岬の兄妹
映画『岬の兄妹』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Siblings of the Cape
製作国:日本(2018年)
日本公開日:2019年3月1日
監督:片山慎三

岬の兄妹

あらすじ

港町で自閉症の妹・真理子と二人暮らしをしている良夫。仕事を解雇されて生活に困った良夫は真理子に売春をさせて生計を立てようとする。良夫は金銭のために男に妹の身体を斡旋する行為に罪の意識を感じながらも、自分たちで稼いだおカネによって少しずつ生活が良くなるにつれ、複雑な心境にいたる。そんな中、妹の心と体には変化が起き始め…。

『岬の兄妹』感想(ネタバレなし)

無かったことにされる日本の貧困

「貧困」という言葉が示す概念はわかりづらいものです。おそらく日本人の大半であれば、パッと思いつくのはアフリカとかのガリガリに痩せた子どもたちのイメージのはず。確かにあれは貧困でしょう。でも貧困はそればかりとは限りません。

「相対的貧困」という指標があり、これは「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」を指すもので、その国の中で“貧しい”と言えるかどうかを評価できます。その日本の数値は2016年では「15.7%」と算出されており、つまり約6人に1人が「相対的貧困」です。

こう聞くと「でも社会保障とかの行政サポートがあるよね?」と思ってしまうのですが、どうやらそれに関しても残念な実態を示す数字があります。捕捉率(生活保護を受けられる条件を満たしている人のうち実際に生活保護を受けている人)は日本ではなんと約15~18%くらいだと言うのです(日本弁護士連合会の推定)。他の先進国では60%とか90%だったりするので、これは異様に低い値です。ネット上では生活保護の不正受給なんかがことさら話題になりがちですが、現実では生活保護が行き届いていない人の問題が深刻なのです。

なぜここまで社会保障が機能していないのか。そのサポートの存在自体を知らないのか、はたまた行政が努力をしていないのか…。

でもカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した、日本の貧しい家族の生きる姿を描く『万引き家族』が公開されたとき、「こんな家族は日本にいない」という意見が少なからずあったと聞いて、なんとなく合点がいくところもあります。日本社会では「貧困」は無かったことにしようという暗黙の圧が存在しているのかもしれない、と。


こういう日本の現状を実感すればするほど、やっぱり貧困を描く映画はもっと必要だなと思いを強くします。

そんな中で『万引き家族』が平和に思えるくらいの、とんでもない強烈なヘビーパンチをぶっこんできた映画が出現しました。それが本作『岬の兄妹』です。

邦画では貧困を描くのはそこまで珍しくなく、多少の差はあれど、貧しい家庭の描写はたくさん観てきましたが、『岬の兄妹』のそれは極貧という言葉では言い尽くせないレベルです。いや、居住地はあるし、ホームレスではないぶん、マシなのかもしれないですけど…なんというか、追い込まれ方が尋常ではないというか…。

しかも、作中で主人公たちがやってしまう行為の数々はそれはもう人間としての倫理を超えまくっていくので、当然、鑑賞することでとてつもなく不愉快な気持ちになるのは避けられません。包み隠さずオープンにしすぎてドン引きする…みたいな感じですね。貧困の根底にある、性、労働、孤独、障がい、犯罪、暴力…そういったものが一切の配慮無しに描かれるので、観るのには覚悟がいるでしょう。

『岬の兄妹』はさらに極端なので、これまで以上に「こんな人たちは日本にいない」勢が湧いてきそうですが、前述した捕捉率の話も裏付けるように、やっぱり日本のどこかには実在するんじゃないかなと私は思います。ではなぜ彼ら彼女らには救いがもたらされないのか…それは作中で浮き上がってくるのではないでしょうか。

監督は本作が初長編監督デビューとなる“片山慎三”。『母なる証明』などのポン・ジュノ監督や、『マイ・バック・ページ』『苦役列車』などの山下敦弘監督のもとで助監督経験を積んだ人だそうで、確かにどことなく『岬の兄妹』は韓国映画っぽい雰囲気があります。

主演は、冨永昌敬監督の『ローリング』などで活躍していた“松浦祐也”。そして、瀬々敬久監督の『菊とギロチン』でも印象的だった“和田光沙”。どちらも何か賞をあげたいくらいの名演です。

