その先は…映画『ハルビン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2024年)
日本公開日:2025年7月4日
監督:ウ・ミンホ
はるびん

『ハルビン』物語 簡単紹介
『ハルビン』感想(ネタバレなし)
伊藤博文暗殺事件を描く韓国映画
現在(2025年時点)の千円札の表面に載っている人物は「北里柴三郎」です。これは2024年から発行されたものです。その前は、2004年からのデザインで「野口英世」、さらにその前は、1984年からのデザインで「夏目漱石」が載っていました。このあたりまでの千円札なら所持している人も多いと思いますが、それよりもっと前の千円札もあります。
その1963年から発行されて1986年まで流通した千円札には「伊藤博文」の姿がありました。私も1枚だけこの千円札を持っているんですよね(もうボロボロだけど…)。
伊藤博文は明治時代の政治家で、初代内閣総理大臣に就任したことで何よりも日本の歴史に名を残しています。そしてその死もまた歴史的な事件として刻まれています。なぜなら暗殺されたからです。1909年10月26日、韓国の独立運動家の者の手によって…。
日露戦争が終結した後の1905年、大日本帝国は戦争に勝利した結果、当時の大韓帝国の外交主権を剥奪し、保護国とする…つまり、事実上の植民地支配が成立しました。第二次日韓協約によるものですが、当然ながらただの政治的な決め事にすぎず、当の朝鮮半島の人たちにとっては占領されたも同じで納得がいきません。この出来事から独立運動が盛んになっていきました(結局、第二次世界大戦で日本が降伏した1945年まで続く)。
伊藤博文は初代韓国統監にも就任していましたが、この独立運動家によって1909年に射殺されるという衝撃的な最期を遂げました。日本の歴史の教科書ではこの暗殺はそこまで詳細には語られません。あえて語られるとすれば、実際に射殺した実行者である「アン・ジュングン(安重根)」の名くらいです。
しかし、アン・ジュングンが一体どういう人物なのか、日本の義務教育でしか歴史を学んだことがないとさっぱりですよね、
今回紹介する作品は、そのアン・ジュングンを主人公にし、伊藤博文の暗殺事件を引き起こす過程を描いた韓国の歴史映画です。
それが本作『ハルビン』。
ただ、歴史映画と書きましたが、結構、史実どおりではなく、7割くらいフィクションだと思ってください。伝記映画と言い切るには、部分的にしか描かれていませんし、歴史を学べるわけでもない…。
要するに、伊藤博文の暗殺事件を起こしたアン・ジュングンを着想の土台にしたスパイ・サスペンスというわけです。
最近の韓国映画は、『ハント』(2022年)や『ソウルの春』(2023年)などのように、歴史的大事件の史実をジャンルのケレン味たっぷりに大幅に脚色した作品をよく作る傾向があって、この『ハルビン』もその方向性と考えていいです。


『ハルビン』を監督したのは、『KCIA 南山の部長たち』の“ウ・ミンホ”。この手の題材は得意分野でしょうね。
主人公のアン・ジュングンを主演するのは、『極限境界線 救出までの18日間』の“ヒョンビン”。共演は、『戦と乱』の“パク・ジョンミン”、『キングメーカー 大統領を作った男』の“チョ・ウジン”、『シングル・イン・ソウル』の“イ・ドンウク”、『楽園の夜』の“チョン・ヨビン”、『ノリャン 死の海』の“パク・フン”、『声もなく』の“ユ・ジェミョン”など。
そして伊藤博文を演じるのは、“リリー・フランキー”です。韓国映画界にこの役で踏み出せたのは最もインパクトのある目立ちかただったのではないでしょうか。“リリー・フランキー”はもう国際的に有名な俳優なので、韓国でも映画マニアの間では知られているでしょうし。
映画『ハルビン』が史実とどう違っていて、それがどのような効果を与えているのか…そのあたりの話は後半の感想で…。
『ハルビン』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 拷問のシーンが一部にあります。 |
| キッズ | 多少の暴力描写があります。 |
『ハルビン』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1909年、ロシアのクラスキノにあるとある秘密の場所。
