そしておやすみなさい…映画『制服の処女』(1931年)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ドイツ(1931年)
日本公開日:1933年2月
監督:レオンティーネ・ザーガン
自死・自傷描写 恋愛描写
せいふくのしょじょ

『制服の処女』物語 簡単紹介
『制服の処女』感想(ネタバレなし)
女性同士の生徒と教師の恋愛モノのカルト・クラシック
恋愛モノの中でも「生徒と教師」の関係を描くというサブジャンルがあります。
これは現実社会では法的にも倫理的にも良くないこととしている国が多いにもかかわらず、物語の型としては今も一定の人気があります。思春期の恋愛感情の目覚めを映したり、キャリアを崩壊させる教師を映すものもあれば、大人による未成年の搾取を問題視するものもあったり…。
「生徒と教師」の恋愛関係を描く映画の歴史も古く、初期のものだと、『ワイルド・パーティー』(1929年)、『Girls’ Dormitory』(1936年)、『Margie』(1946年)などが挙げられます。
しかし、上記の映画はいずれも異性愛関係が描かれます。同性愛だとどうなのでしょうか。同性同士の「生徒と教師」の恋愛模様を描く映画はいつからあったのか。
その初期の映画として代表的な一作を今回は紹介します。
それが本作『制服の処女』。
本作は1931年のドイツ映画です。1933年1月に“アドルフ・ヒトラー”が首相に任命されて政権をとるので、その直前ですね。
邦題のせいで余計にポルノっぽくみえる感じになってしまっているのですけども(原題も英題も「少女」としか言ってないのに)、別にそういう内容ではありません。ヌードも、なんだったら性行為の描写もないです。キス程度です。
先ほどから説明しているとおり、この映画は「生徒と教師」の恋愛模様を中心に描いており、舞台は女子寄宿学校となっています。つまり、女性の先生と女子生徒の恋愛関係ですね。
1931年のドイツ映画『制服の処女』は、当時から非常に異彩を放つ作品でした。
まず本作は“クリスタ・ヴィンスローエ”というドイツ系ハンガリー人の女性作家の戯曲『昨日と今日』を原作としており、“レオンティーネ・ザーガン”という女性監督がメガホンをとり、原作者である“クリスタ・ヴィンスローエ”自身も映画の脚本に関与したと言われています。
そして、出演陣は全員女性です。男性はひとりもでてきません。
この時代にこれほど女性中心の製作布陣を揃えているのはなかなかにインパクトがあり、そこで生まれたのがこれまたサフィックなロマンスであるというのが象徴的です。
『制服の処女』は公開当時から話題を集めてカルト・クラシック化。日本でも1933年に公開されて、大ヒットしたとのことで、なんだか信じられない話です。1933年の日本では、この女と女のクィア映画がちゃんとブームになるほどの大衆の受容性があったということですから(やはりこれも「エス」文化の土壌があったからこそでしょうか)。
なお、本作は1958年にリメイクもされているのですが、そちらは同性愛の要素がだいぶ減退してしまっています。
今の日本では「生徒と教師」の恋愛模様を主題にした百合作品がいくらでもありますが、1931年の『制服の処女』はその基本構造をこの頃から完璧に確立しています。影響を受けたクリエイターも、1930年代以降は少なくなかったでしょう。
そんな原点を目にしたい人は、ぜひこの1931年の『制服の処女』を鑑賞してみてください。
『制服の処女』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 未成年の大人への恋愛感情、大人からの未成年へのキスの描写があります。また、自殺未遂を描くシーンが一部にあります。 |
| キッズ | 大人と未成年の恋愛関係を描く性質上、子どもが観る際は注意が必要です。 |
『制服の処女』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
14歳のマヌエラ・フォン・マインハルディスはとある厳格な女子寄宿学校に途中から入学しました。歴史ある校舎で、女子たちは同じ制服を身にまとい、規律正しく過ごしています。
