どこかにいればそれでいいから…映画『サスカッチ・サンセット』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年5月23日
監督:デヴィッド・ゼルナー、ネイサン・ゼルナー
性描写
さすかっちさんせっと
『サスカッチ・サンセット』物語 簡単紹介
『サスカッチ・サンセット』感想(ネタバレなし)
サスカッチ、ここにいる
アメリカで最も有名なUMA(未確認動物)と言えば、間違いなく「ビッグフット」でしょう。先住民の伝承にも語られており、「サスカッチ」という呼び名もあります。
身長2mともされる巨大な類人猿のような見た目の生き物で、全身は毛むくじゃら。そんな生物が人知れず北米の森に隠れ住んでいる…。
昔から写真や動画などの目撃例があって、「ビッグフットは実在するのか!?」が頻繁に論争になりますが、科学的な信憑性のある証拠は現状ひとつも存在しません。
それでも大衆はビッグフットが大好きで、もはやポップカルチャーにまでなってしまっており、存在の有無とかすでにどうでもいい段階に到達してしまって、愛されるキャラクター化しています。
ビッグフットのリアルな着ぐるみを着ていろいろなところを歩き回る動画を制作するのが趣味の人も現れたり(それがまたビッグフット目撃例を増やす…)、ビッグフットはUMAというか、親近感のある「みんなのマスコット」という感じでしょうか。
今回紹介する映画はそんな「愛されキャラ」のビッグフットならではの作品です。
それが本作『サスカッチ・サンセット』です。
本作は“珍”映画の部類になるヘンテコな作品で、主人公はビッグフット(以降はタイトルどおりサスカッチと呼ぶことにします)。カリフォルニア北部の森で暮らす4頭のサスカッチの生活する姿を映した物語なのです。
人間は登場しません。サスカッチだけです。当然、サスカッチは人の言葉を喋らず、なんだか獣っぽい呻きと声でコミュニケーションしているだけ。
『ハリーとヘンダスン一家』という、ひょんなことからビッグフットに遭遇して保護することになった家族を描く1987年の映画がありましたが、あれをさらに極端にして、ビッグフットだけで展開するようにしたようなものです。
『サスカッチ・サンセット』では、俳優がリアルなサスカッチのメイクと着ぐるみで、仕草も何もかもサスカッチになりきって、実際のカリフォルニア北部の森で撮影しています。
コンセプトからして明らかにコメディですし、中身もなかなかにしょうもないギャグもいっぱいあるのですが、「サスカッチのみで映画を作る」ということに関しては本気。この映画のノリについてこれるかどうかはあなたしだいです。
この珍作『サスカッチ・サンセット』を監督したのが、“デヴィッド・ゼルナー”(デビッド・ゼルナー)と“ネイサン・ゼルナー”の“ゼルナー兄弟”のコンビです。2012年に『Kid-Thing』という映画で長編映画監督デビューし、どことなくシュールさの漂う奇抜な作品を生み出してきました。2014年には映画『ファーゴ』を実話だと信じる“菊地凛子”演じる女性がアメリカを旅する『トレジャーハンター・クミコ』を手がけ、2018年には男性中心の西部劇にツッコミを入れまくったような『ダムゼル とらわれのお嬢さん』を監督していました。
“デヴィッド・ゼルナー”&“ネイサン・ゼルナー”の監督コンビは2010年に『Sasquatch Birth Journal 2』という似たようなコンセプトの短編を撮っているので、今回の『サスカッチ・サンセット』はそれを膨らましたような企画です。
“アリ・アスター”と“ラース・クヌードセン”が設立した「Square Peg」というプロダクションが制作に参加しています。
サスカッチの“中の人”となる俳優は、『リアル・ペイン〜心の旅〜』の“ジェシー・アイゼンバーグ”や、ドラマ『デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃』の“ライリー・キーオ”、そして子どものサスカッチを演じるのはLP当事者の“クリストフ・ゼイジャック=デネク”です。子役に演じさせていないのは、まあ、性的なネタが多すぎるからでしょうね…。
また、監督の“ネイサン・ゼルナー”もサスカッチを演じています。“ジェシー・アイゼンバーグ”は本作では製作も兼任しており、“ゼルナー兄弟”は“ジェシー・アイゼンバーグ”主演作『恐怖のセンセイ』などで俳優&製作総指揮をしていたので、もともと仲がいいのでしょう。
