない、ありふれた光景です。
だからこそそういう方向性とは真逆の、より独自性のある表現こそがクリエイティブとして評価されるようになるのがこれからの時代でしょう。ましてやストップモーションは間違いなく「手作り」であることを立証するので、AI時代における最も強力な反体制的クリエイティブですからね。
『私はフランケルダ』はそんなフォトリアルに対するカウンターというだけでなく、そこにさらにメキシコのアニメーションの歴史とメキシコの文化を乗っけて、オリジナリティを確立しています。
どのキャラクターも細部に至るまで素晴らしい造形であり、私なんかは、ずっとその動きを眺めていたくなりました。主人公のフランシスカ・イメルダも表情豊かであり、とくに激怒したときのホラーみたいな顔の変化がまた良い味わいで…。あの青い霊体のデザインだけでも好きですけど、動きあってこその魅力がありました。
父権的な恐怖社会を女性作家がどう変えるか
『私はフランケルダ』はキャラクターが魅力的なだけでは終わりません。そもそもメキシコのストップモーション・アニメーションの良さは、そこに政治的寓話性が上手く練り込まれているところです。
歴史をたどれば、メキシコのアニメーションの始まりは1950年代らしいですが、当時は、アメリカ政府が資金援助して反共産主義のプロパガンダ映画をメキシコで製作していたそうです。しかし、メキシコのクリエイターの実績とはならず、ただ労働力として搾取されるだけでした。
今もメキシコはアメリカから見下され、ときに移民関連で迫害の対象となっています。国の歴史がそういう政治の暗い部分と無縁ではありません。
だからなのか、メキシコのストップモーション・アニメーションは物語内で常に権力を批判します。芸術が権力を批判するのは大切なことで、権力者というのは芸術をすぐに自分に都合のいいように利用しようとしますから(今の日本もそうですが)。この反権力の揺るぎない姿勢は、メキシコのストップモーション・アニメーションの国際的評価の礎にもなっています。
『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』ではファシズムを風刺していましたが、『私はフランケルダ』は父権的な社会で成功を目指す女性クリエイターの葛藤が滲んでいます。要するに非常にフェミニズムなストーリーです。
主人公のフランシスカは明らかに「フランケンシュタイン」の原作者である“メアリー・シェリー”を基にしており、“メアリー・シェリー”と同様に悲劇を創作の源にしてやっと自分の作品を創るも、女性差別ゆえに作家デビューの機会を阻まれます。
そんなフランシスカがエルネヴァルに導かれ、霊体になってあの世界で大きな機会を得るという、ゴーストライターの概念を逆転させるような発想です。ゴーストのライターとなるほうがむしろ自分を評価してもらえるなんて…。
ところがあの世界にも嫌な奴というのはいて、それがタランチュラのようなプロクステス。彼の名前の由来はおそらくギリシャ神話の「プロクルーステース」だと思われ、寝台にぴったり合うように相手の体を切断したというエピソードから、「プロクルーステースの寝台」は「無理矢理にでも基準に一致させる」という意味を持ってもいます。
人間界にも精通する(小さな蜘蛛の姿で人間界に出現できる)プロクステスは狡猾で、恐怖は大衆をコントロールする道具になると熟知しています。だから盗作だろうが何だろうが、使い古されたレトリックの恐怖を我が物顔で駆使しようとします。現代の政治家がよくやっていることですね。
一方のフランシスカにとっては恐怖は現実のツラさに対抗するための心の支えであり、それはホラーというジャンルが何のためにあるのかという問いへの答えでもあります。
『ストップモーション』とかと比べると、『私はフランケルダ』は優しい語り口ですけどね。
創作者が自分の創作に救われ、居場所を見出していく…そういう心情は体験した人にしかわからないものかもしれませんが、最後に『私はフランケルダ』のタイトルに行きつくオチといい、悲しみを残さずにとても綺麗に閉じてくれる「私の物語」だったと思います。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
関連作品紹介
以上、『私はフランケルダ』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Cinema Fantasma アイ・アム・フランケルダ
I Am Frankelda (2025) [Japanese Review] 『私はフランケルダ』考察・評価レビュー
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