幼い頃に母親を亡くし、父親が軍人という境遇のマヌエラは、この規則の厳しい空間に到着早々から馴染めません。廊下を連れられ、案内されていくと、女子たちがハツラツと歌っている声が聞こえてきます。
ベルが鳴り、休みの時間です。さっそく教室を飛び出してきた大勢の女子たちの興味関心のまとになります。みんなフレンドリーです。
マヌエラは制服がないので、まずはそれを用意してもらいます。どうやら誰かのお古のようです。しかも、何やら秘密のメッセージみたいなものまで書かれています。これは「エリーザベト・フォン・ベルンブルク先生」のイニシャルらしく、彼女は女子生徒の憧れを集めているのだそうです。
寮部屋では女子たちが自由気ままに生活しており、マヌエラも今日からはここで生活です。あるひとりの女子は想い焦がれる男性の写真がベタベタと張られた光景をみせてくれます。つい騒いでしまうと、厳しい先生が部屋に入って来て睨まれます。
この学校の校長はとくに厳しいことで知られ、先生たちも校長には逆らえません。
マヌエラは例のベルンブルク先生に会います。こちらもしっかりした人柄で、厳しそうですが、一方で優しさも伝わってきました。確かに聡明で美しい顔立ちでもあります。
マヌエラはそんなベルンブルク先生の存在に初日から目を奪われます。
就寝時間になり、女子たちはそれぞれのベッドに横になります。ベルンブルク先生はひとりひとりのおでこにおやすみのキスをしてくれ、多くの女子たちはこの瞬間を楽しみにしていました。
マヌエラの番になりますが、思わずベルンブルク先生に抱きついてしまいます。しかも、先生はそれを咎めるわけでもなく、なんとマヌエラの唇にキスをしたのでした。
そんな体験をしてしまってからというもの、マヌエラは夢中になりすぎてベルンブルク先生の授業で朗読できず、ぎこちなくなってしまいます。
そしてある言動が校長の目に触れてしまい…。

ここから『制服の処女』のネタバレありの感想本文です。
おやすみのキス
感想に入る前に、1931年の『制服の処女』が描くのは、「憧れ」か「恋愛」かという議論はこの私の記事では広げるつもりはありません。不毛な論争になりがちですし、区別する必要が必ずしもあるものでもないでしょう。
今回、大事なのは本作がじゅうぶんすぎるくらいにクィア映画の文脈で読み解けるということです。
で、やはり真っ先に印象に刻まれる名シーンは、マヌエラがベルンブルク先生にキスされるシーンです。教師と生徒の不均衡な関係はひとまずさておくとして、非常にドラマチックなキス・シーンになっています。
おやすみのキスの延長だから、唇に軽くチュっ…みたいなやつかと思いきや、かなりしっかり唇を奪うようなキスをしてみせるベルンブルク先生。撮りかたといい、キスの仕草といい、凄まじく綺麗なワンショットになっています。
一発撮りだったのかな、何度も撮り直したのかな…。ちなみに、ベルンブルク先生を演じた“ドロテア・ヴィーク”も、マヌエラを演じた“ヘルタ・ティーレ”も、ともに撮影時は成人です。
とにかくこの「おやすみのキス」が当時から女性ファンダムの中で話題騒然となったのも頷けます。
当時の映画における女性同士のキスは、『モロッコ』(1930年)とかありましたし、レズビアンのキャラクターで言えば、『パンドラの箱』(1929年)もありました。しかし、1931年の『制服の処女』ほど、物語の中心軸にサフィックなセクシュアリティが組み込まれて、それがキスという行為を堂々と映すことで幕開けするようなプロットは、やはり類を見ないです。


一方で、どうしても「おやすみのキス」ばかり印象を持っていきがちですが、本作全体の女子寄宿学校という女性だけの空間の描かれかたも、とても自然体で、これ自体も貴重な表象だったと思います。
とくにヌードとかはないですけども、だいぶカジュアルな格好でだらけている女子たちが雑然と存在していて、それこそ下ネタで盛り上がるような下世話な空気感が漂います。会話も自由気ままで、どこまでも他愛もないです。男性のキャラクターは登場しませんが、それのみならず、男性の眼差しさえも介在する感じすらない…。ここまで自然な女子たちのコミュニティを当時から描けたとは…。
これは本作に出演していた多くのキャストが、マヌエラを演じた“ヘルタ・ティーレ”も含めて、以前に舞台で同じ作品に出演していたゆえに、慣れていたというのもあるのかもですけど。