あまりに疲れが溜まる人間社会から少し離れ、『サスカッチ・サンセット』を眺めながらサスカッチの視点でしばし生きてみませんか。
『サスカッチ・サンセット』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 直接的な性行為の描写があります。 |
『サスカッチ・サンセット』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
北カリフォルニアの雄大な原野。遠くまで森が続き、大自然が生き物を育んでいます。この地に4頭のサスカッチが住んでいました。毛むくじゃらで二足歩行する彼ら4頭以外のサスカッチは見当たりません。
4頭は、リーダーとして振る舞う雄(アルファ雄)、その雄とつがいになっている雌、その子ども、そしてもう1頭の成体の雄で成り立っていて、行動を共にしています。
春、森の中でアルファ雄と雌が激しく交尾していました。他の2頭はそれをやや離れた位置で棒立ちで見つめていました。行為が終わるとアルファ雄は葉っぱをむしって股間を拭きます。鹿などの野生動物も近くにいますがお構いなしです。
その後、4頭は手頃な大きさの木の枝を集めて家を作ります。太い枝を重ねて家の骨組みとし、その上に葉っぱを乗せるのです。作業は淡々と進みます。素材になるものはいくらでもあります。
次に4頭は一定のタイミングで枝で大木を叩き、音を鳴らします。音を鳴らした後に耳を澄ませますが、普段の森と同じです。他のサスカッチが近くにいるなら、音で返答してくれそうですが、そういうことは起きません。もうこの地には自分たちが以外のサスカッチはいないのでしょうか。
翌朝、4頭は寝床の家を崩し、また歩き出します。道中で食べられるものを探し、放浪を続けます。川で水を飲み、行き当たりばったりの旅路です。
ある日、草原に生えていたベリーに気づき、匂いを嗅ぎつつ、口にしてみるアルファ雄。いつも真っ先にアルファ雄が確認し、食べていいかどうかを決めます。他の3頭は従うだけです。
今回見つけたベリーはやけにかなり酸っぱいです。でも食べれないものではありません。癖になって夢中でひとり食べるアルファ雄。独占したくなり、他の3頭には渡さないようにします。
こうしてベリーで完全に酔ったアルファ雄は、近くにいた雌に欲情し、交尾を強要しようとして、雌に拒絶されます。雌は一切同意をしません。
しかし、アルファ雄はどうしようもない醜態を晒し続け、性の衝動を抑えられません。手頃な木の枝の穴で満足しようとしましたが、周りの3頭に止められます。
追い出されたアルファ雄は森を独りで彷徨い、ある動物に出会うことに…。
見たかったから作った

ここから『サスカッチ・サンセット』のネタバレありの感想本文です。
「何を見せられているんだ。こんなくだらないものに付き合っている時間はないよ…」と思ってしまう人には1ミリも受け入れられないであろう『サスカッチ・サンセット』。それもそうです。そういう映画ですから。擁護のしようもないです。
サスカッチがただただ森で生きているだけですからね。ネイチャードキュメンタリーのような「生命の神秘」とか「自然の雄大さ」みたいなナラティブな感動を押し売りするメッセージも皆無です。
本作におけるサスカッチは類人猿風に振る舞ってはいますが、文化的な行動をとっていると言い切るにはあまりにお粗末で、わざと学術的好奇心をくすぐらないように稚拙に描いている節さえあります。早い話が下品です。
食事をする、交尾をする、移動する…という動物がやりそうな行動の最低限のみを描き、たまにスカンクの匂いにうっとりするとか、意味不明な行動でお茶を濁す。よくわからないサスカッチたちです。
ただ、唯一、他のサスカッチを探しているらしいということは示され、それが最後の余韻に繋がっていきますが…。
本作にてサスカッチを演じた“ジェシー・アイゼンバーグ”や“ライリー・キーオ”といった俳優陣は、今作のためだけに「いかにしてサスカッチになりきるか」というレクチャーを受けたそうです。サスカッチはUMAなので動物園に行ってリサーチすることもできませんし、結局は想像で作り上げるしかありません。ある程度は俳優たちのクリエイティブを発揮できる余地があります。そうは言ってもサスカッチですからね…。
サスカッチの見た目だと何をしてもギャグっぽくなってしまうので大変だったと思います。そのうえ、本作は実際の自然環境で撮影しているので、演者の負担は想像以上に大きかったはず。やってることは馬鹿々々しくても、苦労の多い映画だったんだろうな…。
