その先駆者を地上から追想する…「Disney+」ドキュメンタリー映画『サリー:私の愛した宇宙飛行士』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本では劇場未公開:Disney+で配信
監督:クリスティーナ・コンスタンティーニ
LGBTQ差別描写 恋愛描写
さりー わたしのあいしたうちゅうひこうし
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』物語 簡単紹介
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』感想(ネタバレなし)
サリー・ライドを思い出そう
最近はすっかり宇宙開拓がテック・オリガルヒの独占的遊び場になってしまったので、宇宙へのロマンなんて気分は害されてしまった人も少なくないと思うのですけども、すべての宇宙開拓史がそんな鼻持ちならない大富豪の男たちに支配されていたわけではありません。
むしろその支配に抵抗していた人物を宇宙開拓史から掘り起こして、あらためてその精神を思い出すには今はちょうどいいタイミングじゃないでしょうか。
ということでさっそく本作『サリー 私の愛した宇宙飛行士』の話です。
本作は「ナショナルジオグラフィック」製作で、アメリカの「NASA」に務め、1980年代の宇宙開拓の激動期に宇宙飛行士となった「サリー・ライド」という人物を主題にしたドキュメンタリーです。
サリー・ライドは宇宙開拓史においても科学史においても偉人であり、知っている人は当然知っていると思います。
知らない人のためにざっくり言えば、サリー・ライドの偉業を伝えるとき、たいていは以下のような華々しいシンプルな実績が冠せられます。
「最年少のアメリカ人宇宙飛行士」「アメリカで初の女性宇宙飛行士」
間違いなくそれは事実なのですが、本作『サリー 私の愛した宇宙飛行士』は、サリー・ライドをどこぞの博物館のパネルやモニュメントのように標準的に讃える平文で説明はしません。
サリー・ライドはいかにして当時の社会的抑圧の中で自分を押し殺して活躍していたか…そこに焦点をあてます。
それはもちろんアメリカ社会やNASA内の女性差別もそうですが、実はサリー・ライドは「女性に惹かれ愛していた女性」であり、彼女の死後になって同性パートナーがいたことが公になりました。サリー・ライド自身は生前はずっとそのことを隠しており、なので「レズビアン」なのか「バイ+」なのか「クィア」なのか、どのラベルを本人は使いたいと望んでいたのか、それはわかりません。
どちらにせよ本作はそのサリー・ライドがひしひしと感じていたであろう同性愛への抑圧も、関係者の証言とともに映し出しています。そして長年の同性パートナーだった人物も本作の取材の前で語り、プライベートを温かく伝えてくれます。
念のために補足しておくと、今は亡きサリー・ライドに対しての死後のアウティングになってしまわないように、かなり慎重に配慮された構成です。下手するとイタズラに暴露するようなトーンになりかねないですが、本作は絶妙に回避していると私は感じました。
そもそも宇宙開拓史を題材にしたドキュメンタリーというのは、往々にしてどこか勇ましいトーンになりやすいです。それこそ『アポロ11 完全版』とか…。
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』の肌触りはこの題材のドキュメンタリーとしてはなかなかに珍しいと思いますけど、サリー・ライドらしさという意味では納得です。
この『サリー 私の愛した宇宙飛行士』を監督したのは“クリスティーナ・コンスタンティーニ”という人で、もともと科学者を目指していたそうで、『サイエンス・フェア:科学オタクのチャレンジ奮闘記』といった科学に奮闘する人々を追いかけたドキュメンタリーを手がけていました。“クリスティーナ・コンスタンティーニ”監督自身もサリー・ライドが大好きだったそうで、念願叶って主題のドキュメンタリーを作れることに…。
そんなこんなで2025年に配信となった『サリー 私の愛した宇宙飛行士』ですが、アメリカの政治社会情勢がまた絶妙に刺さることになりましたね。
保守系シンクタンクの「全米公共政策研究センター(National Center for Public Policy Research)」が株主提案を利用して続々と企業にDEI施策の撤回を要求する中(LGBTQ Nation)、“ドナルド・トランプ”政権もあらゆる政府機関のDEI政策を停止させました。結果、女性や有色人種、性的マイノリティの人たちは職を失い、別に能力が高いわけでもない白人男性が職で有利になるだけの状態に…。
まさにサリー・ライドのような功労者が排除される時代です。
そんな今だからこそこのドキュメンタリー『サリー 私の愛した宇宙飛行士』は観る価値があるでしょう。
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』を観る前のQ&A