そんなわちゃわちゃした女子たちの戯れの中で、マヌエラとベルンブルク先生の関係を軸に、ときどきハっとさせられるロマンチックな名台詞まで飛び出し、しかも、作中で“フリードリヒ・フォン・シラー”の劇である『ドン・カルロス』を演じながら(ここも無邪気で楽しい)、この映画そのものがメタな構図を帯びてくる…。
劇中劇のような「入れ子構造」は、『やがて君になる』や『私の百合はお仕事です!』など現代の日本の百合作品では珍しくもないですが、この1931年のドイツ映画でも見られるとはね…。
なお、原作者である“クリスタ・ヴィンスローエ”はこの映画もまだ気に入らず、よりレズビアンとしての側面を濃くした小説版を後に書いているそうです。どこをどんなふうに練り直したのだろうか…気になる…。
クリスタ・ヴィンスローエの人生と合わせて
そして脇に置いていた教師と生徒の不均衡な関係をあらためて取り上げると、1931年の『制服の処女』は、無論、「ステキなときめきだね」で片づけるわけにはいきません。
ただ、ここでこの物語がとるアプローチは、「教師と生徒」以上のより不均衡な関係を突きつけること…なんですね。つまり、校長という存在を通して、権力を意識させます。思えばこの校長は、飢えに対する正当化といい、かなり全体主義的な支配を具現化させていました。
とくにラストの追い詰められたマヌエラがとった行動に対し、女子たちが連帯を示して助け、そのうえ、みんなで一斉に校長に無言の眼差しを向ける場面。ここのシーンは、あの「おやすみのキス」に匹敵する名シーンだと思います(階段という舞台構造の使いかたも巧み)。ある種の政治的批判性さえ感じる痛烈なエンディングです。
実際、この映画がどこまで政治批評を意識していたのか、それはわかりません。
しかし、原作者である“クリスタ・ヴィンスローエ”のその後の人生は、皮肉なものですが、この本作以上に政治性と無縁でいられないものになってしまうことに…。
“クリスタ・ヴィンスローエ”は厳格な寄宿学校にいた経験があり、それに基づいてこの原作を執筆したと思われます。卒業後、ハンガリーの作家で地主の男性と結婚したのですが、離婚。一方で、ジャーナリストの“ドロシー・トンプソン”という女性と交際してもいたそうです(かなりセクシュアリティにはオープンな姿勢だったとか)。
この“ドロシー・トンプソン”は、ヒトラー率いるナチスの台頭をいち早く批判し続け、同時にナチスは“クリスタ・ヴィンスローエ”の作品を「好ましくない」として検閲するようになります。
“クリスタ・ヴィンスローエ”と“ドロシー・トンプソン”はさすがにナチスの地にはいられないと感じ、ドイツから逃げるのですが、“ドロシー・トンプソン”の地元であったアメリカが馴染まず、結局は別れて、“クリスタ・ヴィンスローエ”はヨーロッパを転々。スイス人作家の“シモーヌ・ジャンテ”と暮らすようになるのですが、1944年にナチスのスパイであると誤って告発され、射殺されて生涯を終えます。
そんなこんなでこの“クリスタ・ヴィンスローエ”は『制服の処女』以外はほとんど作品を作れずに終わっているのですが、もし“クリスタ・ヴィンスローエ”が自由にクィアネスを表現できる環境で創作をしていたら、どんな名作が生まれていたのか…つい考えてしまいますね。当時のクィアなクリエイターのことを想うと、ちょっと悲しくなる…。
少なくとも1930年代前半に生まれたこの『制服の処女』は、単なるスキャンダルな「生徒と教師」の恋愛関係としてまとめることはできない、政治とジェンダーの絡まり合った抑圧の中で生じる女性同士の繋がりを巧妙に捉えた初期作として評したくなる一作でした。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)
以上、『制服の処女』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Bild und Ton GmbH
Girls in Uniform (1931) [Japanese Review] 『制服の処女』考察・評価レビュー
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