それでもこの映画を作る意義はあったのかと問われれば、きっと監督はこう答えるのでしょう。作りたかったから作ったのだ、と。
何かとUMAだなんだと騒がれるサスカッチ。でもそういう目撃写真はいつも立ってるか歩いているかだけのものばかり。もっと彼らの素の生活が見たい…。
その探究心だけに突き動かされて生まれたこの『サスカッチ・サンセット』。そういう映画を私も応援はしたいです。
会いたかったから出会えた
『サスカッチ・サンセット』は四季で1年を描いており、最初は春です。春はプロローグかなと思ったら、いきなり最大級の衝撃的な出来事が観客を驚かせます。
アルファ雄の死。しかも、無様すぎる…。ピューマだけアソコを食べて美味しそうではあるけど…。
“ゼルナー兄弟”監督は前作の『ダムゼル とらわれのお嬢さん』もそうだったのですけど、その空間で平然とまかり通っている男らしさの馬鹿々々しさを直球で風刺するアプローチが好みらしく、この『サスカッチ・サンセット』でもその技が光っていました。
アルファ雄はいかにも規範的な男性的リーダーのポジションにこだわり過ぎ、そして性の権力を振るう欲望に囚われて、そのまま自滅をしてしまいます。勃起死と呼んでやりたい…。
夏はあの残った成体の雄が次のリーダーになるのかなと思わせつつ、全然そうはならず、こちらの雄もこれまた無様な死に方をしてしまいます。
雄の死に対する雌と子の妙な切り替えのいい態度がまたシュールです。一応、埋葬するという文化をここでみせますが、慈しみみたいな感情を表す行為としてではなく、「さ、次、いこっか」みたいな過去を忘れる隠滅(とりあえず埋めておいたからもういいだろうの精神)としての埋葬みたいになっているのが何とも言えない…。
秋以降は雌と子の2頭だけの生活になります。だからと言って厳しい状況に追い込まれるわけでもなく、雄の存在意義がないのが…。
そんな中、作中では徐々に人間の痕跡が出現し始めます。赤い×(バツ)マークのついた樹木(やたら意味深にみせるがとくに意味はない)、そしてアスファルト舗装の道路。この道路に対面したときの反応があまりに振り切ったギャグでさすがに笑うしかなかったです。
そして秋には赤いテントがひとつあるキャンプの地に偶然に出くわします。ここでの黄色いラジカセから流れるのが“イレイジャー”の『Love to Hate You』で、最初は固まって聴いているのに「I Love to Hate You」の歌詞でいきなり大暴れするのがもう…こんなアホなギャグで笑う自分が悔しいけど、でも面白い…。反則だった…。
で、なんだかんだあって(なんだかんだ多すぎる)、雌が出産して元気な赤ん坊を産むのですけども、こう…何というか…美化も何もない「出産」そのまんまなのがこの映画らしいです。
そんな2頭のサスカッチはついに人間の町に足を踏み入れます。ここは「ウィロー・クリーク」という実際にある町で、ビッグフットで町おこししているところとして有名で、作中にでてくるビッグフットの巨大なモニュメントがある博物館も実在します。
もともと1967年に“ロジャー・パターソン”と“ロバート・ギムリン”が制作したアメリカの短編映画で、それにビッグフットが映っていることから、「これは本物か?」と論争になった伝説の作品があって、その撮影地が近くにあり、この町は半ばビッグフットの聖地に勝手になっています。
『サスカッチ・サンセット』は最後にそこに終着することで、サスカッチ(ビッグフット)を愛する全ての者へのラブコールとなって映画は閉幕します。このラスト、泣いている人は泣いている。全然置いてけぼりの人もいるだろうけど…。
サスカッチ(ビッグフット)へのロマンにこれだけ答えてくれる映画はそうそうないですし、なんだか生成AIや陰謀論に荒らされる前の昔懐かしいUMAファンのコミュニティを思い出したりもしました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023 Cos Mor IV, LLC. All rights reserved サスカッチサンセット
以上、『サスカッチ・サンセット』の感想でした。
Sasquatch Sunset (2024) [Japanese Review] 『サスカッチ・サンセット』考察・評価レビュー
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