重い話なら見づらいな…と思っている人へ。それもそうなのですが、同時に不思議なユーモアも混ざっているのが『岬の兄妹』の特徴です。喜劇と悲劇の境目で無様に行ったり来たりする兄妹の姿は、勇気を出してでも絶対に観ておいて損はないと思います。

オススメ度のチェック
ひとり◎(隠れ名作を見逃すな)
友人◎(映画好き同士で語り合おう)
恋人△(かなり強烈だけど)
キッズ✖(性描写がかなり多め)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『岬の兄妹』感想(ネタバレあり)

「ぼうけん」はこうして始まった

『岬の兄妹』は映像の手際が本当に巧みで、何気ないシーンやアイテムに見えて実は伏線であったりと説明の少ない物語をしっかり支えています。なので89分と短い映画時間ですが、どの場面も見逃せません。

冒頭のシーンからして的確に登場人物の現状を言葉抜きで描き切っていますし、ラストでさらにこの冒頭が非常に重要な意味を内包していることが発覚します

始まりは「真理子~」というかぼそげな男の呼び掛ける声です。足をひきずりながら真理子という女性を探す男。知り合いに電話をかけて見ていないかを聞きます。そこは地方の小さな港です。海岸に靴を見つけ、目を止めます。場面が一転し、その靴を網ですくう警官。どうやら真理子のものではないかと疑ったようですが、違ったようです。警官は男とは顔なじみらしく「前みたいにトランプやっているんじゃないの?」とどこか軽めな反応。すでに前にもこのように行方不明になったことがあるとわかります。「署に戻って失踪届、出す?」と聞かれるも、自分でひたすら探す男。日が沈むまで探しますが、結局、見つかりません。 

帰宅。室内の紐を手にしながら、男女の子どもの写った写真立てを倒す男。すると公衆電話から電話がかかってきて、急いでそこに向かうと、男が例の女性を連れてきました。なんでも「釣りをしていたらじっと見てきて、お腹がすいたって言うから…」とのこと。「海鮮丼」を連発する女性をよそに、深々と頭を下げて感謝する男。

今度は二人揃って帰宅。女は風呂に入り、男は女の服の中にお札があるのを確認し、下着についた液体に目を止めます。「このおカネをどうしたの?」「貰った」「誰から?」「海鮮丼」…そんな会話をしつつも、現実に起きたことをとうに察知している男は「真理子、お兄ちゃん、怒るよぉー!」と厳しく問い詰め、そのまま二人は揉み合い。女は噛みついてきて、男は女を殴り、「いい加減にしろ!」と凄い剣幕で恫喝。貯金箱にお札を入れさせるのでした。

ここまでの冒頭だけでわかるのは、この二人は兄妹であり、妹の方は何らかの知的障がいを持っているということ。ゆえにひとりでの行動は危険なため、普段は足を紐で結び、ドアに鍵をかけて軟禁状態にしているということ。そして、この二人はとてつもなく貧しいということ。

紐では逃げるので足元を鎖でつながれた真理子。兄である良夫は、ティッシュに広告紙を入れるという1個1円の仕事ではとても生活できるものではなく、しかし、知り合いの警官である肇(はじめ)に頼んでもダメで、崖っぷちの困窮状態に。

そして二人で夜な夜な出かけ、休憩中のトラック運転手に話しかけます。「いい子がいるのですけどいかがでしょう。1時間で1万円」…こうして兄は妹に体を売らせる行為に堕ちていくのでした。

それが兄妹の「ぼうけん」の始まり…。

名言の海鮮丼じゃないですか!

