感想は2300作品以上! 詳細な検索方法はコチラ。

『メガロポリス』感想(ネタバレ)…芸術では映画も政治も救えない

メガロポリス

そんな気持ちになる…映画『メガロポリス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Megalopolis
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年6月20日
監督:フランシス・フォード・コッポラ
性描写 恋愛描写
メガロポリス

めがろぽりす
『メガロポリス』のポスター

『メガロポリス』物語 簡単紹介

アメリカに築かれた大都市ニューローマでは、富裕層と貧困層の二極化した経済格差が社会問題化していた。この現状を憂う建築家カエサル・カティリナは全く新しい都市メガロポリスの開発によって未来を導こうと壮大な構想を練っていた。しかし、利権に固執する新市長フランクリン・キケロと対立することになり、さらに他の者たちの策謀にも巻き込まれ、困難に見舞われる。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『メガロポリス』の感想です。

『メガロポリス』感想(ネタバレなし)

スポンサーリンク

巨匠コッポラの大建設

「もしかして“これ”があれば、私の理想の街が作れるじゃないか…!」

そんな隠しきれない興奮に包まれていた、オモチャのブロックを手にした幼少期の頃の私。自分なりのミニサイズの「最高の街」を作って…そして…まあ、飽きて片づけるわけです。

子どもですから、そんなもの…。

でも振り返ってみるとあの頃のちびっ子だった私は頑張っていたと思うのです。オモチャのブロックは値段が高いのでちょっとしか持っていませんでした。家を一軒作るのが精一杯のブロックしかありません。そこで他にも身近にあるもの(本とか紙とか)を手当たりしだいに駆使しながら、それっぽく街を作ってました。金欠でもできる街づくりだったなぁ…。

今回紹介する映画はそんな小さい頃の私からすれば「おいおい、カネにものを言わせすぎだろ!」と若干呆れる作品…かもしれない…。

それが本作『メガロポリス』です。

本作はあの“フランシス・フォード・コッポラ”監督の最新作ということで公開前から話題になっていました。『ゴッドファーザー』(1972年)や『地獄の黙示録』(1979年)で伝説となった映画人ですが、監督作は最近だと2011年の『Virginia/ヴァージニア』以来となります。

その“フランシス・フォード・コッポラ”監督が私財を投入して(自分のワイナリーを売ったそうです)大作を作ったとの触れ込みだったので、「あのかつての大作級の映画がまた新たに!?」とシネフィルはそわそわするのも無理ありません。

本作は早い話が「街を作る男の話」なのですが、ローマ叙事詩的なスタイルで現代政治社会を風刺する試みをしており、“フリッツ・ラング”監督の『メトロポリス』(1927年)や“H・G・ウェルズ”の小説『来るべき世界』(1933年)からインスピレーションを得ているそうです。

なんでも1977年に思いつき、『地獄の黙示録』を撮っている間に構想を練っていたらしいのですけど、全く開発が進まず、放置状態になり、やっと今になって映画が出来上がったのでした。

その『メガロポリス』は2024年に第77回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されましたが、その…不評だったわけですね。でも近年の“フランシス・フォード・コッポラ”監督作の評価が低くなるのは以前もあったので、慣れた映画ファンにしてみれば「はいはい…」って感じでした。

ところが製作現場での滅茶苦茶な進行やハラスメントなどが報告され、さらに追い打ちなことに、予告動画がAIで中身をでっちあげて作られたことが発覚してそれはもう大騒ぎかつ笑い者ですよThe Guardian。しかも、何がカッコ悪いってこのAI予告動画、内容としては「これまで酷評されてきたフランシス・フォード・コッポラ監督だが、それでも名作を生んだ」みたいな「わかる人にはわかる才能だ(平凡な批評家にはわかるまい)」的な目線の感じで、それがAIで生成された文章だったものだから、もうほんとにダサい姿になってしまって…。

巨匠の転落劇としてここまでオチをつけなくてもいいのに…。

気を取り直して『メガロポリス』の俳優陣です。無駄にいっぱい顔が並んでます(みんな巨匠と仕事したというキャリアが欲しいんです、ええ)。

主演は、わりと何でもでてくれる“アダム・ドライバー”。その共演に、ドラマ『ザ・レジデンス』“ジャンカルロ・エスポジート”『ワイルド・スピード』シリーズの“ナタリー・エマニュエル”、ドラマ『アガサ・オール・アロング』“オーブリー・プラザ”『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』“シャイア・ラブーフ”『アマチュア』“ローレンス・フィッシュバーン”など。

また、“ジョン・ヴォイト”も主要キャストに並んでいますが、この昔から保守派政治姿勢で知られる大御所俳優、最近はトランプ支持が極まって、ついに「ハリウッド大使」(そんな役職は実際には実在しない)に直々に任命され、「外国製映画に100%の関税を課す」というアイディアを提案した張本人となりましたThe Guardian。この『メガロポリス』でさえ一部の素材はアメリカ国外で撮られたのに、どういうつもりなんだろうか…。たぶん全てをオールアメリカで完結して映画制作することを強いていたら“フランシス・フォード・コッポラ”はとっくのとうに破産していたろうな…。