「同志、どう思う?」「今まで戻ってこなかったのなら、もう死んだのだろう」
日本による朝鮮支配に抵抗する独立運動家たちの組織「大韓義軍」の面々は一同に部屋に集まって話し合いをしていました。しかし、その顔はみな暗いです。その理由は参謀中将のアン・ジュングン(安重根)がある地で行った判断でした。
そんな中、アン・ジュングンはその場に現れて、何人かは帰還を喜びます。それでも別の者からは「どの面下げて戻ってきた? 許しはしないぞ」と睨まれます。
少し前、アン・ジュングンの部隊はシナ山の雪深い極寒の森で日本軍相手に奇襲をしかけていました。周囲からの一斉発砲で混乱する日本軍。その間に敵の陣地を爆弾を投げて攻撃。一瞬にして大乱戦となります。アン・ジュングンも刃物を手に相手をメッタ刺し。泥と血にまみれた凄惨な現場はしばらく続きました。
そして双方の夥しい死体の山を生み出し、戦闘は大韓義軍がなんとか制圧しました。
アン・ジュングンの部隊は日本陸軍少佐の森辰雄らを捕まえました。仲間は皆殺しにする気満々でしたが、アン・ジュングンはそれを止め、万国公法に従って戦争捕虜として解放することにします。森辰雄は「恥なので名誉の戦死をしたい」と言いますが、子どもがいると聞いたアン・ジュングンは帰国するように告げます。
イ・チャンソプを始めとする仲間はその判断に納得しませんが、「あくまでこの国の主権を回復するのが目的だ」とアン・ジュングンは頑なです。
ところが、アン・ジュングンが少し拠点を離れた間に、解放された森辰雄らはそこを攻め、全員を殺してしまいました。戻って来て仲間の無残な亡骸を目にしたアン・ジュングンは絶望します。
こうしてアン・ジュングンは大韓義軍内で最も論争の火種になっていました。もはやその指導力は疑問視され、組織の統率すらも危ういです。このままでは日本に対抗することはできません。
アン・ジュングン本人も自分の判断のせいで仲間を大勢犠牲にしたことで、生きる意味を失い、今も茫然自失。
それでもここで朽ちるわけにはいきません。犠牲になった同志のためにも、アン・ジュングンは左手の薬指の先端を切り落とし、その血を墨にして韓国の国旗に漢字で 「大韓独立」と書き、決意します。それだけではありません。日本の首相であり朝鮮統監であった伊藤博文を暗殺することで自らの罪を償おうと覚悟します。
伊藤博文は現在、ロシアのウラジーミル・ココフツォフ財務大臣と会談し、朝鮮の将来について話し合うため、中国からロシア統治下のハルビンへ列車で移動中とのことでした。暗殺するタイミングはこの間のどこかです。
アン・ジュングンはウ・ドクソンとキム・サンヒョンの2人の仲間を率いてこちらも列車でウラジオストクへ向かいます。
もうこれは片道切符。引き返すことはできません…。

ここから『ハルビン』のネタバレありの感想本文です。
英雄から逸脱して
映画『ハルビン』に対して、日本の一部の保守系の人たちは、案の定ながら「これはプロパガンダだ」とわかりやすい反応を示す姿もチラホラ観察できますが、本作はベタな国威発揚や愛国心を刺激するような作品ではなかったと思います。
そもそもこの主題になっているアン・ジュングン(安重根)は確かに韓国国内では一部で英雄として評価されたりもしてきたのですけど、少なくともこの映画では英雄的なイメージで描かれていません。むしろアン・ジュングンを英雄だと単純に認識している人からすれば、この映画はむしろ気に食わないかもしれません。なぜならかなりアン・ジュングンの「受け入れやすいパブリックイメージ」を拒絶しているからです。
まず冒頭からして印象的です。この映画におけるアン・ジュングンの出だしはとにかく孤立的です。日本側よりも同志からのほうが嫌悪されまくっており、アウェイ状態。そのうえ、すっごくみすぼらしい風貌も相まって、何のカリスマ性も感じません。
この時点からすでに史実を逸脱した脚色があります。周囲の反対を押し切って国際法を根拠に捕虜となった日本兵の解放を選択したことは史実どおりなのですが、その決断が仲間の犠牲に直接的に繋がったという確証はないそうです。
つまり、本作はアン・ジュングンは罪悪感を抱えた人間として意図的に設定しており、それを伊藤博文暗殺の主な動機としています。