A:U-NEXTで2025年6月17日から配信中です。
鑑賞の案内チェック
基本 | 女性差別や同性愛差別の言及が少しあります。 |
キッズ | 科学への興味や夢を応援してくれます。 |
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『サリー 私の愛した宇宙飛行士』のネタバレありの感想本文です。
「男だけの宇宙」が崩れた背景
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』の主題であるサリー・ライドの話に入る前に、当時のNASAの宇宙開拓の歴史を簡単に振り返りましょう。
宇宙開拓の歴史は「有人宇宙飛行」の計画から本格的に始まります。
アメリカのNASAは1950年代後半から「マーキュリー計画」を開始しますが、ライバルのソ連の“ユーリイ・ガガーリン”が1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行をひと足先に成功させてしまい、NASAはその数週間後の5月5日に慌てて“アラン・シェパード”を飛ばして最初の宇宙に行ったアメリカ人となりました。
冷戦が激化する中、次は月面着陸をめぐって米ソは競争を過熱させます。そして1969年7月20日、NASAのアポロ11号が“ニール・アームストロング”と“バズ・オルドリン”の2名のアメリカ人を月に降り立たせ、史上初めての人類による月面着陸成功の偉業を果たしました。
しかし、ここまでの歴史で表舞台になった人間はみんな「男」でした。
作中でも少し言及されますが、実はマーキュリー計画の際に一部の女性も密かに訓練をしており、男性と同等かそれ以上の成果をだしていました。その史実は『マーキュリー13: 宇宙開発を支えた女性たち』というドキュメンタリーでも題材になっています。
結局のところ、政府は「男」が欲しかったんですね。「実力のある女」ではなく、まず「男」を前提にした、と。
当時の宇宙開拓は軍国主義と密接に重なっており、男の世界でした。女は禁制だったわけです。
ところが、1960年代後半にスペースシャトル計画が始動します。これは宇宙開拓の目標が「いかに敵国より凄いというところを見せるか」から、「より多数の人と協力して宇宙科学を発展させる」に方向性が変わったことが背景にあります。それはつまり、宇宙飛行士に求める条件も変わってきます。今まではひたすらに軍人男性を要求していましたが、もっと多様なスキルを有した人材が求められるようになりました。
これは私の思うところですけど、この当時の事情の裏には、これはこれである種のホモフォビアというか規範化のイメージアップもあったんじゃないかな、と。
なにせ従来のままだと宇宙ステーションで男ばかりが密集して暮らすことになりますからね(それはそれでゲイな感じを匂わせる)。それよりも女性を交えて、男女が宇宙の空間で生活を共にする姿は、少なくとも当時の視点からすれば、新時代の規範的な宇宙家庭の在り方をみせるようで、都合が良かったのだろうなと思います。
まあ、どういう背景にせよ、これが宇宙に憧れる女性にとって大きな機会となります。
サリー・ライドはそこに飛びついたひとりでした。
アーカイブから女性抑圧を垣間見る
『サリー 私の愛した宇宙飛行士』の本題です。1977年、NASAの宇宙飛行士増強計画で女性も含めた募集が大々的にかかり、1500人の女性含む8000人が応募。サリー・ライドは翌年の1978年に35人に絞られた中に残り、本格的な訓練を開始させます。
ここからは本作では、NASAの膨大なアーカイブを活用した当時の映像資料を組み合わせるという、よくある構成ではあるのですが、“クリスティーナ・コンスタンティーニ”監督はその中で、サリー・ライドが女性差別を受けていたことがよく実感できる資料を抽出するという編集センスをみせています。
たぶんそんなに「これは露骨な女性差別だな」とハッキリわかる映像や音声なんて無かったと思うのですよね。ただの記録資料を保管していただけでしょうから。
しかし、とくにサリー・ライドがメディアの取材に答える映像の中にはその女性差別の片鱗が垣間見えます。一般的な凡百の宇宙飛行士の伝記ドキュメンタリーならこんな部分をピックアップしないでしょう。でも“クリスティーナ・コンスタンティーニ”監督は意識的なテーマ設定のもと「ここだ!」と付箋をつけるように選び抜き、サリー・ライドの受けていた抑圧を浮き上がらせます。
その中でサリー・ライドがちゃんと抑圧に抵抗する姿勢をみせていたのが記憶に刻まれます。
例えば、「ミス・ライドじゃなくて、ドクターかサリーで呼んでください」と記者の前で堂々と訂正したり。はたまた、あからさまに女性だという理由で向けられる質問に対して隣の“同じ”宇宙飛行士である男性に答えさせてみたり。
口数が少ない女性だったらしいですが、競争心は人一倍あったとのことで、サリー・ライドにとってはこの常態化している女性蔑視と闘わないと「宇宙飛行士になる」という夢も実現できない。大変なのは過酷な訓練だけではなかったことがよく伝わってきます。