『岬の兄妹』はとにかくどん底の貧困を見せつけられるので、暗澹たる生活に観客の気持ちまで暗くなる…のかと思いきや、意外にそうではない一面も頻繁に顔を覗かせます。この笑うに笑えない不謹慎としか言いようがないユーモアセンスは本作を語るうえで外せません。

なんかもう数分に1回は名言(迷言)が飛び出すという、凄い連続パンチです。

「電気止まっちゃいますよ、いいんですか」→「いいわけないだろ」とか、あまりにも空腹ゆえにティッシュを食べている真理子に対しての「食べちゃダメだろ」「あまい」「ほんとだ、甘い」とか。はたまたゴミを漁って食べ物を探しているシーンでのホームレスに追い返される、カラスの縄張り争いのような場面も(そこでの真理子の「一個頂戴」がまたシュール)。

本来であれば陰惨で倫理的に100%アウトな妹に体を売らせるという行為におけるセックスシーンも常にどこかコミカルな空気を漂わせます。それもどれもあまりにも真理子が自由奔放すぎて素直な発言を連発するからなんですが。最初の売春行為での、真理子の胸に吸い付く男に対しての「あ、ハゲ」の一言。最大の爆笑“行為”シーンは、やはりあの老人とのアレですかね。ジュースからの、「自分でやって」「ふにゃふにゃ」「早く脱ぐ」「着すぎ」「しわしわ」と全セリフがツボに入る。仏壇を映すカットでフェードアウトするのも嫌みが炸裂していて…。こんなに面白い映画のセックスシーン、2018年は『娼年』、2019年は『岬の兄妹』と来たか…。

ここで使われているピンクなビラにも書かれている「KYスタイル」というサービス名も絶妙にアホっぽい…。

極めつけはプールでの一幕。とあるいじめられっ子の少年が虐めの一環で良夫のサービスを受けることになり、真理子がお相手している間、イジメ少年たちに襲われる良夫。そこでのまさかの反撃方法。「まだまだ出るぞ!」という良夫の剣幕のマヌケさと、序盤の「だめだ、なんもでない」は伏線だったことの驚きと、そんなにインスタントに排泄できるのか!という観客の内なるツッコミとで、収拾つかないカオスさ。なんか糞で威嚇するなんて、野生動物だ…。

これ、社会派映画でなかったら、普通にギャグ映画として処理されるレベルです。

岬の兄妹

足が悪いのか、頭が悪いのか、それとも…

そのギャグ・ギリギリの綱渡りを文字どおり生死を賭けてやっているのが『岬の兄妹』のメイン二人。このキャラクター造形も監督と俳優のセンスがジャストに組み合わさって非常に絶妙です。

まず兄である良夫。彼は非常に小賢しい感じのする風貌であり、決して人に好かれるタイプではないです。あの「可愛い子がいるのですけど」と客引きする感じの何とも言えない気持ち悪さとか、あれでもっとビジッと振る舞っていたらまた印象も変わるのに、あれで売っているのは妹ですから、印象もそれは最悪なのは当然。

それでいて、あのいじめられっ子少年に妹を売った際は、「学割とかきかないよ~」などと謎の上から目線スタイルな態度で、「セックスしたことがない」とボソボソ告白する童貞少年に対する「まあ、誰にでも初めてのことはある」というあの言いようですよ。冒頭で体を売った妹にはあんなに激怒したクセに、この恥も外聞もないダブルスタンダード。自分より強い相手には怯え媚びへつらい、自分より弱い数少ない相手にはティッシュのような薄っぺらい権威を振るう。

まあ、控えめに言ってもクソな人間であるのは否定しようがありません。

もちろん忘れてはならないのはこの良夫も「障がい者」だということ。それを終盤の“足が治っている夢”を描くことであらためて観客に強調してきます。ここでは貧困にすらも優劣がつけられてしまうことの苦しみが表出しますね。良夫の「障がい者」という一面は、自分よりもはるかに社会適応が難しい妹の真理子の存在によって上塗りされてしまい、大衆の目は真理子への哀れみにしかいかないのですから。

そもそも過去シーンを見る限り、どうやら良夫は幼い頃から母に「妹の面倒を見なさい」と責任を押しつけられてきた歴史があるようです。もしかしたらあの兄妹の母はネグレクト的な親だったのかもしれません。夢のシーンで子どもに交じって遊具で遊んでいますけど、あれは良夫が子ども時代にああいう体験をしなかった…ということなのかも。そして良夫は当初は独立しており、母の死をきっかけに地元に戻ってきて妹の面倒を見るようになり、今の極貧に至るようでもあります。

つまり、あんな母でなければ、また妹がいなければ、良夫はもっと可能性に満ちたもう少し明るい未来があったのかもしれない…。だからこそ終盤のコンクリートブロックを手にしての妹への殺意に変わっていくわけで…。

