女性がいないと会社は正しく回らない…映画『サムジンカンパニー1995』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2020年)
日本公開日:2021年7月9日
監督:イ・ジョンピル
サムジンカンパニー1995
さむじんかんぱにー1995
『サムジンカンパニー1995』あらすじ
1995年のソウル。大企業サムジン電子に勤める高卒の女性社員たちは、すぐれた実務能力を持っていても、任されるのはお茶くみや書類整理など男性を中心とする大卒社員のサポートばかり。それでもキャリアアップのため英語の勉強に励む女性社員たち。しかし、ジャヨンもそんな必死に耐えながら働く女性社員のひとりだったが、ある時、彼女は地方にある会社の工場から汚染水が川に流出しているのを目撃する。
『サムジンカンパニー1995』感想(ネタバレなし)
お茶くみはもうやめにしませんか
なぜ会社などの組織では女性に「お茶くみ」をさせたがるのか。
そもそも私は会議中でもどういうときでもお茶をあまり飲まない人間で、どうしても何か飲みたいときは自分で飲料を用意してくる人間なので、こういう慣習自体がさっぱり理解できないのですが…。
どんな年齢でも、どんなスキルを持っていたとしても、どんな職種や部署でも、女性だったら当然かのようにお茶くみ。
お茶くみというこの女性が背負わされがちな慣習の存在理由はおそらく「女性=家事」という先入観の延長にあり、お茶を出される側が王様にでもなったような気分で優越感に浸りたいだけなんだろうと私は解釈しています。お茶を味わう気もないですよ。お茶への冒涜なんじゃないか…。
お茶くみを女性だけでなく男性もするようにしたとしてもパワハラ的な構図の助長に繋がりやすいですし、結局はお茶くみ行為を排除し、「お茶を飲みたければご自分でどうぞ」方式にするしかないのかな。過剰サービスは組織をたるませるだけで無駄ですね。
今回紹介する映画もそんなお茶くみから始まる内容です。それが本作『サムジンカンパニー1995』です。
本作は韓国映画です。韓国映画界は今やフェミニズム作品が空前の絶好調。韓国映画が素晴らしいのは単にフェミニズムっぽいことを入れましたよ~という形だけアピールに終わらず、しっかりテーマに向き合い、製作における女性の起用も進み、そうした映画がヒットし、さらに国内の賞でも評価されているということですね。バラエティも豊かで、『はちどり』(2018年)のように青春を描くものもあれば、『82年生まれ、キム・ジヨン』(2019年)のように主婦を描くものもあるし、『ガール・コップス』(2019年)のように警察バディものもある。「女性活躍」なんて言葉で陳腐に消費することなく、業界の構造を改革しようという意識も生まれており、とても羨ましいです(もちろんまだまだ課題は山積みですが)。
この『サムジンカンパニー1995』もそんな勢いに乗っている韓国フェミニズム映画の最新作であり、百想芸術大賞では作品賞を受賞しました。
内容としては大企業で働く女性社員を主役にした“お仕事”ムービー。自分で事業を立ち上げるスタートアップなビジネス系というよりも雇用社員としての悲喜こもごもが詰まったコミカルなタッチのドラマです。こういう「働く女性」を描くものは全く珍しくもないのですが、『サムジンカンパニー1995』はそこに企業不正が関わってくることになり、リアルな社会問題風刺もカバーしているあたりが韓国映画らしいです。
そのストーリーの中では女性社員たちが日々受けている性差別による抑圧も細かに描かれており、最終的にはシスターフッドが炸裂する気持ちのいい展開になっていきます。そんなにフラッシュバックで嫌な体験を思い出してしまうような陰惨な描写はないので安心してください。
物語を盛り上げる俳優陣は、メインは3人。ひとりは、子役時代に『グエムル 漢江の怪物』で有名になった“コ・アソン”。もうすっかり大人です。そして『小公女』など多彩な役柄で活躍するモデル出身でもある“イ・ソム”。さらに『スウィング・キッズ』でも魅力的なパフォーマンスを披露したばかりの芸達者な“パク・ヘス”。
監督は2015年の『花、香る歌』で高評価を獲得した”イ・ジョンピル”です。
2021年の見逃せない韓国映画の一本。お茶くみにうんざりして、上司の顔にお茶をぶっかけたい衝動にかられている人は、ぜひ鑑賞してみては? 見終わった後に本当にお茶をかけるかはお任せします…。
オススメ度のチェック
ひとり | :凹んだときに元気を |
友人 | :不満をぶつけあえる人と |
恋人 | :素直に語り合える相手と |
キッズ | :子どもでも見やすい |
『サムジンカンパニー1995』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):剣を抜いたのに何もしないの?