たぶんこの脚色は作り手側のいろいろな狙いがあったのだろうと察せます。もっと歴史を踏まえるなら、当時の植民地支配への理不尽さへの怒りなどの政治的動機があるのですが、そこは目立たないようにしています。少なくともこの映画版はアン・ジュングンの個人的な内面の弱さ(もっと言えば正しいことを貫くことへの恐怖)が主軸になっているんですね。
皮肉なことに、伊藤博文の暗殺は成功しますが、歴史をみればわかるとおり、それで朝鮮が自由と独立を獲得できたわけでもなく、この後に夥しい犠牲を出してしまいます。やはり暴力は暴力を生む。アン・ジュングンはどんなに感情に突き動かされようともどこかで暴力の連鎖を止める勇気こそが重要であると教訓を示すような存在感になっていました。
作中のアン・ジュングンはいざ伊藤博文暗殺任務に就いた際も、常に立場が弱く、なんだか影が薄いです。明確に敵対心を持つイ・チャンソプのほうがリーダーっぽいのは納得せざるを得ません。アン・ジュングンはなおも悩み続ける存在です。
道中ではかつて独立運動の仲間だったが今は武器密輸業者となっているコン夫人に会い、その義理の兄でこちらもかつて朝鮮独立運動家だったが今は馬賊団となったパク・ジョムチュルから爆薬を入手するべく、荒れ地へ向かいます。そこではパク・ジョムチュルは「独立なんてクソくらえだ」と自暴自棄になっていて、暴力に疲れ果てた人間の闇深い末路をみせつけられます。
アン・ジュングンももはやそうなりかけていました。本作は映像的な演出においても、冒頭の戦闘が冬の森で始まり(史実では初夏だった)、そして凍り付いた豆満江のシーンが最初と最後に使われ、果てしない消耗を感じさせます。明るい兆しはどこにもありません。
ただ、こういう人物像にしたほうが今の時代、ことさら韓国の世相を考えれば、適切なのでしょう。大衆は古臭い英雄など信じません。政治に失望し、社会に絶望し、個人の脆弱さを噛みしめて生きています。本作はアン・ジュングンも同じだったのだと思わせることで、共感しやすさを狙っているのではないでしょうか。
史実とフィクション
彷徨うアン・ジュングンはさておくとして映画『ハルビン』はジャンルとしてきっちり作り込まれています。非常にクラシックなスパイ・サスペンスの佇まいですね。
光の明暗を駆使して、各シーンの映像の印象を最大限に引き立てていましたし、大味なジャンル風にはしないようにしています(でも爆発などのインパクトのあるシーンは効果的に使っている)。これはこの題材を描くうえで最良だったと思います。
一方、かなり大きく史実から逸脱し、フィクショナルなジャンルに傾くのが、森辰雄とキム・サンヒョンの2人です。この2名は完全に架空の人物であり、当然、この2人に起きることもフィクションです。
ベタな執念深い悪役である森辰雄と、その密偵として拷問のすえに利用されていたキム・サンヒョン。2人の顛末含め、やや蛇足感はありましたが…。
とは言え、この2人の存在のおかげで「これは本当に史実どおりに進むのか?」というスリルは常に映画内に漂うので、サスペンスの仕掛けとしては必須だったのかもしれません。
史実ではアン・ジュングンによる伊藤博文暗殺はわりと淡々と実行できており、あまり成否を左右するサスペンスらしいものはなかったそうですし…。
なお、この伊藤博文暗殺の瞬間のシーンは史実どおりに作られています(本当にロシア語で「朝鮮万歳!〈カレア・ウーラ!〉」と叫びながら撃った)。なんでもこの暗殺の瞬間はたまたまその場に居合わせた人の手によって捉えた映像が存在するらしいのですが、所在は不明だそうです。
そんなこんなで本作『ハルビン』は、歴史映画の雰囲気を漂わせた、実際は「人間の決断」を問う作品だったなというのが私の結論的な感想です。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『ハルビン』の感想でした。
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Harbin (2024) [Japanese Review] 『ハルビン』考察・評価レビュー
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