ほぼほぼ巨匠の自己満足だけで飾り立てられた映画ですが、興味あるなら『メガロポリス』を観光してみるのは自己責任でどうぞ。

スポンサーリンク

『メガロポリス』を観る前のQ&A

✔『メガロポリス』の見どころ
★やけに退廃的な豪華絢爛な一部の式典映像。
✔『メガロポリス』の欠点
☆政治風刺としては大雑把かつ曖昧。
☆作り手の自己陶酔が出すぎている面が濃い。

鑑賞の案内チェック

基本
キッズ 2.0
性行為の描写があります。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『メガロポリス』感想/考察(ネタバレあり)

スポンサーリンク

あらすじ(前半)

アメリカに築かれた巨大な大都市のニューローマ。摩天楼がそびえたち、経済成長を象徴する繁栄の地です。しかし、その都市は完璧ではありません。

デザイン局の建築家のカエサル・カティリナは高層ビルの屋上に立ち、飛び降りるかのように一歩を踏み出しますが、時間が止まったかのように落ちることはありません。

カエサルは革新的な建築材料メガロンの発明でノーベル賞を受賞し、時の人となっていました。けれども実はカエサルには秘密の一面もありました。時間を止める特殊な力も持っていたのです。それがなぜ自分に授かったのかはわかりません。

眼下の街の中ではクラブで貴族たちは京楽に身をゆだね、思うがままに楽しんでいます。ジュリア・キケロもそのひとり。新市長フランクリン・キケロの娘であり、その自由奔放さは父すらもコントロールはできません。

テレビ中継されて多くのカメラマンがシャッターを切る華々しいイベントが開催され、フランクリン・キケロ市長は莫大な収益をもたらすカジノの構想を発表。税収が大幅に増えることを狙ったものなのは誰がみても明らかです。格差が拡大する問題を抱えるこの都市を作り変える計画でした。

しかし、協力するはずのカエサルはメガロポリスという独自の理想郷を意図した新都市のデザインを自信たっぷりに発表。カジノとはまるで異なります。両者の互いの都市の未来へのビジョンは食い違っており、決定的な亀裂でした。

カエサルとフランクリン・キケロ…2人の因縁はこれが初めてではありません。数年前、カエサルの妻は失踪し、地方検事だったフランクリン・キケロは彼を殺人容疑で起訴しましたが、結局は無罪放免となりまし。それでも今もカエサルはその経験が刻まれ、答えのない罪悪感に苛まれ続けています。

現在のカエサルには嫉妬深くまとわりつく愛人であるテレビ司会者のワオ・プラチナムがいましたが、心ここにあらずで、ワオはカエサルの老齢の叔父で世界一の富豪ハミルトン・クラッスス3世に乗り換えることにします。

一方、カエサルの時間停止能力に気づいたジュリアはカエサルに会いにオフィスに行きます。なぜか彼女には時間を止める力が効かないようです。

そして2人は関係を深めていきますが…。

この『メガロポリス』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2025/06/20に更新されています。
スポンサーリンク

芸術を買いかぶりすぎでは?

ここから『メガロポリス』のネタバレありの感想本文です。

『メガロポリス』はアメリカが舞台なのですが、架空の都市名が「ニューロ-マ」で、人物名やファッション、建築デザインなどとにかくあちらこちらがローマ風味で飾り立てられていることからもわかるように、幾度となく崩壊や衰退が繰り返されたローマ共和国やローマ帝国などの古代ローマ史を土台にしています。

そして主人公の名前から明白なとおり、紀元前の共和政ローマの政務官だったルキウス・セルギウス・カティリナを素材として主軸にしており、ローマ転覆を狙った俗に「カティリナの陰謀」と呼ばれる事件が用いられています。とくに作中でキケロ市長が、史実にて紀元前63年にルキウス・セルギウス・カティリナのクーデター計画に対して当時の執政官マルクス・トゥッリウス・キケロが行なった弾劾演説(通称「カティリナ弾劾演説」)がそのまま引用されるなど、かなり構図としても露骨です。

このローマ叙事詩を採用しているのは、政治風刺としてとても好まれる定番だからなのですけども、本作のニューロ-マという世界観構築はいささか中途半端な感じは見受けられました。

たぶん予算的な問題もあるでしょうし、それ以上に統一感を出し切るほどの監督のマネジメントが根本的に不足しているのかもしれませんが、ある部分はすごくローマっぽいのに、ある部分は全然ローマっぽく作りこめていなくて、その落差がでてました。象徴的な都市の俯瞰図もグリーンバック撮影で、あからさまにデジタル技術でくっつけているのがまるわかりなので、「おお…!」となる圧巻の映像力はないですし…。

それに対し、あのワオとハミルトン・クラッスス3世の退廃的な結婚披露宴の式典イベントの余興シーンはめちゃくちゃカネをかけまくっています。ここだけコッポラは異様にこだわったんだろうな…。