1995年、韓国のソウル。韓国社会では英語を学んでキャリアアップするのがトレンドに。語学教室には野心溢れる女性社員もわんさかと受講してきていました。
そのひとり、イ・ジャヨン。英語名はドロシー。リンゴが好きです。
もうひとり、チョン・ユナ。英語名はミッシェル。自信家でミステリー小説が好きです。
さらにもうひとり、シム・ボラム。英語名はシルビア。計算と歌が得意…だけどドジです。
3人とも若さみなぎるビジネスパーソン。勤務先はサムジン電子という韓国の中でも最大手。夢はキャリアウーマンだった彼女たちにとって、まさにその夢は叶っていました。
そして今、そんな女性社員たちはコーヒー用意のタイムを競っています。誰よりも早かったのはジャヨンです。12秒で部の社員全員の好みの比率でコーヒーを作れるという記録を保持しているのが自慢。でもユナはしらけていました。こんなことがしたかったのではない。自分たちよりも先輩だったキムという女性社員はお払い箱。結婚すれば女は会社に捨てられる。ジャヨンは結婚しないで昇進すると宣言しますが、高卒社員向けTOEICクラス600点以上で“代理”に昇進…という基準は厳しいものです。ジャヨンは「私はできる」と挫けませんが、ユナは「海外に行こう」と逃避。もちろんそんなあてもありません。
エレベーターは男性社員で埋まっていたのでジャヨンは階段をかけあがり、自分の部署のサムジン電子生産管理3部へ。息を整え、電話に出て、コピペもわからない部長に教え、各男性社員に煙草を用意。
一方、会計部にいるボラムは高速タイピングで数字を打ち込み、後は暇のでパソコンでテトリスして時間を潰すしかできません。
また、マーケティング部のユナは、会議でコーヒーを出しつつ、アイディアを教えたミンジョンが自分の手柄にしているのを苦々しく思うだけでした。
ある日、ジャヨンは工場長から常務へと移動になったオ・テヨンの荷物を取りに行くべく、後輩(でも上司)のチェ・ドンスとオクチュ工場のある地方に向かい、部屋を片づけます。常務は社長になる気だったようで、豪華な肖像画がありました。1匹の金魚もいて、それは川に逃がしにいくことに。
しかし、ジャヨンは驚くべき光景を目にします。死んだ魚。それも大量です。しかも、サムジンの工場の廃水が流れているようで…。
ドンスをせっついてホン課長のもとに報告書ファイルを見せ、一応、廃水の問題を伝えます。そして水質の調査が実施され、工場の排水処理施設が故障してごく少量のフェノールが漏れたが人体に問題はありませんと住民に報告して回ります。ただ、それにしては枯れた果樹園の作物や荒れた皮膚の人が気になるジャヨン。
罪悪感を抱えつつ、水質調査の件をユナとボラムに相談。調査はアメリカで行われたらしいですが、数字がおかしいとボラムは気づき、その場で計算し出します。最低でも1リットルに30ミリになるはずで「1.98」という数値は変だ、と。
自分で調査先に電話してみますが英語がわからないので、できる外国人を通して通訳。わかったのは調査所の連絡先はネブラスカにあるコーン農場でした。嘘の調査書です。
屋上で3人は密談。ユナは内部告発なんて深入りは危険だとジャヨンを諭します。それでも気になるジャヨンは検査依頼した大学へ行ってみると、検査書も送ったと言われます。「数日前は破棄しろと言ってきたくせに」とぼやく相手。思い切って数値を聞くと…。
ジャヨンは結果を2人に報告。「488」でした。明らかに基準値大幅越えの有害です。
見過ごせなくなった3人は独自に動き出すことに…。
グローバル元年の裏で…
私は韓国人でもないですし、韓国に暮らしたこともない身ですから、韓国映画を観るときはその時代背景を調べることにしています。韓国映画はちゃんと時代性を意識した作りになっており、それを踏まえると映画の面白さも増すものです。
『サムジンカンパニー1995』は邦題のとおり1995年が舞台。まず1980年代の韓国は『タクシー運転手 約束は海を越えて』や『1987、ある闘いの真実』の感想でも散々書いたとおり、非常に暗い時代でした。軍事政権による独裁が深刻になり、多くの犠牲を出しながら、韓国は1987年に民主化を果たします。
ではその民主化以降の韓国は平穏だったのか。1990年代を象徴する人物として本作でも冒頭に金泳三大統領が取り上げられます。1992年に大統領に就任した金泳三は以前の独裁政権との違いを鮮明にすべく、政策を次々と実施。政治の腐敗を一掃し、軍内の派閥を潰し、透明性を確保し、外交では融和方針をとり、より良い韓国の実現に向けて邁進しました。
1995年はその金泳三大統領が「グローバル元年」とした年です。『サムジンカンパニー1995』のあの時代はまさに韓国社会が「変わってやるぞ!」と意気込んでいた時期。