作中で妹の売春を知って激怒する肇が「お前は足が悪いんじゃない、頭が悪いんだよ」と厳しいことを言い放ちますが、良夫の何が問題だったのか、どうすれば救われたのか。

観客にとって嫌悪も同情もできない、この中途半端な男を断罪はできないし、でもかといって放置もできないし…。ほんと、困ってしまうキャラクターばかりです、この映画…。

「しごと」に夢中になるのはなぜか

一方、妹の真理子。彼女は一応は公式では「自閉症」ということになっています(ただ、これが自閉症の一般事例だとは思ってはいけませんけど。人によって違うものですから)。

一般的にこういう精神的な障がいを抱えている人間を描く際は、2つのステレオタイプに引き寄せられることが多いです。ひとつは「可哀想な被害者」という側面。これはわかりやすいですよね、社会で苦しむ姿は同情を誘います。もうひとつは「ピュアな汚れなき者」という側面。表面上は欠点はあっても心は綺麗…そういう着地に落ち着けてフワッとさせることも多々あります。

でも『岬の兄妹』の真理子はそのどちらにも偏らないです。というか、真理子は常に「自分らしさ」を全開にしている感じさえあります。

そのストレートな真理子の行動が、皮肉にも私たちの生きる社会の醜さを痛快なまでに暴露させ、普通のポジションにいると思っている私たちを動揺させます。なんだかんだでセックスしか考えられない男の弱さとか…。なので、真理子はセックスワーカー的であり、性暴力の被害者的でもあり、それでいてエンパワーメントの体現者でもあるような、すごくクロスオーバーする立ち位置な気がします。

真理子(と良夫)は「自分でおカネを稼ぐ」ということに充実感を覚えていきます(マクドナルドを子どものように貪り、壁の段ボールを剥がして一気に部屋が明るくなるシーンが印象的)。人から施しをもらうのではなく、自立できる喜びを分かち合いたい。それがこの兄妹をあのような行為に走らせる主因でもあるのでしょう。

でも「自分でおカネを稼ぐ」なら売春じゃなくてもいいわけです。少なくとも良夫は内心ではそう思ってます。じゃあ、なぜ真理子はあの行為(しごと)に積極的だったのか。彼女が自閉症で判断能力がないからか。

ここは私の勝手な推測ですけど、真理子はセックスのときだけは自分と他者が対等でいられる感覚に浸れたのかもしれないな、と。男たちも性行為時だけはまるで幼児のように矮小化しますから。真理子でも扱える。でも、それは偽りの対等でしかなく、権利としての平等ではないわけで、結局はそこにしか充足感を得られないのだとしたらそれは紛れもない「貧困」。

赤ちゃんに興味を随所で見せていた真理子が、自分の赤ん坊をおろすという行為の意味に気づけず、死んだ雀を持ってはしゃぐ姿のなんと虚しいことか…。

ここまで攻める映画は世界でもない

『岬の兄妹』はとにかく観客を気まずくさせます。

あの小人症の青年が言う「僕だったら結婚すると思ったの?」というセリフはとくに突き刺さります。私たちの中にある、身の丈に合った同士で幸せになればいい…みたいな根本的には舐め切った目線を見透かされるわけですから。『真白の恋』のようなラブストーリーのエンディングはないですよ、と平然と言い放つ本作。恐ろしい…。


あの兄妹をどうしたら良かったのか、それはわかりません。ただ、あの兄妹が健全に生きるにはこの社会には致命的な何かが欠けているのは事実なのでしょうね。

悶々と悩んでしまいますが、それはとりあえず強引に脇に置き、それにしても“片山慎三”監督というとんでもない才能が邦画界にやってきました。たぶん日本で『ジョーカー』みたいな映画を作れるのはこの“片山慎三”監督以外、他にいないのではないでしょうか。いや、『ジョーカー』以上に『岬の兄妹』は攻め攻めでした。トッド・フィリップス監督も『岬の兄妹』は気に入る気がする…。


ラストパートの冒頭と重なるようで重ならない、虚実入り乱れるエンディング。激震させるだけしておいてあっさり海に消えるのは惜しい、そんな『岬の兄妹』でした。

ROTTEN TOMATOES
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IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)SHINZO KATAYAMA