全体的に監督の好きなものを切り抜いてくっつけまくったコラージュみたいな映画ではありましたね。

で、肝心の政治風刺なのですけど、これが“フランシス・フォード・コッポラ”監督、全くの空振りだったと思います。

キケロ市長はスタンダードな極右の保守派という立ち位置で、そこに大富豪のハミルトン・クラッスス3世がいて、さらに一族の後継を策謀するクローディオ・プルケルポピュリズムからファシズムへと変貌する存在を担い、権力側の図式は入り組みながらもだいたい揃っています。

それに対峙する主人公のカエサルは本当に中身のないキャラクターで、基本的に観客側にはよくわからない「芸術」を押し通すしかしないので、ずっと「なんなんだこいつ?」という感じでしか印象に残りません。

そのカエサルが最終的になんだかんだで芸術的ビジョンを語ることで、なぜか怒れる大衆は納得して丸く収まるのですけど、その着地も全然納得いかない意味不明さで…。

とにかく政治風刺として雑なんですよね。芸術的に完成された新都市を作ればいいというアイディアも「いやいや、現実にはジェントリフィケーションって問題があるでしょ?」と思うし、まるで解決策にならないと思いますし…。

そもそも一般的に巨額の予算で作られた大作映画を観て、それがどう芸術的であろうとも、現実の貧困層が「自分を鼓舞してくれたな」と満足することってそうそうないと思うのです。まだスーパーヒーロー映画とかのジャンルのほうが貧困層ウケはいいですよ。逆に変に気取った芸術肌な作品は嫌われやすいんじゃないでしょうか。ましてやそれが富裕層が作ったとあらば…。

『メガロポリス』は「芸術が二極化した世界を救う」と宣言するような映画ですが、あまりにその説得力は乏しく、むしろ相手を煽る効果しかない勘違いも甚だしい提案しかできていないような…。

スポンサーリンク

芸術と自己を合わせて過大評価してしまうと…

芸術を買いかぶりすぎぐらいならまだよくある調子に乗りすぎたアーティストの痛い失敗で済みますけど、この『メガロポリス』はさらに問題を重ねてきます。

というのも、“フランシス・フォード・コッポラ”監督は普段の姿勢から「私はハリウッドなんかとは違う!」という態度ですし、それは全然構いませんが、問題はこの『メガロポリス』がハリウッド作品と異なる映画になれていたのか?という話で…。

言うほど実験的なことをしてなくないか?…というツッコミもありますが、それはさておくにしても、前述したとおり、“フランシス・フォード・コッポラ”監督は自身がかなり撮影現場で権力を振るって有害な職場空間を生み出していたことが明らかになっています(本人は全然認めていませんけど、言い訳のしかたがいつもの有害上司の仕草そのまんまです)。

例えば、「私財を投入して映画を作りました」なんて本作の宣伝で語られるバックストーリーもさも美談のように使われますけど、こういう事情を知ると、そんなふうに現場を振り回すせいで予算増になったんじゃないか…と思うわけで…。

結果的にこの映画自体が金持ちの道楽のような下品な存在になっているようにも思います。自身の愚さが戯画化してしまっているというか…。

芸術と自己を過大評価しすぎですし、肥大化する自己顕示欲の塊だけで成り立ってしまい、「おじいちゃん、ダメだよ~」と優しく諭すくらいでは片づけられない問題です。芸術家が芸術を武器にして自分の有害性を正当化しだすのが一番危険なのに…。

思えば、他の高齢男性監督の中には“フランシス・フォード・コッポラ”監督とは対極的に自己抑制を効かせて映画作りに向き合っている人はわりといます。“リドリー・スコット”監督は最近も『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』でそれこそローマ叙事詩的な語りで政治風刺もやってみせましたが、自己顕示欲は抑えていましたよ。“クリント・イーストウッド”監督もまだ大人しいほうです。

“フランシス・フォード・コッポラ”、86歳ですか…まあ、今から学べるかはわかりませんけど、映画で演説する前にせめてセクハラがどういう意味なのか、そこからまず初心に帰って学んでみてほしいところです。

『メガロポリス』
シネマンドレイクの個人的評価
3.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)

作品ポスター・画像 (C)2024 CAESAR FILM LLCALL RIGHTS RESERVED

以上、『メガロポリス』の感想でした。

Megalopolis (2024) [Japanese Review] 『メガロポリス』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2024年 #フランシスフォードコッポラ #アダムドライバー #ジャンカルロエスポジート #ナタリーエマニュエル #オーブリープラザ #シャイアラブーフ #ジョンヴォイト

ドラマ
気に入ったらぜひシェアをお願いします
スポンサーリンク
シネマンドレイク

ライター(まだ雑草)。アセクシュアル/アロマンティック/ノンバイナリー/ニューロクィアの当事者でもあり、LGBTQ+で連帯中。その視点で映画やドラマなどの作品の感想を書くことも。

シネマンドレイクをフォローする