しかし、本作はそんな経済成長やグローバリゼーションなんていういかにも良さげな言葉が盛んに交わされていく裏で、実は踏みにじられていた人がいるんじゃないですか…という問いかけをします。
それこそまさしく絶好調で発展する会社を支えているはずなのに性差別の対象として虐げられてきた女性社員たち。英語やパソコンのスキルがあるのに、いざ会社に就職すればやるのは男性社員のお膳立て。一部の人だけが都合がいい経済発展です。
そしてここが大事ですが、本作はそのさらに下を描いています。つまり、大企業に蹂躙される“名もなき者たち”。本作での出来事は、1991年に起きた斗山電子のフェノール流出による水質汚染事件が元ネタなのだそうですが、そこにあるのは格差です。
それを理解した女性社員と、その女性社員に刺激を受けた男性社員が、本来の大企業としてのあるべき姿を思い出し、同族的連帯の良さを発揮する。この構成の着地点はとても韓国映画っぽいですね。
この時期の後、1997年には『国家が破産する日』で描かれたように韓国は通貨危機に直面し、経済は大変なことになっていくわけですが、それさえも乗り越えるんじゃないかと思わせる、強い韓国連携パワーが終盤は確立していっていました。
You are wrong
『サムジンカンパニー1995』は物語としては真新しさはなくシンプルです。
企業不正の諸悪の根源も韓国映画を観慣れている人ならすぐにわかります。あのビリー・パクという社長、韓国映画セオリー的にはいかにも悪そうな顔をしているし…。演じた“デヴィッド・マクイニス”、すごくいい味が出ている俳優だったなぁ…。
チェ・ドンスの不正関与もそうくるだろうなという予測の範囲内(行為がバレてジャヨンに怒鳴ってみるも反撃されてすぐに怯む弱さがなんとも)。なお、日本の公式サイトではドンスのこの場面における「自分の立ち位置を把握すべきだ」をなぜか“胸アツ”セリフとして紹介しているのですけど、そういうポジティブなものじゃないだろうに…。あれは「女は女らしくしてろ(規範に従え)」ってことだと思うけど…。
一方で、実は不正に関与しつつもそれに応じるしかできずにキャリアを終えることになったポン部長、そしてトリックスター的に乱高下激しい姿を見せてサラリーマンの苦難を体現してみせるオ・テヨン常務など、一面的ではない男性キャラクターの魅力も物語をドラマチックにしていました。
公式サイトで紹介するならオ・テヨン常務の言動の方が大事ですよ。カッターをじっと見つめて刃を出し入れしているだけの男がいたら相当に精神が参っているサインです…とか。
肝心の女性社員たちを代表するあの3人ですが、こっちはかなりコテコテなキャラ造形です。ただ、ここは一番良かったなと思うのは、恋愛が一切登場しないこと。一般的に女性社員のお仕事ドラマとなるとたいていは色恋沙汰が絡んできて、それを「ガールズ・ムービーでしょ」と豪語するのが当たり前の風景でした。でもこの『サムジンカンパニー1995』はそれはゼロ。この振り切り方はベストでしたし、まさに2020年だからできたことだろうな、と。
英語の使い方も良くて、彼女たちが喋る英語はハッキリ言えば上手くありません。でも饒舌ではないけど、語学というものを正しく使おうという意志がある。英語をキザに使うのがグローバリゼーション…なのではなく、正しさを忘れずに相手に想いを伝えてこそではないか。そこに本来のグローバルの価値はある。安易に学歴至上主義・能力至上主義になっていないのもバランスがいいなと思いました。
韓国ドラマ『それでも僕らは走り続ける』といい、韓国作品は英語の物語への取り入れ方も上手くて関心します。
全体的にオールマイティーに魅了できる範囲の広さを持った映画として完成されており、フェミニズムとしての尖った部分は少ないのでそういうのを期待していると若干の物足りなさはありますが、こういう万人ウケする作品もポンと作れてしまうのが韓国の持ち味ですからね。
日本企業の皆さんも女性社員を小さな金魚扱いしているといつか絶対にしっぺ返しを食らいますよ。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『はちどり』
・『82年生まれ、キム・ジヨン』
作品ポスター・画像 (C)2020 LOTTE ENTERTAINMENT & THE LAMP All Rights Reserved. サムジン・カンパニー
以上、『サムジンカンパニー1995』の感想でした。
Samjin Company English Class (2020) [Japanese Review] 『サムジンカンパニー1995』考察・評価レビュー