宇宙飛行士のみならず当時のNASAの技術職員4000人のうち女性はわずか4人というほどに、あの組織全体が女性を想定もしておらず、映像資料に残っていない大部分ではもっと酷い扱いだったはずです。
「タンポンっていくついる? 100個くらい?」というエンジニアの質問はさすがに苦笑しますが…(ちなみにサリー・ライドが参加した「STS-7」のミッション期間は6日間です)。
その生き証人として珍しい「反省した加害者」側で本作に取材出演するのがマイク・ミュレインです。サリー・ライドよりも先輩の宇宙飛行士で、「あのときは女性差別主義者の権化のような振る舞いだった」と作中で自省していたのも印象的でしたね。
宇宙に行くよりも怖いこと
科学の世界を夢見る地球の女子たちのロールモデルとなり、女性差別に果敢に立ち向かったサリー・ライド。ここだけ切り取れば本当に勇猛で強い女性像の代表です。しかし、『サリー 私の愛した宇宙飛行士』はそんな世間が知っているサリー・ライドの伝説を解体するようなこともします。それは一部の偉人武勇伝を信奉したい人にとっては余計なお世話かもしれませんが、それでも本作はこの部分は絶対に無視できないところとして大切に前面にだします。
それがサリー・ライドの性的指向に関することです。
サリー・ライドは自身の性的指向を一切明かさず、癌と診断されて闘病生活の中、27年間もパートナーだったタム・オショーネシーをやっと病院で「私のパートナー」と紹介し、パートナーシップに署名し、自分が亡くなった際は明かしていいと伝えたことが本作でも語られます。
なので本作はサリー・ライドの意思に基づくドキュメンタリーとして監督もパートナーで取材に深く関わるタム・オショーネシーも考えてのことでしょう。
ところがいざそのサリー・ライドの愛の姿を映そうにも、前述の女性抑圧の現場と違って、こればかりはアーカイブ映像に全く頼れません。無いからです。それ以前にタムと写っているまともな写真も5枚程度しかなかったそうです(The Guardian)。なので作中では再現イメージ映像でサフィックな恋愛模様のプライベートを補ってます。
サリー・ライドはタム・オショーネシーと12~13歳のときにテニストーナメントで一緒だったのが出会いだったそうで、ただ、大学時代はモリー・タイソンという女性と交際していたことが、モリー・タイソン本人の口から取材で語られます。その時点から交際は誰にも明かさなかったとのことで、それはNASAを去ってタムと付き合い始めても変わらず。サリーの妹ベアーも公然とレズビアンだったのですが、その妹にさえ話さなかったというのですからよほど口が重かったのでしょう。
無論、その理由は作中で関係者が類推するように(関係者でなくてもあの時代のLGBTQへの社会の視線を知っていればみんな察せますが)、同性愛者だと公表することは甚大なリスクだったからです。
作中でテニス繋がりで取材に答えるビリー・ジーン・キング(『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』で題材になった人物)が身をもって経験したようにカミングアウトはキャリアを失うことに直結します。
NASA時代にサリーは同僚宇宙飛行士のスティーヴ・ホーリーと結婚しますが、異性愛規範の中に隠れて無難にやり過ごすための戦略だったのだろうと周囲が分析しているのもさもありなん…(でもスティーヴ本人が本作の取材に微妙な空気の夫婦仲だったことを答えているのも変な感じではありますが…)。
2012年7月、61歳でサリー・ライドは亡くなり、本人の口からそのセクシュアリティへの想いが語られることがなかったのは残念です。
しかし、宇宙に行くのは怖くなかったあの女性でも、カミングアウトは怖くてできなかった…その事実はどれほど一部の人にとってカミングアウトはハードルが高いかを物語っています。
その点においてサリー・ライドは普通の人でした。怖いもの知らずの偉人ではなく、性的マイノリティへの抑圧に怯えていた他の人たちと同じ。その素もまた、私たちには身近な共感を与えるような…。
私は「宇宙に行ったサリー・ライド」よりも「カミングアウトできなかったサリー・ライド」のほうが好きです。もし宇宙からこの地球を見守っているなら、サリー・ライドに言ってあげたいですよ。あなたのカミングアウトできなかったことは別に恥ではない、と。それでもあなたは先駆者でしたよ、と。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)National Geographic Documentary Films
以上、『サリー 私の愛した宇宙飛行士』の感想でした。
Sally (2025) [Japanese Review] 『サリー 私の愛した宇宙飛行士』考察・評価レビュー
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